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血筋の意味(記事No.68)

 今上天皇ご夫妻の長女敬宮愛子内親王が12月1日、20歳の誕生日を迎えられた。公表された「成年の感想」の全文を読んだが、成年皇族として、自分に与えられた使命と務めを自覚した、平易な文章にまとめられながら、責任感と共に気品が伝わって来るようなメッセージであった。やはり、今上天皇ご夫妻によって育てられただけのことはある。特に、「両陛下をお助けしていきたい」との言葉は、大袈裟ではなく、強い使命感を持たれていることが分かる。私たち国民としては、愛子内親王が立派に成年を迎えられたことは、喜ばしいことであろう。

「すべての人をうやまい、兄弟たちを愛し、神をおそれ、王を尊びなさい」(ペテロの第一の手紙 2:17 口語訳) 


 時を同じくして、安定的な皇位継承を議論する政府の有識者会議は、11月30日に開催された第11回会合で、「女性皇族が婚姻後も皇族としての身分を保持する」、「皇族の養子縁組を可能とすることで、皇統に属する男系男子が皇族となることを可能とする」の2案を軸に、今後意見を集約する方針を固めたと報道されている。1947年5月の日本国憲法施行後に、11宮家の皇籍離脱(臣籍降下)があり、以来皇位継承権を有する皇族男子は減少し続け、現在では、秋篠宮皇嗣、悠仁親王、常陸宮親王の3人となっている。これでは、将来皇室存亡の危機に陥る可能性もあり得ることから、今年3月に設置されたのが先に記した有識者会議である。

 有識者会議では明確な結論を打ち出すことは出来ないであろうが、結局のところ最大の論点は、女性天皇を容認するか否かである。端的に言えば、女性天皇を否定する人々は、男系でなければ、天皇の血筋が継承出来ないという考え方である。人間が持つ46束の染色体は2本1組の対で存在しているが、この内22対44本は男女共通であり、残り1対2本が、女性はXX、男性はXYとして分かれる。男性にしかないY染色体は、男系においてのみ受け継がれるという論拠である。これに対して、女性天皇を容認する人々は、皇位においても、男女平等であるべきであり、歴史的にも女性天皇は存在しているのであって、男子のみが継承するというのは時代錯誤である、と言うのが最大公約数的な考え方であろう。

 ところで、天皇家のルーツについては、聖書研究家であり牧師である久保有政氏などが、これまでに優れた著作を世に出してるが、古代イスラエルにまで遡ることが出来るという説がある。驚くべきことに、ダビデ王朝の系図と、神武天皇の系図は、人物名が違うだけで関係性は同一である。天皇を国家神道の中で位置付けるのは明治時代の創作であるが、古神道との関係において見るなら、古来より日本の国における大祭司の役割を担って来られた。古代イスラエルでは、王と大祭司の職制は原則として分かれていたものの、基本的には祭政一致であり、天皇の役割とも近似していた。そうなると、現代の天皇も、古代からの血筋を守るために、男系男子が皇位を継承するべきであろうか?

 私は、クリスチャンであり、日本人であるので、聖書信仰とも矛盾せず、日本国民として皇室の弥栄を願う思いにも適った、自分なりの結論を持っている。日本国憲法では天皇は象徴として定められており、その地位は国民の総意に基づくとある。これはこれで大切な規定であり、国の制度としての天皇の職位を保つためには妥当な考え方でもあるだろう。天皇は、国の大祭司であると同時に、名称はどうあれ国王でもある訳で、世襲も当然であろう。しかし、その地位は、国民から受け入れられてこそ、存続し得ることも事実である。そうであるなら、男系の血筋であることよりも重要なことは、その地位に就くに相応しい人物であることではないだろうか。天皇家に生を受け、幼少の頃より皇族としての教育を受けた愛子内親王は、今般の「成年の感想」を読んでも、将来天皇の地位に就かれたとしても、決しておかしいとは思わない。むしろ、順当のようにも思えるのだが。

 本記事の最後に、聖書の教えに触れたいが、人はイエス・キリストを信じる時、神の子供として新しく生まれるとある。この地上で肉体的に生まれ変わるのではなく、霊的に生まれ変わるのである。霊が新しく生まれることを新生と言い、神の子となる唯一の方法である。血筋は関係無く、ただイエスを信じる信仰だけが必要条件である。天皇の存在は、日本にとって決定的に重要な事柄であるが、いかに高貴ではあっても、この地上における人の制度である。神の子となることは、地上の制度とは根本的に異なり、永遠の神の国に至る、全ての人々にとって重要な事柄である。信じる者は誰でも、聖なる神の子の立場を得ることが出来る。私をも神の子とされたことに、ただ感謝である。

「この人々は、血によらず、肉の欲によらず、人の欲にもよらず、神によって生まれたのである」(ヨハネによる福音書 1:13 口語訳)