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オリンピック開催の不道徳(記事No.4)

まもなく、東京オリンピックが開催される。各種世論調査によってばらつきはあるが、概ね日本国民の半数以上は反対しているにも拘らず。多くの人々は、このオリンピックが誰のために、何のために開催されるのか気づいており、白けているのではないか。

同時期に、東京都は通算4度目の緊急事態宣言発令下に置かれ、都民の日常生活や事業活動は大きく制約されている。同様に、蔓延防止等重点措置が適用されている府県でも、人々の行動が制約を受けている。はっきりと、たとえ国民の生活を犠牲にしてでも、オリンピックは開催するという意思が現れている。

オリンピック開催の決定権は国際オリンピック委員会が持っているが、招致したのは東京都であり、また、当初から国家プロジェクトに位置付けられていた。開催都市が東京に決定された時には、多くの国民・都民が喜んだと思う。しかし、その後大きく状況は変わった。

独裁国家が国威発揚のために強行開催するなら話は分かるが、民主国家とされている日本で、国民多数の反対意見を顧みず、疫病の流行拡大のリスクも無視して開催へと突き進む様は、誰が言ったか、まさに現代のインパール作戦か本土決戦かといった感がある。

度重なる緊急事態宣言やマン防措置によって、飲食店はもちろんのこと、多くの事業者やそこで働く人々が苦しんでいる。私の知人にイタリアンレストランのオーナーシェフがいるが、彼は4月下旬から2ヶ月間店を閉めていた。常連客のためには開けたいが、行政の定めたルールに従えば、開けるだけで赤字となることから、苦渋の選択で休業していたのだ。彼の料理は極上の味であるが、それだけでなく、研究熱心で、絶えず新メニューの開発にも取り組んでいる。オリンピック開催論者たちは、アスリートたちは長年この時のために人並外れた努力を続けて来たと言う。しかし、努力や精進はアスリートだけのものではない。

多くの国民に大なり小なりの犠牲や我慢を強いてオリンピックを開催することは、はっきり言えば、不道徳の極みである。オリンピック開催によって多大な利益を得るであろう特権階級による、一般国民に対する公然の差別とも言えよう。オリンピックスポンサーでもあるマスコミ各社は、アスリートたちの感動物語をこれでもかと流し、特権階級の宣伝機関としての面目躍起となるであろう。

愛と正義の神の視点に立てば、いやそうでなくとも、少しでも良心と正常な判断力があるならば、東京オリンピック・パラリンピックは中止しかあり得ない。もう一度言うが、この状況下でオリンピックを開催することは不道徳であり、責任ある者たちはいずれ播いた種の実を刈り取ることになるだろう。