イリエ師の働きは、本拠地としたアメリカや母国ルーマニアに留まらず、ヨーロッパ諸国やイスラエルにも及び、日本を含めた各国に多くの弟子たちや霊の子供たちを産んだ。私たち夫婦も、彼の霊の子供の一人である。彼を通して、私は、フィリップというクリスチャン・ネームを与えられた。ちなみに、妻に与えられたクリスチャン・ネームはヨハンナである。イリエ師と個人的に親しくなったのは10数年前からであったが、以後は来日するたびに、当時の東京都下での私たちの小さな開拓教会でも奉仕をいただき、また、2度ほど、私たち家族4人と一緒に1泊の箱根旅行を楽しんでいただいた。私の唯一の霊の父であり、子供たちにとっては、霊の祖父であった。
私が最後にイリエ師と会ったのは、2018年10月に、同師のアメリカにおける本拠地であったミズーリー州で開催された聖会でのことであった。前年に心臓病で死の淵にあった私だったが、イリエ師によって与えられた預言によって奇蹟的な癒しを体験し、その約1年後には1人で渡米出来るまでに健康が回復していた。その証詞も含めて、聖会に参加したのだが、聖会の後にはイリエ師の自宅にも泊めていただき、良い時を過ごすことが出来た。その後、2020年初頭からの人造パンデミックにより、同年の聖会は中止となり、2021年からは再開されたものの、アメリカ政府の誤ったワクチン入国規制により訪米が叶わず、今年11月の聖会に高校生の次男と共に参加すべく、航空券を購入したところであった。今更ながら、私たちを含めて、世界中の多くの人々の自由で安全な往来を妨害して来た、悪魔の手先どもの邪悪さには憤りを禁じ得ず、彼らに神の裁きが下されることを切に願う。
それはそうと、イリエ師が幼い頃より日本への重荷が与えられ、日本のために祈って来られ、また、過去30年以上に渡り日本の教会のために奉仕されて来たこと、それは実に偉大なことであった。日本の教会、日本人のクリスチャンたちは、彼の働きを通して、どれほど大きな恵みに与って来たことか。イリエ師が活躍の場を置かれた新約教会の流れは、教勢の面では決して大きな集団ではなく、まして、プロテスタント主流派からは存在さえも知られていないようなグループである。私たちの流れは、ペンテコステ・カリスマ派に分類される多くのグループの1つでしかない。だが、そこには、豊かな神の霊の臨在と、何よりも神の愛の現れがあった。イリエ師のような預言者や使徒たちの働きも素晴らしかったが、現象よりも、溢れ出る神の愛が集う人々を惹きつけて来たのだと思う。私などは、あえて卑下せずとも、末端の働き人の1人でしかなかったが、それでも、この流れに加えられたゆえに、神に感謝している。
さて、イリエという名前は、ルーマニア語でエリヤのことである。まさに、名は体を表すの諺通りであったが、神がエリヤの後継者としてエリシャを召されたように、イリエ師の後継者となる預言者も既に備えられていると思う。それは日本人で無いことは確かだが、イリエ師の子供の1人かアメリカ人の同労者の中の1人なのかも知れない。世の終わりが迫り来るなか、いずれは、日本人の使徒、預言者も起こされるとは思うが。
「しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」(ヨハネの第一の手紙 1:7 口語訳)この地上で再びイリエ師と会えないことは悲しく寂しいが、彼が私たちに対して願っていることは、彼の死をただ嘆き悲しむことではなく、彼の生涯がそうであったように、光の中を歩み続けることである。今、私が思うことは、いつの日か天の御国で再会するその日まで、偉大な霊の父に恥じないように生きたいということである。