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地震列島に住まう(記事No.50)

 10月7日の夜、久しぶりに少し強い地震が首都圏を襲った。その時、私は横浜市内のホテルに滞在中で、そろそろ休もうかとベッドに入ったところだったが、携帯電話のエリアメールの音と揺れの始まりがほぼ同時にあり、一瞬で眠気が吹き飛んだ。震源地が遠ければ大地震が発生したものと思い、すぐに地震情報を確認したのは言うまでもない。強い揺れがあった地域の人々は、10年半前の東日本大震災のことが脳裏を過ったのでは無いだろうか。

 東日本大震災については、マグネチュード(M)8クラスの余震が必ず起こると言われて来たが、これまでのところは、M5〜M6クラスの中規模の余震が起きているだけである。しかし、遠からず、それは起きると思っていた方が良いだろう。その時は、当然大津波も襲来するだろう。東日本大地震の余震以外にも、首都圏直下型地震や東海、東南海、南海など、いずれ起きると予想されている巨大地震がいくつも控えている。また、中央構造線が動く可能性もあり、全国津々浦々にある大小の断層も、いつ動くかわからない。まさに、日本は地震列島そのものである。

 このような国土の特性に鑑みて、1969年に国土地理院の関連専門機関として、地震予知連絡会が設置された。以来、トップレベルとされる地震学者たちが集められ、多額の国費が観測や研究に使われてきたが、これまで、ただの一度も地震予知に成功したことは無い。数十年のタイムテーブルで予測することが全く無意味とまでは言わないが、少なくとも防災の役には立っていないことは確かである。それよりも、私たち一人一人が、日頃より自然や生物の変化に注意を払い、変わったことがあれば警戒を強めた方が良いのかも知れない。私の場合は、20年ほど前から、地震雲など自然現象に気をつけるよう心がけている。10数年前には、家族旅行で大阪方面に行った時、夜ホテルの窓から北側の山に発光現象があるのを見たが、翌日夕方に、その山の方面を震源とする震度4くらいの地震が発生したことがあった。都市部ではビル群のため雲の観察も思うようにいかないが、注意力は常に働かせるようにしておきたい。

 さて、聖書の中にも、地震に関する記述が何箇所かある。その中でも、世の終わりの時代に関するイエスの預言では、方々に地震が起こることが示されている。これは、歴史上かつてなかったほど、世界各地で大きな地震が次々と発生することだと考えられる。これは、どの程度の期間の中で起こる出来事であるのかは、はっきりは分からない。しかし、仮に百年単位の期間中に起こるのだとしても、終末が近づくにつれ、頻度も規模も激しさを増すことは確かであろう。そうでなければ、世の終わりが近い徴にはならないからだ。

「民は民に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、飢饉が起こる。これらは産みの苦しみの始まりである」(マルコによる福音書 13:8 新共同訳)


 そこで、地震列島である日本はどうなのか?多くの研究者らが指摘していることは、日本列島が活動期に入った可能性があると言うことだ。いつ頃がその起点であったのかは判然としないが、1995年の阪神淡路大震災頃の可能性があるだろう。次の大地震がどこで発生するかは分からないが、遅かれ早かれ、首都東京も震度7クラスの大地震に見舞われることだろう。私も、東京大地震に関する預言や幻をいくつか聞いたことがある。それに関連してか、富士山噴火の幻を見た人の話も直接聞いたことがある。もちろん、それらの預言や幻は、全て聖霊に満たされたクリスチャンから聞いたものである。

 ある都市がひとたび大震災に襲われたら、インフラや建物は再建出来るであろうが、都市としての地位が再生出来るかは分からない。神戸新聞の2020年1月17日号の記事によれば、阪神淡路大震災から25年経っても、なお、神戸の経済成長率は全国平均を下回ったままであると言う。実際、神戸でタクシー運転手に聞くと誰もが、震災前の活気が戻っていないと言う。かつて、大航海時代より栄華を誇ったポルトガルは、1755年に発生したリスボン大地震を境に衰退が始まり、かつての繁栄は2度と回復していない。1923年に関東大震災に見舞われた東京は、その後都市としての再建には成功したが、1945年の連続空襲で広範囲で焼け野原になった。その後、集中的なインフラ投資や高度経済成長などもあり、今日まで都市としての繁栄が続いている。しかし、次に巨大地震が発生したら、果たしてどうなることだろうか?

 2016年4月に発生した熊本地震で被害を受けた、旧東海大学阿蘇キャンパスの遺構を見学したことがあるが、堅固な鉄筋コンクリート造の建物でも、直下に断層があれば耐えることが出来ない。アスファルトで覆われた都市部では、未知の断層がどこにあるか分からない。日本に住んでいる限り、いつ地震が起きるかも知れないという心構えと、非常用備蓄などの実際的な備えは不可欠である。そして、何よりも、全能の神の守りを受けるならば、地震列島にも安んじて住まうことが出来るであろう。

「私に聞き従う人は確かな住まいを得 災難を恐れることなく平穏に暮らす」(箴言 1:33 新共同訳)