死刑執行の下命が職務とは言え、自身の命令により7人が死刑に処せられる前夜に、酒盛りに参加して楽しむとは、一体どのような人生を送れば、そのような人間になれるのか?彼女は、カトリック信徒とも聞くが、本当だろうか?率直に言えば、下劣な人間性の持ち主としか思えない。死刑制度を運用する立場であったとしても、執行前夜には、一人黙想して心を鎮めるか、断食祈祷でもして事件の被害者の冥福を祈るのが、正常な神経を有する人の振る舞いであろう。これは、上川氏から、翌日に処刑が行われるとの報告を受けていたに違い無い、安倍氏についても同様である。加えて、パーティー当日の夜は、ちょうどその時、西日本で豪雨被害が発生し始めていたのである。「こんな人たち」が、国民の生殺与奪の権を握っているのである。
この死刑執行のタイミングは、朝日新聞が2017年2月9日付朝刊で報じた、森友学園に対する国有土地払い下げに関わる問題が、国会で追求されたものの、疑惑が晴れたとは言えない状況が続いていた時であった。2017年7月に補助金搾取の疑いで逮捕されていた森友学園理事長籠池氏夫妻は、2018年5月に釈放されたが、同月捜査対象となっていた官僚ら38名は、全員不起訴となった。同年6月に国会が閉会し、翌7月には、国会で森友問題への政治家の関与を否定し、森友学園との土地取引は適正であったと答弁した、財務省理財局佐川局長が国税庁長官に任命された。だが、森友学園に関わる問題は、もし事実であれば、単なる小役人による便宜提供のレベルでは無く、一国の首相も関与した疑獄であり、国会で厳しく指弾され解明されるべきものであった。当然、マスコミ各社も、連日特集記事・番組で報道すべき問題であったことは言うまでも無い。
だが、オウム真理教の松本智津夫ら元幹部7名の処刑により、マスコミの報道は森友よりもオウム中心へと、一時的にせよ変わり、疑念が晴れたとは言えないまま、多くの人々の関心レベルは、次第に低下していったと言えよう。この一連の流れは、果たして偶然の結果であろうか?日本の死刑制度では、法律で定められた判決確定後6ヶ月以内の執行というルールは、法務省の遵守義務ではないと解され、執行時期は、法務大臣が、と言うよりも政府が任意で決められるのが実情である。今般の加藤死刑囚の場合も、安倍氏暗殺を契機にパンドラの箱が開いたように、自民党と統一教会との親密な関係が、改めて露呈することになったタイミングである。加藤氏処刑後も、統一教会を巡る話題は収まる兆しが無いことから、近いうちに再度、話題性のある死刑囚の処刑が行われるかも知れない。ワイドショーが派手に取り上げそうな死刑囚と言えば、和歌山カレー殺人事件や光市母子殺害事件で死刑判決が確定した面々などが思い浮かぶが、前者は一貫して無実を主張し続けていることも事実ではある。
今回、死刑執行と、そのプロパガンダ効果について取り上げたが、場合によっては、「事件」そのものが作られることがあるだろう。これは、日本に限らず、諸外国でも同様である。スケールが大きく、記憶に新しいところでは、2001年9月11日に発生した、アメリカにおける同時多発テロ事件などが、その疑いが濃厚な「事件」であろう。ここでは、いわゆる偽旗事件であることの詳細な根拠は書かないが、あの「テロ事件」を契機に、アメリカと有志連合軍によるアフガニスタン侵攻が開始され、続いてイラクと、20年間に及ぶ泥沼の戦争が始まったのである。マスコミも、「テロ事件」については、アメリカ政府の主張に寄り添った報道を繰り広げ、対テロ戦争を正当化するのに一役買った。結果として、莫大な利益を得たのが、米欧の軍産複合体であり、逆に夥しい損失を被ったのが、軍人、民間人いずれにせよ、戦争当事国の庶民たちである。
「いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい」(マタイの福音書 10:16 新改訳)
こと左様に、政府の行動や、あるいは世間を騒がせる事件と言うものは、しばしば、物事の隠蔽や世論の誘導にも使われることがある。イエスが言われたように、この世界は、人々を食い尽くそうと、虎視眈々と狙いながら徘徊している、悪魔の手先どもが実在している。しかも、彼らは、世の中で指導的な地位にも就いているのである。であるから、私たちは、正直な者であるべきだが、馬鹿正直ではいけない。卑怯者であってはならないが、進んで損な役回りを演じることは無い。政府の行動によく注意を払い、マスコミの報道は鵜呑みにせず吟味し、怪しげな人々や面倒臭い人々を近づけないことである。狼どもは強いようにも見えるが、小羊であるイエスは彼らを圧倒する強さを持っている。それゆえ、イエスを信じる羊は、狼よりも強い者である。そして、私たちは、蛇のように聡く、鳩のように素直に生きるべきである。