アフガニスタンにおいて、タリバンが全土をほぼ制圧し、政権を奪取した。軍は本格的な戦闘を回避し、ガニ大統領は国外に脱出した。米国大使館員らは、最後は大使館から米軍ヘリコプターで脱出し、ベトナム戦争におけるサイゴン陥落を彷彿させた。2001年9月11日の同時偽テロ事件の報復として同年10月に米英軍が侵攻を開始して以来、約20年が経ったが、米国を中心とした有志連合諸国は、結局アフガニスタンを民主制を定着させ安定化を実現することは出来なかった。この間、米国だけで、戦費とアフガニスタン政府支援で1兆ドル以上を支出したという。また、米軍だけで、2,300人以上が戦死している。
20年に及ぶ戦争は、アフガニスタン国民にも米国民にも、損害を与えることはあっても、ほとんど利益はもたらさなかったと言えるだろう。利益を受けたのは、腐敗したアフガニスタン政府と、米国などの軍需企業や彼らにスポンサードされた政治家たちか。だが、最大の受益者は、何と言っても、戦争関連企業だったのではないだろうか。イラク戦争や湾岸戦争、さらに遡れば、ベトナム戦争や朝鮮戦争も同じ構造であったし、2次に渡る世界大戦もそうであったろう。軍産複合体、ネオコン、ディープステイトなど様々な通称で呼ばれる彼らだが、いつの時代も、表に出る顔ぶれこそ入れ替わっても、本質は変わらない者たちのことである。彼らにとっては、流された夥しいアフガニスタン人の血も、米軍兵士の犠牲も、巨額の利益の前には考慮に値しない、統計的数値に過ぎないのであろう。いやむしろ、人口削減のメリットもあると考えていたのかも知れない。つくづく、冷血な連中である。
今後のアフガニスタン統治について、タリバンは、強固なイスラム政権を築くと表明している。イスラム法が厳格に適用される、特に女性にとっては、息苦しい社会に逆戻りする可能性が高い。イスラム教の戒律に反した人々には、厳しい制裁が課せられることになるが、異教徒の私としては、もう少し愛のある社会を目指して欲しいとも思ってしまう。これまでアフガニスタンには縁が無く、生まれてこの方、1人のアフガニスタン人とも話したことがない私であるが、20年前の戦争開始以来、多少の関心は持って来た。そのなかで、最も強く印象に残っているのが、2019年12月に現地で射殺された、中村哲氏のことである。
1946年に福岡で生まれた中村氏は、西南学院中学在学中に、キリストを個人的に受け入れクリスチャンとなった。九州大学医学部を卒業後、病院勤務を経て、1984年から、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)より派遣され、パキスタンおよびアフガニスタンで、20年以上医療活動に従事した。中村氏は、JOCSからネパール派遣されていた、岩村昇氏から多大な影響を受けたと言われている。1980年代前半のことであったが、当時私が所属していた、横浜市内にあったバプテスト教会の日曜礼拝の特別講師として、岩村氏が来られたっことがあった。説教の内容は覚えていないのだが、1つだけ、岩村氏が涙を流しながら語られた言葉が今も脳裏から離れない。「日本は滅びます。」その言葉を聞いた時、私も不意に涙を流してしまったのだ。長年ネパールの地にあって、経済的利益や名声を得るためでなく、現地の人々のために、無医村地区での医療奉仕活動を続けて来た岩村氏の目には、日本人が大切なものを見失っているように映ったのであろう。熱情溢れる岩村氏から感化された中村氏もまた、熱いハートの持ち主であったと思う。
最初にアフガニスタンへ赴いてから、診療所などでの医療活動を続けていた中村氏であったが、その後、干ばつによる餓えと乾きで苦しむ人々に接するなかで、彼らの健康と生活のために水を確保することが重要であると、独学で土木を学び自ら井戸を掘り始めた。さらに2003年からは、用水路の建設も始めた。その後、中村氏の活動基盤である、ペシャワール会の日本人スタッフが殺害されるなどの危機にも見舞われた。しかしついに、2010年、それまで何ひとつ草木が生えないと言われ、死の谷とも称されたガンベリ砂漠に、全長25.5キロのマルワリード用水路が完成した。中村氏と彼が率いる数百名の現地作業員らが、約7年の歳月をかけて作り上げたこの用水路は、毎秒6トンの水を農業用水や家庭用水として供給している。かつての岩砂漠は、1万6千ヘクタールの緑の大地に甦り、65万人の人々に恩恵をもたらしている。
このように、偉大な働きを成し遂げた中村氏であったが、彼を動かした原動力は何であったのか?「天、共に在り」という彼の著作を読んだことがある。そこには、こう記されている。「『天、共に在り』。それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる摂理であり、恵みである。科学や経済、医学や農業、あらゆる人の営みが、自然と人、人と人との和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう。それがまっとうな文明だと信じている。」
「天、共に在り」とは、クリスチャンであった中村氏にとって、「神、共に在り」のことであった。中村氏の使命感も、また熱情と行動力も、神に与えられた愛に根ざしていたと信じることができる。それが、彼の最大の原動力であったと思う。何故なら、神が常に彼と共におられたからである。
「野の獣はわたしをあがめ、山犬および、だちょうもわたしをあがめる。わたしが荒野に水をいだし、さばくに川を流れさせて、わたしの選んだ民に飲ませるからだ。」(イザヤ書43:20・口語訳)