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感謝の力(記事No.23)

 もう何十年も昔の高校生の時のことだが、級友の一人の口癖が、「何か面白いことない?」というものだった。彼の口癖はもう1つあり、「ああ、金が欲しい〜。」とよく言っていた。今から思えば、いつもフラストレーションを抱えていたのだと思う。なぜ、こんなことを何十年ぶりかに思い出したのかと言えば、多くの人々が今同様の呟きをしていると思えるからだ。面白いことが無いというのは、裏を返せば、つまらないことが多いということであろう。金が欲しいということは、自分がやりたいことが出来ない原因の多くの部分が、お金の問題だからであろう。お金が欲しいのは私を含めて大半の人々が思っていることだが、人生が面白くないか否かは心の態度が大きく影響する。

 そうは言っても、人生は面白いことばかりで無いことは、そのとおりである。人の悩みの多くは人間関係にまつわることだと思うが、自分で普通に生きているつもりでも、なぜか周囲に面倒臭い人がいたりする。もっとも、自分が苦手に感じる人は、相手も自分のことを苦手に感じているとは、よく言われていることである。面白く無いのは、何も人間関係ばかりではない。私も、世の中で現在進行中の出来事に対して、しょっちゅう怒りや憤りを覚えている。そうなると、つい話が否定的な方向に展開してしまい、家族に呆れられることもしばしばである。特に最近は、コロナワクチンの接種キャンペーンに対して、その立案者らや、大半が使いパシリであろうが、推進者らには憤りを禁じ得ない。彼らの三百代言とは、リスクはアリバイ程度に触れ、ベネフィット(あればだが)は目一杯誇大に強調して、粉飾と欺瞞に満ちた醜悪なものである。このような時代に生きている私たちとしては、心に平安を持ち、精神のバランスを保つ方法を知っておいた方が良いだろう。その答えもまた、聖書の中に見出すことができる。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ人への手紙第一 5:16-18・新改訳)

 神は私たちに、いつも喜んでいること、絶えず祈ること、全てのことに感謝することを望んでおられるという。どうすれば、それが可能になるのか?先に挙げた聖句に答えが含まれている。そこには、「キリスト・イエスにあって」とあるが、これは、キリストが父なる神に対する仲介者として、私たちをそのようにしてくださるという意味である。私たちが、イエス・キリストの名で父なる神に祈るとき、私たちの内に、天からの喜びと平安がやって来る。また、祈りと感謝は、私たち自身だけでなく、私たちの周囲の環境や状況を変化させる力を持つ。そのことに関する数多くの体験談を聞いたことがあるが、もちろん、私自身も幾度となく体験していることである。ここでは、あまり重い話では無く、かつ直ちに効果を得た、私の体験談を1つ書きたい。

 私が、前の勤務先で働いていた時のことである。出張で沖縄に行ったのだが、日曜日は仕事が休みだったので、以前に観光旅行の時に訪問したことがある、教会の日曜礼拝に出席することにした。あらかじめ電話して確認すれば良かったのだが、教会に着いたところ、その建物には張り紙がしてあり、新会堂建築のため一時的に移転したとのことであった。すぐにバスで移転先に向かったのだが、最寄りのバス停で降りたところ、礼拝会場となっていた何とか会館は、集落から随分と離れた丘の上に見えた。これはもう礼拝開始時間には間に合わないと一瞬落ち込んだが、すぐに、このことも感謝すべきだと思い直し、誰も歩いておらず車も通っていない道を歩きながら、一人で賛美の歌を口ずさんだ。歌い始めてから数十秒後、後ろに車の音が聞こえたので振り返ると、全く期待もしていなかった空車のタクシーが近づいて来た。すぐに手を挙げて乗車し、無事礼拝に出席することが出来た。感謝の力を体験したエピソードの1つである。

 全てのことに感謝するのが良いとは言っても、いきなり、感謝できないと思えることに感謝するというのは、ややハードルが高く感じるかもしれない。そのような場合には、感謝できることから感謝してみていただきたい。生かされていることに感謝、食事ができることに感謝、あるいは、家族や友人がいることに感謝でもいい。少しづつでも感謝することを意識して実践すれば、やがてそれが習慣となる。そして、習慣となったことは、いずれあなたの性質となり、人格の一部となる。あなたの心の内には、喜びと平安が留まるようになり、あなたは感謝の力を体験するだろう。