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自由への闘い(記事No.121)

 昨日、Netflixで「ミラダ 自由への闘い 」という映画を観た。2017年に製作された、アメリカとチェコの合作である。この映画は、ミラダ・ホラーコヴァというチェコスロバキアの法律家であり、政治家であった、実在の女性の半生を描いたものである。映画を観るまでは、恥ずかしながら、ミラダ氏のことは知らなかった。1901年12月25日にプラハで生まれた彼女は、大学で法律学を学び、その後は女性の地位向上運動に携わった。第2次世界大戦中は、チェコスロバキアを占領したドイツ軍に対するレジスタンスに加わったが、1940年に夫と共にナチス当局により逮捕され、1945年4月にアメリカ軍によって解放されるまで服役する。戦後は、1946年に国民社会党から国会に立候補し当選、民主的な国家建設のために働いた。しかし、1948年2月に共産党がクーデターを起こすと、彼女はこれに抗議して議員を辞任した。彼女の政治的同志らは、西側への亡命を勧めたが、ミラダ氏は祖国に留まることを選び、プラハで政治的活動を続けた。

 1949年9月27日、彼女は共産主義政権を転覆させる計画のリーダーであるとして、仲間の活動家らと共に逮捕された。公判が開かれるまでの間、ミラダ氏と他の被告たちは、肉体的・精神的拷問を受け、罪を認めるよう強要された。彼女らにかけられた容疑は、アメリカなど西側諸国に協力し政府を転覆しようとした反逆罪と、スパイ行為の共謀罪であった。ミラダ氏と彼女の12名の同志らに対する裁判は、共産主義者らの常で、見せしめを目的としていた。彼女らは、共産党指導部によって扇動された市民らの憎悪の対象となり、新聞、ラジオなどは、大々的に糾弾キャンペーンを展開した。裁判は共産主義政権の筋書きに沿って進められ、1950年6月24日に最高裁判所で、ミラダ氏を含めた4人の良心の囚人に対する死刑判決が確定した。世界各国の多くの人々から、彼女らに対する死刑回避の嘆願がチェコスロバキア政府に寄せられた。その中には、アルバート・アインシュタイン、エレノア・ルーズベルト、ウィンストン・チャーチルなど、米英の著名人も含まれていた。しかしながら、当時のチェコスロバキア首相のアントニーン・ザーポトッキと、共産党議長のクレメント・ゴットワルドは、それらの嘆願書を一顧だにしなかった。

 国際社会からの嘆願も虚しく、1950年6月27日の夜明け、プラハのパンクラック刑務所の裏庭で4人の囚人に対して死刑が執行されることになった。前日の夜、死刑囚らは短時間それぞれの家族と面会することが許された、ミラダ氏のもとを訪れたのは、彼女の娘のヤナ、妹とその夫の3人であった。記録によると、ミラダ氏は4人の内で最後に絞首台に送られ、全ての処刑は午前5時43分に終わったと言う。ミラダ氏の最後の言葉は、次のようであったと記録されている。「私は、この戦いには敗れました。しかし、誇りを持って世を去ります。私は、この国と国民とを愛しています。彼らの幸福のために働いて来ました。私は、あなたたちを憎んではいません。私は、あなたたちが…。(最後の言葉が終わる前に、絞首台の床板が開いたと思われる。)」彼女の遺体は荼毘に付されたが、その遺灰は遺族には返還されず、遺棄された場所は知られていない。彼女の夫ボフスラス氏は、逮捕を寸前で逃れて国外脱出に成功し、後年アメリカで娘のヤナと再会を果たした。1968年6月の「プラハの春」の時、ミラダ氏の判決は無効と宣言された。共産主義体制崩壊後の1991年になって、彼女には勲章が授与され、正式に国家のための犠牲者と認定された。現在チェコでは、ミラダ氏が処刑された6月27日は、「共産主義体制の犠牲者のための記念日」として定められている。

 映画の中でも、ミラダ氏ら自由主義者に対する共産主義者らの憎悪が描かれていたが、これは、共産化した国々では普遍的に見られたことであった。ソ連が構築した巨大な収容所システム、自国民を千万人単位で殺害した中国の文化大革命、カンボジアでは子供たちに親や教師を殺させた等々、彼らが行った粛清は、単に政敵を排除するという合理的な動機ではなく、人々に血を流させることを狙ったと言えるであろう。彼らの思想のルーツは悪魔であり、彼らの行動は悪霊どもに導かれていたからである。日本では幸い、共産革命は成就しなかったが、もしそれが実現していたなら、皇室を筆頭に、旧体制派と見做された人々は、ことごとく処刑されるか収容所送りになっていたことだろう。もっとも、危険で邪悪な思想は共産主義に限らず、あらゆる全体主義がそうであり、ナチズムや、日本でもかつての国家神道体制下での軍国主義も該当するだろう。今日では、新型コロナ・パンデミックを作り出し、ワン・ワールドを実現しようとしている者たちの思想は、共産主義やナチズムと根底では同一である。彼らが、自由を愛する人々を激しく憎悪するのは、彼らの霊的、思想的マスターが誰であるかを如実に示している。

「悪い者を正しいとすることも 正しい人を悪いとすることも ともに、主のいとわれることである」(箴言 17:15 新共同訳)


 ミラダ氏は、彼女の政治活動の中で、ナチスと共産主義体制という2つの勢力と対決した。彼女は自由な社会を守り、国民を幸せにしようとの強固な意志と信念を持っていた。多くの同志たちが逮捕、投獄され、ある者らは転向し、他の者たちは国外に逃れる中、祖国に留まることを選択し、最後まで自分の信念を捨てなかった。彼女を、そのように保ったのは、神に対する信仰であった。彼女は若き時、夫のボフスラフ氏の家族から信仰的感化を受け、イエス・キリストを受け入れ、チェコ福音ブラザレン教会の信徒として忠実に神に仕えた。彼女が獄中から義母に宛てて出した手紙には、詩篇23編の言葉は全く真実であると書かれていた。彼女が処刑の数時間前に家族宛に記した手紙には、自分自身を慎んで神の最高の審判に委ねるとあった。この地上では不正義の犠牲となったミラダ氏であったが、正義の神は彼女に天で最高の栄誉を与えられた。この地上においても、1989年にビロード革命でチェコスロバキアの共産主義体制は崩壊し、1993年には国はチェコとスロバキアに分離した。その後、ミラダ氏を告発した検察官らの最後の生き残りが、司法殺人の容疑で起訴され、80代の彼女は有罪となり刑務所に送られた。ミラダ氏の名誉は回復され、彼女はチェコの人々の良心と正義の象徴となった。それだけでなく、彼女の生涯は、世界中で今なお自由を守るために闘い続ける人々にとって、先駆者の一人として輝いている。

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。 わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう」(詩篇 23編1-6節 新共同訳)