中学生になると、大晦日には、友人たちと連れ立って地元の大きな神社に行き、日付が変わる前から参拝客の列に並んだ。新年とほぼ同時に、初詣するためである。その後、高校生2年生の時にクリスチャンとなり洗礼も受けたので、それ以来神社・仏閣への初詣には行っていない。ただし、友人たちと初日の出を見に、鎌倉の海岸に行くことはあった。当時は、どのような人々が用意したのかは知らないが、砂浜の随所に焚き火が起こしてあり、そこで暖まりながら日の出を待ったものである。夜から翌朝まで出歩くことには、ある種解放感を覚えた。
大人になってからは、大晦日だからといって、特に夜遅くに外出するということはしていない。もちろん、カウントダウンのイベントなどとは無縁である。イベントと言えば、いつだったか、教会の年越し祈祷会に出席したことがあったくらいか。紅白歌合戦も、ほとんど見た記憶が無い。年越し蕎麦だけは、結婚してからは一応毎年食べている。考えてみると、もう何十年も、日本人の典型的な大晦日の過ごし方はしていないのかも知れない。そもそも、日本人の大晦日の過ごし方に決まりがある訳でも無い。だが、大昔から綿々と受け継がれて来た、日本人に広く共通した大晦日から新年にかけての風習がある。それは、年末の大掃除に始まり、元旦の初詣、お屠蘇と餅を飲食し、七草粥へと続く一連の習慣である。
日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の牧師で、聖書と日本フォーラム初代会長の小石豊牧師(2021年11月召天)は、「お正月とイスラエルの過越の祭り」というテーマで、次のように書いている。「『お正月』は玄関にしめ縄と門松、床の間にお供え餅、食卓はお節料理です。大晦日は大掃除とごちそう作りに追われ、まるで特別なお客様が来られるのを待つかのようです。そしてソバをツルツル食べながら年を越します。百八つの除夜の鐘が鳴ると非常に宗教的な、それでいて家庭的な緊張感に包まれて年が明け、何ともすがすがしい朝を迎えます。みんな服装を整えて挨拶をかわし、お屠蘇やお雑煮をいただきます。三が日は家族そろってお宮参り。(中略)この風習がいつごろから今のようになったのか、誰もわかりません。先祖伝来の習慣として当然のように守られ、そのお陰で何千年も変わらない民族性が保持されてきました。ところで旧約聖書を読みますと、『過越の祭り』という祭りが出てきますが、それが日本のお正月と大変似ているので驚いてしまいます。過越の祭りとは、エジプトの奴隷になっていたイスラエル人がモーセのよって解放され、エジプトを脱出したときに起こった数々の事件を記念し、ユダヤ人の間で厳粛に守られているものです」
何と、日本の(大晦日を含めた)正月は、イスラエルの過越の祭りとよく似ていると言う。小石牧師の他にも、聖書研究者でレムナント・ミニストリーを主宰する久保有政氏や、聖書と日本フォーラム現会長の畠田秀生氏など、日本とイスラエルの関係について、優れた研究結果を世に示して来られた人々がいる。彼らの研究の共通の結論は、日本人の主要なルーツは、古代イスラエルに遡ることが出来るというものだ。日本人は、古来より多方面から渡来した人々が、長い年月のうちに融合して、現在へと続く単一的な民族となったものである。その多様な渡来人の中でも、その武力、技術力、文化のレベルにおいて、最も強力な民族集団であったのが、イスラエル民族であったと言う。彼らは、いわゆる失われた10支族(部族)と呼ばれる民族集団である。この説を裏付ける証拠は、正月の風習にとどまらず、日本文化のそこかしこに見られる。神社とイスラエルの神殿との近似性や、神道の中にイスラエルの宗教の痕跡が見出せることもそうである。
私自身は、この説を支持する立場である。これが事実であれば、単に日本人の最も主要なルーツが解明されるだけではない。過去の事実と言うだけでなく、日本の未来にも関わる重大な事柄が明らかになるのだ。それは、やがて、不思議な神の方法で、イスラエル12支族のうち10支族の末裔である日本人と、2支族の末裔であるユダヤ人とが、再び1つとされる日が来ると言うことである。その結果として、日本人がどうなるのかは諸説がある。大胆な説としては、日本人が実際に、大挙してイスラエルの地に帰還すると言うものがある。ある意味で穏健な説としては、日本人とユダヤ人との再結合は、少数の人々がイスラエルに移ることで象徴的に行われると言うものがある。どのような形となるかは今はまだ分からないが、それは公然と宣言され、世界中の人々が驚くことになるだろう。その時期についても諸説あるので、あるいは、現時点では空想と捉える人々も多いかも知れない。
「これに言え、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる」(エゼキエル書 37:19 口語訳)
聖書が預言しているように、いずれイスラエル12支族が回復される時が来る。それは、世の終わりの時とも関わる出来事である。本ブログでも度々書いて来たように、今、世の終わりの時が近づいている。終末に至るタイムテーブルがあと数年なのか、それとも数十年なのかは、恐らく来年中にも判断可能な状況になると思う。それほど、今の世界には、終末の前兆が多く見られるようになった。しかしながら、神が日本人に与えた使命は、これまで十分に果たされて来たとは言えない。それどころか、それがどんな使命なのかも知られていない。私は、日本人に与えられている重要な使命の1つは、神の愛と聖霊に満たされた人々が世界中に出て行って、キリストの救いの福音を宣べ伝えることではないかと思う。それは、必ずしも宣教師というタイトルを背負って出て行くだけではない。中村哲氏のように、遣わされた国の人々と労苦を共にしながら、キリストの愛を証する人々が多く起こされるのだろう。その時には、イエスを信じる者とされた、ユダヤ人と日本人が手を携えながら、世界の人々のために活動するようになると思う。