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日本人とは誰か (記事No.49)

 2021年のノーベル物理学賞を、愛媛県出身で米国プリンストン大学上席研究員の、真鍋淑郎氏が受賞することが決まったとのことである。新聞に、日本人のノーベル賞受賞者は28人目と書いてあったが、よく読むと、真鍋氏は米国籍だと言う。細かいことを言うようであるが、それなら、正確には、日系アメリカ人と書くべきだろう。シュクロウ・マナベ氏とまでは、無理に書かなくても良いとは思うが。日本人の両親から生まれたなら、出生時には確かに日本人であるが、成人後に自分の意思で外国籍を取得したなら、その場合は日本人とは言えないのではないか。

これとは逆に、外国人が日本国籍を取得したなら、その人は日本人である。正確には、出身国○○を接頭語として、○○系日本人となる訳である。日本には、韓国系日本人や中国系日本人も多くいる。ところが、外国人が日本国籍を取得しても、いつまでも日本人とは認識されず、出身国の人と受け取られることが多いのではないか。となると、日本人という語の意味するものは、単に国籍だけを意味するのではなく、日本民族をも意味していることは明白であろう。そうなると、明らかに日本民族とは違う外観を有する民族の人が日本に帰化したとしても、真の日本人と認められることは無いのかも知れない。また、民族的属性に加えて、日本精神の有無を問題とする考えもある。

 先日、中国出身で日本に帰化している、評論家石平(せき へい)氏の講演を聞く機会があったのだが、話の中で自身のことを、今は日本人だからというように語っていた。私としては、同氏は中国系日本人という認識であり違和感は無かった。石氏は、当然のことながら中国事情に精通し、中共政権に対しては厳しく批判する立場である。日本の政治家や企業家でありながら、中国に媚びるような人々が散見される中で、その種の人々よりも、石氏の方が余程日本を愛していると思う。ところが、日本人の定義を狭く考え、日本民族であり、日本精神を有していることとするなら、石氏は日本人としては不十分となる。

 日本精神と書いたが、これは強調の仕方によっては、息苦しい社会を作り出してしまうだろう。例えば、日本人ならば皇室を敬愛するのが当然であると言う考えの人もいる。しかし、皇室に対する敬愛の念とは、強いられて持つものではなく、天皇をはじめとする皇室の方々の国民を想う姿勢を見て、自然に形成されるべきものである。少なくとも、これまでの上皇や天皇の言動からは、国民のことを深く案じておられることが伝わっていると思う。多くの国民も自然に、その想いに敬愛を以って応えて来た。もし、日本精神を言うのであれば、真面目、勤勉、正直など、最も基本的かつ最大公約数的な、日本人の長所を言うだけで十分ではないだろうか。

 ノーベル賞受賞が決まった真鍋氏がアメリカ人であることに触れたが、当然のことながら、アメリカ国籍(市民権)を取得する条件に、人種に関するものは含まれていない。犯罪歴や麻薬使用歴、あるいは反米組織との関与などはチェックされるが、それ以外に思想や信条が問われることも無い。しかし、初歩的な英語力以外に、絶対にクリアしなければいけない条件がある。それは、アメリカ国籍を取得するに際して、出身国を含めた他の国に対する忠誠を放棄し、アメリカのみに忠誠を誓うことである。ただし、イスラエルなどとの二重国籍は認められているので、この場合は、それ以外の国に対する忠誠を放棄することとなる。仮に二重国籍の一方の国と米国が戦争状態になった場合には、どちらかに対する忠誠を放棄することになるのではないだろうか。

 アメリカの例を挙げたように、本来は、ある国の国民とは、その国に忠誠心を有していることが最大の条件であろう。これに、愛国心を加えても良い。それ以外の、出身地、人種、民族、思想、信条、宗教などの属性は、社会に危害を加えるような具体的事情が無い限りは、国民を定義するに、一切必要条件では無いと思う。以前も書いたが、古来より日本人とは、多様な民族が長い年月をかけて融合して、単一的民族となったものである。私の先祖も1000年以上遡れば、大陸から渡来したのかも知れない。いや、実は、私のルーツは、古代イスラエルではないかと思っているのだが。それはともかく、今日でも、日本国籍を有していて、かつ日本を愛し、日本に(政府ではなく、日本という国に)忠誠心を有する人が日本人であり、それ以外の属性で純化を求めることに何の意味があるだろうか?あとは、日常生活に不自由無い程度の日本語が出来れば尚可といったところか。

 以上に記した私の考えは、聖書の教えから影響を受けて形成されたことは言うまでもない。イエス・キリストが、彼を信じる人々との間で交わされた新しい契約(新約)とは、全て彼を信じる人々は、神の家族であり、神の国の国民であるということである。神の家族とは、イエスが人として自身を現された、ユダヤ人だけがその資格を有しているのではない。イエスを神として、救い主として、個人的に信じ受け入れたならば、誰でも神の家族となり、神の国の民に加えられる。最も大事なことは、人の外側にあるのではなく、内側に、すなわち、心にあるのだ。日本人のことも、また同様であると思う。

「こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです」(エペソ人への手紙 2:19 新改訳)