単なる都市再開発事業に関する記事のようではあるが、いくつかの点において、現代日本の問題点が浮かび上がったような内容である。1つには、当再開発の事業者2社は、両社共、かつての国営事業が民営化された法人である。JR西日本は、日本国有鉄道が分割民営化されて誕生したうちの1社である。日本郵政は、郵政省が所管していた郵便事業が現在の日本郵政グループとして民営化され、その郵便事業と郵便局の運営を担う小会社である。それぞれの民営化にまつわるエピソードは、多くの報道や出版物などで語られて来たので、ここでは詳細は取り上げない。一言で言えば、これらの民営化の本質は、官民挙げての利権の拡大であり、同時に、労働組合運動の弱体化であったと考えられよう。取り分け、各事業体が有していた不動産の売却や再開発により、関係各方面には巨額の利益がもたらされた。それらの不動産は、元々は公有財産、すなわち、国民の共有財産であったものである。今般報道された、京都駅前再開発の種地も、まさに本来は国民の共有財産である。
もう1つ、景観を含む環境保護の観点からも、考えさせられる計画である。新幹線で特に新大阪方面から京都に近づくと、東寺の五重塔よりも先に目に入るのが京都タワーである。蝋燭を模したデザインと言うのが有力な説であるが、古都京都のシンボル的な近代建築物としては、私にはグロテスクな外見としか思えない。京都駅の巨大な駅ビルもそうであるが、建築の素人が見ても、お世辞にもセンスが良いとは言えない。その京都駅正面口の壁面に、大正年間の京都市街の鳥瞰図が展示されているのだが、実に美しい街並みである。現代の新旧ない混ぜで統一感のない京都の街並みとは、似ても似つかぬ情景である。京都は戦時中もほとんど空襲に遭わず、現在上京区の辰巳公園となっている地帯など一部を除き、市街地は破壊を免れた。それを戦後の無節操な都市開発により、自らの手で破壊してしまったのが、これまでの京都人であった。それは、日本のほとんどの都市に共通して見られる、非文化的な発想ではなかったか。
「知恵はその家を建て、愚かさは自分の手でそれをこわす」(箴言 14:1 口語訳)
聖書は、昔の方が良かったという発想を戒めているが、それは、古いものを大切にしないという意味ではない。いかに古くても、良いものは残し受け継ぐべきであろう。明治初期に日本各地を旅し、その体験を2巻の旅行記にまとめた、イザベラ・バードというイギリス人女性がいた。牧師の長女として生まれた彼女は、病弱であった幼少期に北米に転地療養したことを契機に旅への関心を持ち、大人になると世界各地を旅するようになり、卓越した観察者として多くの著作を記した。そのバードは、1878(明治11)年6月から約7ヶ月間かけて、日本人通訳兼従者を伴い、東京を起点に新潟から東北を経て北海道に至るまで、続けて伊勢、京都、奈良、大阪、神戸など関西方面を旅した。その旅の目的は、日本の本当の姿を知り、それを記録に残すことと、キリスト教普及の可能性を探ることであった。バードは、日本旅行の記録を全2巻800ページを超える著書、「Unbeaten Tracks in Japan(邦訳:イザベラ・バードの日本紀行など)」にまとめて世に出した。
当時は、外国人の単独日本国内旅行は厳しく制約されていたが、駐日英国公使パークスの尽力で、日本政府より内地旅行免状を取得しての旅であった。パークス公使としては、日本各地の詳細な情報を取得したいとの思惑もあったはずであるが、彼の日本政府に対する強力な働きかけもあり、バードの旅は十分に準備されたものであった。そうとは言え、公共交通網が未発達の当時の日本は、現代とは比較にならないほどの困難な旅であった。彼女は、行く先々の日本人の、北海道ではアイヌ人を含めて、生活様式や考え方などを丹念に調査し、詳細に記録した。彼女は、その著書の中で、日本各地の自然の美しさだけでなく、街々の美しさや清潔さを絶賛している。また、日本人の生活や文化については、率直な賞賛と厳しい批判の両方が記されている。もしバードが京都をはじめ現代日本の醜い街の情景を見たら、変わり果てた街並みに驚くであろう。
バードが京都を訪れたのは、1878年10月のことであった。新島襄が校長をしていた、同志社英学校に2週間滞在するなど、京都ではキリスト教伝道活動の視察が主な目的であった。御所の東に完成したばかりの新島邸に招かれ、新島夫妻とも親しく歓談したバードは、新島襄に、日本人の最も良くない点は何かと尋ねたところ、すぐさま、「嘘をつくことと、規律を守らないことである」との答えが返って来たと言う。その答えは、クリスチャンではない2人の日本政府高官に聞いた時と、全く同じものであったそうである。日本では、正直が美徳とされ、秩序を守ることが重んじられているが、反面、その正反対の行動をとる人々も多いということであろう。これは、一部の人々が主張するように、中国人や韓国・朝鮮人だけの欠点ではなく、日本人自らも顧みなければならないことである。
今回は、京都駅前の高層ビル開発計画に絡めた記事であったが、環境に限らず、日本の良いものを壊し続けて来たのが、実は日本人自身であったという残念な事実がある。国粋主義的な考え方を持つ人が少なくない中で、ある種不思議なことと言えなくも無いが、結局は、日本の伝統や文化をやたら強調しながら、その実、それらを蔑ろにして来た人々が上から下まで少なく無かったのであろう。私たちは、有形無形の文化や伝統、あるいは街を含めた環境においても、捨てるべきものは断捨離しつつ、良いものは大切に残し、後代に受け継いでもらうべきである。
「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない」(テモテへの第一の手紙 4:4−5 口語訳)