TRANSLATE

GlobalNavi

AD | all

ラベル 人物 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示
ラベル 人物 の投稿を表示しています。 すべての投稿を表示

霊の父の召天(記事No.158)

アメリカ時間の去る9月19日、私の霊の父であるイリエ・コロアマ師召天の報に接した。イリエ師は、本ブログの開設挨拶で触れた、私の霊的カバーであるルーマニア系クリスチャンである。同師は、第2次世界大戦中の1940年2月29日にルーマニアで生まれ、その後共産主義国家となった中で信仰者として生きた。命が狙われることを含め数々の迫害を通ったが、1974年10月9日、ルーマニアから出るようにとの神の声を聞き、光に導かれて奇蹟的に国を脱出した。その後、家族も無事国外に脱出して合流し、共にアメリカに移り住んだ。共産主義体制崩壊後のルーマニアでは、孤児院を設立し、多くの孤児たちを育て上げた。幼い頃から、日本への重荷を与えられ、不信仰な大人たちは嘲ったが、神の時にビジョンは実現し、数十年に渡り日本のためにも働いて来られた。

 イリエ師の働きは、本拠地としたアメリカや母国ルーマニアに留まらず、ヨーロッパ諸国やイスラエルにも及び、日本を含めた各国に多くの弟子たちや霊の子供たちを産んだ。私たち夫婦も、彼の霊の子供の一人である。彼を通して、私は、フィリップというクリスチャン・ネームを与えられた。ちなみに、妻に与えられたクリスチャン・ネームはヨハンナである。イリエ師と個人的に親しくなったのは10数年前からであったが、以後は来日するたびに、当時の東京都下での私たちの小さな開拓教会でも奉仕をいただき、また、2度ほど、私たち家族4人と一緒に1泊の箱根旅行を楽しんでいただいた。私の唯一の霊の父であり、子供たちにとっては、霊の祖父であった。

 私が最後にイリエ師と会ったのは、2018年10月に、同師のアメリカにおける本拠地であったミズーリー州で開催された聖会でのことであった。前年に心臓病で死の淵にあった私だったが、イリエ師によって与えられた預言によって奇蹟的な癒しを体験し、その約1年後には1人で渡米出来るまでに健康が回復していた。その証詞も含めて、聖会に参加したのだが、聖会の後にはイリエ師の自宅にも泊めていただき、良い時を過ごすことが出来た。その後、2020年初頭からの人造パンデミックにより、同年の聖会は中止となり、2021年からは再開されたものの、アメリカ政府の誤ったワクチン入国規制により訪米が叶わず、今年11月の聖会に高校生の次男と共に参加すべく、航空券を購入したところであった。今更ながら、私たちを含めて、世界中の多くの人々の自由で安全な往来を妨害して来た、悪魔の手先どもの邪悪さには憤りを禁じ得ず、彼らに神の裁きが下されることを切に願う。

 それはそうと、イリエ師が幼い頃より日本への重荷が与えられ、日本のために祈って来られ、また、過去30年以上に渡り日本の教会のために奉仕されて来たこと、それは実に偉大なことであった。日本の教会、日本人のクリスチャンたちは、彼の働きを通して、どれほど大きな恵みに与って来たことか。イリエ師が活躍の場を置かれた新約教会の流れは、教勢の面では決して大きな集団ではなく、まして、プロテスタント主流派からは存在さえも知られていないようなグループである。私たちの流れは、ペンテコステ・カリスマ派に分類される多くのグループの1つでしかない。だが、そこには、豊かな神の霊の臨在と、何よりも神の愛の現れがあった。イリエ師のような預言者や使徒たちの働きも素晴らしかったが、現象よりも、溢れ出る神の愛が集う人々を惹きつけて来たのだと思う。私などは、あえて卑下せずとも、末端の働き人の1人でしかなかったが、それでも、この流れに加えられたゆえに、神に感謝している。

さて、イリエという名前は、ルーマニア語でエリヤのことである。まさに、名は体を表すの諺通りであったが、神がエリヤの後継者としてエリシャを召されたように、イリエ師の後継者となる預言者も既に備えられていると思う。それは日本人で無いことは確かだが、イリエ師の子供の1人かアメリカ人の同労者の中の1人なのかも知れない。世の終わりが迫り来るなか、いずれは、日本人の使徒、預言者も起こされるとは思うが。
「しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」(ヨハネの第一の手紙 1:7    口語訳)
 この地上で再びイリエ師と会えないことは悲しく寂しいが、彼が私たちに対して願っていることは、彼の死をただ嘆き悲しむことではなく、彼の生涯がそうであったように、光の中を歩み続けることである。今、私が思うことは、いつの日か天の御国で再会するその日まで、偉大な霊の父に恥じないように生きたいということである。
read more…

良心に従って生きることの幸い(記事No.143)

 これまで報道されているように、2023年2月6日の現地時間早朝に発生した、トルコ南東部を震源とする地震は、同国とシリアの一部に甚大な人的・物的被害を与えた。発震前に、上空にバラの花のような形をした不気味な赤い雲が出現したり、大規模な青色発光現象が観察されたことなどもあり、一部には、人工地震ではなかったかとの疑念も囁かれている。本記事では、その可能性も捨て切れないとだけ書いておきたい。国際社会からの支援がトルコに偏重しているようであるが、これは西側諸国にとっては、親ロシアの立場を明確にしているシリアよりも、NATO加盟国であるトルコの方が支援の優先度が高いという、両国と世界に向けてのメッセージではないだろうか。

 さて、次々に伝えられる現地レポートの中で、特に私の関心を惹いた記事が1つあった。時事通信社電子版ニュース2023年2月13日付記事は、対照的な2つのエピソードを次のように伝えている。

「南部アダナ県では14階建ての住宅が完全に崩壊し、近隣住民らに衝撃を与えた。元アダナ市長で土木技師だったアユタチュ・ドゥラク氏は倒壊現場で取材に応じ、『柱のコンクリートと鉄筋の結合が弱く、コンクリートの材質も劣悪だった』と散乱した残骸を手に語った。ドゥラク氏によれば、業者が建設コストを低く抑えるため材質が二の次になっている。トルコ当局も安全基準を満たさない建築物について、手数料を支払って特別許可を得ることで行政処分を免除する措置を導入していた経緯がある。こうした状況で倒壊が相次いだことから、多くの市民は『人災だ。殺人行為に等しい』と政府と業者への非難を強めている。一方、今回の地震によりトルコ国内で最も深刻な被害が出ているとみられる南部ハタイ県の中でも、エルジン地区ではほとんど被害が出なかったという。同地区のエルマスオール区長は地元メディアに『私は一切の違法建築を認めず、ばか正直だと業者の怒りを買った。いま良心に従って本当に良かったと思う』と語った」

 日本と同様に、地震多発国でもあるトルコには、それなりの建築安全基準が定められているようだが、どうやら手抜き工事が横行していたと思われる。記事によれば、手数料を支払って特別許可を得る手法が採られていたそうだが、官民の癒着そのものであり、賄賂の授受も当然行われていただろう。これはトルコに限らず、日本を含めた各国の様々な許認可事業で共通する宿痾であろう。だが、一方で、いくら賄賂を積まれようとも、あるいは脅迫されようとも、自分の良心に従い続ける人々もいる。今回紹介した、同国エルジン地区のマスオール区長も、その一人であった。彼が、その職務を遂行する時に自分の良心に従ったことが、地区住民の命と財産を守る結果につながったのである。

「律法を聞く者が神の前で正しいのではなく、これを実行する者が、義とされるからです。 たとえ律法を持たない異邦人も、律法の命じるところを自然に行えば、律法を持たなくとも、自分自身が律法なのです。 こういう人々は、律法の要求する事柄がその心に記されていることを示しています。彼らの良心もこれを証ししており、また心の思いも、互いに責めたり弁明し合って、同じことを示しています」(ローマの信徒への手紙 2:13-15 新共同訳)


 同様に、良心に従った日本人の首長のことを、以前に本ブログでも書いたことがある。以下に、2021年8月20日付記事「横浜の命運はいかに(記事No.30)」の一部を再掲したい。

「当時の札幌市長は、弁護士出身の上田文雄氏であった。上田氏は、震災瓦礫を受け入れることを、きっぱりと拒否したが、その決断に対しては、札幌市民からだけでなく、全国から応援と批判の声が彼の元に寄せられた。2012年4月7日の北海道新聞のインタビューで、震災瓦礫を受け入れない理由をこう語っている。『受け入れないと判断したことが、後日歴史的に誤りだったと評価されても、市民の安全は守られ、私が批判されれば済みます。受け入れて間違いだったと分かるときは、市民に被害が出ている。私にはそれは耐え難いのです』 私は、上田氏の判断は正しかったと思う。震災瓦礫を受け入れた自治体の住民にどのような健康被害が出ているのかは、政府も当該自治体もその種の調査をしていない(あるいは密かに実施していても公開しない)以上、これまでのところでは断定的なことは言えない。しかし、少なくとも、札幌市民には被害が出ていないことは断言できるであろう。ある人が、上田市長と震災瓦礫を受け入れた他の首長の判断とを対比して言った、『この世は、トップの考え方で、天国にも地獄にもなる』」

 時に、各国では、新型コロナ・ワクチン接種による夥しい数の有害事象が顕在化しつつあるが、これを推進した者たちに、果たして良心はあったのだろうか?日本では、ワクチン被害者やその遺族らの責任追及を求める声を意識してか、河野太郎元ワクチン接種推進担当大臣が、「運び屋の自分が後遺症の責任を取るなどと口にしたことはない。」「反ワクチン派によるデマだ。」と述べたそうである。同様に、散々ワクチン利権の恩恵に浴しながら、風向きを見て口を閉ざす者たちがいる。彼らは、良心に背いてまでも、自らと属する集団の利益を飽くなく希求した訳であるが、いずれ蒔いた種を刈り取ることになるだろう。日本人は、全てを統べ治める神を信じていなかったとしても、「お天道様が見ている」との意識を子供の頃から植え付けられていたはずだが、それも今は昔か。ならば一層、神を信じる者は、良心に従って生きることを心がけねばなるまい。
read more…

「亡命者」としての人生(記事No.141)

 先週、高橋たか子と言う作家の「亡命者」(講談社文芸文庫)を、移動中の飛行機などで2日間かけて読み切った。底本は、1995年12月に刊行された同名の小説である。不勉強で同氏の小説は読んだことが無かったのだが、今月京都新聞で関連記事が掲載され、彼女がカトリックの洗礼を受けたクリスチャンであったと知り、早速代表作の1つである同書を買い求めて読んだのである。京都新聞は、少しでも京都にゆかりがある著名人などは、大きく取り上げるが、高橋氏は1932年京都生まれであり、結婚後の1965年に神奈川県鎌倉市に転居するまで、大部分を京都で過ごしていたと言う。

 京都大学でフランス文学を専攻した高橋氏は、結婚後はフランス語記事の翻訳などの仕事をしながら、小説を書き続けた。しかし、39歳の時、1歳年上の夫が病没し、以後、魂の安息を求めてか、内面的な世界についての考察を深めて行く。その後、43歳の時、東京・目黒に在ったカトリック修道院において、交流のあった作家・遠藤周作が臨席する中、洗礼を受け、正式にカトリック信徒となった。その少し前から、彼女は、宗教とは何か、神とは誰かを求めて、主としてフランスの、ヨーロッパ諸国を幾度となく訪れていた。クリスチャンとなった後も度々フランスを訪問し、修道院に数ヶ月間滞在するなど、魂と信仰の深みを追い求め続けた。「亡命者」は、高橋氏の魂の旅路を描きつつ、小説としても際立っている秀作である。

 「亡命者」は、「亡命者」、「小説『亡命者』」、「手記『亡命者』」の三層構造から成っている。主人公は、最初は高橋本人であろう「私」であり、次に巡礼途中に出会ったあるフランス人夫婦、そして最後はその夫の方の手記という形をとる。優れた小説の常として、読みながら、あたかも自分もその情景を見たかのように思わされ、ぐいぐいと引き込まれて行った。ここから先は、ネタバレが含まれているので、これから「亡命者」を読んでみようと言う方は注意していただきたい。

 この作品中で、私が最も印象に残ったのは、「私」と、同じ古いアパートの別室に住むフランス人老婦人との会話であった。「私」が、修道院生活を送っている修道士たちのことを話題に取り上げて、こう言う。「あの人たち、亡命者ですね」「こちらから、あちらへと、亡命したのですね」それに対して、老婦人は返す。「マドモワゼル、それは逆ですよ」「何が、逆なのです?」「わたしたち全て、人間すべて、あちらからこちらへ亡命してきているのです」何と!私たちは全て、亡命者であると言う!亡命者とは、戦争や迫害などの理由により、心ならずも祖国を離れ、異国で生活している人々のことではないのか?霊的に捉えれば、神を信じることで初めて、人は神の国の国民になるのであって、それまでは、この地上に属しているのではなかったのか?

 「私」は、「生まれて以来、何処にいても、居場所でないと感じつづけた、わけが、わかった。」と気づく。老婦人は、次のように言葉を締めくくる。「あちらへ亡命するのではなく、この亡命地からあちらへ帰っていくのです。かつて、そこに居たのですから」そうか、そのような捉え方があったのか!最初の人アダムが罪を犯し、エデンの園から追放された時、彼は、この地上への亡命者となった。その時以来、彼の子孫らもまた、亡命者として生まれたのだ。亡命者にとって、今居る国は、彼らの祖国ではない。祖国は別の所にあって、本来はそこに居るべきであったのだ。だから、亡命者は祖国へ帰還出来る日を待ち焦がれる。聖書では、神に対する信仰を持つ人々を、この地上では旅人であり寄留者であると語る。その全く同じ本質的な意味において、私たちはまた、亡命者でもあるのだ。私たちの地上の人生は、亡命者としてのそれなのである。

「これらの人はみな、信仰をいだいて死んだ。まだ約束のものは受けていなかったが、はるかにそれを望み見て喜び、そして、地上では旅人であり寄留者であることを、自ら言いあらわした。 そう言いあらわすことによって、彼らがふるさとを求めていることを示している」(ヘブル人への手紙 11:13-14 口語訳)
read more…

自由への闘い(記事No.121)

 昨日、Netflixで「ミラダ 自由への闘い 」という映画を観た。2017年に製作された、アメリカとチェコの合作である。この映画は、ミラダ・ホラーコヴァというチェコスロバキアの法律家であり、政治家であった、実在の女性の半生を描いたものである。映画を観るまでは、恥ずかしながら、ミラダ氏のことは知らなかった。1901年12月25日にプラハで生まれた彼女は、大学で法律学を学び、その後は女性の地位向上運動に携わった。第2次世界大戦中は、チェコスロバキアを占領したドイツ軍に対するレジスタンスに加わったが、1940年に夫と共にナチス当局により逮捕され、1945年4月にアメリカ軍によって解放されるまで服役する。戦後は、1946年に国民社会党から国会に立候補し当選、民主的な国家建設のために働いた。しかし、1948年2月に共産党がクーデターを起こすと、彼女はこれに抗議して議員を辞任した。彼女の政治的同志らは、西側への亡命を勧めたが、ミラダ氏は祖国に留まることを選び、プラハで政治的活動を続けた。

 1949年9月27日、彼女は共産主義政権を転覆させる計画のリーダーであるとして、仲間の活動家らと共に逮捕された。公判が開かれるまでの間、ミラダ氏と他の被告たちは、肉体的・精神的拷問を受け、罪を認めるよう強要された。彼女らにかけられた容疑は、アメリカなど西側諸国に協力し政府を転覆しようとした反逆罪と、スパイ行為の共謀罪であった。ミラダ氏と彼女の12名の同志らに対する裁判は、共産主義者らの常で、見せしめを目的としていた。彼女らは、共産党指導部によって扇動された市民らの憎悪の対象となり、新聞、ラジオなどは、大々的に糾弾キャンペーンを展開した。裁判は共産主義政権の筋書きに沿って進められ、1950年6月24日に最高裁判所で、ミラダ氏を含めた4人の良心の囚人に対する死刑判決が確定した。世界各国の多くの人々から、彼女らに対する死刑回避の嘆願がチェコスロバキア政府に寄せられた。その中には、アルバート・アインシュタイン、エレノア・ルーズベルト、ウィンストン・チャーチルなど、米英の著名人も含まれていた。しかしながら、当時のチェコスロバキア首相のアントニーン・ザーポトッキと、共産党議長のクレメント・ゴットワルドは、それらの嘆願書を一顧だにしなかった。

 国際社会からの嘆願も虚しく、1950年6月27日の夜明け、プラハのパンクラック刑務所の裏庭で4人の囚人に対して死刑が執行されることになった。前日の夜、死刑囚らは短時間それぞれの家族と面会することが許された、ミラダ氏のもとを訪れたのは、彼女の娘のヤナ、妹とその夫の3人であった。記録によると、ミラダ氏は4人の内で最後に絞首台に送られ、全ての処刑は午前5時43分に終わったと言う。ミラダ氏の最後の言葉は、次のようであったと記録されている。「私は、この戦いには敗れました。しかし、誇りを持って世を去ります。私は、この国と国民とを愛しています。彼らの幸福のために働いて来ました。私は、あなたたちを憎んではいません。私は、あなたたちが…。(最後の言葉が終わる前に、絞首台の床板が開いたと思われる。)」彼女の遺体は荼毘に付されたが、その遺灰は遺族には返還されず、遺棄された場所は知られていない。彼女の夫ボフスラス氏は、逮捕を寸前で逃れて国外脱出に成功し、後年アメリカで娘のヤナと再会を果たした。1968年6月の「プラハの春」の時、ミラダ氏の判決は無効と宣言された。共産主義体制崩壊後の1991年になって、彼女には勲章が授与され、正式に国家のための犠牲者と認定された。現在チェコでは、ミラダ氏が処刑された6月27日は、「共産主義体制の犠牲者のための記念日」として定められている。

 映画の中でも、ミラダ氏ら自由主義者に対する共産主義者らの憎悪が描かれていたが、これは、共産化した国々では普遍的に見られたことであった。ソ連が構築した巨大な収容所システム、自国民を千万人単位で殺害した中国の文化大革命、カンボジアでは子供たちに親や教師を殺させた等々、彼らが行った粛清は、単に政敵を排除するという合理的な動機ではなく、人々に血を流させることを狙ったと言えるであろう。彼らの思想のルーツは悪魔であり、彼らの行動は悪霊どもに導かれていたからである。日本では幸い、共産革命は成就しなかったが、もしそれが実現していたなら、皇室を筆頭に、旧体制派と見做された人々は、ことごとく処刑されるか収容所送りになっていたことだろう。もっとも、危険で邪悪な思想は共産主義に限らず、あらゆる全体主義がそうであり、ナチズムや、日本でもかつての国家神道体制下での軍国主義も該当するだろう。今日では、新型コロナ・パンデミックを作り出し、ワン・ワールドを実現しようとしている者たちの思想は、共産主義やナチズムと根底では同一である。彼らが、自由を愛する人々を激しく憎悪するのは、彼らの霊的、思想的マスターが誰であるかを如実に示している。

「悪い者を正しいとすることも 正しい人を悪いとすることも ともに、主のいとわれることである」(箴言 17:15 新共同訳)


 ミラダ氏は、彼女の政治活動の中で、ナチスと共産主義体制という2つの勢力と対決した。彼女は自由な社会を守り、国民を幸せにしようとの強固な意志と信念を持っていた。多くの同志たちが逮捕、投獄され、ある者らは転向し、他の者たちは国外に逃れる中、祖国に留まることを選択し、最後まで自分の信念を捨てなかった。彼女を、そのように保ったのは、神に対する信仰であった。彼女は若き時、夫のボフスラフ氏の家族から信仰的感化を受け、イエス・キリストを受け入れ、チェコ福音ブラザレン教会の信徒として忠実に神に仕えた。彼女が獄中から義母に宛てて出した手紙には、詩篇23編の言葉は全く真実であると書かれていた。彼女が処刑の数時間前に家族宛に記した手紙には、自分自身を慎んで神の最高の審判に委ねるとあった。この地上では不正義の犠牲となったミラダ氏であったが、正義の神は彼女に天で最高の栄誉を与えられた。この地上においても、1989年にビロード革命でチェコスロバキアの共産主義体制は崩壊し、1993年には国はチェコとスロバキアに分離した。その後、ミラダ氏を告発した検察官らの最後の生き残りが、司法殺人の容疑で起訴され、80代の彼女は有罪となり刑務所に送られた。ミラダ氏の名誉は回復され、彼女はチェコの人々の良心と正義の象徴となった。それだけでなく、彼女の生涯は、世界中で今なお自由を守るために闘い続ける人々にとって、先駆者の一人として輝いている。

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。 わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう」(詩篇 23編1-6節 新共同訳)
read more…