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日本の最後の希望(記事No.100)

 一昨日、高速道路のサービスエリアにあるガソリンスタンドで給油したのだが、ハイオクで何と1リッター198円であった。2週間くらい前に街中のスタンドで給油した時には、リッター185円であり、随分と値上がりしたと思ったのだが、あっという間に200円の大台に乗りそうな勢いである。次に給油した時には、本当にそうなっているかも知れない。世界のどこかで戦争が起きたり、あるいは、情勢がきな臭くなるだけでも、資源価格は敏感に反応し、日本でも末端小売価格が上昇することになる。当然のことながら、燃料価格が上昇すると、電気・ガス料金や物流コストも増加し、結果的に広範囲な物価上昇となる。いわゆる、コストプシュ型インフレであり、需要の増加による物価上昇とは異なり、勤労者の給料が上がる訳ではない。99パーセントの生活は、苦しくなる一方である。

 エネルギーだけでなく、食品も次々と値上げされている。今年6月から、各社のインスタントラーメンが値上げされることは知られているが、既に多くの食品が値上げモードに入っており、特に、小麦を使用した加工食品は顕著である。ウクライナ紛争に伴い、欧米諸国を中心に対ロシア禁輸を含めた制裁を実施しているが、世界第3位の小麦生産国であり、同第1位の輸出国のロシアとしては、他の諸国に輸出を振り向ければ良いだけであり、最もダメージを受けるのは、制裁実施国の大衆である。食料自給率がカロリーベースで37パーセントの日本は、世界的な食料価格上昇の影響をまともに受けることになり、今後も食品インフレが進むであろう。それだけでなく、輸入依存度が高い品目では、やがて入手自体が困難になる可能性が高い。

 ところで、日本は失われた30年と言われるように、先進国とされる諸国の中で、経済的に最も低成長の国である。国内総生産(GDP)は、1991年の492兆円が30年後の2021年で553兆円である。30年間でわずか12パーセントの成長であるが、ドル建てで比較すると諸外国と比べて悲惨な結果となっている。細かい統計数字は挙げないが、30年間で日本のGDPは1.39倍となったが、同じ期間でアメリカは3.72倍、中国は40.82倍にGDPが増加している。購買力平価GDPという指標で見ると、日本の1人あたりGDPは、既に2019年に韓国にも抜かれている。日本は第2次大戦敗戦後これまで、直接戦争を経験していないにも関わらず、この30年間年々着実に貧しくなっている、世界でも稀な国である。聖書は、「人はパンだけで生きるのではない」と教えるが、一方で、イエスは、その教えを聞きに来た大群衆が空腹であるのを見て、「5つのパンと2匹の魚」として知られる奇蹟により、彼ら全員を満腹させられた。「衣食足りて礼節を知る」との諺にもあるように、あまりに生活が苦しいと、人心が荒むのも当然であるが、閉塞感漂う現代日本がまさにそうであろう。

 なぜ、このような惨めな国に堕してしまったのか。多様な原因があるであろうが、最大の原因は政治が間違ったからであろう。政治が間違った理由は、日本と日本人とを愛していない人々が政治家の多数を占めて来たからである。そして、彼らを選んだのは、国民自身である。特に、組織的に政治への影響力行使を続けて来た、統一教会と創価学会の罪は極めて重い。政権与党が彼らの強い影響下にあることは、日本人にとっての不幸であろう。何故なら、彼らの政治的影響力が日本をより良くするためには作用して来なかったことは、結果が証明しているからである。また、政治家の影に隠れて政策を取り仕切っている、官僚たちの罪も重い。書きたいことは山ほどあるが、この辺にしておく。なお、私は酒は飲まない生活なので、酔ってくだを巻くことは無いが、この種の話題は相手を選ばなければ話せず、たまに意見の合う人と話すと饒舌になってしまう。

 日本の現状と行く末を思うとき、憤りや怒りだけでなく、哀しみと憂いを抱く。同時に、微かに起ころうとする諦観の念に対して、拒否することをしている。日本は外圧でしか変わることが出来ないとは、よく言われることである。確かに、鎖国下の幕藩体制から、開国して一応の近代国家になったのは、米欧諸国の圧力を契機としてであった。帝政と軍国主義から民主制と平和主義への転換も、敗戦を通らなければならなかった。戦後も、主としてアメリカからの度重なる外圧により、良かれ悪しかれ、各種制度改革を行って来た。こうして見ると、日本は、主体的に国家レベルでの改革をすることが出来ない国なのだと思う。ほとんどの選挙で、投票率がしばしば半分以下という状況は、単なる諦めだけでなく、棄権という白紙委任の方が、自ら考えて投票行動することよりも楽だからであろう。そのような状況が長年続き、現在の日本社会に至った訳である。

 今後日本には、さらなる不況だけでなく、数年以内には、大地震や火山の噴火などの自然災害が発生し、国力の低下と国民貧困化が加速すると思われる。これらの災害に加えて、再び原発の重大事故が発生するなら、今度こそ日本終了のゴングが鳴るだろう。さらに、自らロシアの「非友好国」の道を選択したことで、米露戦争が起きた暁には、日本も核攻撃のターゲットになることがほぼ確定したと言えよう。その場合は、最低でも米軍基地と海空自衛隊基地は、初期の段階で壊滅させられる。ロシアとしては、敵国の攻撃力を早期に除去しなければ、自分たちがやられるのだから、彼らの立場では当然の行動である。これらの厄災以外にも、急激に進む少子化、科学技術力の相対的低下などもあり、日本の未来には、残念ながら、もうほとんど希望は残っていないと感じる。

 人間の考えでは、わずかの希望しか無い日本であるが、もはや絶望して諦めるべきであろうか。あるいは、敗戦後に坂口安吾が書いた「堕落論」のように、ある種開き直った方が良い結果をもたらすのだろうか。私は、人間の努力だけでは、日本が再生することは困難であると思う。個人や集団レベルでの、ミクロの再生は可能であっても、国家レベルでの、マクロの再生は望めないだろう。その意味では、日本にはもう希望はほとんど残っていない。しかし、最後に残った希望がある。それは、創造主たる神による希望である。先ほど、日本が堕落した最大の原因は、政治が間違ったからであると書いた。その通りだと思うのだが、しかし、それは外形的、表面的なことでもある。その深部には、霊的な間違いが存在する。それは、日本が、日本人の多くが、真の神に背を向けて歩んで来たということである。本来、神の占めるべき位置にあったのは、有限の存在でしか無い、自己であった。日本人一人一人の自己中心的な歩みが集合体となり、日本という国の独善的な歩みとして現れて来た。しかし、神は憐れみ深く、罪を赦してくださる方である。日本人の多くが神の前に自らの罪を悔い改めるならば、日本は必ず癒やされ再生し、世の終わりが近づく困難な時代の中でも、平和と繁栄が回復されるであろう。神の言葉である聖書が、それを約束している。

「しかし、見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す。 そして、ユダとイスラエルの繁栄を回復し、彼らを初めのときのように建て直す。 わたしに対して犯したすべての罪から彼らを清め、犯した罪と反逆のすべてを赦す」(エレミヤ書 33:6−8 新共同訳)