このところ連日、アフガニスタンに関連したニュースが流されている。タリバンは、一部地域を除き、国土の大半をその支配下に治めた。今後のタリバンによる統治がどうなるかは、1996年から2001年まで続いた、前回のタリバン統治を見れば明らかだろう。当時も今も、彼らはイスラム法の厳格な適用を公言しており、その通りに国内統治を行うだろう。どうして、彼らが米軍や有志連合諸国の情報機関が予測したよりも早く、国土の大半を制圧することができたのか。前政権が著しく腐敗しており、ガニ大統領を戴く国軍は、最初から徹底抗戦するつもりが無かったことが大きい。もう1つ見逃せないのが、恐らくは、アフガニスタン国民の多くもタリバンの復権を支持していることだろう。日本を含む自由主義圏のメディアは、抑圧に怯える女性の姿などをクローズアップし、国民の多くはタリバンによる恐怖政治を嫌っているとの視点で報道することが多い。しかし、これほど迅速にカブールまで無血開城させたのは、首都や一部地域を除き、民衆からの支持があったことが大きいと思われる。
それにしても、アフガニスタンは近現代において、外国との戦争や内戦が繰り返されて来た国である。その理由は様々に言われて来た。古くから東西文明の交差点と言われて来たように、中央アジアに睨みを効かせるという地政学的な理由もあるだろう。イギリスが19世紀から20世紀にかけて、3度に渡りアフガニスタンに侵攻したのは、ロシアの南下を食い止めるために、保護国化を図ったからだとも言われている。1979年には、親ソ政権を支援するソ連が侵攻し、イスラム系ゲリラ組織と10年間に及ぶ戦いを繰り広げた。この時にアメリカが支援した反ソ連ゲリラ組織の中から、やがてタリバンが生まれたのは皮肉である。2001年にアメリカが、アルカイダに根拠地を提供しているという理由でアフガニスタン侵攻を開始した時、全土の90%近くを掌握していた。その後の20年に及ぶ戦争でもアメリカはタリバンを殲滅できず、結局は、流されたアフガニスタン国民とアメリカ兵らの血は、彼の国に平和と安定をもたらすことは無かった。
アフガニスタンに戦火が絶えない理由は、地政学的理由や対テロ戦争の舞台とされたこと以外にもある。同国は、アヘンの原料である、ケシの世界最大の栽培国である。少し古いが、2018年の国連の報告では、推定6400トンのケシが生産され、約630億円の収益があったと見られるという。麻薬の生産過程は、ケシ→アヘン→モルヒネ→ヘロインとなるが、当然、精製が進むほど末端価格は高価になる。国連推計の約630億円というのは、、相当控えめな見積もりであろう。国際的麻薬流通ネットワークの中で、ゴールデン・トライアングルに並ぶ、世界最大の原料供給地であるアフガニスタンを押さえることは重要であろう。ベトナム戦争の時もそうであったが、アメリカ中央情報局(CIA)の秘密活動には、麻薬流通をコントロールすることが含まれていると言われている。この他、アフガニスタンを巡っては、希少鉱物資源の宝庫とも言われていることから、アメリカによる侵攻の、隠された動機の1つではないかとの推測もある。
以上、アフガニスタンに戦乱が絶えない理由を挙げたが、これらは、政治的、経済的、軍事的カテゴリーに属することである。私たちは、もう1つのカテゴリーにも着目した方が良いだろう。それは霊的な理由である。これについては、旧約聖書に記録されている、イスラエル(ユダヤ人)の歴史が教訓となる。彼らが神に従って歩んでいた時、外敵を打ち破り国内には平和と繁栄があった。しかし、彼らが神に背いた歩みをしていた時は、彼らは外敵に敗北し、国内は不安定であり国は衰退した。最後は、2度に渡って外国の捕囚となり、国は滅亡した。現代においても、その原則は同じである。これをアフガニスタンに当てはめて考えると、麻薬の生産は、戦乱を招いている霊的理由の1つとなる。それは、仮に一部が医療用モルヒネとして供給されるとしても、大半は各国のマフィアなど裏社会によって流通させられ、多くの人々の人生を破滅させることと引き換えに巨額の利益を得る、悪魔のビジネスだからである。
アフガニスタンには、もう1つ、戦乱という呪いを招く霊的理由が存在する。それは、権力者らによる児童に対する性的搾取である。ここ数年は日本のメディアでも報道されているが、現代でもアフガニスタンでは、男児を性奴隷とする、バチャ・バジ(バチャ・バーズィーと表記されることもある。)という古くからの習慣が現存している。この悪習の対象とされる不幸な子供たちは、幼児から思春期頃までの男児である。彼らは、誘拐されたり、騙されて連れて来られた子供たちであり、地域の権力者や警察幹部などによって所有され、踊り子などを兼ねた性奴隷として過酷な日々を送る。イスラム法では、未婚の男女が性的関係を持つことに対しては、軽くて鞭打ち、重刑となると石打により処刑となる。どう考えても、成人男女の合意の上での不品行よりも、児童を性奴隷にする方がはるかに悪質な戒律破りだと思うのだが、イスラム法では軽重の考え方が逆のようである。タリバンは表向きはバチャ・バジを禁止しているが、徹底的に根絶することまではして来なかった。このペドフィリアの悪習は、いつまで経ってもアフガニスタンに平和と繁栄が訪れない、霊的理由の1つであろう。
「見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける」(申命記11:26–28・新共同訳)
実は、ペドフィリアの問題は、アフガニスタンに限らず、先進国とされる国々を含めた、世界中に存在している。個々の幼児性愛者による犯罪だけでなく、支配者層を含めた、ネットワーク化された集団犯罪もある。当然のことながら、欧米諸国にも、この日本にも、そのようなペドフィリア・ネットワークが現存している。時折、被害者の勇気ある告発や末端の関係者が摘発されることなどで、その存在が垣間見えることがある。近年では、2016年にアメリカで明るみになったピザ・ゲート事件、2003年に日本で起きたプチ・エンジェル事件などが知られている。これまでのところでは、前者はトランプ支持の陰謀論者の妄想とされ、後者は発覚直後に自殺したとされる男の個人的犯行と片付けられた。もっとも、欧米諸国のペドフィリア・ネットワークが、悪魔崇拝者らの組織と重なっていることが多いのに対して、日本の場合は、どちらかと言うと、性的に倒錯した権力者らによる秘密の娯楽といった性格が強いものと推察される。
今回は、重苦しいテーマを取り上げてしまったが、アフガニスタン政府崩壊の事態に接し、表層的な事象の背後には、しばしば霊的な問題が存在していることを書きたかったためである。これは何も、国家レベルの問題だけでなく、個人レベルの問題にも当てはまる。何でもかんでも霊的な理由や法則を見出そうとする必要は無いが、それらを全く考慮に入れないのでは、時に問題の本質を捉えることが出来なくなる。人生において何らかの問題に直面する時、神からの知識と知恵を祈り求めるなら、私たちは霊的な面も含めた、解決の道を見出すことが出来るのである。