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預言カフェ訪問レポート(記事No.65)

 昨日、お茶の水にあるキリスト教書店での買い出しを兼ねて、妻と日帰りで東京へ行き、かねてより一度訪問してみたかった、高田馬場にある「珈琲専門店 預言CAFE」に行ってみた。同カフェは、他に赤坂にも同じ系列店があるが、アライズ東京キリスト教会牧師でもある、吉田万代氏が立ち上げた店である。「珈琲専門店」とあるように、店で使用するコーヒー豆は、厳選した生豆を仕入れ、自家焙煎しているそうだ。しかし、同カフェが他のコーヒー専門店と決定的に異なるのは、希望する客に対して、店内で「預言」を行なっていることである。

 「預言CAFE」のオーナー経営者である吉田万代牧師と、同師のご主人である吉田浩牧師は、共にアライズ東京キリスト教会の牧師である。吉田夫妻はドイツ留学経験のある音楽家でもあるのだが、教会での働きに召命(神による働きへの導き)を受け、栃木県佐野市にある、佐野キリスト教会において、カナダからの宣教師、ロナルド・サーカ牧師夫妻らから訓練を受けた働き人である。サーカ師は、アメリカにおける預言的働き人の1人であった故ビル・ハモン師が設立した宣教団体、クリスチャン・インターナショナルに加入し、1996年に、クリスチャン・インターナショナル・アジアを設立し、使徒的・預言的ミニストリーに従事して来た。クリスチャン・インターナショナル・アジアは、その後Arise5と名称を変更し、現在ではCatch The Fireという宣教団体と統合している。

 さて、本ブログの読者の皆さんはお気づきかも知れないが、私は記事の中で、「実は」という言葉を時々使うことがある。実は今回も、「実は」である。実は私も、サーカ師の設立した、クリスチャン・インターナショナル・アジアとは、少し関わっていたことがある。彼らは、団体設立以降、佐野市において、毎年2、3回の聖会を開催していた。その聖会には、佐野キリスト教会の会員でなくても、参加申し込みをすることが出来た。当時から、預言的働きに関心を持っていた私は、妻と共に、1997年のゴールデン・ウィークに開催された聖会に参加したのを皮切りに、その後約10年間、彼らが主催するほとんどの聖会に参加したのである。また当時は、「預言のパートナー」と言うサポーター会員制度があり、私もその1人となって、毎月少しばかりの献金を捧げていた。

 クリスチャン・インターナショナル・アジアは、主催者の宣教師がカナダ人とアメリカ人の夫妻ということで、アングロサクソン系教会に豊富な人脈があったことと、預言的働きはアメリカなど欧米の教会の方が盛んだったこともあってか、聖会では、たいていは海外からのゲスト・スピーカーが主講師を務めていた。毎回賛美で始まるプログラムは、講師の説教の後、参加者が、講師や教会スタッフより個人預言を受けられる時が持たれた。特に、使徒や預言者として働いている人々からの預言は、ほとんどすべての場合において、的確であり、励ましと希望が与えられるものであった。語られたそれらの預言は、その後次々と成就して行った。それらの預言の中には、まだ成就していないものもあるが、これまでそうであったように、これから実現して行くことを信じている。
 
 その後、クリスチャン・インターナショナル・アジアは、団体名が変更されただけでなく、活動方針にも変化があり、私たちも導きが感じられなくなったことで、ここ10数年は直接的な関わりは無かった。しかし、これまで書いたような経緯があり、吉田牧師夫妻の働きのことは、20年以上前より見聞きしていたのである。なので、預言カフェの働きを始められたと知って以来、いつかは訪問してみたいと思っていたのだ。預言カフェは、私の知る限り、東京の吉祥寺にも別のオーナーが運営している店がある。こちらの方は、数年前に、あるキリスト教系研究団体の懇親会で利用したことがあったが、その時はパーティーであって、私を含めて誰も預言は受けなかった。預言カフェという以上、一度はそこで実際に、預言を受けてみたいというのが人情であろう。

 預言カフェについては、クリスチャンの中でも賛否両論があるのは承知している。否定的な考え方としては、「預言」をビジネスと結びつけるべきではないということ以外に、これは「預言」ではなく、「占い」に近いのではないか、というものがある。私も、当然事前にこられの点について、実態はどうなのか情報収集した。結論的には、カフェ自体はビジネスであるが、預言自体は収益源では無いことと、占いとは明確に別物であるという見方が固まったことで、実際に訪問し、「預言カフェ」体験をすることにしたのである。

 背景説明が長くなってしまったが、昨日の同カフェの様子と、そこで受けた「預言」について説明したい。店の開店時間は14時であったが、受付は13時からとなっていたので、13時過ぎには店を訪れ、入り口近くにあった予約受付簿に氏名を記入した。ファミリーレストランなどにある記入用紙と同じようなものであるが、30分刻みで人数制限がかけられており、私たちは14時30分入店組であった。一旦店を出て付近を散歩などして時間を調整し、予約時間少し前に戻ると、私たち以外に、2、3人1組の客が4組くらい入店待ちであり、定刻にスタッフからそれぞれ名前を呼ばれ入店した。店内は、教会の礼拝会場にも使われているからか、装飾などはシンプルで、4人掛け用のテーブル席が6、7セット置かれていた。メニューは、オレンジジュースの他は、全てコーヒーであり、値段は1,000円前後と、カフェにしてはやや高めの設定である。「預言」自体は、希望する客は無料で受けられることになっているが、ほとんどの客は希望するのであろう。

 テーブルに運ばれて来たコーヒーは美味しかったが、飲み始めて数分すると、別のテーブルで「預言」していた60代半ばくらいの男性スタッフが、椅子を持って私たちのテーブルに移動してきた。録音を勧められたので、スマホのボイスメモ以外に、安全のため、テープ代250円を払ってカセットテープでの録音も選択した。「預言」は、それぞれの客に対して個別に語られ、時間は各2分数十秒くらいであった。「預言」するスタッフは、アライズ東京キリスト教会の預言訓練コースなどで学んだ、クリスチャンと言うことである。それでは、私たちに語られた「預言」であるが、内容はやや抽象的であり、どちらかと言えば、一般的な励ましや労りを中心とするものであった。その「預言」自体は、はっきり言えば、預言と言うよりは、励ましや勧めといった印象であった。

 今回、実際に自分たちで預言カフェを訪問し、「預言」を受けて感じたことは、この働き自体が悪い訳ではなく、教会の外に積極的に出て、人々に聖書的なメッセージとの接点を提供していることは良いことだと思う。語られる「預言」は、預言についての聖書的知識を持たない人々に対しては、むしろマイルドで適切な内容かも知れない。しかし、そこで用いられている霊的賜物は、預言と言うよりも、どちらかと言えば、勧める賜物ではないかとも感じた。その辺りは、預言の重要な機能として、人を励まし慰めると言うものもあるので、預言カフェの「預言」の場合は、厳密に区別する必要は無いと思う。預言カフェの客には、クリスチャンもそうでない人々もいるだろうが、そこで見たある種の盛況は、他者からの励ましを得たいと願っている人々が多いと言う、現代日本の社会状況の反映であると言えるであろう。彼らが、「預言」を入り口に、真の神と出会うことを期待したい。

「勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい」(ローマ人への手紙 12:8 新改訳)