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京都の真実(記事No.155)

 私は、これまで本ブログでも書いてきたように、世界が終末へと向かっていることを日々実感しており、いつもそのことを考えてしまう。家族にも、日常的にその種の話をするので、高校生の次男などは、私が話し始めると、その先何を話すか分かっているという顔をする。自分でも、世界のことや日本のことなど考えずに暮らせれば、少しは気が楽なのかと思うが、それが出来ない自分を受け入れるしか無い。今回の記事では、国際情勢や社会問題などに直接関係する話ではなく、今住んでいる京都について、社会的、また霊的状況について、その真実を少し書いてみたい。

 まず、社会的な状況であるが、言わずと知れた古都であり、国際的観光都市としての京都の実相である。多くの日本人は京都に対して、どちらかと言えば肯定的なイメージを抱いていると推察する。先月、文化庁が京都に移転して来たが、古くから豊かな文化が培われて来た都市というイメージがあるとは思う。国内外からの観光客も多く、最近では、いわゆる旅割、全国旅行支援制度が開始されて以来、特に昨年11月くらいから、国内観光客数が急激に回復している。また同様に、新型コロナ対策入国規制の緩和と大幅な円安により、外国人観光客が激増しており、京都駅のタクシー乗り場などは彼らで長蛇の列になることも珍しくない。京都人の中には、京都が魅力あふれる都市であるから、国内外の観光客を惹きつけると思っている人も多いのであろうが。確かに、観光客として、少し多めの小遣いを持って遊びに来るなら、観光名所巡り、グルメ、買い物と楽しく過ごせること請け合いである。

 しかし、これまで3年間、実際に住んで来た者として、率直な感想を言えば、京都は、その歴史ゆえに観光名所の多い、地方大都市の一つというのが実相であると思う。民度も、日本の他の諸都市と同レベルであろう。あえて具体的には書かないが、利権構造があるのも、スケールの違いは置いても同様である。生まれてから一度も京都を出たことの無い人々の多くは、京都が一番素晴らしい街だと思っているのかも知れないが、考え方は自由ではあるものの、「井の中の蛙」という諺を思い浮かべてしまう。実際には、約144万人(2023年4月京都市推計)の人口の内、15万人ほどが大学生と言われるなど、若い世代を中心に市外からの転入者も多いので、先祖代々からの生粋の京都人は、いずれマジョリティの座を降りることになるかも知れない。有名な寺社も多く、茶道や華道、美術や工芸なども盛んであり、豊かな文化があることは確かである。だが、その実態は、伝統行事を含め、結局は「金目でしょ。」の世界ではないだろうか。京都を特にディスっているのではなく、金が価値の最上位にあるのは、現代日本の他の諸都市と同じという意味である。まあ、これらを踏まえた上で住むのであれば、そこそこの環境の都市ではあろう。ただし、間違っても、誰もが憧れるような、万人にとって快適な都市ではないとは言えるが。

 次に、霊的な状況であるが、これは、社会的状況以上に、奥が深い事柄である。数ヶ月前に、京都で20年近く牧会している牧師と会った時、何か霊的覆いがあるように感じるとの話を聞いた。私も、現在の京都は、霊的には、雲で覆われているような状況ではないかと思う。ただし、これも多くの日本の都市に共通している状況であり、国全体としてもそうであると思う。私の聞く限り、京都の有名寺社の多くは(ほとんど全てか?)、宗教活動よりも観光収入(拝観料等)で財政を維持しているようである。個々の寺社や信仰者の中には、天台宗の千日回峰行に象徴されるように、熱心に信心している人々もいるだろうが、総体的には、伝統的な仏教や神道の中に、宗教的情熱がどれほど残っているのか、疑わしいところである。そうは言っても、およそ宗教と名のつくところには、何らかの霊が働いていることも事実であり、京都の霊的状況としては、決して多くの人々を幸福にするような結果をもたらしてはいない。前述のように、これは京都に限った状況ではなく、日本全体に共通した状況であり、宗教のみならず、社会のあらゆる領域に、悪霊の働きが程度の差こそあれ存在している。例えて言えば、厚い雲が太陽を覆い隠すように、悪霊の働きが、人々の魂に覆い被さり、真の神の姿を人々が知り得ない状況ではないかと思う。

 だが、京都は、初めから今のような霊的状態であったのではない。今でもその残滓が残っているように、元来は開明的な国際都市であったのが京都である。本ブログ記事No.154「熊本バンドの精神は何処に」でも、明治初期に新島襄が京都の地に同志社英学校を開いたことに触れたが、それを受け入れる精神的土壌があったからこそである。また、徳川幕府がキリスト教禁教令を出す前は、京都ではキリスト教宣教が活発に展開されており、市街中心部には南蛮寺と呼ばれたキリスト教会が建設され、市中には多くのクリスチャンが所在していた。1597年に豊臣秀吉の命により26人のクリスチャン(日本人信徒20名、外国人宣教師6名)が長崎・西坂で処刑された時、その内の24名は京都で捕縛されている。さらに遡れば、平安京の時代から、京都は、日本列島東西の交通の結節点であり、人々、物資、情報、文化、宗教などが交わる所でもあった。特に平安時代前期には、海外から多くの渡来人が集まり、国際都市の様相を呈していたようである。

「多くの牧者たちはわたしのぶどう畑を滅ぼし、わたしの地を踏み荒した。わたしの麗しい地を荒れた野にした」(エレミヤ書 12:10 口語訳)


 現在の京都の霊的状況とは、最深部の岩盤の上に、時代の流れの中で、幾層もの地層が折り重なり、当初とは全く異なる風景が現れているようなものであろう。都市とは人為的に築かれたものであるから、建物に例えるならば、最初に据えられた土台の上に、設計通りの建物が造られたが、やがて増改築が重ねられるに従い、建築士の設計図とは似ても似つかぬ建物に変わってしまったようなものである。今となっては、建築当初の記憶は忘れ去られ、異なる物語によって建物の歴史が語られているようなものだ。それでは、京都の街の起こりは、どのようなものだったのか?そこに、本来の京都の霊的姿があったはずである。

 本ブログ読者の皆さんの中には、既に答えを知っておられる人も少なくないと思われるので、勿体ぶらずに結論を書きたい。794年に後に京都と呼ばれる平安京が造られた時、桓武天皇の命を受け都を造営したのは、渡来人集団の秦氏(はたし、はたうじ)であった。秦氏は、景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)であり、数万人かそれ以上の規模で朝鮮半島から波状的に渡来したが、現在の朝鮮民族(韓民族)とは異なり、そのルーツは古代イスラエル人との説が有力である。彼らは、建築、土木、冶金、機織、言語、芸術など多方面に渡り高度な技術や知見を有していた。豊富な財力をも有していた彼らは、一族が集住していた山城国(山背国)の地に新たな都を建設した時、単に物質的な新都市を建設したのではなく、その地に霊的な土台をも据えたのである。その証拠に、唐の都・長安を模したと言われる碁盤の目の都市デザインは、その実、十字架の形に造られたのである。すなわち、街区は長方形のブロックと正方形のブロックとから形成されているが、長方形のブロックだけを抽出すると、そこにはT字形の十字架が現れるのだ。十字架の頭に相当する位置には、天皇の住居である大内裏が置かれていたが、そこはかつて秦河勝の住居があった所である。イエス・キリストの十字架で、罪状書が掲げられていた位置に相当する所には、「元稲荷」神社が置かれたが、「稲荷」とは、『INRI」すなわち、「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」(Iesus Nazarenus Rex Iudeorum)のラテン語の頭文字に由来する言葉である。これについては、聖書解説者の久保有政氏が、その著作やYouTube動画などで詳しく解説されているので、興味がある方は是非調べていただきたい。なお、現在の京都の碁盤の目部分は、豊臣秀吉が大幅に都市改造を行った時に造営されたもので、平安京とは場所自体も異なっている。

「なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである」(コリント人への第一の手紙 3:11 口語訳)


 聖書の原則では、何か物事が最初に始められた時、それは霊的にも土台が据えられたことを意味している。前述のように、京都は秦氏が平安京を造った時、その霊的土台が据えられたが、それは誰も動かすことが出来ないのである。平安京という名称自体にも、その事が表されている。平安京とは、読んで字の如く、平安の都=平和の都である。同じ意味の名称を持つ都市が、古代より現在に至るまでに西方にもある。それは、イスラエルの地にあるエルサレムである。「エル」はヘブライ語で「神」を表し、「サレム」は「シャローム」即ち「平和」の意味である。秦氏は、平安京を東のエルサレムとすべく造営したのではないだろうか。そして、その土台は、イエス・キリストへの信仰であった。そうなると、戦国時代から江戸時代初期にかけて、京都に多くのクリスチャンが起こされたのは、実に歴史の必然であった。彼らは、祖先の信仰に立ち帰った人々であったのである。このように、京都の真の霊的土台に目を向けると、この都市の本来あるべき姿が見えて来る。キリスト再臨の日の前に、もう一度、いにしえの真実の京都が回復されることを願う。もし、それが実現するならば、その時、この地は再び神の平和の都として、人々が救われ癒され幸いを得る地となるだろう。

「しかし、見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す。 そして、ユダとイスラエルの繁栄を回復し、彼らを初めのときのように建て直す。 わたしに対して犯したすべての罪から彼らを清め、犯した罪と反逆のすべてを赦す」(エレミヤ書 33:6-8 新共同訳)
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「桜を見た会」(記事No.150)

 今日は岡山市に出張したことを幸いに、メインの仕事の後、社員たちと後楽園に行ってみた。過去に2回訪れたことがあるが、この季節は初めてである。後楽園では、正門前で待ち合わせすることとして、園内は1時間ほど各自で回った。欧米系などの外国人観光客も多く、平日にも関わらず、それなりの人出であった。欧米系観光客は、ほぼ全員ノーマスクであったが、日本人は逆に、ノーマスクは少数派であった。私はと言えば、散策中はマスクを外し、日光を顔中に浴びて光合成に努めた。実際、人混みや屋内以外でマスクを着ける意味は、花粉症対策くらいしか無いのではないだろうか?

 園内の一角には、桜林のような場所があり、ほぼ満開の桜の木の近くでは、多くの人が行き交い、観賞したり写真を撮ったりしていた。私も、人があまりいない所で、桜の花に顔を近づけ、深呼吸などしてひと時楽しんだ。桜の花に爽やかな気分を感じるのは、単に美しいからだけでなく、何かリフレッシュやリラックスの効果をもたらす物質が花から出ているのだろう。あるいは、プラスのエネルギーのようなものかも知れない。せっかくの桜の花を見るのに、酒の匂いや嬌声が混ざるとしたら風情も減退してしまう。そんなのは、「桜を見る会」に集う人々だけで結構である。いずれにせよ、日本人の感性にぴったり合うのが桜の花であろう。ここで、本居宣長の有名な和歌を一句。「敷島の やまと心(大和心)を 人とはば(人問はば) 朝日に匂ふ 山さくら花」

 三重県松阪市にある本居宣長記念館のホームページによれば、この歌は、「お前の姿形はわかったが、では心について尋ねたい。」と言う質問があったことを想定しているのだと言う。歌に込められた意味とは、「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です。」とのことである。美しい自然や草花を見て感動するのは、世界のどこでも共通した人間性であろう。その中で、日本人は、特に桜に惹かれるのである。ネットで検索すると、日本人が桜を愛する理由は、大別すると次のようなものである。春の到来を告げる花であること、美しい花であること、咲いて散る潔さを感じさせること。

 日本人にとって特別な存在である桜であるが、外国にもある所にはある。中でも有名なのは、アメリカの首都ワシントンD.C.にある、ポトマック川沿いの桜並木であろう。この桜は、1912(明治45)年に、当時のアメリカのタフト大統領夫人の要望により、尾崎行雄東京市長が苗木を寄贈したものだと言う。日米友好のシンボルとして贈呈された桜は、111年の歳月に渡り大切に維持管理され、例年3月末から4月初旬にかけて、盛大に「桜祭り」が開催されている。アメリカ人でも美しい桜を見ることは好きなのであろうが、日本人の感性はまた違う。日本人としては、桜の花を見ながら、様々な思いが去来するのだ。私自身も今日、後楽園の桜の花を間近に見ながら、この地上での人生が儚いものであると思いながら、ほんの一瞬、様々な悩み事が小さな事であるかのような感覚を抱いた。私たちの地上の人生は、実に桜の花のようなものなのであろう。

「主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。 草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ書 40:7-8 新改訳)
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再び人口減少問題について(記事No.148)

 3月24日に厚生労働省より、人口動態統計速報令和5年1月分が発表された。予想通り、人口減少のスピードがさらに加速している。本ブログ記事No.145「人口急減中の日本」で、日本の年間死亡者数が今から3年後に、過去最大の死亡者数であった、敗戦の年(1945年)の214万人を超えるとの予測を書いた。また、10年以内に、日本の人口は現在の8割程度(最悪は3分の2程度)になる可能性を挙げた。読者の皆さんの中には、私が事を大袈裟に捉えていると思った人もいたかも知れない。だが、1月単月で死亡者が前年同月比17.3パーセント増加を示した最新の統計は、私の前回の予測は甘かったことを示している。このままだと、出生数がこれ以上減少しなかったとしても、3年後を待たずに過去最大の死亡者数と人口減少を記録するだろう。10年後には、現在の8割の人口を維持するのも困難であろう。人口問題に関心のある方は、厚生労働省のホームページに掲載されている人口動態統計速報を見て、電卓で計算してみていただきたい。

 ところで、テスラの創業者でありCEOのイーロン・マスク氏は、これまでインタビューや自身のSNSで、人口問題は人類にとって環境問題以上の深刻な問題であると指摘している。中でも、日本のことは、人口減少の代表例として度々言及しており、平均的な日本人以上に、危機感を持っていることが伝わる。なぜ、当の日本人の中で、人口問題を真剣に訴える有名人がほとんどいないのか?巷には、この種の問題を取り上げている本やネット記事も多数あるので、自分で調べれば良いのだが、テレビや新聞でしか情報を得なければ、事の深刻さがよく分からないとは思う。

 何度も同じようなことを書いてしまうが、現在進行中の人口急減は、国の根幹を揺るがすような重大問題であり、国民一人一人の人生にも直接間接に影響を及ぼす事柄である。時に、岸田自公政権は、防衛費の大幅増額方針を打ち出したが、守るべき国民の数が急減していることは、戦時下に等しい重大危機である。こちらの危機対応への予算は、なぜ大幅に増やさないのだろうか?(答えは、宗主国や既得権益集団への利益供与が優先されるから、と思うが。)人口減少は、現在の社会システムの維持が困難になることでもあり、年金や健康保険は破綻するか大幅に制度改悪されるほか無い。当然、各種行政サービスは維持困難となり、道路や上下水道など社会インフラは荒廃する。大都市にはスラム街が生成され、治安の悪化も必定である。政府は、人口の自然減を社会増で補おうと、移民を増加させるだろうから、文化や社会の様相も大きく変わるだろう。

 現在進行中の人口急減の原因については、本ブログ記事No.145「人口急減中の日本」で私の分析を書いたので、読まれていない方は、是非ご覧いただきたい。だが、実際的な状況の背後には、しばしば霊的な理由が存在する。単に、国家指導者らが神を信じず暴政を敷いて来たというだけなら、中国のように、共産主義政府の統治下で人口が大幅に増加した(既に過去形だが。)事例もあり、人口急減の霊的理由としては弱いと思う。トンデモ論のようではあるが、私は、日本人の多くがユダヤ人のルーツを持っていることが、その大きな理由であると考える。厳密には日猶同祖論とは違うが、日本人の祖先には、中東からシルクロードと中国、朝鮮半島を経て、また、一部は東南アジアを経て海路を渡り、日本列島に到達したユダヤ人らがいたと思う。彼らは、古代日本において、指導的な集団となり、この国を形造った。

 旧約聖書には、ユダヤ人が神に従った時、大きな祝福を受け敵対国家を退けたが、彼らが神に叛いた時、敵対国家に破れ捕囚となるなど、大きな試練に遭ったことが記されている。日本人の多くが、天地万物を創造された真の神に叛き、たとえ意識せずとも心に記されている、神の民としての律法に従って来なかったことが、人口急減という裁きを招いているのではないだろうか。また、悪魔と悪霊どもにとっては、聖書の民であるユダヤ人の子孫である日本人は、絶滅させる対象とされていると思う。過去の歴史の中で、偽ユダヤ人ではない真のユダヤ人が、迫害や虐殺の対象とされて来たのと同様である。私は、今でも日本の再生を信じ期待しているが、その前に、国家的、民族的試練を通過することになると思う。残念ながら、この国は一旦滅亡し、その後再建されることになるのではないか。ただし、再建の地が日本列島とは限らず、遠い中東の地の可能性もあるが。

「わたしはエルサレムを瓦礫の山 山犬の住みかとし ユダの町々を荒廃させる。そこに住む者はいなくなる。 知恵ある人はこれを悟れ。主の口が語られることを告げよ。何故、この地は滅びたのか。焼き払われて荒れ野となり 通り過ぎる人もいない。 主は言われる。『それは、彼らに与えたわたしの教えを彼らが捨て、わたしの声に聞き従わず、それによって歩むことをしなかったからだ。』」(エレミヤ書 9:10-12 新共同訳)
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インバウンド!インバウンド!(記事No.147)

 新型コロナ騒動で過去3年間低迷していた、海外からの訪日旅行客が増加している。特に、白人は目立つこともあってか、東京や京都の観光地周辺や主要駅構内、新幹線ホームなどでは、彼らの姿を多く見ない日は無い。韓国や台湾など、周辺諸国からの旅行者も多いが、これで中国からの観光客来日が本格的に再開されたら、有名観光地など局地的には、外国人の方が多い場所も出て来るのは必至であろう。ちなみに、京都の場合は、良くも悪くも門川市長のインバウンド誘致政策の成果で、海外からの観光客への経済依存が高まり、宿泊、交通、飲食、物販などのサービス産業は、外国人の来京を切望している状態である。逆に関連業界以外の市民の多くは、激しい交通渋滞やバス・鉄道・地下鉄の車内混雑、ゴミや騒音問題など、外国人観光客の増加には辟易しているのが実情である。

 外国人観光客の多くは、政府やマスコミが喧伝するように、日本に特別な魅力があるからと言うよりも、円安でお得に海外旅行が出来、比較的治安が良く食べ物も美味しいと言う理由で来日するのであろう。ちょうど、1990年代頃までの日本人が、韓国、台湾、香港などへ、グルメや買い物目当てで気軽に旅行したようなものである。今は未だ、中国からの観光客来日が本格的に再開されていないが、それが解禁されれば、各地の観光地に中国人が大挙押し寄せるであろう。私の知人で、旅行会社を経営している中国人社長の話では、中国には、日本人と同程度か、それ以上に豊かな人々が約3億人いるそうである。その人々は、手軽に海外旅行に行く先として日本に熱い視線を送っているとのこと。一時期話題になった「爆買い」も、転売益を稼ぐ目的があるにせよ、商品によっては、もはや日本の方が、品質が良いにも関わらず安価だからである。既に、日本人と中国人の購買力が逆転しているのだ。

 来日する外国人が増えているのは、何も観光客ばかりではない。事実上の移民もそうである。本ブログ記事No.145 「人口急減中の日本」で書いたように、現在進行形で人口の急減が起こっている日本であるが、本来は、人口急減の原因を早急に特定し対策を打ち出すことと、日本人の出生数を増やすこととのいずれも必要である。だが、これらの問題に対する政府のこれまでの姿勢からして、政治家や官僚たちは、日本人が減少した穴埋めに移民を増やせば良いと思っているのではないかと疑う。私は、日本人では必要数を充足出来ないような職種において、専門能力や技能を有する外国人を受け入れるのには反対でない。また、政治的、宗教的理由で迫害を受けている人々に対して、安住の地を提供することは、日本の使命の1つであると思う。問題なのは、低賃金労働者としての移民と、日本にとって有害な活動を行う工作員やその協力者である。

 ところで、出入国在留管理庁が発表した、2022年6月末現在における中長期在留者数は266万人9,267人、特別永住者数は29万2,702人で、これらを合わせた在留外国人数は296万1,962人となり、2021年末に比べ、20万1,334人、7.3パーセント以上増加した。在留外国人は、90年代末以降増加の勢いを増し、2001年末の178万人から前記の人数へと、20年少々で1.7倍近くになっている。国別では、中国が約74万人と25パーセント以上の割合である。以下、ベトナム約48万人、約16パーセント、韓国約41万人、約14パーセントと続く。中国人が全体の4分の1以上を占めているのは、留学生として来日し卒業後は日本で就職する人々が多いことと、帰化したり永住権を取得した人たちの親族が来日するケースが多いことと推察される。当然のことながら、かなりの数の中国情報機関や共産党工作組織の要員が含まれていると思われる。中には、日本政府や民間財団の奨学金を受給していた留学生が、その実、情報機関要員であったと言うケースも少なくないのではと疑う。今の日本は、実にお人好しの国である。

 多くの国民が経済的に苦しい生活を余儀なくされている現状において、低賃金の技能実習生以外の外国人を厚遇し、どちらの数も増やそうとしているのは、もちろん日本政府である。故安倍晋三首相は、2016年4月19日に開催された産業競争力会議で、新たな成長戦略について、「第4次産業革命を担う優秀な人材を海外から呼び込みたい。」と述べている。その上で、「永住権取得までの在留期間を世界最短とする。」と表明した。自公政権が保守ではなく、グローバリストの走狗であることがよく分かる発言であろう。日本の永住権取得を望んでいるのは、欧米諸国の人々よりも、中国人や韓国人が圧倒的に多いことは言うまでもない。永住権を取得した人々の中には、帰化を目指すケースも少なくない。その理由は、日本のパスポートを保有している方が、中国のそれよりも、簡便に渡航できる国々が多いなど、ビジネスや生活上のメリットが大きいためであろう。そんな彼らに、日本に対する忠誠心などあるはずも無い。いい加減日本も、アメリカのように、帰化する際には、他国に対する一切の忠誠を放棄する宣誓を必須とすべきであろう。評論家の石平氏(帰化した中国系日本人)のように、心から日本を愛してくれる中国人なら大歓迎である。

 日本人の多くが、自分と家族さえ幸せならば良いという狭窄的な考えで生きて来た間に、いつの間にか、日本の要所は、外国の強い影響下にある人々によって占められてしまった。はっきり言って、無邪気にインバウンドを呼び込んでいる場合では無い。世界史において、先住民族が武力や計略に勝る他民族に征服され、被支配民族となったり絶滅の危機に瀕した事例は枚挙にいとまが無い。このままでは、遠からず日本民族もそうなるだろう。その時になって初めて真実に気づいても、既に取り返しが付かないのである。日本人の日本は、今まさに存亡の危機にある。

「お前たちはわたしの聖所の務めを守らず、お前たちの代わりに外国人をわたしの聖所で務めを行う者にした」(エゼキエル書 44:8 新共同訳)
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祇園祭から見えるもの(記事No.123)

 去る7月17日、3年ぶりに祇園祭の山鉾巡行が行われ、10数万人とも20万人以上ともされる人々が沿道で見物した。新型コロナが「第7波」の流行状態とされる中、不特定多数が密集する場所に出向く人々の心理状態は面白い。私自身は、普通に生活している限りは、感染する可能性は極めて低いと考えているが、わざわざ多数の人々が密集して滞留する場所には出向かない。どこかのテレビ・ニュースでは、仕込みかどうかは分からないが、見物に来たとされる中年の女性が、「ワクチンを接種しているから重症化しないから大丈夫だと思って。」とインタビューに応じていたようである。新型コロナ・ワクチン接種キャンペーン開始当初は、打てば感染しないとされていたが、いつの間にか、打てば重症化しないに変わり、現在では、接種回数を重ねるほど、感染も重症化もし易くなるという事実が、次第に知られるようになった。それはともかく、祇園祭は、京都に生まれ育った人々にとっては、単なる夏の風物詩以上の、欠かせない年中行事のようである。もっとも、祇園祭の御稚児に選ばれる男児の選考基準は、公表されている「長刀鉾町に住んでいる8歳~10歳の男の子。ただし、1年間身内に不幸がない家庭」とは別に、総額2,000万円とされる諸費用を支払える家の子供という「条件」があると聞くと、少し白けてもしまう。それは当事者間の問題であるからさておき、祇園祭の由来と歴史は、京都新聞のホームページに掲載されている、「祇園祭の歴史」によれば次のとおりである。

 「平安時代前期の869(貞観11)年、京で疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑(中京区)に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、八坂神社の神輿を迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりとされる。応仁の乱(1467~77年)で山鉾巡行は途絶えたが、1500(明応9)年に町衆の手で再興された。 以後、中国やペルシャ、ベルギーなどからもたらされたタペストリーなどを各山鉾に飾るようになった。 これらの懸装品の豪華さゆえに、山鉾は「動く美術館」とも呼ばれる。 江戸時代にも火災に見舞われたが、町衆の力によって祭りの伝統は現代まで守られている。2009年にはユネスコ無形文化遺産に登録された。山鉾巡行は本来、神輿渡御に伴う「露払い」の位置づけで、神幸祭に先立つ「 前祭さきまつり」と還幸祭の「後祭あとまつり」がある。 高度成長期以来、交通渋滞や観光促進を理由に、前祭と後祭の合同巡行が続いていたが、 祭り本来の形を取り戻そうと分離が決定。2014年、約半世紀ぶりに後祭の山鉾巡行が復活した。」

 このように、祇園祭が始まったのは、平安時代に遡るのだが、当時京都が平安京と呼ばれていた時代である。平安京は、渡来人であった秦氏が建設したことが知られている。京都市歴史資料館が開設している「フィールド・ミュージアム京都」というホームページにも、この事実が掲載されている。「…古代に朝鮮半島から渡来した氏族。『日本書紀』応神天皇条に,秦始皇帝(しんのしこうてい)子孫という伝承をもつ弓月君(ゆづきのきみ)が多数の民を率いて渡来したのに始まるとしますが,「はた」は古代朝鮮語で海の意であり,実際は5世紀中頃に新羅から渡来した氏族集団と考えられます。山城国葛野郡(かどのぐん)太秦(うずまさ)あたりを本拠とし,近畿一帯に強い地盤を築きました。(中略)秦氏は,高度な技術力と豊富な経済力をもっていたため,桂川に灌漑用の大堰を作って嵯峨野(さがの)一帯を開墾し,養蚕や機織などの新しい技法を伝えました。(中略)長岡京は10年で廃され,同じ山背に平安京が造られますが,そこでも新都建設に秦氏が尽力し,秦氏の本拠地であった桂川一帯は,建設に必要とする材木の陸揚げ基地となりました。長岡京は,都としてどこまで整備されていたか疑問視されていましたが,近年の発掘調査で都城形体がかなり整っていたことがわかっています。再度平安京へ遷都するのにはかなりの困難が伴ったはずです。それをやり遂げた桓武天皇の背後には,山背地域を本拠として高度な技術力と財力をもっていた秦氏がいたからできたことだといわれています。」

 平安京を建設した秦氏一族は、秦始皇帝の子孫ともされ、中国大陸から朝鮮半島を経由して、民族大移動で日本に渡来した人々であった。秦始皇帝は、ユダヤ系であったとの説もあるが、日本に渡来した時点での秦氏は、景教と呼ばれた宗教を信奉していた。景教とは、原始キリスト教をルーツとする東方キリスト教会の一派である、ネストリウス派のキリスト教のことであり、すなわち秦氏は、恐らくはユダヤ系の、クリスチャンの集団であったのである。ユダヤ教の宗教指導者であるラビとして、日本に長く住んだ経験を持つ、マーヴィン・トケイヤー氏も、秦氏がユダヤ人景教徒であったとの説を支持している。彼は、日本の伝統的神道と古代イスラエル祭儀とが酷似していることなどに着目し、秦氏はユダヤ系であり、日本人の祖先の一部は、シルクロードから中国、朝鮮半島を経て渡来した、イスラエルの「失われた十支族(部族)」の末裔であると唱えている。「日猶同祖論」とも通じる説であるが、ラビとして古代イスラエルの宗教に精通し、長い滞日経験もあるトケイヤー氏の説には説得力がある。

 さて、仮に秦氏がユダヤ系景教徒であり、平安京の建設など、今日に至る京都の歴史の礎を築いたとなると、通説とは違う祇園祭のルーツが見えて来るのである。先ほど挙げた、「フィールド・ミュージアム京都」によれば、祇園祭の祭礼期間は約1ヶ月であるが、中でも多数の見物客が集まるのは、7月16日の宵山と、クライマックスである翌17日の山鉾巡行(四条烏丸―四条通―河原町通―御池通)である。この7月17日とは、かつて世界を覆い尽くした大洪水の後、ノアの箱舟がアララト山上に止まった日である(創世記8:4)。祇園祭の山鉾数は前祭23基、後祭11基、休山1基の合計35基であるが、山鉾の種類の1つに、神功皇后の説話により鉾全体を船型にしたのが由来とされる、船鉾(ふねぼこ)がある。これらは、ノアの箱舟を連想させられる。山鉾巡業は、「エンヤラヤー」の掛け声を合図に始められるが、この言葉は、ヘブライ語がルーツではないかとの説がある。すなわち、ヘブライ語の「アニ・アレルヤ=私は神を讃える」という言葉が訛り、「エンヤラヤー」になったとの説である。あるいは、別の解釈では、ヘブライ語「アニヤラ・ヤー=私は行く!神よ!」が変化したものであると言う。どちらにせよ、民が神を讃えつつ、進んで行く時に発せられる言葉である。

 今回取り上げた祇園祭だけでなく、京都には秦氏の痕跡が、太秦の広隆寺など、いくつも存在している。景教徒であった秦氏の信仰は、次第に仏教やアミニズムとも融合し、今日では祇園祭がそうであるように、その痕跡が日本文化や風習の中に見られるだけである。16世紀になって、フランシスコ・ザビエルを皮切りに、カトリック教会の宣教師たちが来日し神の福音を説いた時、短期間で日本のほぼ全土に多数の改心者が起こされたのは、古代日本に渡来した景教徒や原始キリスト教徒ら、先祖の信仰への立ち返り(リバイバル)だったという見方も出来よう。もしそうであるなら、日本人の霊的DNAには、天地を創られた唯一の神に対する憧憬が受け継がれているのではないか。祇園祭だけでなく、全国各地に古代から伝わる祭りがあるが、それらが元来は創造神を讃えるものであったなら、祭りにかける人々の情熱のルーツは、聖書の神に対する信仰的熱情であったと言えるであろう。祇園祭を見物に来る人々の圧倒的多数は、そこまで想いを馳せる訳ではないことは分かっている。だが、祇園祭に参加する人々が身に付ける護符に書かれている、「蘇民将来之子孫也」にもあるように、日本人が霊的に覚醒し、再生されることを願う。このままでは、日本は滅亡するという危機感を強く覚えながら、その前に再生のチャンスが与えられるようにと、祈らずにはおられない。

「主は私に言われた。『これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。 主なる神はこれらの骨にこう言われる。今、私はあなたがたの中に霊を吹き込む。するとあなたがたは生き返る。 私はあなたがたの上に筋を付け、肉を生じさせ、皮膚で覆い、その中に霊を与える。するとあなたがたは生き返る。こうして、あなたがたは私が主であることを知るようになる。』」(エゼキエル書 37:4-6 新共同訳)
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日本の最後の希望(記事No.100)

 一昨日、高速道路のサービスエリアにあるガソリンスタンドで給油したのだが、ハイオクで何と1リッター198円であった。2週間くらい前に街中のスタンドで給油した時には、リッター185円であり、随分と値上がりしたと思ったのだが、あっという間に200円の大台に乗りそうな勢いである。次に給油した時には、本当にそうなっているかも知れない。世界のどこかで戦争が起きたり、あるいは、情勢がきな臭くなるだけでも、資源価格は敏感に反応し、日本でも末端小売価格が上昇することになる。当然のことながら、燃料価格が上昇すると、電気・ガス料金や物流コストも増加し、結果的に広範囲な物価上昇となる。いわゆる、コストプシュ型インフレであり、需要の増加による物価上昇とは異なり、勤労者の給料が上がる訳ではない。99パーセントの生活は、苦しくなる一方である。

 エネルギーだけでなく、食品も次々と値上げされている。今年6月から、各社のインスタントラーメンが値上げされることは知られているが、既に多くの食品が値上げモードに入っており、特に、小麦を使用した加工食品は顕著である。ウクライナ紛争に伴い、欧米諸国を中心に対ロシア禁輸を含めた制裁を実施しているが、世界第3位の小麦生産国であり、同第1位の輸出国のロシアとしては、他の諸国に輸出を振り向ければ良いだけであり、最もダメージを受けるのは、制裁実施国の大衆である。食料自給率がカロリーベースで37パーセントの日本は、世界的な食料価格上昇の影響をまともに受けることになり、今後も食品インフレが進むであろう。それだけでなく、輸入依存度が高い品目では、やがて入手自体が困難になる可能性が高い。

 ところで、日本は失われた30年と言われるように、先進国とされる諸国の中で、経済的に最も低成長の国である。国内総生産(GDP)は、1991年の492兆円が30年後の2021年で553兆円である。30年間でわずか12パーセントの成長であるが、ドル建てで比較すると諸外国と比べて悲惨な結果となっている。細かい統計数字は挙げないが、30年間で日本のGDPは1.39倍となったが、同じ期間でアメリカは3.72倍、中国は40.82倍にGDPが増加している。購買力平価GDPという指標で見ると、日本の1人あたりGDPは、既に2019年に韓国にも抜かれている。日本は第2次大戦敗戦後これまで、直接戦争を経験していないにも関わらず、この30年間年々着実に貧しくなっている、世界でも稀な国である。聖書は、「人はパンだけで生きるのではない」と教えるが、一方で、イエスは、その教えを聞きに来た大群衆が空腹であるのを見て、「5つのパンと2匹の魚」として知られる奇蹟により、彼ら全員を満腹させられた。「衣食足りて礼節を知る」との諺にもあるように、あまりに生活が苦しいと、人心が荒むのも当然であるが、閉塞感漂う現代日本がまさにそうであろう。

 なぜ、このような惨めな国に堕してしまったのか。多様な原因があるであろうが、最大の原因は政治が間違ったからであろう。政治が間違った理由は、日本と日本人とを愛していない人々が政治家の多数を占めて来たからである。そして、彼らを選んだのは、国民自身である。特に、組織的に政治への影響力行使を続けて来た、統一教会と創価学会の罪は極めて重い。政権与党が彼らの強い影響下にあることは、日本人にとっての不幸であろう。何故なら、彼らの政治的影響力が日本をより良くするためには作用して来なかったことは、結果が証明しているからである。また、政治家の影に隠れて政策を取り仕切っている、官僚たちの罪も重い。書きたいことは山ほどあるが、この辺にしておく。なお、私は酒は飲まない生活なので、酔ってくだを巻くことは無いが、この種の話題は相手を選ばなければ話せず、たまに意見の合う人と話すと饒舌になってしまう。

 日本の現状と行く末を思うとき、憤りや怒りだけでなく、哀しみと憂いを抱く。同時に、微かに起ころうとする諦観の念に対して、拒否することをしている。日本は外圧でしか変わることが出来ないとは、よく言われることである。確かに、鎖国下の幕藩体制から、開国して一応の近代国家になったのは、米欧諸国の圧力を契機としてであった。帝政と軍国主義から民主制と平和主義への転換も、敗戦を通らなければならなかった。戦後も、主としてアメリカからの度重なる外圧により、良かれ悪しかれ、各種制度改革を行って来た。こうして見ると、日本は、主体的に国家レベルでの改革をすることが出来ない国なのだと思う。ほとんどの選挙で、投票率がしばしば半分以下という状況は、単なる諦めだけでなく、棄権という白紙委任の方が、自ら考えて投票行動することよりも楽だからであろう。そのような状況が長年続き、現在の日本社会に至った訳である。

 今後日本には、さらなる不況だけでなく、数年以内には、大地震や火山の噴火などの自然災害が発生し、国力の低下と国民貧困化が加速すると思われる。これらの災害に加えて、再び原発の重大事故が発生するなら、今度こそ日本終了のゴングが鳴るだろう。さらに、自らロシアの「非友好国」の道を選択したことで、米露戦争が起きた暁には、日本も核攻撃のターゲットになることがほぼ確定したと言えよう。その場合は、最低でも米軍基地と海空自衛隊基地は、初期の段階で壊滅させられる。ロシアとしては、敵国の攻撃力を早期に除去しなければ、自分たちがやられるのだから、彼らの立場では当然の行動である。これらの厄災以外にも、急激に進む少子化、科学技術力の相対的低下などもあり、日本の未来には、残念ながら、もうほとんど希望は残っていないと感じる。

 人間の考えでは、わずかの希望しか無い日本であるが、もはや絶望して諦めるべきであろうか。あるいは、敗戦後に坂口安吾が書いた「堕落論」のように、ある種開き直った方が良い結果をもたらすのだろうか。私は、人間の努力だけでは、日本が再生することは困難であると思う。個人や集団レベルでの、ミクロの再生は可能であっても、国家レベルでの、マクロの再生は望めないだろう。その意味では、日本にはもう希望はほとんど残っていない。しかし、最後に残った希望がある。それは、創造主たる神による希望である。先ほど、日本が堕落した最大の原因は、政治が間違ったからであると書いた。その通りだと思うのだが、しかし、それは外形的、表面的なことでもある。その深部には、霊的な間違いが存在する。それは、日本が、日本人の多くが、真の神に背を向けて歩んで来たということである。本来、神の占めるべき位置にあったのは、有限の存在でしか無い、自己であった。日本人一人一人の自己中心的な歩みが集合体となり、日本という国の独善的な歩みとして現れて来た。しかし、神は憐れみ深く、罪を赦してくださる方である。日本人の多くが神の前に自らの罪を悔い改めるならば、日本は必ず癒やされ再生し、世の終わりが近づく困難な時代の中でも、平和と繁栄が回復されるであろう。神の言葉である聖書が、それを約束している。

「しかし、見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す。 そして、ユダとイスラエルの繁栄を回復し、彼らを初めのときのように建て直す。 わたしに対して犯したすべての罪から彼らを清め、犯した罪と反逆のすべてを赦す」(エレミヤ書 33:6−8 新共同訳)
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