私が小学生から中学生にかけてよく観たテレビドラマの中で、「大江戸大捜査網」という時代劇があった。幕府の隠密同心が、極悪人らを相手に活躍する設定である。劇中に流れるナレーションで、今でも覚えているものがある。「死して屍拾う者なし」というそれである。日陰にあって治安を守る、末端の幕臣である隠密同心らが、任務遂行中に死んでも一切顧みられないという非情な掟に、理不尽さを感じたものである。
ドラマの中だけの話であるなら、別に構わないが、それが今も現実としてあるならどうであろう。今なお未収容の、アジア各地と一部国内に残置されている戦没者らの遺骨のことである。満州事変以来の15年戦争における日本人戦没者数は、軍人・軍属230万人、民間人80万人以上の、合計310万人以上とされている。この内、大半が海外の、約113万人の遺骨が未収容である。海没し収容困難な遺骨が約30万人と言われているので、残りは約83万人である。遺骨収集作業は、地道に続けられてはいるものの、これまでのペースでは、到底未帰還戦没者多数の遺骨収容は不可能であろう。
この事実は、靖国神社をめぐる状況とは対照的である。毎年のことであるが、終戦記念日とその前後には、現職閣僚を含め多くの人々が靖国神社に参拝する。これまでの国家的戦没者追悼のあり方に関する議論の中でも、常に靖国神社の名が挙げられて来た。これに対して、戦没者の遺骨収容の話になると、何故か議論のトーンが盛り上がらないようにも感じる。米国の場合、国防総省に置かれている戦争行方不明者捜索・遺骨収集専門組織には、DNA鑑定の専門家や歯科医などを含めた約400名のスタッフが勤務しているが、日本の場合は同様の常設機関の存在は確認できなかった。厚生労働省が発表した令和3年度戦没者遺骨収集計画によれば、東南アジアや太平洋島嶼部を中心に58班(1班約5名)の調査団と、18班(1班約10名)の遺骨収集団を派遣するとのことである。地味な働きのようではあるが、国家として、戦没者とその遺族らに対する責任を果たすための重要な事業である。
「モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、『神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように』と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。」(出エジプト記13:19・新共同訳)
これまでの、靖国神社と戦没者遺骨のそれぞれに関する国民の関心や政治家らの動きを見る限り、日本人の死者に対する敬意の持ち方に一貫性が無いようにも思える。例えば、釈迦の遺骨は、小片であっても仏舎利塔に恭しく祀られている。仏教の開祖であり、宗教的偉人だからである。なのに何故、国家における偉人であり、英霊とも称される戦没者の遺骨は、戦後76年が過ぎても、なお80有余万柱が未収容であるのか。戦争時の国家元首であり軍を統帥する大元帥であった、昭和天皇の亡骸は、陵墓に丁重に葬られているが、多くの戦没者の遺骨は、異国の山野に今なお残置されたままである。これらが多くの日本人にとって矛盾無く受け入れられている理由の1つに、私は、国家神道の影響があるのではと考えている。約70年間の国家神道体制は、日本人の死者に対する考え方や行動にも影響を及ぼして来たのは疑いない。
戦時中に親しまれた、「海ゆかば」という軍歌がある。「海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草むす屍」と歌われる、その美しくも悲壮感漂う旋律は、まさに名曲と言えるだろう。歌詞は大伴家持の長歌であるが、「水漬く屍」、「草むす屍」とあるように、異国の地で亡骸が朽ちて行くことも、日本人の深層心理に、仕方のないことと刷り込まれたのであろうか?ちなみに、作曲者である信時潔は、牧師の父を持つクリスチャンであったが、敗戦後は、自分の作曲した軍歌が軍国主義に利用されたことを恥じて、あまり積極的な作曲活動はしなかったとも言われている。「死して屍拾う者なし」は、ドラマの中だけでもう十分である。