東京オリンピックが終わった。思えば、国立競技場建て替え案のドタバタ劇や大会エンブレムの盗用疑惑、招致活動における贈収賄疑惑と竹田恒和日本オリンピック委員会(JOC)会長の退任、森喜朗大会組織委員会会長の失言と辞任、演出や音楽に関するトラブルや関係者の辞任など、開会前において既に数々の問題や疑惑が噴出していた。新型コロナウイルス流行をついて開会した後も、選手やスタッフらのコロナ感染、酷暑に耐えかねた選手らのブーイング、関係車両の事故多発、バブル方式の破綻など短期間に多くの問題が発生した。さらに、当初予定の3倍以上に膨張した開催経費と無観客試合による減収もあって、巨額の追加費用負担を迫られるのが必至の東京都と、国や関係機関との交渉が控えている。
なぜ、近代オリンピック史上稀に見る問題だらけの大会になったのか、その最大の理由は、出だしから既に間違っていたからであろう。2013年9月にアルゼンチンのブエノスアイレスで開催された、国際オリンピック委員会(IOC)総会で招致に向けた最終プレゼンテーションが行われた。そこでの安倍首相(当時)のスピーチが、開催都市が東京に決定された決め手になったと言われた。ところが、当時から指摘されていたように、その内容には、福島原発事故の状況がアンダーコントロールであるとの重大な嘘が含まれていた。さらに、立候補説明資料には、開催時期の東京は気候が温暖であり、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮出来るという、日本人なら子供でも分かる嘘が平然と述べられていた。その後、招致に便宜を図ってもらうために、国際陸上競技連盟のセネガル人幹部にシンガポールのペーパーカンパニーを通じて多額の賄賂が渡されたとの疑惑が明らかになり、フランス当局の捜査対象となった竹田恒和JOC会長は、逮捕の懸念があった為か、自らが理事を務めるIOC理事会にも出席することなく辞任している。
このように、東京オリンピックは、誘致には成功したものの、その後は、安倍首相らがついた嘘を糊塗するため、嘘に嘘を重ねて、問題だらけの大会として終了した。招致準備期間中から現在に至るまで、オリンピック利権に群がる電通やパソナといった企業や関係者らに食い物にされた大会でもあった。嘘や偽りの上に立つものは、見た目は良くとも内実は悪いという見本そのものである。なぜ、安倍首相や猪瀬都知事(いずれも当時)ら誘致に関わった人々、また、準備や運営に携わったJOCや大会組織委員会の幹部らが、揃いも揃って嘘や偽りに手を染めたのか。当然のことながら、組織としても個人としても利益を得る為である。はっきり言えば、金銭、地位、名声を得る為である。それが、彼ら自身に最後は何をもたらすかは知らずに。
「偽りの舌をもって宝を得るのは、吹きはらわれる煙、死のわなである。」(箴言21:6・口語訳)
聖書は嘘を言うことを禁じている。それは、神の嫌われることであり、また、嘘をついた人に不利益がもたらされるからでもある。例外は、敵に追われている人の命を守るために、嘘をついてその人を助けるような場合である。旧約聖書のヨシュア記には、イスラエルの斥候を、追っ手に嘘の情報を伝えて逃した遊女が彼女の家族と共に、神の恵みを受けたことが記されている。嘘も方便という諺があるが、私たちは安易に嘘をつくことを正当化してはならない。それは、私たち自身の信頼性を傷つけることにもなる。もはや安倍前首相の言葉をそのまま信じる人がほとんどいないように、私たちも同じようになってはならない。馬鹿正直も困るが、神に知恵の言葉を求めながら、人々からの信頼を得る者となろうではないか。