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横浜の命運はいかに(記事No.30)

822日は横浜市長選挙の投票日である。今回の選挙には、現職を含めて8人の候補者が立候補している。現職を除く7人の内、元国会議員が4人、内2人は知事経験者であり、前国務大臣もいる。政令指定都市とは言え、豪華な顔ぶれである。最大の争点は、巷間にはカジノを含むIR誘致の是非と言われているが、もちろん、重要なテーマはそれだけではない。財政再建、まちづくり、あるいは新型コロナ対策を含めた医療や福祉の問題もある。子育て世代にとっては、中学校の完全給食実施も大きな関心時であろう。

 

カジノ誘致の是非など、話題性がある選挙であるが、どれくらいの市民が実際に投票に行くだろうか?前回、2017年の横浜市長選挙の投票率は約37%であった。その前の2013年の選挙ではさらに低く、何と約29%であった。有権者の3割弱しか参加しなかった選挙は、もはや正当性が疑われるレベルではないかと思う。選挙に行かない人が言うセリフとして、誰がなっても同じだから、というものがある。選挙権があり、病気や家族の看護など投票所に行けない事情が特段無いにも関わらず、投票に行かないのであれば、どのような政治が行われたとしても、文句を言う資格はないだろう。何故なら、それは白紙委任をしたことを意味するからだ。

 

この社会では、政治に限らず、誰が上に立っても同じだと言うことはほとんど無いのではないか。子供時代から、○○先生の担任のクラスは良かったとか、△△先生の担任のクラスは最悪だったなどという話は、誰でもしたことがあるだろう。別に童心に帰らなくても分かる話だと思うのだが、何故政治の話になると、途端に誰がなっても同じになるのか、結局は民度の話に帰着するのであろうか。国も、自治体も、企業も、学校も、あらゆる人間の共同体において、上に立つ者次第で、その集団の命運が変わった話は枚挙にいとまが無い。横浜と同じ政令指定都市の首長について、印象に残っている話を1つ紹介したい。

 

話は20113月の東日本大震災と、その直後に起った福島第1原発事故に遡る。東北の被災地には、放射能に汚染された大量の瓦礫が発生した。その処理方法を巡っては、様々な案が出されたが、最終的に政府が決めた方針は、瓦礫の処理を全国の自治体に引き受けてもらうというものであった。放射性廃棄物レベルの汚染瓦礫を含んでいた以上、本来は、拡散させること無く、現地処理するのが鉄則であったはずだ。被災地の放射能汚染の実態を隠蔽するために、汚染物質を全国に拡散させようとの、環境省官僚あたりの発案ではなかったか。エントロピー増大の法則の悪用であろうか?この時、多くの自治体が震災瓦礫を引き受け焼却したが、そのことは、マスコミなどによって美談のように取り上げられた。だが、札幌市は違っていた。

 

当時の札幌市長は、弁護士出身の上田文雄氏であった。上田氏は、震災瓦礫を受け入れることを、きっぱりと拒否したが、その決断に対しては、札幌市民からだけでなく、全国から応援と批判の声が彼の元に寄せられた。201247日の北海道新聞のインタビューで、震災瓦礫を受け入れない理由をこう語っている。「受け入れないと判断したことが、後日歴史的に誤りだったと評価されても、市民の安全は守られ、私が批判されれば済みます。受け入れて間違いだったと分かるときは、市民に被害が出ている。私にはそれは耐え難いのです」私は、上田氏の判断は正しかったと思う。震災瓦礫を受け入れた自治体の住民にどのような健康被害が出ているのかは、政府も当該自治体もその種の調査をしていない(あるいは密かに実施していても公開しない)以上、これまでのところでは断定的なことは言えない。しかし、少なくとも、札幌市民には被害が出ていないことは断言できるであろう。ある人が、上田市長と震災瓦礫を受け入れた他の首長の判断とを対比して言った、「この世は、トップの考え方で、天国にも地獄にもなる」

 

「正しい者が権力を得れば民は喜び、悪しき者が治めるとき、民はうめき苦しむ」(箴言292・口語訳)

 

 この記事を読んで下さっている方々の中には、横浜市民もおられるだろう。釈迦に説法かも知れないが、市長は誰がなっても同じではない。私には横浜市の選挙権は無い訳で、その意味では部外者であり、高説を垂れる資格は無い。しかし、中学高校と横浜市内の学校に通い、馴染みのある好きな街である。その街が、衰退し変質して行くとすれば残念だ。横浜市民の皆さんには、守るべき人を間違えない候補者に1票を投じていただけるよう、お願いする次第である。