「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である」(ヨハネの黙示録 13:16−17 新共同訳)
一般的に日本人がオーストラリアに抱くイメージは、美しい大自然に恵まれた、自由で開放的な社会というものではないだろうか。そこに住む人々は、おおらかで、明るく、フレンドリーというイメージか。私自身は、未だオーストラリアに行ったことは無いのだが、同国の人々とは少し縁がある。現在大学生の長男が中高生の時、オーストラリアからの交換留学生を2回ホームスティで受け入れたことがある。その内1人の生徒は、2ヶ月間受け入れた。同じ屋根の下で暮らしてみて、オーストラリア人は日本人と比べて、のんびりしているような印象を受けたことは確かである。オーストラリアに交換留学したことがある長男に聞くと、やはり現地でも同様であるとのことなので、同国民の一般的な国民性なのだろう。それも、彼の国の風土と自由な社会により培われたものであろう。
ところが、そんな国が今、収容所国家に堕してしまった。同国では、公共の場所でマスクを着けないでいると現行犯逮捕される。呼吸器系の持病など健康上の理由があっても、取り締まりの警官にとっては、お構い無しである。それ以上に酷いのは、新型コロナ・ワクチンを「完全に」接種していなければ、社会生活が大幅に制約を受けることである。「完全に」というのは、最低2回接種済みのことを指すが、2回目接種後6ヶ月経つとブースター接種の対象となるので、事実上エンドレスで(死ぬまで)、「完全に」接種したと見做されるために、半年ごとにワクチンを打ち続けなければならない。同国では、御多分に洩れず、政府やマスコミと医療業界が足並みを揃えて、新型コロナ・ウイルスとその変異株に対する恐怖を煽りに煽り、一方で、自由を得たければワクチンを打てと脅し、非接種者を弾圧することで、今年11月末までの時点で、公称では全人口の約90パーセントが、2回以上のワクチン接種を終えたことになっている。
なぜ、自由な国であったはずのオーストラリアが、短期間で急速に全体主義国家と化してしまったのか。そのスピードについては私の想像を超えていたが、こうなったこと自体は不思議でも何でもない。その理由は、オーストラリアが歴史の浅い人造国家であり、実験国家として、恐らくは数十年以上前から、世界統一政府樹立を図る勢力のターゲットとして選定されていたからである。この理由の前提として、この世には、世界の国々を1つにまとめて、統一国家を作り出そうと動いている勢力があることを認識する必要がある。彼らは、一般にはイルミナティと呼ばれる集団であるが、その上層部は別の名称を有している可能性がある。彼らは、悪魔崇拝者であって、キリスト教を憎悪し、その変質と破壊に努めてきた。彼らの目的を実現するための最大の障害が、真のキリスト教会の存在であるからだ。イルミナティの中核は、ヨハネの黙示録が示す通り、偽ユダヤ人の悪魔教徒である。彼らにとって、世界の民衆は家畜に等しい奴隷であり、彼らが意のままに利用し処分出来る存在でしかない。オーストラリアは、不幸にも彼らに目をつけられてしまったのだ。
私がこの事実に気づいたのは、故小石泉牧師の著作の中で、オーストラリアがイルミナティの根拠地に選ばれているという記述があったことが1つである。もう1つは、20年以上前に観た、ある映画の中で、「彼ら」のメッセージを読み取ったからである。日本では興行的に大ヒットとは言えなかったであろう、その映画とは、「ゲーム(原題:The Game)」という、1997年に公開されたアメリカ映画である。日本では、1998年に公開されており、私もその時に映画館で観た。映画の内容は、マイケル・ダグラス扮する実業家ニコラスが、48歳の誕生日に弟からCRSという会社主催のゲームの招待状をプレゼントされ、その後次々と不可思議な出来事に巻き込まれて行くというストーリーである。映画を見始めてすぐに、これは、「彼ら」のメッセージ映画ではないかという疑念が湧き起こり、結末を観る前にそれは確信となった。「彼ら」の思想やアジェンダが、場面の随所に盛り込まれていたからである。その映画のラストシーンで、CRS社のクリスティーンという女性がニコラスに語ったことが、一語一句まで正確には記憶していないものの、「今度は、オーストラリアに行って、羊ちゃんたちを騙すのかしら。」というセリフであった。この一言で、私は、オーストラリアが「彼ら」のターゲットにされていることを確信したのである。
世界にはもう1カ国、現在ワクチン接種キャンペーンが強力に展開され、接種率が高まるほど、逆に新型コロナ感染者と死亡者が急増している「人造国家」があるが、この国については、はっきり疑問を書くとクリスチャンの兄弟姉妹からも批判を受ける可能性もあり、もう少し考えを整理してから書くこととしたい。今私たちに出来ることは、国民国家としては風前の灯となったオーストラリアで現在進行形で起こっている事態が、日本で決して起こることの無いように、状況に関心を持ちながら、目を覚ましてオーストラリアの人々のために祈ることである。そして、この状況に関する情報を周囲の人々と分かち合うことも重要であり、導かれれば、抗議デモに参加する選択肢もあるだろう。オーストラリアに、神の正義が現されることを祈りたい。