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命が一番大切(記事No.11)

 昨年来のパンデミックを通して、命の大切さを多少なりとも思い起こした人は多いと思う。身近に新型コロナウイルス感染で亡くなった人がいなかったとしても、連日報道される感染拡大のニュースは、多くの人々に、自分や家族が感染したらどうしようという不安や恐れを抱かせたであろう。また、有名人が亡くなったというニュースは、人々の恐怖心と警戒感を否応なしに高めた。

 日本でも万を超える命が新型コロナで失われているが、ある種の人々にとっては、それもさざ波ということらしい。国内では、これまでの累計で、死者は1万5,000人以上に及んでいる。それに加え、新型コロナワクチンの副反応の疑いがある死者は、直近の厚生労働省の発表でも既に750人を超えており、しかも報告されていない事例が多いとも推測されている。コロナ関連倒産や失業などを苦にした自殺者も含めれば、この1年半で、どれほど死ななくてもよかった人々が亡くなっているのであろうか。

 このような状況の中、私たちは、何よりも命が大切であるとの考え方に立って行動しなければならない。台風や豪雨の際に、天気予報のキャスターなどが、命を守る行動をとってくださいと言うことがあるが、日々がそのように意識せざるを得ない状況であろう。ただし、ひたすら首をすくめてパンデミックをやり過ごすという姿勢は、少し違うのではないかと思う。企業であれ学校であれ、社会的使命というものがある。パンデミックを理由にやるべきことを怠るのであれば、企業ならば、顧客や取引先の信用と支持を失い経営が傾くであろうし、学校であれば、学生・生徒や保護者を失望させ信頼と評判は地に落ちるであろう。やるべきことは、命を守ることを最優先としながら、あらゆる工夫を重ねて、少しでも正常な活動に近づけることではないだろうか。

 それにしても、ここまで国民がやりたい事も我慢して感染防止に努めているにも関わらず、結局のところオリンピックは開催するとは、為政者や利権を貪る者たちは、国民を愚弄するにも程がある。人流を抑制するために都道府県をまたいでの外出は控えて欲しいと呼びかけながら、国をまたいで数万のオリンピック関係者が移動していることと、どう整合性があるのか。濃厚接触者とされたなら2週間は不要不急の外出はしないようと言われるが、オリンピック選手であればPCR検査が陰性ならば競技に出場できるとは意味不明である。このような現実を見るとき、私たち一般国民の生活は利権集団の踏み台にされているように思えるし、命さえも軽んじられているのではとの疑念が強まるばかりである。

 人は誰でも人生において大切なものを持っていると思うが、中でも命は誰にとっても大切であろう。「命あっての物種」という言葉もあるように、多くのものを所有していたとしても、命を失ったら何になろう。イエスは、「人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」と言われた。ここでイエスは、肉体の命のことと霊的な命のこととを重ねて言われている。仮に霊的な命には無関心な人でも、肉体の命には関心があるだろう。であるなら、どのような思想・信条を持っていたとしても、普通は命が大切であることくらいわかる。自分の命は大切だが、他人の命はどうでもいい、という考え方は愚かである。人の命を軽んじる者は、自分の命が軽んじられることは決して無いとの確信でもあるのだろうか?神の前に、人は播いたとおりに刈り取るのである。