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神を畏れる指導者(記事No.13)

 早いもので、台湾元総統の李登輝氏が召天されてから7月30日で1年になる。私にとって、同氏は尊敬する人物の1人であって、日本語に訳された著作も大半読んだ。2016年5月には、李登輝氏と親しい日本人の知人と一緒に訪台し、お目にかかれる予定であったが、前日の蔡英文総統就任式に出席されたあと体調を崩され、結局お会い出来ずじまいであったことが残念である。そのような訳で、昨年8月には、私も東京の駐日台湾代表処にて弔問記帳させていただいた。

 私が李登輝氏を尊敬している理由は、彼が政治家として傑出した人物であったことはもちろんのこと、それ以上に、神を畏れる国家指導者であったからである。彼が第4代総統を務めた中華民国は、建国の父である孫文を始め、国家指導者たちの中にクリスチャンが少なくなかった。最も長期政権を敷いた蒋介石もクリスチャンであったとされているが、彼が政敵に残忍な弾圧を加えたことなどからすると、士林の官邸に専用礼拝堂を有していたからといって、生きた信仰を持っていたのかは分からない。

 日本統治下の台湾に生まれた李登輝氏は、長じて京都大学に入学し、その後学徒出陣で出征し敗戦により陸軍少尉で除隊した。その後、台湾大学を卒業し農学部助手として働いたが、奨学金を得て米国の大学で学び、帰国後は農業関係の行政官や研究職を歴任した。キリスト教信仰を持ったのは、台湾大学助教授を務めていた38歳の時である。農業関係の研究者また教育者としてキャリアを重ねて来た李登輝氏は、農業問題に関して蒋経国総統に報告する機会があり、それ以降重用されるようになって政界入りへとつながった。その後、蒋経国により副総統に選任されたが、蒋総統が任期中に死去したことから、憲法の規定により彼の後を襲ったのである。
 
 李登輝氏が中華民国総統職を継いだとき、台湾は未だ民主化の途上にあった。38年に及ぶ世界最長の戒厳令は蒋経国政権時代の1987年に解除されていたが、国民党の一党支配が続き、国会には大陸時代からの事実上の終身議員が多数在職していた。新総統となった李登輝氏は直ちに国政の改革に着手し、国民党内の反対論を抑えて、終身議員を全員退職させるなどの思い切った改革を断行した。その後1996年には、中華民国史上初となる総統直接選挙が実施され、李登輝氏が再任された。政治家としての李登輝氏は、改革者としてのイメージが強く、やがて、国民を強権支配のくびきから解き放ち、台湾を名実共なる民主国家へと導いたことにより、台湾のモーセとも称されるようになった。

 李登輝氏の人生は決して平坦なものではなく、留学当時や学者時代には平穏な日々もあったようではあるが、政治家となってからは、国内外の反対者たちとの戦いの日々でもあった。内においては、長年の特権を失うのを恐れる外省人を中心とした国民党旧守派と、外においては、台湾を併呑しようと圧力を強める中共政権との戦いであった。中共にとっては、李登輝氏は中華民族を分断させる悪の権化のような位置付けであった。民主化を求める自国民を平気で虐殺する独裁政権が激しい人格攻撃を加えたことは、逆に李登輝氏の正しさを証明したようなものであった。

 政治家になる前の李登輝氏は、大学教員を退職した後、台湾の山岳地域における伝道に残りの生涯を捧げるつもりであった。政治家への転身を決意した後は、国家と国民のために人生を捧げることが、そのまま神に対する献身ともなったのである。彼は、重要な決定を下すときにはいつも、まず神の前に祈り、聖書の言葉に導きを求めた。人に対する恐れには勝利したが、神に対しては常に畏れを抱き続けた。その有り様は、彼が称されたモーセのようであり、また、ヨシュアやダビデのようでもあった。私は、改めて李登輝氏の遺徳を偲ぶと共に、日本にも彼のような神を畏れる国家指導者が起こされることを切に願うものである。