先日、私の中学生の息子に、このブログを読んでいるかと聞いたところ、話の内容が難しいから読んでいないと言われてしまった。少し残念だが、内容が大人向けであるから無理もない。同じ事物に対しても、年相応の受け止め方があるだろう。人生を季節に例えることがあるが、中学生なら未だ春であろう。50代の私は年代的には秋であるが、笑うなかれ気持ちの上では未だ夏である。人がこの世に生を受けた時、それは播かれた種のようである。親や周囲の人々から物質的・精神的な養分を得て成長し、やがて芽を出し葉をつける。そして、実が成り、最後は枯れていく。人を1本の木になぞらえた聖書の言葉がある。
「主のおしえを喜びとし 昼も夜も そのおしえを口ずさむ人。 その人は 流れのほとりに植えられた木。 時が来ると実を結び その葉は枯れず そのなすことは全て栄える。」(詩篇第1篇2―3節・新改訳)
私がこの聖書の言葉を読む時、思い出す人がいる。皆さんも、その名前を聞いたことがあると思う。青い目の国会議員と言われた、ツルネン・マルティその人である。彼は、フィンランド人として生まれ育ち、やがて、キリスト教会派遣の宣教師として来日した。来日後、日本人女性と結婚、日本に帰化したが、神奈川県湯河原町の町議会議員選挙に出馬して、見事当選を果たした。日本初のヨーロッパ系地方議員の誕生である。その後、1995年から2001年まで4回にわたり、衆参の国会議員選挙にチャレンジしたが全て落選した。
苦杯を嘗め続けたツルネン氏に転機が巡ってきたのは、2002年2月のことである。民主党参議院比例区で当選した大橋巨泉氏が辞職し、名簿次位のツルネン氏が繰り上げ当選したのだ。その時の記者会見におけるツルネン氏の言葉を、今でも鮮明に覚えている。「やっと、私の季節が来ました。」ツルネン氏61歳の時である。61歳と言えば、今でも多くの人々にとって、これから新しいことに全力で取り組もうとする年齢では無いと思う。しかし、ツルネン氏にとっては、新たな活躍を始めるに遅すぎる歳ではなかった。彼はその後、11年余を参議院議員として国民のために働いた。
神は、私たちひとりびとりに人生における使命を与えた。ツルネン氏が何度も落選を繰り返した後、ついに願っていた活躍の場に立ったように、私たちが何度倒れたとしても、それは神にとって問題では無い。私たちが諦めずに立ち上がって進み続けるのであれば、いつの日か必ず使命を存分に果たせる日が訪れる。神はツルネン氏にそうされたように、私たちにも立ち上がり、歩き続ける力を与えてくださる。そして、あなたの、私の、時が来たならば、多くの実を結ぶことができるようになる。私たちは失敗から学ぶことは必要であるが、過去に囚われてはならない。目先の状況に一喜一憂してもならない。神を見上げ、信じて前に進もう。そうすれば、やがて必ず、あなたの、私の、季節が訪れるだろう。