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安倍氏暗殺に思う(記事No.121)

 昨日は、安倍元首相が銃撃され死亡したというニュースが、日本中を駆け巡った。テレビ番組などは、関連報道一色だったようである。早速、ネット上では、事件に関する不自然な点などを指摘するものを含めて、解説や分析の記事が次々とアップされた。中でも、最も大胆な説としては、事件は、いわゆる偽旗であり、実際には、安倍氏は殺されていなかったというものがある。その説によれば、安倍氏を悲劇のヒーローに仕立て上げることで、支配者集団にとって都合の良い状況を作り上げようとしたと言うことである。海外では、これまでに政治的指導者の死が偽装された事例がいくつもあったとは思う。例えば、第2次世界大戦末期に、ヒトラーがベルリンの防空壕で拳銃自殺したとされているケースがある。ヒトラーの死体は顔の判別がつかない程に焼かれていたので、歯科治療の跡が一致したとされているのが、物的証拠らしきものとして挙げられている。だが、実は、軍用機でベルリンを脱出して占領下のノルウェーに跳び、そこから潜水艦で南米または南極に脱出したという説もあり、目撃証言とされるものもある。ヒトラーの死の真相は藪の中ではあるが、安倍氏の場合は、一応は平時のことであって、暗殺死を偽装するのは、政府や自民党にとってリスクが大き過ぎる。やはり、実際に暗殺されたとみて間違い無いと思う。

 しかし、報道されているように、現行犯逮捕された41歳の男が放った銃弾が、本当に致命傷であったのかは大いに疑問である。逮捕された山上某であるが、逮捕されて数時間もしない内に、元海上自衛官であることや、犯行の動機や準備に関わる情報が次々出たことには早過ぎる感が否めない。どうしても、ケネディ大統領暗殺犯とされた、オズワルドのことを連想してしまう。あるいは、要人暗殺では無いが、9.11同時多発テロ事件の犯人とされた者たちの場合も、アメリカ国内での飛行訓練の様子など、事件後に次々と、いかにもな状況証拠が出て来たことを思い出す。はっきり言えば、特殊部隊経験者でもない元海上自衛官が、手製の「銃」と「銃弾」で至近距離から2発撃ったところ、ターゲットの心臓に大穴を開けたなど、あまりにも出来過ぎた話である。私自身も、アメリカ留学中に、趣味で通算数千発の小銃射撃を経験したが、どうしたら素人が手製の簡易的な銃と弾で、周囲の人々には一切被弾させずに、正確にターゲットの人物だけに致命傷を与えられるのか、合理的な説明が思いつかない。もっとも、これは、犯人にとっての好条件が偶然にも重なったのだと説明されるのであろう。山上某が現場で発砲したのは事実であろうが、致命傷を与えたのは、別に存在したプロの狙撃手であった可能性が高いと考える。

 暗殺事件の真相がどうであれ、安倍氏が殺されたことで、誰が得をしたのだろうか?そう考えるのは、政治家の暗殺の場合、単独犯の犯行とされたとしても、必ず教唆した者や支援を与えた者または組織が存在すると見るべきだからである。2002年10月25日に刺殺された、石井紘基衆議院議員の場合は、刺殺犯の自称右翼伊藤某は、石井議員との間に生じた金銭トラブルを恨みに思ったのが動機であると、個人的犯行を主張し、裁判でも真の動機は解明されなかった。しかし、2010年10月にテレビ朝日で放送された、当該事件に関するドキュメンタリー番組によると、同テレビ局の記者が獄中の伊藤某と面会して聞き出したところでは、「実は頼まれてやった。」との告白を得たと言う。その後、伊藤某は記者との面会を拒否するようになり、告白の内容が事実であったのかは謎のままである。なお、石井議員は暗殺される前に、国会で特別会計に関する追及を始めており、殺害されたのは、決定的な国会質問をする予定の前日であったとも言われている。同議員の暗殺に組織的背景があったのか、その証拠は判明していないが、確かなことは、石井議員の死により、利益を得た者たち、個人や組織・集団があったことは、紛れもない事実である。安倍氏の場合は、森友問題などの疑惑の最重要当事者が消えたことや、アベノミクスの失敗責任を安倍氏一身に負わせることが出来るようになったことで、日本の支配層にとっては、臭い物に蓋をすることが出来たとも考えられよう。あるいは、パペットはコントロールが効かなくなると、ハンドラーによって処分されるということかも知れない。安倍氏暗殺のタイミングが、参議院議員選挙投票日の2日前であったことは、これで同情票が大幅に積み上がるとも思えないが、仮に選挙不正が行われた場合には、与党大勝利の理由の1つに使われるのではないだろうか。

 ところで、個人的に私は、これまで安倍氏の政策の多くには反対であったし、保身のためには末端の官僚を死に追いやっても省みない、彼の人間性には嫌悪感さえ覚えることもあった。しかし、同氏がこのような形で世を去ることは望んでいなかった。彼は、数々の疑獄に関して法的責任を追求されるべきであったし、アベノミクスや消費税増税などの失政により、日本に経済的惨状をもたらした政治的責任を取るべきであった。その他にも、ロシアとの外交交渉の失敗や、海外への累計数十兆円(あるいは1桁上かも知れないが。)のバラ撒きなど、彼の責に帰せられるべきことは多くあったと思う。国家の最高指導者として、時に政治責任を追求されることに堪えられないのであれば、最初から宰相の座を狙うべきでは無かったが、権力欲は人一倍旺盛であったのだろう。対米従属の深化を含め、安倍氏が日本に与えた傷は深く、彼が残したツケは、今後も日本国民が払わされるのである。日本人の多くは、死んだらみんな仏になると考えているともされるが、公職者はたとえ仏(と呼ばれる存在)になっても、在職中の行為については、公的にも私的にも、検証され評価される必要があると考える。その意味において、決して安倍氏を美化してはならず、まして、神格化する人がいるとしたら、とんでもない勘違いと言うべきである。今、安倍氏は陰府で、世の終わりの時の、神の最後の審判を待つ身となった。私たちが、神の審判の結果を想像することには、ほとんど意味が無い。それは、全く神の専権事項であって、神と、その人との問題である。私は、安倍氏のために涙を流さなかったが、しかし、彼の死を喜ばない。彼が暗殺されたことを、残念に、また気の毒に思う。彼もまた、イエスの救いを受けなければならなかった。世の終わりの時には、神が、彼を公正に扱われるであろう。

「敵が倒れても喜んではならない。彼がつまずいても心を躍らせるな。 主がそういうあなたを見て不快とされるなら 彼への怒りを翻されるであろう。 悪事を働く者に怒りを覚えたり 主に逆らう者のことに心を燃やすことはない。 悪者には未来はない。主に逆らう者の灯は消える」(箴言 24:17-20 新共同訳)