当然のことながら、辛亥革命と中華民国建国には、中国共産党(中共)は何の関与もしていない。それどころか、中共が成立したのは、1921年7月23日であり、辛亥革命に遅れること10年である。ところが、彼らは図々しいことに、自分たちが中華民国の正当な後継者であると主張して来た。今年10月9日、北京の人民大会堂で辛亥革命110周年記念大会が開催され、習近平中国国家主席は、中共こそが孫文の最も忠実な継承者であると主張したと聞く。これは、台湾が中華民国の国号を有していることの正当性を、改めて否定したものと受け取られている。しかしながら、中華民国は支配地域こそ大幅に減ったものの、建国以来途切れることなく主権を有する独立国家であり続け、国家として中共の軍門に降ったことも無い。中共が台湾問題は中国の内政問題と主張するのは、盗人猛々しいと言うべき暴論であろう。
中共は自分たちに都合が悪いことには触れないが、そもそも孫文は、無神論者である共産主義者とは全く思想の土台が異なる人物である。彼は、12歳の時に長兄が事業で成功していたハワイに渡り、その地のキリスト教会が運営している学校で3年間学んだ。聖書も熱心に学び、信仰を持とうとしていたが、兄の反対に遭い、一旦故郷に戻った後に香港へと移り、勉学を続けることになる。その香港で、18歳の時にアメリカ人宣教師の導きでイエス・キリストを個人的に受け入れ、プロテスタント組合派の教会で洗礼を受けた正真正銘のクリスチャンであった。中共政権が自分たちが孫文の最も忠実な承継者であると言うのであれば、まずは、孫文の信仰していたキリスト教に対する弾圧を止め、神の前に自分たちの数々の悪行を悔い改めてはどうかと思う。
孫文らが革命を決意し、同志たちと準備を進めていた時、キリスト教会でしばしば会合を持ったと言われる。清朝政府側が外国との軋轢を恐れて教会に対する取り締まりを躊躇していたことと、革命派の指導者層にクリスチャンが多かったためと考えられる。彼らの革命は成就し、中華民国が建国されたが、1925年に召天した孫文の後を継いだ蒋介石ら国民党指導部は、やがて腐敗した政治に陥り、民心が離反して国共内戦に敗北し台湾に逃れた。その後の中華民国の歩みは、50年近くの強権統治時代を経て、孫文と同じくクリスチャンの李登輝総統により、大きく民主化が進むことになった。今日では、中華民国≒台湾は、アジアにおいて最も政治的民度が高い国として、孫文の掲げた三民主義(民族主義、民権主義、民生主義)の発展型を体現していると言えるであろう。神は、その選ばれた人々を通して、歴史において、国々の中で大いなることを成されて来たが、孫文もまた、神に選ばれた一人の器であったと思う。
「見よ かつてわたしは彼を立てて諸国民への証人とし 諸国民の指導者、統治者とした」(イザヤ書 55:4 新共同訳)