Wikipediaによるカルトの説明とは、次のようなものである。「カルト(仏: secte、英: cult)は、新宗教団体を含む非科学的(ニセ科学)主張をしている集団や組織を指して使用される。(中略)虚偽に基づいた非科学的主張を信じていないことへの恐怖心を煽り、親団体の組織名を隠した強制的又は詐欺的な入信勧誘・多額の寄付金強要による経済的搾取や性搾取を含む人権侵害など様々な反社会的活動のため、世界各国で社会問題になっている。」この定義は、特に前半部分は明らかなミスリードであり、これを書いた人々の知性と誠実さが疑われる。これに対して、キリスト教宣教団体である、GotQuestions.org ミニストリーによるカルトの説明は、次の通りである。「『カルト』ということばを聞くと、しばしば悪魔礼拝をしているとか、動物をいけにえにしているとか、邪悪で異様で異教的な儀式をしているグループのように考えがちです。しかしながら、ほとんどのカルトはもっとずっと無邪気に見えます。特にキリスト教から見たカルトの定義は、ひとつ以上の聖書的真理の原理を否定する宗教グループのこと。もっと簡単に言えば、カルトは、それを信じたら救われないような何かを教えるグループのことです。宗教とは違って、カルトはその宗教の一部であると主張しますが、それでいてその宗教の基本的な真理を否定します。キリスト教のカルトは、クリスチャンであると主張しながら、キリスト教の真理の原理を否定するグループです。」ほぼ正しいカルト理解と思うが、ほとんどのカルトは無邪気に見えるというのは、いささか甘いと言わざるを得ない。
私のカルトについての個人的理解は、次のようなものである。「カルトとは、人々に教祖とその教えに対する絶対的忠誠を要求し、一旦その集団に帰属させた人に対しては、恐怖と洗脳によるマインドコントロールを施し、教祖また組織に人格と生活を従属させ、人間関係を破壊し、財産、労力、時間を搾取する集団のこと。その教祖と指導者たちは、しばしば悪霊に取り憑かれており、人々を真の神とその教えから遠ざけ、社会と家庭に対する精神的破壊活動を行う邪悪な集団である。」世の中に、無邪気なカルトなど無い。数多くの宗教団体がある中で、信者たちに教祖やその教えに対する盲従を強いており、かつ金銭的要求を行うものは、ほとんど全てカルトに類別されると見て良いだろう。統一教会系に限らずとも、創価学会などは、実質的にはカルトに当たる組織ではないだろうか。ちなみに、統一教会と創価学会には共通点が多々あるが、いずれも政界や司法部門を含む中央官庁に広く浸透していることも1つである。また、両者とも、朝鮮半島系の人脈を中心に組織され、運営されて来たことも共通点として挙げられよう。彼らは、日本人の財産を収奪し人生を破壊することに、何の痛痒も感じていないと思えるが、「日帝36年の植民地支配」の償いをさせているという意識が根底にあるのだろう。統一教会は、教理上も、日本は韓国に服従すべきことを謳っている。日韓併合の身から出た錆とは言え、とんだ獅子身中の虫を許容して来たのは、政治家や官僚らの中に、彼らの側に立つものが少なくなかったからである。
さて、統一教会は、20年くらい前までは、霊感商法や合同結婚式などで、多くの訴訟が起こされて、ある種社会問題ともなっていた。多くの日本人は、彼らが普通の宗教団体とは違う、異様な集団であり、近づかない方が良いという認識を持っていたと思う。今でも、その認識は多くの人々が持っていると思うが、いつの頃からか、マスコミで批判的に取り上げられることが少なくなっていった。彼らによる、マスコミ浸透工作が功を奏した為であろう。だが、統一教会と、その分派であるサンクチュアリ教会などの集団の本質は変わっていない。それどころか、日本社会要所への浸透がより進んだと言えるであろう。このうち、キリスト教界への浸透に関しては、「異端・カルト110番」というサイトが詳しく取り上げているので、是非参考にしていただきたい。サイト運営者の一人は、私の友人でもある韓国人牧師であるが、彼の牧会する教会も、カルトによる分断工作のターゲットにされたことがあり、戦いは現実に起きているのである。同サイトには、他にも「新天地」や「全能神教会」など、韓国系や中国系のカルトに関する情報も掲載されており、大いに参考になる。
安倍氏暗殺は、現在の日本が、カルトにより激しく汚染されていることを世に知らしめた。警察やマスコミは、今回の事件を山上某の個人的犯行に矮小化しようとしているが、彼の手製銃から発射されたと言われる弾は、安倍氏に致命傷を与えることはおろか、周囲の人々を含め、人体にはかすりもしなかったと思われる。状況は、大きな組織が動いた可能性が極めて高いことを示している。安倍氏は、恐らくは、知り過ぎたのであろうし、背後の勢力にとって独断専行が過ぎたのであろう。彼は、統一教会のようなカルトと親密に関わると、ろくな事は無いという事実を、身を持って示すこととなった。安倍氏の「犠牲」を無駄にしたくないのであれば、統一教会が切望する内容での改憲を進めるのではなく、日本から彼らの影響力を除去し、国政を正常化することが必要である。そうすれば、社会は明るさと活力を取り戻し、日本に再生の芽が出て来ると思う。そのためにも、私たち一人一人が、カルトに対する警戒感を持ち、彼らの策略を見破る知恵と知識を得ることが不可欠であろう。神の言葉である聖書と、神の霊である聖霊とが、私たちに、その優れた知恵と知識とを与えてくださる。
「にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。 あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。 そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない」(マタイによる福音書 7:15-18 口語訳)