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「桜を見た会」(記事No.150)

 今日は岡山市に出張したことを幸いに、メインの仕事の後、社員たちと後楽園に行ってみた。過去に2回訪れたことがあるが、この季節は初めてである。後楽園では、正門前で待ち合わせすることとして、園内は1時間ほど各自で回った。欧米系などの外国人観光客も多く、平日にも関わらず、それなりの人出であった。欧米系観光客は、ほぼ全員ノーマスクであったが、日本人は逆に、ノーマスクは少数派であった。私はと言えば、散策中はマスクを外し、日光を顔中に浴びて光合成に努めた。実際、人混みや屋内以外でマスクを着ける意味は、花粉症対策くらいしか無いのではないだろうか?

 園内の一角には、桜林のような場所があり、ほぼ満開の桜の木の近くでは、多くの人が行き交い、観賞したり写真を撮ったりしていた。私も、人があまりいない所で、桜の花に顔を近づけ、深呼吸などしてひと時楽しんだ。桜の花に爽やかな気分を感じるのは、単に美しいからだけでなく、何かリフレッシュやリラックスの効果をもたらす物質が花から出ているのだろう。あるいは、プラスのエネルギーのようなものかも知れない。せっかくの桜の花を見るのに、酒の匂いや嬌声が混ざるとしたら風情も減退してしまう。そんなのは、「桜を見る会」に集う人々だけで結構である。いずれにせよ、日本人の感性にぴったり合うのが桜の花であろう。ここで、本居宣長の有名な和歌を一句。「敷島の やまと心(大和心)を 人とはば(人問はば) 朝日に匂ふ 山さくら花」

 三重県松阪市にある本居宣長記念館のホームページによれば、この歌は、「お前の姿形はわかったが、では心について尋ねたい。」と言う質問があったことを想定しているのだと言う。歌に込められた意味とは、「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です。」とのことである。美しい自然や草花を見て感動するのは、世界のどこでも共通した人間性であろう。その中で、日本人は、特に桜に惹かれるのである。ネットで検索すると、日本人が桜を愛する理由は、大別すると次のようなものである。春の到来を告げる花であること、美しい花であること、咲いて散る潔さを感じさせること。

 日本人にとって特別な存在である桜であるが、外国にもある所にはある。中でも有名なのは、アメリカの首都ワシントンD.C.にある、ポトマック川沿いの桜並木であろう。この桜は、1912(明治45)年に、当時のアメリカのタフト大統領夫人の要望により、尾崎行雄東京市長が苗木を寄贈したものだと言う。日米友好のシンボルとして贈呈された桜は、111年の歳月に渡り大切に維持管理され、例年3月末から4月初旬にかけて、盛大に「桜祭り」が開催されている。アメリカ人でも美しい桜を見ることは好きなのであろうが、日本人の感性はまた違う。日本人としては、桜の花を見ながら、様々な思いが去来するのだ。私自身も今日、後楽園の桜の花を間近に見ながら、この地上での人生が儚いものであると思いながら、ほんの一瞬、様々な悩み事が小さな事であるかのような感覚を抱いた。私たちの地上の人生は、実に桜の花のようなものなのであろう。

「主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。 草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ書 40:7-8 新改訳)