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夏は暑くて眠れない(記事No.36)

 毎日暑い日々が続いているが、私が生まれ育った街は海沿いにあり、夏でも夕方などは海風が心地良かった思い出がある。京都は盆地であり、市街地中心部は緑も少ないので、余計に暑く感じる。こう暑いと、ある映画の中で登場人物が語った言葉が思い返される。黒澤明監督の、「天国と地獄」で、殺人犯が言った、「夏は暑くて眠れない。冬は寒くて眠れない。」という言葉である。

 「天国と地獄」は観たことがある方も多いと思うが、三船敏郎、仲代達矢、山崎努、香川京子など、錚々たる俳優が出演した名作である。誘拐事件を軸に物語が展開するのだが、引用したのは、逮捕された、山崎努扮する犯人の研修医が語るセリフである。彼は自分が置かれた境遇と、富裕層(と彼が思っていた)の人々とのそれとを比べ、憎悪と妬みがない混ぜになった感情を吐露したのだ。この映画が制作されたのは1963(昭和38)年であるが、当時も貧富の格差は当然のように存在していた。格差社会とも称される現代であるが、格差そのものは、古代から、およそ社会と呼ばれる人間集団があるところには、一部の原始共産制社会を除いては、万遍なく存在していたであろう。

 それでは何故、近年になって、格差の存在がしばしば語られるようになったのか?いくつか理由が考えられるが、1つには、格差に対する問題意識を持つ人が増えたと言うことかも知れない。それは、インターネットなどのメディアを利用して、情報発信が容易になったことで、格差問題が取り上げられることが増えたことでもある。もう1つには、実際に格差社会の下層部に置かれ、生活苦に喘ぐ人々が増えていることも見逃せない。先進国と呼ばれる国々の中で、唯一日本だけが、20年前と比べて勤労者の実質賃金が減少していることはよく知られている。また、労働者の約4割が、非正規雇用となっていることも周知の事実である。小泉政権による、いわゆる構造改革と、歴代政権が踏襲して来た、税制を含めた新自由主義的な政策こそが、今ある状況の直接的な原因であろう。

 私自身は、経済学者宇沢弘文氏が説いた社会的共通資本の考え方や、公益資本主義を支持しているので、弱肉強食的な新自由主義の考え方には違和感しか覚えない。しかしながら、この20年くらいで、日本も、自己責任が強調される社会に変容したのは事実である。それは、多くの人々が格差社会の深化を受容したことでもあるだろう。格差社会の上層部に位置する人々、それはほとんど富裕層と同義語でもあるが、彼らの多くは、自分たちの才覚や努力がその地位を築いたと考えているかも知れない。そして、対極に位置する底辺の人々に対しては、しばしば、能力や努力が足りなかったのだと考えているのであろう。

 確かに、社会の上層部に位置する人々は、全般的には、能力に恵まれた上に、努力を惜しまなかった人たちであろう。私も、例外も多く見られるという条件付きで、その点は同意する。しかし同時に、彼らもまた、社会から多くの恩恵を受けて、その位置に到達したのだ。競争社会で勝ち上がって来たことの背景には、社会から有形無形のサポートがあったと思うべきであろう。熾烈な競争社会を異常と思う私でも、互いに切磋琢磨することは必要だと考えているが、問題は、それが公平な環境でなされていないことである。よく言われる、機会の平等と、公平な果実の分配が不可欠である。例を挙げれば、教育を受ける機会もそうであろう。1,500万円の教育資金贈与非課税枠をフルに使って、経済的な不安無く勉強できる青少年がいる一方で、奨学金という名目の学資ローンを借りなければ、高等教育機関で学べない人々も多くいる。どちらも、社会の制度を利用して教育機会を得る訳だが、個人の経済的負担となると、天国と地獄ほども違う。

 新自由主義と言えば、竹中平蔵氏らが提唱した、上が潤えば下もその恩恵を受けると言う、トリクルダウン理論は、既に完全に化けの皮が剥がれている。それは格差の縮小では無く、拡大こそをもたらした。もっとも、提唱した当人らは、最初からこうなると分かって言っていたとは思う。社会が活力を回復するために、本当に必要であるのは、むしろ底辺層の底上げであろう。それは、おこぼれに与らせるということではなく、社会の制度を、より公平なものと変えていくことである。それは結果的に、犯罪や自殺の減少、社会保険料を含めた担税能力の上昇、国力の増進など、富裕層を含めた社会全体にとって有益となるであろう。本当に苦しんでいる人々は、自らの権利を主張することも出来ないでいると思う。私たちは、声が大きい人々よりも、か細い声の人々に心を向ける者でありたい。

「弱い者と、みなしごとを公平に扱い、苦しむ者と乏しい者の権利を擁護せよ」(詩篇82:3・口語訳)
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死刑制度の是非(記事No.35)  

 今週、北九州の暴力団幹部の刑事裁判で、殺人などの罪に問われていた被告に対して、福岡地方裁判所は死刑判決を言い渡した。判決では、暴力団工藤会総長の野村悟被告は、4件の市民に対する襲撃を部下に命令したと認定された。野村被告は、判決を不服として控訴している。一連の市民らに対する襲撃事件は凶悪な犯罪であり、関与した暴力団員らは厳罰に処せられるべきであろう。しかし、本件で裁判所が野村被告の指揮命令があったと認定したからと言って、真実がその通りであったのかは分からない。暴力団は存在自体が社会悪だと確信するが、個々の事件で第三者が先入観を持って決めつけてはならないと思う。

 この死刑判決のニュースを読んだ時、改めて思ったことが2つあった。1つは、凶悪事件の犯人とされた人に対して、国民の多くが死刑を望んでいることは、当然のことと受け止めて良いのかどうかである。もう1つは、死刑制度そのものの是非である。前者については、凶悪事件の被害者や被害者の遺族らと、事件と無関係の国民とは分けて考える必要があるだろう。家族を無残に殺された被害者遺族が、犯人に対して強い報復感情を抱くことは人として当然である。同じ立場になったら、誰もが犯人を激しく憎悪するだろう。しかし、被害者とは面識も無い国民が、犯人を死刑にせよと軽々しく口にすることには、どうしても違和感を感じてしまう。なぜそう感じるのかと言えば、自分が絶対に死刑に処せられる側にならないとは、誰もが断言できないということが1つである。もう1つは、死刑制度の是非にも関わることであるが、絶対に冤罪処刑が無いとは言い切れないからである。

 もう30年くらい前のことであるが、図書館で面白い本はないかと探していた時、イギリス人ジャーナリストが書いた、アメリカの死刑囚についてのルポタージュ本が目に止まり、一気に読んだことがある。残念ながら、本の題名を忘れてしまったのだが、読んだのは日本語翻訳版であったので、古本なら探して手に入れることも可能だろう。何人もの死刑囚に実際に面会して、その肉声を聴くという作業を積み重ねてまとめ上げられたものであった。本の最後に筆者が記した言葉が、今でも印象に残っている。それは、「神の恵みが無かったら、私も彼らの1人になっていたかも知れない」というものであった。

 死刑についての私自身の考え方を明かすなら、数年前まで、一貫して死刑制度賛成の立場だった。実は、クリスチャンの中でも、死刑制度については考え方の隔たりが大きい。賛成派は、旧約聖書にある、命は命で贖われるべきだという教えを根拠にしていることが多い。これに対して、反対派は、新約聖書の報復禁止の教えや赦しについての教えを、より重視していると思う。聖書の教え自体には、死刑を禁止している箇所は無いので、社会の中でどのように取り扱うかは、私たち人間に委ねられているとも言える。牧師の中でも、死刑制度の維持は当然と教える人と、逆に死刑制度廃止を説く人とに分かれているし、その種のテーマにはなるべく触れないようにする人もいるだろう。そのような中で、数年前、私はそれまでの死刑制度維持の考えから、死刑制度原則廃止の考えに変わった。

 死刑について、私が考え方を変えた最大の理由は、冤罪処刑があってはならないと思うからである。日本でも、一応は近代的な刑法体系が成立していたはずの大日本帝国憲法下において、数々の冤罪処刑があったと言われている。中でも、1911(明治44)年に、幸徳秋水氏ら24名が明治天皇暗殺計画を理由に死刑判決を受け、その内12名が処刑された冤罪事件はよく知られている。日本国憲法下でも、幼児2人を殺害したとして死刑判決が確定し、最期まで無実を訴えながら、森英介法務大臣(当時)の命令により2008年に処刑された、いわゆる飯塚事件の久間三千年氏のケースが、冤罪疑いが濃厚ではないかとして知られている。本件は、久間氏の遺志を継いだ同氏の妻が再審請求を起こしたが棄却され、その後新たな有力目撃証言も得て、現在2度目の再審請求中である。飯塚事件で証拠とされたDNA鑑定は、別の再審事件では証拠価値が否定され、服役していた人が釈放されることになったものと同じ方式であった。久間氏については、裁判所や検察庁は今でも真犯人と捉えている訳だが、DNA鑑定結果に合理的な疑いがある以上、少なくとも、再審裁判を開くのが法治国家として当然ではないか。

 このように、一度死刑が執行されてしまうと、たとえ、後年に冤罪事件だったと判明したとしても、決して取り返しがつかないのだ。しかも、冤罪に関与した裁判官、検察官、警察官といった公務員は、決して、個人責任を問われ免職されたり、まして処罰され服役することも無いのである。それどころか、退官後は叙勲などの栄典も受ける。これは、著しく公正に欠き、正義に反するとは言えまいか。国家の威信、その実は役人の面子のために、過ちが正されないとすれば、もはや法治国家とは言えないであろう。ちなみに、誤判で死刑が執行された場合の補償金額はご存知だろうか?刑事補償法の定めるところでは、3,000万円以内である。これは、車の自賠責保険の死亡保険金額と同額である。国家が国民の生命を、1人あたり3,000万円程度と見做しているのだ。本来は、もし冤罪処刑なら、関係者個人の処罰に加え、天文学的賠償金を支払うべきだと思うが、如何だろうか?

 日頃、品行方正に生きている人であっても、何かのきっかけで冤罪事件の当事者になる可能性が絶対無いとは言い切れないであろう。もしそれが、殺人事件など死刑の定めがある犯罪であれば、あなたも冤罪で処刑されるかも知れないのだ。そう考えると、凶悪事件について、私たちがより関心を持たなければならないことは、第1に被害者と被害者遺族に対する国家の全面的なサポート体制の構築であり、犯人を絞首台に吊るすことではないと思う。そして、公正な裁判が行われるよう、司法手続きで改善すべき点は改めるべきだ。国民が裁判員として参加する、再審裁判所の設置も必要だろう。ヨーロッパ諸国をはじめ、死刑を廃止する国々が増えているが、日本も一般刑事犯罪については死刑を廃止し、最高刑は仮釈放無しの終身刑に改めてはどうだろう。それで社会正義が損なわれるとは思えないし、冤罪処刑も根絶することが出来る。私たちは、自分と死刑囚との運命を分けたのは、ほんの紙一重の幸運の積み重ねだったかも知れない、という意識を持った方が良いだろう。

「彼らが問い続けるので、イエスは身を起こして彼らに言われた、『あなたがたの中で罪のない者が、まずこの女に石を投げつけるがよい』」(ヨハネによる福音書8:7・口語訳)


 先に書いたように、私は死刑制度原則廃止の考えを持つに至った訳であるが、例外的なケースもある。それは、戦争犯罪に対する場合である。刑法犯に対する死刑を廃止したヨーロッパ諸国などでも、戦争犯罪に対しては死刑適用の余地を残している。一般刑法と戦争法規では、違反者の認定や処罰に対する考え方が違うからである。私も、戦争犯罪については、死刑制度を存置することに賛成である。戦争法規は、日本人としては馴染みが薄いが、ハーグ陸戦条約など戦時国際法は日本も批准している。現行憲法が特別裁判所の設置を禁じているとは言っても、国際条約が上位法であるので、国内法制の不備があるにせよ、戦争犯罪者を裁く特別法廷の設置は可能であろう。あるいは、日本人が、例えば、人道に対する罪を犯した場合、外国に移送されて裁判を受ける可能性もある。戦争犯罪は、武器が用いられる戦争や紛争の場合だけでなく、例えば、将来世界規模の薬害事件が認識された場合などにおいて、人道に対する罪が適用されることも十分あり得る。自分が死刑に直面するとは夢にも思って居なかった人々が、その時、特別軍事法廷に立つことが無いとは誰も言えないであろう。 
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万事が益となる(記事No.34)

 今朝、中学生の次男が所属するサッカー部のオンライン・ミーティングがあり、秋の新人戦が中止になったとの連絡があったという。次男は、中学生になってから本格的に始めたサッカーで、しかも昨年は部活動が全面中止されていたというハンディを、必死の努力と工夫で乗り越え、新人戦ではフォワードとして出場することが内定していたので、随分と落ち込んでいた。オリンピック・パラリンピックは開催したのに、それよりは比べ物にならないほど小規模の、一地方都市の中学生新人戦は中止である。西脇・門川の京都府・市政では教育行政もお粗末であることが、またしても現されたような格好である。これも、現代日本社会の異常さを象徴しているような出来事と言えなくも無い。

 日本人は、もうそろそろ、為政者ら支配階層(と思い込んでいる者たち)は、国民に仕えるという思いなど、少しも持ち合わせていないことを学習すべきであろう。口だけなら弁舌爽やかに何とでも言えるが、結果が全てを証明している。パンとサーカスで誤魔化されることと、いい加減決別しなければ、この国の未来は無いと思った方がいい。現在進行中の新型コロナ騒動にしても、本気で国民を守ろうと思えば、少なくとも台湾並みのコントロールは可能であったと思う。だが実際は、昨年1月末、既に中国武漢市の都市封鎖が始まった段階で、安倍首相(当時)は、春節に中国人の訪日を歓迎すると宣伝していたのだ。その後も、場当たり的な全国学校休校を行いながら、オリンピックは開催方針を堅持するなど、支離滅裂な対応を続けた。今さら、医療体制の逼迫などと言っても、言い訳にもならないであろう。

 日本がかくもお粗末な社会となってしまった原因は、危機感を抱いている人々の中でも、様々な見方があるだろう。政治的立場が異なれば、視点も異なるのは当然である。だが、最大公約数的に、愛の欠如があるとは言えまいか。国に対する愛、隣人に対する愛、(自己中心とは違う)自分自身に対する愛である。その代わりに増進したのは、今だけ、金だけ、自分だけの利己的な行動様式ではなかったか。書きたいことは山ほどあるが、小ブログは政治的主張を行うことを目的としていないので、脱線しないよう、この辺で今回のテーマに戻りたい。

 さて、秋の新人戦が中止となったことで失望した次男に対して、私は、聖書の法則の1つを示して励ました。それは、神を信じる者たちのために、万事が、すなわち、良いことも、悪いことも、全てが益と変えられるという法則である。私たちは、神に対する信仰の有無に関わらず、この世では悩みがある。それは、この世界の中に、罪の法則が働いているためであり、それは、世の終わりの万物更新の時まで続く。であるから、神を信じるクリスチャンにとっては、この世界は信仰の訓練の場でもあるのだ。なぜ、全能の神がそれを許容されるのか。それは、訓練が無ければ成長も無いからである。神は、人をロボットのようには創られなかった。自由な意思で、神に従い、聖書の教えを実践することを、神は望んでおられる。そして、聖書にある神の言葉を信じる時、神の法則が私たちの人生の内に現される。

「神は、神を愛する者たち、すなわち、ご計画に従って召された者たちと共に働いて、万事を益となるようにして下さることを、わたしたちは知っている」(ローマ人への手紙8:28・口語訳)


 私も、万事が益となるという聖書の法則を、自分で認識しているだけも幾度となく体験した。いや、万事であるから、人生の全ての歩みが、失敗も、挫折も、過ちも、ことごとく有益であったのだ。強がりでは無く、負け惜しみでも無く、そう言えるのは、神が私の人生の唯一無二の援護者であるからだ。楽しみにしていた新人戦の中止で、今は失望している次男であるが、いずれ聖書の法則が真実であることを身を持って体験し、このことさえも益となったと言える日が来るだろう。
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アフガンの呪い(記事No.33)

 今回のテーマ名は、少しおどろおどろしい題を付けてしまったが、本来はストレートに、「呪われたアフガニスタン」としたかったぐらいだ。しかし、いかに小さく始めた個人ブログとは言え、1つの国全体を呪われたと決めつけることには、ためらいも少しあり、デフォルメしたようなテーマ名とした。

 このところ連日、アフガニスタンに関連したニュースが流されている。タリバンは、一部地域を除き、国土の大半をその支配下に治めた。今後のタリバンによる統治がどうなるかは、1996年から2001年まで続いた、前回のタリバン統治を見れば明らかだろう。当時も今も、彼らはイスラム法の厳格な適用を公言しており、その通りに国内統治を行うだろう。どうして、彼らが米軍や有志連合諸国の情報機関が予測したよりも早く、国土の大半を制圧することができたのか。前政権が著しく腐敗しており、ガニ大統領を戴く国軍は、最初から徹底抗戦するつもりが無かったことが大きい。もう1つ見逃せないのが、恐らくは、アフガニスタン国民の多くもタリバンの復権を支持していることだろう。日本を含む自由主義圏のメディアは、抑圧に怯える女性の姿などをクローズアップし、国民の多くはタリバンによる恐怖政治を嫌っているとの視点で報道することが多い。しかし、これほど迅速にカブールまで無血開城させたのは、首都や一部地域を除き、民衆からの支持があったことが大きいと思われる。

 それにしても、アフガニスタンは近現代において、外国との戦争や内戦が繰り返されて来た国である。その理由は様々に言われて来た。古くから東西文明の交差点と言われて来たように、中央アジアに睨みを効かせるという地政学的な理由もあるだろう。イギリスが19世紀から20世紀にかけて、3度に渡りアフガニスタンに侵攻したのは、ロシアの南下を食い止めるために、保護国化を図ったからだとも言われている。1979年には、親ソ政権を支援するソ連が侵攻し、イスラム系ゲリラ組織と10年間に及ぶ戦いを繰り広げた。この時にアメリカが支援した反ソ連ゲリラ組織の中から、やがてタリバンが生まれたのは皮肉である。2001年にアメリカが、アルカイダに根拠地を提供しているという理由でアフガニスタン侵攻を開始した時、全土の90%近くを掌握していた。その後の20年に及ぶ戦争でもアメリカはタリバンを殲滅できず、結局は、流されたアフガニスタン国民とアメリカ兵らの血は、彼の国に平和と安定をもたらすことは無かった。

 アフガニスタンに戦火が絶えない理由は、地政学的理由や対テロ戦争の舞台とされたこと以外にもある。同国は、アヘンの原料である、ケシの世界最大の栽培国である。少し古いが、2018年の国連の報告では、推定6400トンのケシが生産され、約630億円の収益があったと見られるという。麻薬の生産過程は、ケシ→アヘン→モルヒネ→ヘロインとなるが、当然、精製が進むほど末端価格は高価になる。国連推計の約630億円というのは、、相当控えめな見積もりであろう。国際的麻薬流通ネットワークの中で、ゴールデン・トライアングルに並ぶ、世界最大の原料供給地であるアフガニスタンを押さえることは重要であろう。ベトナム戦争の時もそうであったが、アメリカ中央情報局(CIA)の秘密活動には、麻薬流通をコントロールすることが含まれていると言われている。この他、アフガニスタンを巡っては、希少鉱物資源の宝庫とも言われていることから、アメリカによる侵攻の、隠された動機の1つではないかとの推測もある。

 以上、アフガニスタンに戦乱が絶えない理由を挙げたが、これらは、政治的、経済的、軍事的カテゴリーに属することである。私たちは、もう1つのカテゴリーにも着目した方が良いだろう。それは霊的な理由である。これについては、旧約聖書に記録されている、イスラエル(ユダヤ人)の歴史が教訓となる。彼らが神に従って歩んでいた時、外敵を打ち破り国内には平和と繁栄があった。しかし、彼らが神に背いた歩みをしていた時は、彼らは外敵に敗北し、国内は不安定であり国は衰退した。最後は、2度に渡って外国の捕囚となり、国は滅亡した。現代においても、その原則は同じである。これをアフガニスタンに当てはめて考えると、麻薬の生産は、戦乱を招いている霊的理由の1つとなる。それは、仮に一部が医療用モルヒネとして供給されるとしても、大半は各国のマフィアなど裏社会によって流通させられ、多くの人々の人生を破滅させることと引き換えに巨額の利益を得る、悪魔のビジネスだからである。

 アフガニスタンには、もう1つ、戦乱という呪いを招く霊的理由が存在する。それは、権力者らによる児童に対する性的搾取である。ここ数年は日本のメディアでも報道されているが、現代でもアフガニスタンでは、男児を性奴隷とする、バチャ・バジ(バチャ・バーズィーと表記されることもある。)という古くからの習慣が現存している。この悪習の対象とされる不幸な子供たちは、幼児から思春期頃までの男児である。彼らは、誘拐されたり、騙されて連れて来られた子供たちであり、地域の権力者や警察幹部などによって所有され、踊り子などを兼ねた性奴隷として過酷な日々を送る。イスラム法では、未婚の男女が性的関係を持つことに対しては、軽くて鞭打ち、重刑となると石打により処刑となる。どう考えても、成人男女の合意の上での不品行よりも、児童を性奴隷にする方がはるかに悪質な戒律破りだと思うのだが、イスラム法では軽重の考え方が逆のようである。タリバンは表向きはバチャ・バジを禁止しているが、徹底的に根絶することまではして来なかった。このペドフィリアの悪習は、いつまで経ってもアフガニスタンに平和と繁栄が訪れない、霊的理由の1つであろう。

「見よ、わたしは今日、あなたたちの前に祝福と呪いを置く。あなたたちは、今日、わたしが命じるあなたたちの神、主の戒めに聞き従うならば祝福を、もし、あなたたちの神、主の戒めに聞き従わず、今日、わたしが命じる道をそれて、あなたたちとは無縁であった他の神々に従うならば、呪いを受ける」(申命記11:26–28・新共同訳)

 実は、ペドフィリアの問題は、アフガニスタンに限らず、先進国とされる国々を含めた、世界中に存在している。個々の幼児性愛者による犯罪だけでなく、支配者層を含めた、ネットワーク化された集団犯罪もある。当然のことながら、欧米諸国にも、この日本にも、そのようなペドフィリア・ネットワークが現存している。時折、被害者の勇気ある告発や末端の関係者が摘発されることなどで、その存在が垣間見えることがある。近年では、2016年にアメリカで明るみになったピザ・ゲート事件、2003年に日本で起きたプチ・エンジェル事件などが知られている。これまでのところでは、前者はトランプ支持の陰謀論者の妄想とされ、後者は発覚直後に自殺したとされる男の個人的犯行と片付けられた。もっとも、欧米諸国のペドフィリア・ネットワークが、悪魔崇拝者らの組織と重なっていることが多いのに対して、日本の場合は、どちらかと言うと、性的に倒錯した権力者らによる秘密の娯楽といった性格が強いものと推察される。

 今回は、重苦しいテーマを取り上げてしまったが、アフガニスタン政府崩壊の事態に接し、表層的な事象の背後には、しばしば霊的な問題が存在していることを書きたかったためである。これは何も、国家レベルの問題だけでなく、個人レベルの問題にも当てはまる。何でもかんでも霊的な理由や法則を見出そうとする必要は無いが、それらを全く考慮に入れないのでは、時に問題の本質を捉えることが出来なくなる。人生において何らかの問題に直面する時、神からの知識と知恵を祈り求めるなら、私たちは霊的な面も含めた、解決の道を見出すことが出来るのである。
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キリストに在る兄弟姉妹(記事No.32)

 今日は、記事No.24に書いた、大阪のM牧師が牧会する教会の日曜礼拝に夫婦で出席した。最後にM牧師ご夫妻とお会いしたのは2016年5月であったので、およそ5年3ヶ月ぶりの再会である。礼拝後は、教会堂に残ったメンバーの皆さんとも30分ほど話したが、楽しいひと時であった。その教会には、マーレーシアやベトナムから来た留学生も集っており、私も隣席に座っていた、その内の1人と話が弾んだ。その後は、徒歩30秒のM牧師宅に移動し、奥様の手料理をいただきながら、これまた楽しい時を過ごすことができた。時節柄、会話をするときにはマスクを装着するように気をつけながらであったが、良い親睦の時を持てたのは感謝であった。
「見よ、兄弟が和合して共におるのは いかに麗しく楽しいことであろう」(詩篇133:1 口語訳)

 キリスト教会では、クリスチャン同士、兄弟姉妹と呼び合うことがある。A兄弟、B姉妹と言う具合である。クリスチャンである人のことを言うとき、キリスト(主)に在る兄弟姉妹という表現を使うこともある。キリスト(主)を長子とする、神の家族という概念があるからである。あるいは、クリスチャンは皆、父なる神の子供であるからだ。この考え方は、全世界のクリスチャンに共通した考え方である。例外は、相手がクリスチャンと称していても、生きた信仰を持っているのか分からない場合である。このような場合には、特に相手の方から接近してきたような場合には、どのような人なのか、慎重に見極めることも必要となる。なぜなら、キリスト教を詐称する異端宗教が、クリスチャンを引き込もうと接近する場合もあるからである。中には、詐欺師など犯罪者が、相手を信用させようと、キリスト教を利用しようとする場合も無い訳ではないだろう。

 時には、お互い相手が真のクリスチャンかどうか見極めようとする場合もある訳だが、その関門を過ぎれば、キリストに在る兄弟姉妹となり、一挙に距離が縮まる。私も、日本国内のみならず、アメリカで、韓国で、中国で、ヨーロッパ諸国でと、異国で異民族の、初対面のクリスチャンと、親しい友人同士のように親睦の時を持った経験がある。アメリカ留学中には、ただクリスチャンであるという理由で、助けられたことがよくあった。韓国では、日本人のクリスチャンであるというだけで、初老の紳士から夕食をご馳走になった。フランスでは、もちろん事前の紹介を受けてだが、初対面の人の家庭に数日間ホームステイさせてもらった。しかし、特にメンバーの大半が白人の教会では、文化的な問題から、紹介や事前連絡無しで礼拝に出席するとあまり歓迎されない場合もあるのは事実だ。どうしても、同じ文化圏や言語圏の人々の方が接し易いということはあるにせよ、根本的なところでは、同じ神、同じ信仰、同じ聖書の教えを共有する兄弟姉妹である。
「もはや、ユダヤ人もギリシヤ人もなく、奴隷も自由人もなく、男も女もない。あなたがたは皆、キリスト・イエスにあって一つだからである」(ガラテヤ人への手紙3:28・口語訳)

 このように、人種、民族、出自、国籍、社会的立場などが異なる人々を、兄弟姉妹として結びつけるのが、同じ神に対する信仰である。ただし、残念なことに、歴史を振り返ると、キリスト教国とされる国々同士が戦火を交えたこともあった。中世から近代にかけてのヨーロッパでは、そのような戦争が繰り返されて来た。その中で、正戦論という、合法的な戦争のあり方を規定する理論が編み出されもした。歴史の教訓は、ひとたびナショナリズムが激しく刺激されるなら、宗教(教会)が政治的熱情を冷ますのは困難であると言うことだ。政治と宗教が密着している場合は、なおさらである。今なお、イスラム教諸国では、同じ神を信じる国や部族同士が戦うことがあるが、アメリカとロシアが将来そうならないという保証は無い。政治体制を異にする、中国と台湾では、それぞれの国のクリスチャンたちが、互いの国同士が戦うことが無いように祈っていると聞く。

 クリスチャンであっても、この地上では、イエスを信じて新しくされた霊の部分を除いては、罪の性質を有している。それゆえ、互いに争って、神を悲しませて来たのが人間の歴史である。だから私たちは、互いに愛し合いなさいというイエスの教えを、日頃より実践することを心がける必要がある。キリストに在る兄弟姉妹の親睦は、また、互いに愛し合い仕え合う良い機会でもある。
「わたしは、新しいいましめをあなたがたに与える、互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互に愛し合いなさい」(ヨハネによる福音書13:34・口語訳)
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食事を共にすること(記事No.31)

 度重なる緊急事態宣言の発令で、対象地域を中心に、国民生活の疲弊が続いている。経済的にも、打撃を受けている事業者や勤労者が増えている状況である。企業信用調査会社の帝国データバンクが8月19日に発表したところでは、新型コロナウイルス流行に関連した倒産が、昨年来の累計で1905件判明しているとのことだ。業種としては、飲食業、建設・工事業、ホテル・旅館業、食品卸業の順となっている。倒産形態としては、破産が1685件と多くを占めており、ある程度余力を残しての事業整理ではなく、ぎりぎりまで踏ん張って力尽きた事業者が多かったものと推測できる。

 営業時間の短縮に応じた飲食業者には、中小事業者の場合で1日当たり4万円から最大10万円が支給されることになっている。(東京都の場合)仮に、昨年の1日あたり売上高が10万円以下であったなら、1日4万円が支給されるはずである。4万円と言う金額は、オーナーが1人で切り盛りしているような、小規模店であれば十分かも知れない。しかし、駅近など賃料が比較的高いエリアに立地し、アルバイトを雇っているような店では、小規模店でも十分な金額とは言えないだろう。飲食店だけが補償を受けるのはおかしいという声もあるが、前述の帝国データバンクの発表にあるように、緊急事態宣言や蔓延防止等重点措置によって最も打撃を受けているのが飲食店である。

 飲食店の苦境は、同時に常連客を中心に、利用客が我慢を強いられていることでもある。感染予防のための工夫や、テイクアウトなど新たな販路の開拓は、飲食店側にも企業努力が必要な点ではある。しかし、全ての飲食店で、一律に営業時間制限や酒類提供制限を課すことはいかがなものであろうか?よく言われることだが、ウイルスは夜8時を過ぎると活発化する訳ではあるまい。あるいは、1人で食事をしながらビールを飲んだところで、直接的には感染リスクが高まる訳ではない。念のためであるが、私は酒を飲まないので、飲酒出来ないことへの恨み節では無い。様々な生活リズムがある中で、夕食難民になっている人も少なく無いのでは無いか。

 このように、今は家族や友人と外食をするのも、しばしば不便を感じるご時世である。特に、人恋しい性格の人にとっては厳しい状況であろう。かく言う私自身も、グルメというほどではないが、親しい人々と食事をするのを好む性質があるので、何かと物足りない今日この頃である。食事というのは、単に生命維持のために栄養を補給することではない。おいしいものを食べること自体が喜びであり、気の置けない人々と共に食事をするなら、なおさらそうである。実は、聖書の中にも、食事のことを記した箇所が多くある。私が学んだ神学校で旧約聖書を教えていた老教授が、新学期に彼の講座の履修生を昼食に招待した。私も招待された1人であったが、学内のカフェテリアでの昼食に、デザートは教授お手製のアイスクリームであった。

 老教授曰く、旧約聖書の時代には、食事には和解の意味が込められることがあったという。敵対していた者同士が和解した時、その証として、食事を共にすることがあったそうだ。言わば、信頼関係を結んだことの表れか。それはそうであろう。敵対者かも知れない相手と食事をするなら、食べ物に毒をもられて殺されるかも知れない。日本の戦国時代もそうであったと思うが、信用出来ない相手と食事するのは命懸けであったであろう。くだんの老教授は、自分がこれから教えようとする学生たちと、信頼関係を持っていることを示したのだ。それと同時に、聖書にある食事の記事が、神と人との和解を象徴していることを教えたかったのだと思う。

 「見よ、私は戸口に立って扉を叩いている。もし誰かが、私の声を聞いて扉を開くならば、私は中に入って、その人と共に食事をし、彼もまた私と共に食事をするであろう」(ヨハネの黙示録3:20・聖書協会共同訳)

 イエスは、当時のユダヤ社会では罪深いとされていたり、人々から忌み嫌われていた人々と、しばしば食事を共にされた。それは、食事を共にした彼らが、自分の罪を神の前に悔い改め、イエスとその教えを信じたからであった。イエスと食事を共にすることは、彼らが、イエスを通して神と和解したことを象徴していた。今日でも、それは同じである。現在この地上では、見える形でイエスと食事を共にすることはないが、霊の内にあって、それは可能である。自分と家族や親しい友人たちとの間に信頼関係があるならば、食事を共にすることは楽しく平和なひとときであろう。イエス・キリストとも、また同様である。
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横浜の命運はいかに(記事No.30)

822日は横浜市長選挙の投票日である。今回の選挙には、現職を含めて8人の候補者が立候補している。現職を除く7人の内、元国会議員が4人、内2人は知事経験者であり、前国務大臣もいる。政令指定都市とは言え、豪華な顔ぶれである。最大の争点は、巷間にはカジノを含むIR誘致の是非と言われているが、もちろん、重要なテーマはそれだけではない。財政再建、まちづくり、あるいは新型コロナ対策を含めた医療や福祉の問題もある。子育て世代にとっては、中学校の完全給食実施も大きな関心時であろう。

 

カジノ誘致の是非など、話題性がある選挙であるが、どれくらいの市民が実際に投票に行くだろうか?前回、2017年の横浜市長選挙の投票率は約37%であった。その前の2013年の選挙ではさらに低く、何と約29%であった。有権者の3割弱しか参加しなかった選挙は、もはや正当性が疑われるレベルではないかと思う。選挙に行かない人が言うセリフとして、誰がなっても同じだから、というものがある。選挙権があり、病気や家族の看護など投票所に行けない事情が特段無いにも関わらず、投票に行かないのであれば、どのような政治が行われたとしても、文句を言う資格はないだろう。何故なら、それは白紙委任をしたことを意味するからだ。

 

この社会では、政治に限らず、誰が上に立っても同じだと言うことはほとんど無いのではないか。子供時代から、○○先生の担任のクラスは良かったとか、△△先生の担任のクラスは最悪だったなどという話は、誰でもしたことがあるだろう。別に童心に帰らなくても分かる話だと思うのだが、何故政治の話になると、途端に誰がなっても同じになるのか、結局は民度の話に帰着するのであろうか。国も、自治体も、企業も、学校も、あらゆる人間の共同体において、上に立つ者次第で、その集団の命運が変わった話は枚挙にいとまが無い。横浜と同じ政令指定都市の首長について、印象に残っている話を1つ紹介したい。

 

話は20113月の東日本大震災と、その直後に起った福島第1原発事故に遡る。東北の被災地には、放射能に汚染された大量の瓦礫が発生した。その処理方法を巡っては、様々な案が出されたが、最終的に政府が決めた方針は、瓦礫の処理を全国の自治体に引き受けてもらうというものであった。放射性廃棄物レベルの汚染瓦礫を含んでいた以上、本来は、拡散させること無く、現地処理するのが鉄則であったはずだ。被災地の放射能汚染の実態を隠蔽するために、汚染物質を全国に拡散させようとの、環境省官僚あたりの発案ではなかったか。エントロピー増大の法則の悪用であろうか?この時、多くの自治体が震災瓦礫を引き受け焼却したが、そのことは、マスコミなどによって美談のように取り上げられた。だが、札幌市は違っていた。

 

当時の札幌市長は、弁護士出身の上田文雄氏であった。上田氏は、震災瓦礫を受け入れることを、きっぱりと拒否したが、その決断に対しては、札幌市民からだけでなく、全国から応援と批判の声が彼の元に寄せられた。201247日の北海道新聞のインタビューで、震災瓦礫を受け入れない理由をこう語っている。「受け入れないと判断したことが、後日歴史的に誤りだったと評価されても、市民の安全は守られ、私が批判されれば済みます。受け入れて間違いだったと分かるときは、市民に被害が出ている。私にはそれは耐え難いのです」私は、上田氏の判断は正しかったと思う。震災瓦礫を受け入れた自治体の住民にどのような健康被害が出ているのかは、政府も当該自治体もその種の調査をしていない(あるいは密かに実施していても公開しない)以上、これまでのところでは断定的なことは言えない。しかし、少なくとも、札幌市民には被害が出ていないことは断言できるであろう。ある人が、上田市長と震災瓦礫を受け入れた他の首長の判断とを対比して言った、「この世は、トップの考え方で、天国にも地獄にもなる」

 

「正しい者が権力を得れば民は喜び、悪しき者が治めるとき、民はうめき苦しむ」(箴言292・口語訳)

 

 この記事を読んで下さっている方々の中には、横浜市民もおられるだろう。釈迦に説法かも知れないが、市長は誰がなっても同じではない。私には横浜市の選挙権は無い訳で、その意味では部外者であり、高説を垂れる資格は無い。しかし、中学高校と横浜市内の学校に通い、馴染みのある好きな街である。その街が、衰退し変質して行くとすれば残念だ。横浜市民の皆さんには、守るべき人を間違えない候補者に1票を投じていただけるよう、お願いする次第である。

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荒地に川が(記事No.29)

 アフガニスタンにおいて、タリバンが全土をほぼ制圧し、政権を奪取した。軍は本格的な戦闘を回避し、ガニ大統領は国外に脱出した。米国大使館員らは、最後は大使館から米軍ヘリコプターで脱出し、ベトナム戦争におけるサイゴン陥落を彷彿させた。2001年9月11日の同時偽テロ事件の報復として同年10月に米英軍が侵攻を開始して以来、約20年が経ったが、米国を中心とした有志連合諸国は、結局アフガニスタンを民主制を定着させ安定化を実現することは出来なかった。この間、米国だけで、戦費とアフガニスタン政府支援で1兆ドル以上を支出したという。また、米軍だけで、2,300人以上が戦死している。

 20年に及ぶ戦争は、アフガニスタン国民にも米国民にも、損害を与えることはあっても、ほとんど利益はもたらさなかったと言えるだろう。利益を受けたのは、腐敗したアフガニスタン政府と、米国などの軍需企業や彼らにスポンサードされた政治家たちか。だが、最大の受益者は、何と言っても、戦争関連企業だったのではないだろうか。イラク戦争や湾岸戦争、さらに遡れば、ベトナム戦争や朝鮮戦争も同じ構造であったし、2次に渡る世界大戦もそうであったろう。軍産複合体、ネオコン、ディープステイトなど様々な通称で呼ばれる彼らだが、いつの時代も、表に出る顔ぶれこそ入れ替わっても、本質は変わらない者たちのことである。彼らにとっては、流された夥しいアフガニスタン人の血も、米軍兵士の犠牲も、巨額の利益の前には考慮に値しない、統計的数値に過ぎないのであろう。いやむしろ、人口削減のメリットもあると考えていたのかも知れない。つくづく、冷血な連中である。

 今後のアフガニスタン統治について、タリバンは、強固なイスラム政権を築くと表明している。イスラム法が厳格に適用される、特に女性にとっては、息苦しい社会に逆戻りする可能性が高い。イスラム教の戒律に反した人々には、厳しい制裁が課せられることになるが、異教徒の私としては、もう少し愛のある社会を目指して欲しいとも思ってしまう。これまでアフガニスタンには縁が無く、生まれてこの方、1人のアフガニスタン人とも話したことがない私であるが、20年前の戦争開始以来、多少の関心は持って来た。そのなかで、最も強く印象に残っているのが、2019年12月に現地で射殺された、中村哲氏のことである。

 1946年に福岡で生まれた中村氏は、西南学院中学在学中に、キリストを個人的に受け入れクリスチャンとなった。九州大学医学部を卒業後、病院勤務を経て、1984年から、日本キリスト教海外医療協力会(JOCS)より派遣され、パキスタンおよびアフガニスタンで、20年以上医療活動に従事した。中村氏は、JOCSからネパール派遣されていた、岩村昇氏から多大な影響を受けたと言われている。1980年代前半のことであったが、当時私が所属していた、横浜市内にあったバプテスト教会の日曜礼拝の特別講師として、岩村氏が来られたっことがあった。説教の内容は覚えていないのだが、1つだけ、岩村氏が涙を流しながら語られた言葉が今も脳裏から離れない。「日本は滅びます。」その言葉を聞いた時、私も不意に涙を流してしまったのだ。長年ネパールの地にあって、経済的利益や名声を得るためでなく、現地の人々のために、無医村地区での医療奉仕活動を続けて来た岩村氏の目には、日本人が大切なものを見失っているように映ったのであろう。熱情溢れる岩村氏から感化された中村氏もまた、熱いハートの持ち主であったと思う。

 最初にアフガニスタンへ赴いてから、診療所などでの医療活動を続けていた中村氏であったが、その後、干ばつによる餓えと乾きで苦しむ人々に接するなかで、彼らの健康と生活のために水を確保することが重要であると、独学で土木を学び自ら井戸を掘り始めた。さらに2003年からは、用水路の建設も始めた。その後、中村氏の活動基盤である、ペシャワール会の日本人スタッフが殺害されるなどの危機にも見舞われた。しかしついに、2010年、それまで何ひとつ草木が生えないと言われ、死の谷とも称されたガンベリ砂漠に、全長25.5キロのマルワリード用水路が完成した。中村氏と彼が率いる数百名の現地作業員らが、約7年の歳月をかけて作り上げたこの用水路は、毎秒6トンの水を農業用水や家庭用水として供給している。かつての岩砂漠は、1万6千ヘクタールの緑の大地に甦り、65万人の人々に恩恵をもたらしている。

 このように、偉大な働きを成し遂げた中村氏であったが、彼を動かした原動力は何であったのか?「天、共に在り」という彼の著作を読んだことがある。そこには、こう記されている。「『天、共に在り』。それは人間内部にもあって生命の営みを律する厳然たる摂理であり、恵みである。科学や経済、医学や農業、あらゆる人の営みが、自然と人、人と人との和解を探る以外、我々が生き延びる道はないであろう。それがまっとうな文明だと信じている。」

 「天、共に在り」とは、クリスチャンであった中村氏にとって、「神、共に在り」のことであった。中村氏の使命感も、また熱情と行動力も、神に与えられた愛に根ざしていたと信じることができる。それが、彼の最大の原動力であったと思う。何故なら、神が常に彼と共におられたからである。 


「野の獣はわたしをあがめ、山犬および、だちょうもわたしをあがめる。わたしが荒野に水をいだし、さばくに川を流れさせて、わたしの選んだ民に飲ませるからだ。」(イザヤ書43:20・口語訳)
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カルトに注意!(記事No.28)

 数日前、一時期東京都内の同じ教会にいた70歳くらいの女性から携帯電話に連絡があった。最後に話したのは10年以上前だったので、何事かと思い聞くと、妻の携帯電話にかけたがつながらなかったので、私の方にかけたということだった。後でかけ直して欲しいと伝え、一旦電話を切った。実は、彼女は10年前に、妻をキリスト教系カルトの疑いがあるグループの学びに誘おうとしたことがあり、それ以来交流していなかったのだ。結局、話の内容に不審な点があったので、妻の意向も確認した上で、お構いなくとのメッセージを送ったところ、分かりましたとの返信があった。今もカルトグループの中に留まっているなら気の毒ではあるが、現時点では、私はカルトからの救出活動に従事する使命も受けておらず、積極的に関わって時間や労力を費やすのはかなわない、という思いもあった。

 残念なことではあるが、キリスト教を標榜する宗教団体の中にも、カルトに該当するようなグループがいくつも存在している。カルトの概念としては、洗脳、欺瞞、脅迫などの手法で信者の思考能力と自由意志を奪い、組織や指導者へ従属させようとする団体という理解で良いだろう。カルトは宗教団体を名乗っているとは限らない。自己啓発セミナーや心理カウンセリング、占いなどを通して人々にアプローチすることもある。政治団体と密接なつながりを有するケースもある。ある団体がカルトであるか否かを見分けるには、団体の名称など外的なことよりも、何をどのように実践しているか、中身で判断することが必要であろう。

 カルトに取り込まれてしまうと、家族や友人などとの人間関係が破壊されることも少なくなく、また、人生の貴重な時間や財産を浪費させられてしまう。仮に抜け出すことが出来たとしても、精神的ダメージが癒やされるには時間がかかる場合も多い。

「このように、あなたがたはその実によって彼らを見分けるのである。」(マタイによる福音書 7:20・口語訳)

 そこで、本ブログの読者の皆さんのため、カルトかどうかを見分けるポイントを挙げようと思う。以下は、キリスト教を名乗るカルトを想定した、見分けのポイントであるが、仏教や神道などを標榜するカルトについても、一部準用可能だと思う。是非参考にしていただきたい。

  1. イエス・キリストの十字架は失敗だった、あるいは不完全であったと言う。
  2. 教祖自身が、救世主(メシア)あるいは再臨主であると主張する。
  3. 聖書と同格あるいはそれ以上の権威を持たせた教典を有する。
  4. グループ外のクリスチャンとの交流を制限し人間関係を管理する。
  5. 献金や寄進を強要し金額を信仰のバロメーターとする。
  6. 宗教活動への参加を強要し個人の時間を管理する。
  7. 個人的秘密をリーダーに対して告白させようとする。
                 
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死して屍拾う者なし(記事No.27)

私が小学生から中学生にかけてよく観たテレビドラマの中で、「大江戸大捜査網」という時代劇があった。幕府の隠密同心が、極悪人らを相手に活躍する設定である。劇中に流れるナレーションで、今でも覚えているものがある。「死して屍拾う者なし」というそれである。日陰にあって治安を守る、末端の幕臣である隠密同心らが、任務遂行中に死んでも一切顧みられないという非情な掟に、理不尽さを感じたものである。

 

ドラマの中だけの話であるなら、別に構わないが、それが今も現実としてあるならどうであろう。今なお未収容の、アジア各地と一部国内に残置されている戦没者らの遺骨のことである。満州事変以来の15年戦争における日本人戦没者数は、軍人・軍属230万人、民間人80万人以上の、合計310万人以上とされている。この内、大半が海外の、約113万人の遺骨が未収容である。海没し収容困難な遺骨が約30万人と言われているので、残りは約83万人である。遺骨収集作業は、地道に続けられてはいるものの、これまでのペースでは、到底未帰還戦没者多数の遺骨収容は不可能であろう。

 

この事実は、靖国神社をめぐる状況とは対照的である。毎年のことであるが、終戦記念日とその前後には、現職閣僚を含め多くの人々が靖国神社に参拝する。これまでの国家的戦没者追悼のあり方に関する議論の中でも、常に靖国神社の名が挙げられて来た。これに対して、戦没者の遺骨収容の話になると、何故か議論のトーンが盛り上がらないようにも感じる。米国の場合、国防総省に置かれている戦争行方不明者捜索・遺骨収集専門組織には、DNA鑑定の専門家や歯科医などを含めた約400名のスタッフが勤務しているが、日本の場合は同様の常設機関の存在は確認できなかった。厚生労働省が発表した令和3年度戦没者遺骨収集計画によれば、東南アジアや太平洋島嶼部を中心に58班(1班約5名)の調査団と、18班(1班約10名)の遺骨収集団を派遣するとのことである。地味な働きのようではあるが、国家として、戦没者とその遺族らに対する責任を果たすための重要な事業である。

 

「モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、『神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように』と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。」(出エジプト記1319・新共同訳)

 

 これまでの、靖国神社と戦没者遺骨のそれぞれに関する国民の関心や政治家らの動きを見る限り、日本人の死者に対する敬意の持ち方に一貫性が無いようにも思える。例えば、釈迦の遺骨は、小片であっても仏舎利塔に恭しく祀られている。仏教の開祖であり、宗教的偉人だからである。なのに何故、国家における偉人であり、英霊とも称される戦没者の遺骨は、戦後76年が過ぎても、なお80有余万柱が未収容であるのか。戦争時の国家元首であり軍を統帥する大元帥であった、昭和天皇の亡骸は、陵墓に丁重に葬られているが、多くの戦没者の遺骨は、異国の山野に今なお残置されたままである。これらが多くの日本人にとって矛盾無く受け入れられている理由の1つに、私は、国家神道の影響があるのではと考えている。約70年間の国家神道体制は、日本人の死者に対する考え方や行動にも影響を及ぼして来たのは疑いない。

 

 戦時中に親しまれた、「海ゆかば」という軍歌がある。「海ゆかば 水漬く屍 山ゆかば 草むす屍」と歌われる、その美しくも悲壮感漂う旋律は、まさに名曲と言えるだろう。歌詞は大伴家持の長歌であるが、「水漬く屍」、「草むす屍」とあるように、異国の地で亡骸が朽ちて行くことも、日本人の深層心理に、仕方のないことと刷り込まれたのであろうか?ちなみに、作曲者である信時潔は、牧師の父を持つクリスチャンであったが、敗戦後は、自分の作曲した軍歌が軍国主義に利用されたことを恥じて、あまり積極的な作曲活動はしなかったとも言われている。「死して屍拾う者なし」は、ドラマの中だけでもう十分である。

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靖国神社について(記事No.26)

今年も終戦記念日には、多くの人々が靖国神社に参拝するであろう。その中には、集団で参拝する政治家らも含まれている。もちろん、靖国神社に参拝するもしないも、それぞれの自由である。また、参拝したい人は、神社の施設管理上の決まりを遵守する限り、いつ参拝するのも自由である。現在の日本には幸い信教の自由があるので、誰も他の人々の信条や宗教的行動に干渉してはならない。例外は、その行動が他人に害を及ぼすことが明らかな場合と、公職者の公務中の行動である。ゆえに、今回の記事では、公職者の参拝の是非に絞って書いてみたい。併せて、国家としての戦没者追悼のあり方についても、少し考察したい。

 

まず、おさらいであるが、靖国神社とはどのような神社であるのか。法的には、神道系の単立宗教法人である。憲法の規定により、国から他の宗教法人と異なる特別の地位を与えられている訳では無い。宗教法人一般としての、免税特権などの配慮は受けている。敗戦前は、そうではなかった。陸海軍が祭事を統括する神社として、文字通り国家護持されていた。靖国神社の起源は、明治天皇により1869(明治2)年に創建された、東京招魂社に始まる。東京招魂社とは、戊辰戦争の官軍側戦没者を祀った神社である。1879(明治12))には、靖国神社に改称され、別格官幣大社とされた。創建以来、国内外の戦争において軍務(公務)に従事し死亡した人々が祀られて来た。敗戦後は、占領軍の方針(神道指令)により、全ての神社が国家の統制下から分離され、靖国神社も1946(昭和21)年に、東京都知事認証の宗教法人となり現在に至る。

 

その創建以来の由来がどうであれ、現在は一宗教法人としての神社である以上、最初に述べたように、誰がいつ参拝しようが、あるいは、参拝しまいが自由のはずである。しかしながら、内閣総理大臣を筆頭に、公職者、特に政治家の参拝は議論を呼んで来た。逆に、一部には、日本の政治家であるのに参拝しないのは何故かという意見が出ることもある。一方は、もはや靖国神社は国家にとって特別な関係を有してはいないと考え、もう一方は、今なお靖国神社は、法的な位置付けがどうであれ、国家と特別な関係を保持していると考える。あるいは、一方は、公職者の参拝は自由意志で判断すべきと考え、もう一方は、参拝は公職にある者の務めではないかとする。片や政教分離や信教の自由という面からのアプローチであり、片や日本人の心情や英霊に対する務めという思いからの訴えである。双方の話が噛み合わないのも当然であろう。

 

ここで、私自身の考えを明らかにしたい。結論から言えば、私は公職者が公務中に靖国神社を参拝することには反対である。その理由は、大きく分けて2つある。1つは、靖国神社と日本国家との特別な関係は、遅くとも1946年までには終了しているからである。公職者が公務中に参拝することは、国家との特別な関係が継続していることを主張するに等しい。私たちは、国家神道の愚を繰り返してはならない。神道が習俗としての一面を有しているからといって、事実上の国家宗教に位置付けるのは間違っている。もう1つは、それが国益に反しているからである。こう言うと、中国や韓国の批判を恐れて媚を売るのかと早合点する人もいるかも知れない。そうではなく、同盟国である米国を含めた、国際社会からの信頼を失うだけでなく、諸外国から疑念を抱かれることにもなるからである。それは、何の疑念か。大日本帝国を復活させようとしているのではないか、との疑念である。

 

 私たちは、日頃それを意識することは無いに等しいが、日本は現在も、国連憲章が規定する敵国条項の対象国である。細かい法律解釈は他に譲るが、理論上は、日本が大日本帝国を実質的に再現しようとした場合には、例えば中国やロシアなどが、日本に軍事的制裁を加えることも合法である。さらに言えば、現在同盟国である米国もその権利を有している。201310月には、来日中の米国ケリー国務長官とヘーゲル国防長官(いずれも当時)が、揃って千鳥ヶ淵戦没者墓苑を訪問し、献花を行った。その時同行した米国国防総省高官のコメントは、「千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、米国アーリントン国立墓地(戦没者墓地)に最も近い存在である。」と言うものであった。大日本帝国への憧憬を垣間見せる安倍首相(当時)に対する牽制とも捉えられたものの、安倍政権の受け止め方は違っていたようで、同年12月に安倍首相は靖国神社参拝を行った。米国政府は直ちに反応し、駐日大使館より、失望しているとの表明があった。公職者、特に首相や閣僚などの高位公職者による公務中の靖国神社参拝は、周辺諸国のみならず、米国の警戒心を高めることにもつながるなど、明らかに国益に反する行為であると考えられる。自ら周辺の仮想敵国を含めた他国につけ入る隙を与え、不穏な空気を醸成することは、知恵ある行いでは無いだろう。

 

「主が安らぎを与えられたので、その時代この地は平穏で戦争がなかった。そこで彼は、ユダに砦の町を次々と築いた。」(歴代誌下145・新共同訳)

 

 それでは、国家としての戦没者追悼はどうあるべきか。戦争の勝者も敗者も、国のために戦い命を捧げた将兵らを、国家的に追悼する権利と義務を有していることは疑いない。他国の侵略に対する防衛戦争の犠牲者だけでなく、その戦争が後世の人々から侵略戦争であったと受け止められていたとしも、それとこれとは話が別である。国家の命令として将兵を戦場に赴かせ、犠牲を受け入れさせたのであれば、その死に対して国家が責任を負うのは当然のことである。国家の責任とは、遺族の生活を援護することだけでなく、戦没者の遺体を回収して丁重に埋葬し、その忠誠と犠牲とを顕彰し、国がある限り追悼することを含む。日本にも、そのための国立戦没者墓地が必要である。以前より千鳥ヶ淵戦没者墓苑を拡充するという案もあるが、国家の中央戦没者追悼施設という性格を明確にするためにも、より広い敷地や付属施設を含めて新規に整備する方が望ましいと思う。例えば、立川市にある、国営昭和記念公園の北側を整備するのも一案であろう。

 

 このように、日本が国家的戦没者追悼施設とすべきところは、靖国神社ではなく、新たに設置される国立戦没者墓地であるべきだ。千鳥ヶ淵戦没者墓苑は、それまでの暫定的施設という位置付けでどうであろうか?諸外国の戦没者追悼施設は、いずれも国軍儀仗兵によって警護されているが、日本も当然そうすべきで、現時点では自衛隊儀仗部隊を置いて警護と儀仗の任に当たらせるべきである。そして、国家の責務として、毎年首相以下全閣僚と国会の正副議長らが、公式墓参するのが当然であろう。小記事の最後に、日本のために命を捧げた全ての戦没者に対して追悼の意を表したい。願わくは、神がそれらの諸霊に憐れみを置いてくださるように。

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日航機墜落事故の真実とは(記事No.25)

 この話は本ブログの記事として取り上げるかどうか迷ったが、日本という国家の本質をよく表している事故(あるいは事件)であるので、少し書いてみたい。記事の題名にもあるように、1985年8月12日に発生した、日航機墜落事故のことである。この事故では、乗客乗員520名(胎児を含めれば521名とも聞く)が犠牲となった。犠牲者の中には、国民的人気歌手であった、坂本九氏が含まれていたことでも知られている。生存者は、4名の女性だけであった。

 事故の原因は、墜落した日航123便の機体である、ボーイング747型機の修理ミスによる金属疲労が原因で、飛行中に圧力隔壁が破壊されたことであると公表されている。しかしながら、運輸省航空事故調査委員会(当時)によるこの結論には、事故から36年経った今でも疑問や批判が少なくない。事故原因を巡っては、公式説と異なる様々な説が唱えられており、その中には明らかに荒唐無稽の説もあるが、傾聴に値する説もある。運輸省が1999年に、保存期間が終わったとの理由で調査資料を大量に廃棄したことも、真相解明を阻んでいるとの批判を浴びた。墜落に至る経緯の中で、公式説明では解明されていない事実もある。少なくとも、事故原因についての異説を一括りに陰謀論と決め付けることは、決して正しい態度では無いだろう。

 日航機墜落事故については、それを題材にした多くの本も書かれており、いくつかの映画もある。有名なところでは、山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」と、同名の若松節朗監督、渡辺謙主演の映画だろう。映画では、「クライマーズ・ハイ」という題名の、原田眞人監督、堤真一主演のものもあり、私は両方とも観た。その他にも、「御巣鷹山」と言う題名の、渡辺文樹監督のマイナー系映画もあるが、こちらの方は観ていない。ノンフィクションとしての本も何冊か読んだが、お勧めは、青山透子のシリーズである。当時日本航空のスチュワーデスであった青山氏は、123便の事故で親しい同僚らを失ったことから、真相究明を決意し、やがて日航を退職して、事故の調査と問題提起に半生を費やして来た。彼女はこれまで、現地調査を含めたフィールドワーク、多くの目撃者や関係者らへのインタビュー、科学的な検証など、優れた調査ジャーナリストと言っても過言では無いほどのリサーチを続けて来た。

 こうした青山氏のような民間人の真相究明への熱意と努力に比べて、政府や日本航空の方は、既に調査は終了し結論ははっきりしており、調査結果の多角的な検証や再調査は必要無いとの立場である。仮に事故原因が公式調査の結論通りだったとしても、なお究明されていない点が多く残るが、それらについては調査する気が無いわけで、はっきり言えば、臭いものに蓋ということである。しかしながら、推測ではなく、事実として明らかになっている点に絞っても、いくつも疑問点がある。飛行中の機内から乗客の1人が撮影したフィルムには、機体方向に向かって飛ぶオレンジ色の円筒状物体が写っていたが、この物体が何であったのかは解明されていない。内陸部での目撃証言も多数あり、自衛隊戦闘機と見られる2機のジェット機が上空で事故機を追尾していたとの話も出ている。墜落発生から約20分後には、米空軍のC−130輸送機が現場を視認しており、連絡を受けて厚木基地から救難ヘリコプターが向かった。21時頃までに救難ヘリコプターは現場上空に達し救難員が地上降下を試みようとしたが、直後に基地からの日本側が向かっているとの理由による帰還命令が出て帰投している。この辺りの詳細な話は、1995年8月27日付米軍準機関紙星条旗新聞に記事が掲載された。

 墜落後の救難活動でも、おかしな点がいくつもあった。米軍からの連絡により、現場の位置が早くから特定されていたはずであり、地上の目撃者からの通報も複数寄せられていたにも関わらず、自衛隊や警察による墜落位置の発表は二転三転し、最初の救助隊が現地に到着したのは、翌朝9時近くになってからであった。迅速に救難活動にあたるべきところ、なぜ時間稼ぎのようなことがあったのか。また、付近住民の中には、既に深夜には、自衛隊員らしき一団が、現場に向かって徒歩で山道を移動しているのを目撃した人もいる。いち早く現場に到着していたであろう彼らは、そこで何をしていたのだろうか?前述の青山氏ら、優れた調査結果をまとめた情報を総合すれば、恐らくは自衛隊員であったであろう彼らは、救助隊到着前に何らかの証拠隠滅作業をしていた可能性が高い。それは、事故機の残骸に付着した、自衛隊あるいは米軍の誤射による、空対空ミサイルあるいは訓練用標的機の証拠だったのであろうか?物的証拠のみならず、生体証拠までも隠滅対象に含まれていたということは無かったのだろうか?

「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されている者で知られずに済むものはないからである。」(マタイによる福音書 10:26・新共同訳)

 墜落事故の真相を隠蔽しようとした者たちは、現場で動いた者たちも含めて、当然重大な責任がある。中でも最大の責任を負うべき者は、当時の首相であり、自衛隊の最高指揮官でもあった中曽根康弘氏である。彼はついに真相を語ることなくこの世を去ったが、国政の最高責任者を務めた者としては、日本国家と国民に対する責任を果たすことなく、文字通り墓場まで秘密を持って行ったといえよう。日本人の考え方として、死んだら皆仏であり、死人に鞭打つことをしてはならない、ということが言われる。どれほどの人が本当にそう考えているのかは分からないが、少なくとも、公職者であった人物については、その死後も在職中の業績や言行を検証し、批判も含めて評価するべきであろう。そうでなければ、いつまでも為政者らは、自分たちに不都合な事実を徹底的に隠蔽しようとする。私たち国民も、私たちが選んでいるはずの為政者らも、全てを見ておられる神を畏れるべきであろう。
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聖霊と神の力の証明(記事No.24)

 昨日の午後、外出中に思いもかけず、大阪のM牧師より携帯電話に連絡をいただき、2年ぶりくらいであったが、会話が弾んだ。私がM牧師と出会ったのは、30年ほど前のことである。当時、私は神学部のインターン研修を受けることになっていたが、母国である日本の教会で受けたいと願い出て承諾を得、一時帰国していたところであった。その3年くらい前、九州からM牧師が東京に来られ、教会開拓を始められたことを聞いていたので、是非そこでインターン研修を受けたいと思っていた。三鷹にあったM牧師の教会を訪ね、直接お願いしたところ快諾を得、それから5ヶ月間ほど、教会奉仕者見習いのような形で通うことになった。

 その当時、その三鷹の教会には、数十名の教会員の内、20代の青年たちだけでも10数人くらい集っていただろうか。ほとんどの青年たちは、日本の霊的復興(リバイバル)の日が近いことを信じ、熱心に教会活動に励んでいた。キリストに在る兄弟姉妹としての親睦にも皆積極的で、神に仕えることについて共に熱く語り合った。その5ヶ月間、私は昼間は求人情報会社の営業アルバイトとして書店やコンビニなどを回り、平日の夜には週2日ほど中野にあった神学校の講座を受講し、水曜日夜は教会の祈祷会、日曜日は朝から晩まで教会の礼拝や各種活動に励んでいた。朝から晩まで神奈川から東京を飛び回っていたが、それなりに情熱を燃やしていたこともあり、濃厚な毎日に、ほとんど疲れは感じなかった。

 M牧師は九州から来られたと書いたが、福岡県内にあるアメリカ人宣教師が開拓した教会で信仰を持った同師は、横浜にあった神学校を出た後出身教会に戻り牧師に任命され、やがて主任牧師として宣教師の後を継がれた。その後、1980年代に入ってから、その教会に大きな霊的ブレイクスルーがあり、数年の内に各地の枝教会を含めて数千人の会衆を擁する、国内プロテスタント教会有数の大教会に成長した。M牧師が東京に来られたのは、東京進出とも言うべき、首都における新教会の開拓のためであった。私が5ヶ月間集っていたのは、そのような背景のもと、教会に活気が溢れていた時期であった。M牧師は自信と活力に漲っていたように見えたのだが、後から聞いたところでは、九州を中心とした各地のグループ教会牧師たちとの関係が、次第に悪化していたのだった。そのこともよく知らなかった私は、M牧師から語られる力強い聖書のメッセージと、神の霊の働きによる奇蹟の体験談(証とも言う)に刺激を受け、自分もいつの日か、同様の力ある働きをしたいと夢描いていた。

 長い話を短くすると、その後M牧師は大阪に移られ、そこで始めた教会で、80歳近い現在も牧師の働きを継続しておられる。出会ってから30年の年月が過ぎたが、この間それぞれに多くの困難と試練を通り抜け、また有益な学びの数々を経て、M牧師も私も大きく変わった。M牧師が今でも私の師であることに変わりはないが、若輩者の私に対しても、上から目線ではなく、主キリストに在る兄弟としてのリスペクトを持って接してくださるのだ。M牧師と同様、かつては私も、神の霊(聖霊)の力の現れとしての、奇蹟を伴う宣教を熱心に追い求めた。特に、癒しの奇蹟の働きには、ある意味で憧れていたような部分があった。そんな、動機が純粋かどうか怪しかった私にさえも、神は、その奇蹟の業をしばしば現してくださった。今でも聖霊による奇蹟は信じているし、癒しの祈りをするときも、聖書の約束に対する確信を持って祈る。そして、神は祈りに応えてくださる。

「そして、私のことばと私の宣教は、説得力のある知恵のことばによるものでなく、御霊と御力の現れによるものでした。」(コリント人への手紙第一 2:4・新改訳)

 しかし、かつてと違っているところもある。かつての私にとって、偉大なる神の働きというのは、大教会を建て上げることであり、大会衆を獲得することに等しかった。しるしと不思議、癒しと解放、奇蹟等の言葉が心地よく響いた。そのような私であったが、30年という年月と、その間の様々な経験と学びが、宣教についての考え方を大きく変えた。今私にとっての宣教とは、私自身がキリストをより深く知ることであり、また、私を通して、人々がキリストに出会い、神の愛に触れ、その恵みの中に導き入れられることである。それこそが、聖霊と神の力の証明だと思う。教会の人数が重要なのではないし、まして、教会堂の大きさなどは何の意味も無い。それどころか、教会堂の有無も本質的に問題では無い。

 思えば、M牧師と私は、30年前の一時期を除き、それぞれ置かれていた場所は違っていたが、同時並行的に神からの取り扱いを受け、結果的に、細部はともかく、同じような悟りを得るに至ったと言える。私が言うのもおこがましいが、その意味で、ご縁があったと思う。喜ばしいことに、かつて三鷹の教会に集った仲間たちの多くも、同様に神の導きの内に変えられていると聞く。M牧師の牧会する大阪の教会は、京都からもそう遠くはない。新型コロナウイルスの流行で、招かれない限りは他教会を訪問することは控えていたが、今度お邪魔してもいいですかと聞いたところ、大歓迎とのお話である。積もる話が山ほどある。M牧師ご夫妻との再会が、今から楽しみである。
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感謝の力(記事No.23)

 もう何十年も昔の高校生の時のことだが、級友の一人の口癖が、「何か面白いことない?」というものだった。彼の口癖はもう1つあり、「ああ、金が欲しい〜。」とよく言っていた。今から思えば、いつもフラストレーションを抱えていたのだと思う。なぜ、こんなことを何十年ぶりかに思い出したのかと言えば、多くの人々が今同様の呟きをしていると思えるからだ。面白いことが無いというのは、裏を返せば、つまらないことが多いということであろう。金が欲しいということは、自分がやりたいことが出来ない原因の多くの部分が、お金の問題だからであろう。お金が欲しいのは私を含めて大半の人々が思っていることだが、人生が面白くないか否かは心の態度が大きく影響する。

 そうは言っても、人生は面白いことばかりで無いことは、そのとおりである。人の悩みの多くは人間関係にまつわることだと思うが、自分で普通に生きているつもりでも、なぜか周囲に面倒臭い人がいたりする。もっとも、自分が苦手に感じる人は、相手も自分のことを苦手に感じているとは、よく言われていることである。面白く無いのは、何も人間関係ばかりではない。私も、世の中で現在進行中の出来事に対して、しょっちゅう怒りや憤りを覚えている。そうなると、つい話が否定的な方向に展開してしまい、家族に呆れられることもしばしばである。特に最近は、コロナワクチンの接種キャンペーンに対して、その立案者らや、大半が使いパシリであろうが、推進者らには憤りを禁じ得ない。彼らの三百代言とは、リスクはアリバイ程度に触れ、ベネフィット(あればだが)は目一杯誇大に強調して、粉飾と欺瞞に満ちた醜悪なものである。このような時代に生きている私たちとしては、心に平安を持ち、精神のバランスを保つ方法を知っておいた方が良いだろう。その答えもまた、聖書の中に見出すことができる。

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべてのことにおいて感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」(テサロニケ人への手紙第一 5:16-18・新改訳)

 神は私たちに、いつも喜んでいること、絶えず祈ること、全てのことに感謝することを望んでおられるという。どうすれば、それが可能になるのか?先に挙げた聖句に答えが含まれている。そこには、「キリスト・イエスにあって」とあるが、これは、キリストが父なる神に対する仲介者として、私たちをそのようにしてくださるという意味である。私たちが、イエス・キリストの名で父なる神に祈るとき、私たちの内に、天からの喜びと平安がやって来る。また、祈りと感謝は、私たち自身だけでなく、私たちの周囲の環境や状況を変化させる力を持つ。そのことに関する数多くの体験談を聞いたことがあるが、もちろん、私自身も幾度となく体験していることである。ここでは、あまり重い話では無く、かつ直ちに効果を得た、私の体験談を1つ書きたい。

 私が、前の勤務先で働いていた時のことである。出張で沖縄に行ったのだが、日曜日は仕事が休みだったので、以前に観光旅行の時に訪問したことがある、教会の日曜礼拝に出席することにした。あらかじめ電話して確認すれば良かったのだが、教会に着いたところ、その建物には張り紙がしてあり、新会堂建築のため一時的に移転したとのことであった。すぐにバスで移転先に向かったのだが、最寄りのバス停で降りたところ、礼拝会場となっていた何とか会館は、集落から随分と離れた丘の上に見えた。これはもう礼拝開始時間には間に合わないと一瞬落ち込んだが、すぐに、このことも感謝すべきだと思い直し、誰も歩いておらず車も通っていない道を歩きながら、一人で賛美の歌を口ずさんだ。歌い始めてから数十秒後、後ろに車の音が聞こえたので振り返ると、全く期待もしていなかった空車のタクシーが近づいて来た。すぐに手を挙げて乗車し、無事礼拝に出席することが出来た。感謝の力を体験したエピソードの1つである。

 全てのことに感謝するのが良いとは言っても、いきなり、感謝できないと思えることに感謝するというのは、ややハードルが高く感じるかもしれない。そのような場合には、感謝できることから感謝してみていただきたい。生かされていることに感謝、食事ができることに感謝、あるいは、家族や友人がいることに感謝でもいい。少しづつでも感謝することを意識して実践すれば、やがてそれが習慣となる。そして、習慣となったことは、いずれあなたの性質となり、人格の一部となる。あなたの心の内には、喜びと平安が留まるようになり、あなたは感謝の力を体験するだろう。

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偽りの舌(記事No.22)

 東京オリンピックが終わった。思えば、国立競技場建て替え案のドタバタ劇や大会エンブレムの盗用疑惑、招致活動における贈収賄疑惑と竹田恒和日本オリンピック委員会(JOC)会長の退任、森喜朗大会組織委員会会長の失言と辞任、演出や音楽に関するトラブルや関係者の辞任など、開会前において既に数々の問題や疑惑が噴出していた。新型コロナウイルス流行をついて開会した後も、選手やスタッフらのコロナ感染、酷暑に耐えかねた選手らのブーイング、関係車両の事故多発、バブル方式の破綻など短期間に多くの問題が発生した。さらに、当初予定の3倍以上に膨張した開催経費と無観客試合による減収もあって、巨額の追加費用負担を迫られるのが必至の東京都と、国や関係機関との交渉が控えている。

 なぜ、近代オリンピック史上稀に見る問題だらけの大会になったのか、その最大の理由は、出だしから既に間違っていたからであろう。2013年9月にアルゼンチンのブエノスアイレスで開催された、国際オリンピック委員会(IOC)総会で招致に向けた最終プレゼンテーションが行われた。そこでの安倍首相(当時)のスピーチが、開催都市が東京に決定された決め手になったと言われた。ところが、当時から指摘されていたように、その内容には、福島原発事故の状況がアンダーコントロールであるとの重大な嘘が含まれていた。さらに、立候補説明資料には、開催時期の東京は気候が温暖であり、アスリートが最高の状態でパフォーマンスを発揮出来るという、日本人なら子供でも分かる嘘が平然と述べられていた。その後、招致に便宜を図ってもらうために、国際陸上競技連盟のセネガル人幹部にシンガポールのペーパーカンパニーを通じて多額の賄賂が渡されたとの疑惑が明らかになり、フランス当局の捜査対象となった竹田恒和JOC会長は、逮捕の懸念があった為か、自らが理事を務めるIOC理事会にも出席することなく辞任している。

 このように、東京オリンピックは、誘致には成功したものの、その後は、安倍首相らがついた嘘を糊塗するため、嘘に嘘を重ねて、問題だらけの大会として終了した。招致準備期間中から現在に至るまで、オリンピック利権に群がる電通やパソナといった企業や関係者らに食い物にされた大会でもあった。嘘や偽りの上に立つものは、見た目は良くとも内実は悪いという見本そのものである。なぜ、安倍首相や猪瀬都知事(いずれも当時)ら誘致に関わった人々、また、準備や運営に携わったJOCや大会組織委員会の幹部らが、揃いも揃って嘘や偽りに手を染めたのか。当然のことながら、組織としても個人としても利益を得る為である。はっきり言えば、金銭、地位、名声を得る為である。それが、彼ら自身に最後は何をもたらすかは知らずに。

「偽りの舌をもって宝を得るのは、吹きはらわれる煙、死のわなである。」(箴言21:6・口語訳)

  聖書は嘘を言うことを禁じている。それは、神の嫌われることであり、また、嘘をついた人に不利益がもたらされるからでもある。例外は、敵に追われている人の命を守るために、嘘をついてその人を助けるような場合である。旧約聖書のヨシュア記には、イスラエルの斥候を、追っ手に嘘の情報を伝えて逃した遊女が彼女の家族と共に、神の恵みを受けたことが記されている。嘘も方便という諺があるが、私たちは安易に嘘をつくことを正当化してはならない。それは、私たち自身の信頼性を傷つけることにもなる。もはや安倍前首相の言葉をそのまま信じる人がほとんどいないように、私たちも同じようになってはならない。馬鹿正直も困るが、神に知恵の言葉を求めながら、人々からの信頼を得る者となろうではないか。

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妬みと凶悪事件(記事No.21)

 世の中(の一部)がオリンピックに浮かれている最中、またもや凶悪な通り魔事件が発生した。満員の小田急線車内で男が若い女性らを斬りつけ、乗客10人に重軽傷を負わせた事件である。犯人として逮捕された男は、幸せそうな女性を見ると殺したいと思っていた、と供述したそうである。また、人生がうまく行かないのは他人のせいだ、とも話したという。自分に何の害も与えていない人を無差別に襲ったことから、確かに反社会性が強い凶悪な犯人であろう。しかし、犯人の男が凶悪事件を起こすに至った心の闇は、実は、私を含めて誰もが持っているものであり、それは妬みである。



 妬みは、全ての人が持っている罪の性質の1つであり、それゆえ、子供でさえ大人が教えてもいないのに、自然に妬みの感情を抱くようになる。例えば、自分が仲良くしている子が他の子と親しそうにしていると、やきもちを妬き、相手の子に意地悪をしたり、その子の悪口を言ったりする。兄弟でも、どちらか一方だけが親に褒められると、褒められなかった方は、不機嫌になるだろう。成長と共に、うわべは繕えるようになったとしても、心の中までは中々繕えるものではない。大人になっても、それは同じで、紳士淑女の振る舞いは出来ても、それだけでは、妬みの感情を抱かなくなる訳ではない。



 情報技術をはじめとして、テクノロジーが日進月歩で進化している現代社会であるが、それらを使う人間の性質自体は、本質的には古代社会と何ら変わりがない。この社会は人々の合理的な判断も働いているが、それ以上に、感情によって動いていると言っても過言ではない。人々が、感謝や喜びあるいは憐れみといった感情に満たされるなら、そのような人々は、自然に善い行いをしたいと願うようになる。あるいは、人々が憎しみや妬みあるいは利己心といった感情に満たされるなら、それは通り魔事件がそうであるように、人々の悪い行いを誘うであろう。



「妬みや利己心のあるところには、無秩序とあらゆる悪い行いがあるのです。」(ヤコブの手紙3:16・聖書協会共同訳)


 私たちは、自分とあまりにかけ離れたと思う存在に対しては、妬みの感情を抱くことが少ない。日本人で、皇室に妬みを覚える人は少ないだろう。皇室に対する尊敬の念の有無に関わらず、あの方々は雲の上の人たちと思うからである。あるいは、芸能人やプロスポーツ選手がどんなに目立っていても、それに激しく嫉妬する人も少ないだろう。多くの人々にとって、彼ら、彼女らは、別世界の住人だからである。多くの場合、私たちが妬みを抱くとすれば、それは自分と近い人々に対してであり、友人やクラスメイト、同僚や年齢の近い知人などに対してであろう。マウントを取るという優越感からの行動も、妬みの裏返しである。



 それでは、私たちは、どのようにすれば妬みの感情に囚われずに済むのであろうか?自尊心を保つことは大切であるが、感情コントロールのテクニックだけでは根本的な解決にはならない。最も有効な方法は、神の内にある自分の正当な立場を知ることと、神の愛を受けている事実を知ることである。私たちがイエス・キリストを通して父なる神に近づくとき、私たちは神の子となり、子としての立場を得ることになる。そして、自分だけに与えられた、オリジナルの人生の使命と賜物とを知るようになる。それらは、富によっても人の努力によっても得ることの出来ない、父なる神からの贈り物である。他の人と比べることは無意味であり、最大の関心は、どのように自分の人生における使命と役割を果たすかとなる。私たちの内に宿られる神の霊が、私たちの魂に触れて、その性質を一歩一歩変えてくださる。そして、私たちに神より与えられた愛が、妬みやマイナスの感情に勝利することを体験するようになる。人には出来ないが、神には出来るのである。
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長崎と原爆(記事No.20)

 広島と長崎に原爆が投下されてから,今年で76年になる。2021年1月には核兵器禁止条約が発効したが,日本は不参加のままである。原爆の被害を受けた両都市は日本も条約に参加することを訴えて来たが,アメリカによる核の傘の下にあるとする日本政府は終始一貫冷淡である。核の傘が本当に実効性があるものなのかは疑問であり,アメリカが自国の国土が核攻撃に晒されるリスクを日本の為に引き受けるとは思えない。実態は政治的スローガンに過ぎないか,あるいは本来の期待レベルに比して妄想レベルと言っても過言ではないだろう。アメリカの属国である日本としては,アメリカ抜きでの国防体制を構築することが未だ許されていない以上,核の傘を謳うしかないと言うことか。

 戦後長い間アメリカでは,原爆投下が戦争の終結を早め,結果的に双方の多くの人命を救ったとの見解が支配的であった。仮に原爆投下が実行されず,日本本土上陸作戦が決行されたならば,連合軍側にも最大25万人規模の死傷者が見込まれていた。その場合,日本側死傷者は数百万人に及んだであろう。しかし,この説は前提として,原爆投下が戦争終結に不可欠であった場合にのみ成り立つ。今日では,長崎への原爆投下の同日未明に開始された,ソ連による満州侵攻が,日本をして降伏への最終決断をさせたという説が有力である。原爆投下は,既に日本の敗戦が決定的な状況の中で実行されたのであり,軍事的には不要であったことは明白であろう。このあたりの事情は,鳥居民の労作である,「原爆を投下するまで日本を降伏させるな」に詳しく解き明かされている。

 原爆投下が新兵器の人体実験でもあったことは,広島と長崎に投下された爆弾のタイプが,それぞれウラン型とプルトニウム型とに使い分けられていたことからも明らかであろう。原爆投下の目的については,さらに衝撃的な説もある。アメリカ陸軍情報士官であったデイビッド・J・ディオニシが退役後に著した,「原爆と秘密結社(原題:ATOMIC BOMB SECRETS)」を読んだ時,私は衝撃を受けると同時に,記されている内容が歴史的事実と照らしても矛盾が無く,ストンと腑に落ちたのである。それは,原爆の目標都市は長崎が本命であったという説である。広島はそのことをカモフラージュするために,最初の攻撃目標とされたと言うことだ。もちろん,両都市への原爆攻撃は,実験の意味もあったことに変わりは無い。なぜ,長崎が狙われたか,それは,ここが日本におけるキリスト教の中心都市であったからだと言う。

 それでは,なぜキリスト教国と言われるアメリカが,敵国とは言えキリスト教の中心都市を原爆で攻撃したのか。ディオニシの書名にあるように,ある秘密結社がそう仕向けたと言う。著者は,この本の中で秘密結社の名称を明らかにしてはいないが,どう考えてもフリーメーソンしかあり得ない。フリーメーソンは当時も今も,アメリカにおいて強大な影響力を有し、軍内部にも多数の会員がいる。現在でも,日本国内の主要米軍基地にはメソニックロッジが存在している。フリーメーソンは会員に特定の宗教への信仰心を持つことを奨励していることから,クリスチャンの会員も少なくないと言われる。実際私も,アメリカ人クリスチャンでフリーメーソンの元会員と個人的親交を持っていたこともある。しかし,33階級あると言われている組織の中で,最高位会員らは名目上はどうであれ,聖書の神を信仰していないと断言しても良いだろう。彼らが信仰しているのは悪魔であり,その事実は末端会員らには伏せられている。

 フリーメーソンの起源については,中世ヨーロッパの石工組合とする説が一般であるが,実際にはもっと古く,古代バビロニアやバベルの塔を築いたニムロデの時代とするなど諸説ある。そのルーツがいつの時代であったにせよ,確かなのは,この組織が最初から神に反逆する思想を有し,またキリスト教成立以降は反キリストで一貫していることである。このため,カトリック教会では,1738年に教皇勅書でフリーメーソンへの加入を禁止し,結社員は破門とすることが定められた。しかしながら、1962年の第2バチカン公会議以降は,カトリック教会は実質的にフリーメーソンとの融和路線に転じ、これを危惧してバチカン内の結社員を排除しようとした教皇ヨハネ・パウロ1世は、在位33日目に急死した。このように、フリーメーソンとキリスト教、中でもカトリック教会とは本来は不倶戴天の敵同士であるが、現在ではバチカンも相当侵食されていると見做せるだろう。

 以上のような背景を考えるとき、アメリカ政府や軍の内部にいたフリーメーソンが、恐らくはさらに上部組織からの指令を受けて、原爆を日本におけるキリスト教の中心都市長崎に投下したことは、彼らにとって、少なくとも一石何鳥かの重要な目的の1つであっただろう。長崎に投下された原爆は、軍事目標であったはずの三菱長崎造船所ではなく、浦上天主堂のほぼ直上に投下された。280年近くに及ぶ激しい迫害に耐えて公然と復活した、長崎におけるキリスト教信徒らの信仰の結晶であり、日本のみならずアジアにおけるカトリック教会の象徴的な大聖堂である。悪魔の意思を受けた邪悪な人々により、神を愛する素朴な信仰者らを含めた、多数の人々の命が一瞬にして奪われたのである。 


「主に忠実な人たちの死は 主の目に重い。」(詩篇116:15・聖書協会共同訳)

 長崎は、現代ではそうは認識されていないかも知れないが、16世紀以来、日本におけるキリスト教の一大中心地であり続けた。日本に最初にキリスト教が伝わったのは、教科書的には1549年にフランシスコ・ザビエルが来日し教えを広めたとされているが、実際は1世紀中には原始キリスト教会の宣教師が到来した可能性があり、遅くとも7世紀頃には景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)が数万人規模で大陸より渡来している。カトリック到来以前のキリスト教が、やがて神道や仏教と融合し、その実体を失ったのに対し、カトリック教会によって宣教されたそれは、2百数十年に及ぶ世界最長の禁教時代と厳しい弾圧を生き延びた。そして、1865年に、居留外国人のためという名目で教会堂を建てたフランス人司祭のもとに浦上の婦人信徒らが訪れたことを契機に、長崎とその周辺の潜伏信徒らがカトリック教会に公然と復帰したのである。

 現在、日本におけるキリスト教の中心地があるとすれば、数の上では人口が最も多い東京都であろう。文化庁の2020年の宗教統計では、東京都には約87万人のキリスト教信者がおり、その人口比は約6.3%である。これに対して、長崎県は約6.3万人、4.8%の人口比である。しかし、この統計には、キリスト教系の異端宗教(統一教会系、モルモン教、エホバの証人等)もカウントされており、本来のキリスト教徒の人口比では、恐らくは長崎県が日本最大であろう。長崎地域は、実に400年以上も日本におけるキリスト教の中心地であった意味が分かるであろう。このことは、文化的に重要であるだけでなく、霊的にも重要であり、それはカトリック、プロテスタントといった宗派の別を超えた意味がある。弾圧と原爆というこの世の地獄に耐え抜いて復興した長崎と彼の地の教会は、やがて日本におけるキリスト教の中心地として、もう一度回復されるに違いない。その時には、日本人の、埋もれていた開明的な霊性と精神性もまた回復され、再び長崎は、世界に向けてキリストを証する都市となるであろう。
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塩の効能(記事No.19)

 連日猛暑が続いているが,こうなると水分補給はもちろんのこと,塩分補給も大切である。かつては,炭鉱や土木工事の現場で働く人々は,塩を舐めながら仕事をしたと言う。今でも,塩飴を舐めながら作業する人たちもいるだろう。大阪のある建設会社では,作業員が手軽に塩分を補給できるように,スティク型の塩ゼリーを開発し市販もしたところ,結構な人気商品になったそうだ。

 重労働に従事してる人たちだけでなく,誰にとっても塩は体にとって欠かせないものである。ところが,塩分という言葉になると,摂り過ぎは良くないという話になる。世界保健機構(WHO)では,1日あたりの塩分摂取量は5.0グラム未満を推奨している。厚生労働省の2019年の調査では,日本人の1日あたり平均塩分摂取量は男性が10.9グラム,女性が9.3グラムとのことである。データだけを見ると,確かに日本人は塩分摂取量が多いようだ。そのせいか,日本人には高血圧気味の人が多いとも言われる。

 ところで,本ブログのタイトルには,「預言的」という形容詞をつけている。神から与えられた,預言的賜物を活かしながら,この世の事象を読み解くという意味を込めている。もちろん,記事には、私の知識や経験を用いた分析や,私自身の意見や考え方も含まれている。しかし,大胆にも預言的と称しているように,私の習性として,常識や通説をそのまま受け入れることはない。少しでも,腑に落ちない点があれば,祈りつつ思考し真実を見極めようと試みる。そこで,今回のテーマに選んだ塩である。結論から言えば,良質の塩は,あまり神経質になり過ぎずに摂った方が,むしろ健康に良いということである。

「確かに塩は良いものだ。だが,塩も塩気がなくなれば,その塩は何によって味がつけられようか。」(ルカによる福音書14:34・新共同訳)

 聖書には,塩に関する記述が40回以上も出てくる。有名な聖句では,イエスが山上の垂訓として知られる一連の教えの中で,「あなたがたは地の塩である。」と語られた言葉がある。ここでは,イエスを信じる者たちは,この世に在って良い影響を与える者たちであるという意味である。また,特に旧約聖書では,神が土地や人に対して裁きを下された際に,塩を用いられたことが記されている。言うなれば,浄めの塩である。このように,塩は用いられる対象物を変化させる効能がある。

 私たちが良い塩を摂るなら,私たちに良い変化がある。良い塩とは,電気分解で製造された精製塩ではなく,昔ながらの窯などで煮詰める方式で製造された天然塩である。精製塩は成分の大半が塩化ナトリウムであるが,天然塩にはミネラル分が豊富に含まれている。一般的には,岩塩よりも海水塩の方が良いだろう。私たちは,この世に在って精製塩のようにではなく,自然塩のように良い変化をもたらす者でありたい。
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現代の棄民(記事No.18)

 先日、日本国内の新型コロナウイルス感染者が1日あたり1万人を超えた。これは、正確に言えば、コロナ陽性が確認された人数であって、必ずしも症状が出ている人だけではない。しかしながら、感染者の増加に伴い、通常は入院が必要とされるケースでも待機中となる人々がいる。政府や自治体の政治リーダーたちや医師会の幹部らは、口を開けば医療逼迫と言うが、この1年半の間何をしていたのか。自分たちの無責任と無能を、国民の自粛破りに責任転嫁しているのだから、呆れるばかりである。

 ついに菅首相は、重症患者などを除き自宅療養を基本とすると述べて、政府方針の転換を明らかにした。東京都では、自宅療養者が既に1万人を超えており、政治方針の転換とは現状の追認に過ぎない。このタイミングで発表したのは、オリンピック番組の視聴率を睨みながらか。これまでに、自宅療養中に容態が急変し死亡した事例もあり、特に単身居住者にとっては、孤独死のリスクもある。国民が決して安いとは言えない健康保険料を支払っているのは、必要な時に適切な医療を受けられるようにである。それが無理だというのであれば、少なくとも自宅療養期間中の保険料は免除するべきであり、税金も同様であろう。そうでなければ、公共サービスにおける負担と受益が釣り合わない。

 本来入院するのが普通であるような健康状態であり、患者も入院を希望しているのにも関わらず自宅で療養せよと言うのは、棄民に等しいのではないか。そうでないと言うのならば、今後は他の病気でも重症患者など以外は原則自宅療養として、その代わりに健康保険料を引き下げて国民負担の軽減と医療費の削減が実現できるはずである。国民皆保険制度がありながら、病気に罹った国民の公的ケアを疎かにするとは、国家としても人としても間違っていると思う。

 「そのとき、彼らもまた答えて言うであろう、『主よ、いつ、あなたが空腹であり、かわいておられ、旅人であり、裸であり、病気であり、獄におられたのを見て、わたしたちはお世話をしませんでしたか』。そのとき、彼は答えて言うであろう、『あなたがたによく言っておく。これらの最も小さい者のひとりにしなかったのは、すなわち、わたしにしなかったのである』。」(マタイによる福音書25:44-45・口語訳)


 歴史的に見て、日本は苦境に陥った国民を国家が度々見捨てて来た、棄民政策が御家柄のような国である。明治期からのハワイや南米への移民送り出しはまだ希望があったが、満蒙開拓団はどうだったか。ソ連の満州侵攻の際には、関東軍は居留日本人を護らなかった。敗戦後も、在外邦人は現地に残留させるのが政府の当初方針であった。1956年から始まったドミニカへの移民事業では、土地の無償提供などの約束が反故にされ、2000年には日本政府に対する集団訴訟にまで発展した。(1審原告敗訴の後、特別一時金支払いで結着)残念ながら、日本は国民を大切にする国では無いと言えよう。

 今後も、日本政府の棄民政策は事あるごとに発動されるだろう。為政者やエスタブリシュメントが、真に祖国と国民とを愛していないことの現れである。自助の国の民としては、自衛に努めるしかない。しかし、希望も道もある。私たちが神を信じるなら、常にこの方の庇護の下に置かれ、祈りに応える最高のサポートを受けることが出来る。全知全能の神の守りこそ、最も確実な自衛策である。
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自由を与えるもの(記事No.17)

昨年来の新型コロナウイルス流行と、それに対する日本や諸外国の政府の動きは、人々に様々なことを思考する契機を与えたと思う。その意味においては、パンデミックをショックドクトリンとして計画し実行した者たちにとっては、想定内のリアクションとは言え、多くの人々が考えることを放棄するのでは無く、その逆であるという事実は忌々しいものではないかと推察する。

日本では報道の扱いも小さいようだが、フランスやイタリアなどワクチンパスポートの導入を進めているヨーロッパ諸国では、それに反発する国民が大規模なデモを起こすなど抗議活動が続いている。SNSなどで全世界に拡散されている映像からは、数万から10万人規模のデモが各地で行われている様子である。疫病対策の名目であったとしても、自分たちの健康や行動を政府に管理されたくないという、自由を守ろうとする人々の意思の現れである。

ヨーロッパ諸国では、人々は自由は権力者から与えられたものではなく、天賦の、あるいは神与のものとして、人が生まれながらに与えられているものと信じられている。人権もまた同様であり、これらは自然権とされる。であるから、政府が人々の自由を侵すのであれば、そのような政府は、国民により打倒することが出来ると考えられており、革命権や抵抗権と呼ばれている。それゆえ、今般のワクチンパスポートのように、政府が人々の自由を奪おうとするなら、人々が大衆威示行動としてのデモや集会で抵抗を表すことが当然なのだ。

このように、政治的、社会的な自由を守り、あるいは、それらを得るためには、人々の具体的行動が必要となる。自由のための行動は、時には生命の危険が伴うことがある。アジアでも、香港やミャンマー(ビルマ)で、官憲の激しい弾圧にも関わらず、多くの人々が自由を守るために立ち上がったことが記憶に新しい。それらの運動の背後には、外国情報機関の関与があったとも言われているが、例えそうであったとしても、人々の自由を守ろうとする決意と勇気は素晴らしいと思う。

ところが、私たちが得るべきある種の自由は、政治的、社会的な戦いによっても得られない。それどころか、人のあらゆる努力や行動によっても決して得られない。それは、罪と死に対する自由である。この場合の罪とは、犯罪や社会的規範に反することではなく、創造主である神に背を向けて生きることを言う。言い換えるなら、自己中心的な神無き歩みのことである。死とは、今ある肉体の死ではなく、霊と魂の死、すなわち、神からの永遠の別離である。罪からの自由は、罪を赦すことが出来る権威と力のある存在だけが与えることが出来る。死からの自由は、永遠の命を与えることが出来る力のある存在だけが与えることが出来る。これらの自由を与えることが出来る存在は唯一人、イエス・キリストである。

「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない。」(ガラテヤ人への手紙5:1・口語訳)
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戦争の8月(記事No.16) 

 毎年8月になると、メディアは恒例行事の如く戦争に関する話を取り上げる。敗戦後76年が経過しようとしているが、日本は戦争の歴史から何を学んできたのだろうか?天皇(現上皇)は戦後70年にあたる2015年の新年所感の中で、満州事変に始まる戦争の歴史を十分に学ぶことが大切であると語られた。1941年に始まる太平洋戦争でもなく、あるいは、1937年から敗戦に至るまでの大東亜戦争でもなく、1931年に勃発した満州事変に遡って戦争の歴史を学ぶようにと政権と国民に促されたのである。

 それでは、15年戦争とも称されるあの戦争とは、どのようなものであったのだろう。侵略戦争、防衛戦争、アジア解放戦争など、様々な捉え方がある。サンフランシスコ講和条約を締結した以上、極東軍事裁判(東京裁判)の結果を受け入れたのであり、少なくとも日本政府の公式な立場は、日本による侵略戦争であったと言う見解のはずである。しかしながら、東京裁判は勝者による敗者に対する一方的な断罪であった訳で、その結果を受け入れると言うことは、勝者を納得させ、日本が国際社会に復帰するための、一種の通過儀礼でもあった。いわゆる東京裁判史観に抗う動きは、日本が主権を回復してから後も、今日に至るまで続いている。

 あるいは、日本はもう十分戦争について反省して来たと言う人もいるだろう。中国や韓国が、今もなお歴史を政治的に利用し、日本に対して事あるごとに、反省と謝罪が十分で無いと非難を浴びせることも、日本人にとっては、むしろナショナリズムが刺激され反発するだけである。それでは、天皇が戦争の歴史を学ぶようにと促された背景は何か。直接的には、天皇にとって、当時の安倍政権の姿勢は歴史の教訓に学んでいないと危惧されたのであろう。しかし、そのメッセージは、ひとり政権に対するものではなく、広く国民全体に向けられたものであったはずである。

 私にとって、あの戦争をどう受け止めているかに少し触れたい。戦争について何かしらの関心を持つようになったのは、小学生の頃である。当時は、従軍経験のある大人が親族を含め周囲に何人かいた。私が通っていたカトリッ系小学校にも、理科の教師で元海軍士官の人がいて、謹厳実直であったが、子供たちに対する愛情が感じられた。戦争の話は、大人たちから断片的に聞かされた。私や何人かの級友は、乗り物に対する興味と同じような感覚で、零戦や戦艦大和に関心を持ち、子供向けの図解などを手に入れた。親にせがんで、田河水泡の「のらくろ」復刻版シリーズを手に入れたのもその頃である。一時期は、戦争ごっこなども流行ったが、程なく学校では禁止されてしまった。高学年になると、私は戦記物なども読むようになり、僅かであるが、兵器や軍人のカッコよさとは違う、戦争の悲惨な実相にも触れるようになった。

 その後、中高生時代には、単に兵器に対する関心にとどまらず、軍事や国際関係の視点からも戦争について知ろうと、様々なジャンルの書を読み漁ったりもした。その延長線上で、高校時代の一時期は、将来は海上自衛隊幹部候補生学校に進みたいと考えていたほどである。そんな私が、日本が経験した戦争について、世界史的な意義など広い背景を含めて考えるようになったのは、米国留学中の20代の頃からだったと思う。しかし、あの戦争について自分自身の考えが定まったのは、その後40歳くらいになってからである。私は、日中戦争も対米戦争も、やってはならなかったし、避けることも出来たと考えている。日本だけが一方的に侵略者であったとは思わないが、特に中国に対しては、防衛戦争であったと強弁することは出来ないであろう。あの戦争は、先に挙げたように、侵略戦争、防衛戦争、アジア解放戦争という多面性を有する壮大な戦いであり、その戦いに日本は敗れたのだ。勝者は、米英中ソであり、また、広義の国際共産主義勢力であった。私は、そう考えている。

 戦争について、どのような史観を有していたとしても、日本人に共通して必要なのは、あの戦争に対する国家的な検証であり、総括であるだろう。日本は戦後、そのことに正面から向き合って来なかった。であるから、戦争の責任についても、勝者による裁きはあったが、日本人として、国家と国民に対する責任の所在を追及することはなかった。ドイツが戦後今日に至るまで、政治的にそうせざるを得なかった面はあるにせよ、ナチス時代の戦争犯罪者の責任追及を続けていることと対照的である。私が危惧していることは、あの戦争を謙虚に顧みること無しに、軍人らの祖国に対する献身と犠牲を美化し、あるいは、国民が辛酸を舐めた経験から、被害者としての側面だけが強調されることである。またそれは、遡ること明治維新を無批判に賞賛することと、大日本帝国に対する憧憬にもつながる。

「『昔が今よりもよかったのはなぜか』と言うな。あなたがこれを問うのは知恵から出るのではない。」(伝道の書7:10・口語訳)

 私たちは、昔よりも今が、今よりも未来が、明るい国を造らなければならないと思う。そのためにも、ただ8月にだけ戦争のことを考えるのでなく、学校教育を含めて、より深く考察し続ける必要があるだろう。
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