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修学旅行来たる(記事No.64)

 京都は、言わずと知れた修学旅行のメッカである。かく言う私も、高校の修学旅行は京都・奈良であった。もっとも、私と友人たちは、寺社にはほとんど興味が無かったので、班行動の時間には、見学は早々に切り上げて喫茶店に入り、当時よく置いてあったテーブル型のゲーム機で遊んだことを思い出す。夕方に錦市場を皆で歩いた時は、混雑していて、楽しむどころではなかった。現代の修学旅行生は、班行動ではタクシーに分乗して巡る学校もあると言うから、便利になった反面、見学をサボることは出来そうに無い。その修学旅行生であるが、昨年4月から今年8月くらいまで、京都では全くと言えるほど見かけなかった。

 8月になってから、ごく稀に修学旅行の班行動らしき中高生の姿を見かけるようになった。緊急事態宣言明けの10月に入ると、京都駅構内でも修学旅行の団体をよく見かけるようになり、観光バスも随分と走るようになった。それでも、観光・交通事業者にとっては、以前の活況には遠く及ばないのであろう。長期休業を余儀なくされていた修学旅行専門宿泊施設などの事業者にとっては、中高生の団体客の有無は死活問題である。彼らにとっては、修学旅行は無くてはならぬものである。中高生の多くにとっても、修学旅行は楽しみなものであろう。政府の無策と、教育委員会や学校の無能や保身によって、多くの学校で修学旅行が中止となり、一生に一度の機会を失って、がっかりした生徒らも多かったと思う。

 一方で、学校でいじめに遭っていたり、集団行動に馴染めないといった事情で、修学旅行が中止となってホッとした生徒らも少なくなかったと思われる。公立中学校などの一部には、経済的事情で修学旅行に行けない生徒も少数いると推察する。コロナ禍を奇貨として、修学旅行のあり方も再考すべきではないだろうか。具体的には、原則全員参加ではなく、原則希望者のみ参加として、学校教育における選択プログラムとして位置付けてはどうかと思う。しかし、修学旅行が学校と旅行会社にとっては既得権益となっている現状では、当事者側からの改革はあまり期待できないが。

 近年では、修学旅行の行き先が海外である学校も珍しく無い。私の長男の場合も、中学ではオーストラリアが修学旅行先であった。農家に分宿し牧場での農業体験をするなど、それなりに楽しいプログラムであったようである。単なる観光地での見学にとどまらず、この種の体験型プログラムを取り入れる修学旅行も流行っているのかも知れない。いずれにせよ、単にある場所を訪ねて見学するだけよりも、自分たちで何かに取り組む経験の方が、総体的には生徒らにとっては思い出深いものになるだろう。

 修学旅行も本来そうであってほしいが、若い時に、どんな所に行き、どんな人々と出会い、どんな学びや経験をしたかは、その後の人生に大小の影響を与える。もちろん、それは旅行だけではなく、家庭に始まり、学校や地域の中でのことも同じである。中でも、どんな人々との出会いがあったかは、しばしば、人生を左右するほどの影響があるだろう。私の場合を振り返って見ると、両親や近しい親族の他、友人たちや何人かの教師や習い事の師範などが思い浮かぶ。教師たちの中には、反面教師としての影響を受けた人々もいる。大人が少年少女に与える影響力を考える時、たとえ親や教師であっても、子供たちをぞんざいに扱ってはならないと思う。時々、京都駅のコンコースでは、修学旅行生の集団が体育座りをして、引率教師の話を聞いている姿を見かけることがあるが、とんでもないことである。第一、不衛生であるし、躾としたら無意味なことである。本当のところは、教師たちにとって楽だからであろう。

 さて、私の場合、数十年前に行った修学旅行は、自分自身の不真面目さもあって、残念ながら意義深い経験とはならなかった。その頃に、最も有意義だったことは、ある人に出会ったことである。その人は、今でも私の師であり、また、友でもある。その人の名は、イエス・キリスト、人となられた神の子である。人間の考えでは、本当に不思議なことではあるが、若い時に一度だけ、わずかな信仰を持つに至って信じただけであるのに、この方は、それ以来ずっと私と共にいてくださるのだ。私が、背いたり離れたりした時も、私が気づかなかっただけで、いつも共にいてくださったのだ。その私の経験からも、確信を持って言えるが、人にとって最高の出会いは神との出会いであり、人生最大の経験もまたそうである。京都を訪れる修学旅行生を見る度、彼らが、若い日に神と出会って欲しいとの思いが湧き上がる、今日この頃である。

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びも無い』と言う年月が近づく前に」(伝道者の書 12:1 新改訳)