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大晦日から新年の過ごし方に想う(記事No.79)

 今日は、早いもので大晦日である。年々、時の過ぎ去るのが速くなったような気がする。一説によれば、時の過ぎるスピード感覚は、人生の残りの時間に比例すると言う。人生の先が長い子供の頃は、時がゆっくり流れ、人生の残りの時間が着実に短くなる大人になると、時が速く流れて行くようになる。大晦日を迎えるに際しても、子供の頃と今とでは、気持ちが随分と違う。子供の頃は、年に一度の親公認の夜更かしができる日であり、頑張って日付が変わる頃まで起きていると、遠くに除夜の鐘の音や、山を越えた向こうから、船の汽笛が一斉に鳴る音が微かに聞こえて来た。大晦日の夜が更けるにつれて、何となくそわそわした気持ちを抱いたものである。

 中学生になると、大晦日には、友人たちと連れ立って地元の大きな神社に行き、日付が変わる前から参拝客の列に並んだ。新年とほぼ同時に、初詣するためである。その後、高校生2年生の時にクリスチャンとなり洗礼も受けたので、それ以来神社・仏閣への初詣には行っていない。ただし、友人たちと初日の出を見に、鎌倉の海岸に行くことはあった。当時は、どのような人々が用意したのかは知らないが、砂浜の随所に焚き火が起こしてあり、そこで暖まりながら日の出を待ったものである。夜から翌朝まで出歩くことには、ある種解放感を覚えた。

 大人になってからは、大晦日だからといって、特に夜遅くに外出するということはしていない。もちろん、カウントダウンのイベントなどとは無縁である。イベントと言えば、いつだったか、教会の年越し祈祷会に出席したことがあったくらいか。紅白歌合戦も、ほとんど見た記憶が無い。年越し蕎麦だけは、結婚してからは一応毎年食べている。考えてみると、もう何十年も、日本人の典型的な大晦日の過ごし方はしていないのかも知れない。そもそも、日本人の大晦日の過ごし方に決まりがある訳でも無い。だが、大昔から綿々と受け継がれて来た、日本人に広く共通した大晦日から新年にかけての風習がある。それは、年末の大掃除に始まり、元旦の初詣、お屠蘇と餅を飲食し、七草粥へと続く一連の習慣である。

 日本アッセンブリーズ・オブ・ゴッド教団の牧師で、聖書と日本フォーラム初代会長の小石豊牧師(2021年11月召天)は、「お正月とイスラエルの過越の祭り」というテーマで、次のように書いている。「『お正月』は玄関にしめ縄と門松、床の間にお供え餅、食卓はお節料理です。大晦日は大掃除とごちそう作りに追われ、まるで特別なお客様が来られるのを待つかのようです。そしてソバをツルツル食べながら年を越します。百八つの除夜の鐘が鳴ると非常に宗教的な、それでいて家庭的な緊張感に包まれて年が明け、何ともすがすがしい朝を迎えます。みんな服装を整えて挨拶をかわし、お屠蘇やお雑煮をいただきます。三が日は家族そろってお宮参り。(中略)この風習がいつごろから今のようになったのか、誰もわかりません。先祖伝来の習慣として当然のように守られ、そのお陰で何千年も変わらない民族性が保持されてきました。ところで旧約聖書を読みますと、『過越の祭り』という祭りが出てきますが、それが日本のお正月と大変似ているので驚いてしまいます。過越の祭りとは、エジプトの奴隷になっていたイスラエル人がモーセのよって解放され、エジプトを脱出したときに起こった数々の事件を記念し、ユダヤ人の間で厳粛に守られているものです」

 何と、日本の(大晦日を含めた)正月は、イスラエルの過越の祭りとよく似ていると言う。小石牧師の他にも、聖書研究者でレムナント・ミニストリーを主宰する久保有政氏や、聖書と日本フォーラム現会長の畠田秀生氏など、日本とイスラエルの関係について、優れた研究結果を世に示して来られた人々がいる。彼らの研究の共通の結論は、日本人の主要なルーツは、古代イスラエルに遡ることが出来るというものだ。日本人は、古来より多方面から渡来した人々が、長い年月のうちに融合して、現在へと続く単一的な民族となったものである。その多様な渡来人の中でも、その武力、技術力、文化のレベルにおいて、最も強力な民族集団であったのが、イスラエル民族であったと言う。彼らは、いわゆる失われた10支族(部族)と呼ばれる民族集団である。この説を裏付ける証拠は、正月の風習にとどまらず、日本文化のそこかしこに見られる。神社とイスラエルの神殿との近似性や、神道の中にイスラエルの宗教の痕跡が見出せることもそうである。

 私自身は、この説を支持する立場である。これが事実であれば、単に日本人の最も主要なルーツが解明されるだけではない。過去の事実と言うだけでなく、日本の未来にも関わる重大な事柄が明らかになるのだ。それは、やがて、不思議な神の方法で、イスラエル12支族のうち10支族の末裔である日本人と、2支族の末裔であるユダヤ人とが、再び1つとされる日が来ると言うことである。その結果として、日本人がどうなるのかは諸説がある。大胆な説としては、日本人が実際に、大挙してイスラエルの地に帰還すると言うものがある。ある意味で穏健な説としては、日本人とユダヤ人との再結合は、少数の人々がイスラエルに移ることで象徴的に行われると言うものがある。どのような形となるかは今はまだ分からないが、それは公然と宣言され、世界中の人々が驚くことになるだろう。その時期についても諸説あるので、あるいは、現時点では空想と捉える人々も多いかも知れない。

「これに言え、主なる神はこう言われる、見よ、わたしはエフライムの手にあるヨセフと、その友であるイスラエルの部族の木を取り、これをユダの木に合わせて、一つの木となす。これらはわたしの手で一つとなる」(エゼキエル書 37:19 口語訳)


 聖書が預言しているように、いずれイスラエル12支族が回復される時が来る。それは、世の終わりの時とも関わる出来事である。本ブログでも度々書いて来たように、今、世の終わりの時が近づいている。終末に至るタイムテーブルがあと数年なのか、それとも数十年なのかは、恐らく来年中にも判断可能な状況になると思う。それほど、今の世界には、終末の前兆が多く見られるようになった。しかしながら、神が日本人に与えた使命は、これまで十分に果たされて来たとは言えない。それどころか、それがどんな使命なのかも知られていない。私は、日本人に与えられている重要な使命の1つは、神の愛と聖霊に満たされた人々が世界中に出て行って、キリストの救いの福音を宣べ伝えることではないかと思う。それは、必ずしも宣教師というタイトルを背負って出て行くだけではない。中村哲氏のように、遣わされた国の人々と労苦を共にしながら、キリストの愛を証する人々が多く起こされるのだろう。その時には、イエスを信じる者とされた、ユダヤ人と日本人が手を携えながら、世界の人々のために活動するようになると思う。
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世界の動きを見ながら再臨信仰を確認する(記事No.78)

 2021年は、あと1日と数時間で過ぎ去るが、今年も世界には多くの変化があった。それらの変化のほとんどは、世界の支配者層に属さない、私たち大衆にとっては、有益なものでは無かった。その最たるものは、作られた新型コロナ・パンデミックの継続と、それに伴う世界的なワクチン接種キャンペーンであり、それらの結果もたらされた、自由な社会の崩壊であったと思う。取り分け、西ヨーロッパ諸国やカナダ、オーストラリアなど、これまで自由社会の砦であったような国々が、あっという間に全体主義的な政策を強力に推し進めるようになったことは、そのスピードにおいて、私自身の予測を越えていた。もちろん、それら諸国に寄生する悪魔崇拝者であるグローバリストたち(今回はこの表現で書く、イルミナティとほぼ同義語である。)が、数十年かけて準備していたことである。

 また、各地で戦争が近づいていると思わざるを得ない状況があった。アジアでは、中国の台湾に対する恫喝がエスカレートする一方であり、中共政権は台湾を武力併合するという野望を隠そうともしない。中国は、これまでに併合したウイグル、チベット、内モンゴルなどにおいて、以前より同化政策を進めているが、近年では、民族浄化に等しい手法を導入している。中共政権は人類の敵と言うにふさわしいが、情け無いことに、日本の政治家、官僚、企業人、教育関係者、報道関係者など、社会的影響力を有する人々の中には、中共のハニトラ、マネトラに籠絡されて、あるいは、ビジネス上の利益のため、人道に対する犯罪には目を瞑る者たちもいる。日本では、北朝鮮が最大の軍事的脅威であるように報道される傾向があるが、実際は、日本周辺で最も戦争を起こす可能性があるのは中国であり、彼らが台湾侵攻作戦を発動する時は、ほぼ確実に日本領域の一部も戦争区域となり、尖閣諸島や先島諸島は奪取されると考えてよいだろう。

 ユーラシア大陸では、本ブログ記事のNo.75とNo.76でも書いたように、現在ウクライナ情勢を巡り、米欧とロシアの対立が深まっている。北太平洋条約機構(NATO)の東方拡大を図る米欧に対して、ロシアは戦争覚悟で拒否の姿勢を貫いており、来年1月上旬に実施されると言われる米露の協議が決裂すれば、ロシアは時を置かずに、ウクライナを軍事制圧する動きに出るだろう。どこかの段階で歯止めが掛けられなければ、その行き着く先は、米露の直接軍事衝突であり、第3次世界大戦である。アメリカはオバマ政権当時、シリアの反政府勢力を支援してアサド政権の転覆を図ったが、同政権の要請を受けたロシアのプーチン大統領は、ロシア正規軍をシリアに派遣して軍事介入を実施し、アサド政権は崩壊を免れ、シリアの分裂は回避された。自国の勢力圏が侵害されれば、躊躇うことなく軍事力を行使するのが、プーチン政権の方針である。

 冒頭に記した新型コロナ・パンデミックやワクチン接種キャンペーンとも密接に関連するが、昨年から今年にかけて、GAFAやGAFMAなどと呼ばれる巨大IT企業による、情報空間寡占化の弊害が明らかになった。GAFAとは、Google(グーグル)、Apple(アップル)、Facebook(フェイスブック=メタと社名変更)、Amazon(アマゾン)のことを指し、GAFAの4巨大IT企業にMicrosoft(マイクロソフト)を加えて、GAFMAと言われる。彼らは、例えば、新型コロナ・パンデミックと新型コロナ・ワクチンに関する疑念などのコンテンツを、情報空間から排除するなどして来た。グローバリストの情報通信部門としての面目躍起であり、政府やマスコミとも連携しながら、情報統制と個人情報収集・管理の役割を担っていることが分かる。AI化の隠された狙いもそうであるが、来るべき世界統一政府樹立に向けて、彼らの究極の使命は、人類奴隷化のための技術提供であろう。

 このような世界の情勢を見ると、どうしても悲観的な近未来を予測してしまう。このまま進めば、来年中にもヨハネの黙示録が預言する7年間の患難時代が始まる可能性が小さくない。しかし、希望もある。全体主義的な政策を矢継ぎ早に打ち出している国々でも、民衆に牙を剥く政府に対して、多くの人々が大規模な抗議行動を続けている。ワクチン強制を人道に対する罪として、国際刑事裁判所に告発する動きもある。グローバリスト側としては、世界の民衆の反撃により彼らの計画が頓挫させられるより先に、全体主義体制を固めようと躍起になっている。数においては、民衆の方が圧倒的多数であり、それゆえ、人々が覚醒してしまわないように、情報空間における攻撃を強めている。彼らとしては、数十年前からの、いや恐らくは100年以上前からの、3次の世界大戦を含む人類支配完結に向けての計画の仕上げの段階である。家畜にも等しい大衆に計画達成を阻止されないよう、彼らも今必死である。

 今、私自身もそうであるが、世界中で多くのクリスチャンが、主イエスの再臨が近いことを感じている。30年ほど前、韓国ソウルにあるヨイド純福音教会の日本語礼拝で、ハレルヤおばさんと呼ばれていた、崔子実牧師が流暢な日本語で、「主再臨今夜かも知れない。」と語った言葉が今でも印象に残っている。同様のメッセージは、その前にも、その後今に至るまでも、国内外の多くの説教者から聞いて来た。私の終末理解は、患難末期携挙説であるので、今夜携挙が起こる可能性は考えられない。しかし、現在の世界の動きを見ると、イエスが再び来られる日が近いことは疑い無い。来年は、いよいよ、この世界がどちらに進むのか、分水嶺の年となるだろう。もちろん、世界中の民衆の力が、グローバリストらの攻撃を撃退することを期待している。何よりも、全能の神の介入により、敵の企てが打ち砕かれることを願っている。どうなるにせよ、神の私たちに対する守りがあることに変わりは無い。主を待ち望みつつ、間も無く来たる新しい年を迎えたい。

「だから、兄弟たちよ。主の来臨の時まで耐え忍びなさい。見よ、農夫は、地の尊い実りを、前の雨と後の雨とがあるまで、耐え忍んで待っている。 あなたがたも、主の来臨が近づいているから、耐え忍びなさい。心を強くしていなさい」(ヤコブの手紙 5:7−8 口語訳)
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移動の自由は大事(記事No.77)

 岸田文雄首相は12月24日、国内で新型コロナ・ウイルスの変異株「オミクロン株」の市中感染が相次いで確認されたことを受け、国民に対して、年末年始の帰省や旅行について「慎重に検討していただくようお願いする」と呼びかけた。自身も、年末に予定していた広島への帰省を取り止めると言う。いくら法的拘束力の無い要請に過ぎないとは言っても、首相の発言であり、大きく報道もされたことから、真剣に受け止めて、帰省や旅行を取り止めることを考える人も多いのではないだろうか。

 昨年の夏、年末年始、そして今年の夏と、帰省や旅行を控えた人は多かったと思う。旅行はまだしも、帰省は、老親と離れて暮らす人々にとっては、多くは年に1回か2回の貴重な親子水いらずの機会でもある。これで、今年の年末年始も帰省取り止めとなれば、丸2年間親子や3世代が対面出来ないことにもなってしまう。中には、この地上では2度と会えないというケースもあるだろう。安倍、菅両氏の首相時代もそうだったが、岸田首相の要請も、国民にとっては残酷な話である。帰省自粛要請を無視して故郷に帰れば、テレビで洗脳された心の狭い人々が、自粛警察となって陰湿な圧力を加えることになる。

 私たちは、これまでの日本における新型コロナ・ウイルスの流行状況と、それに対する政府の対応をつぶさに観察して来た訳だが、いい加減極度に恐れる必要は無いと気付くべきであろう。もし本当に、新型コロナ・ウイルスが、帰省や旅行を控えなければならない程の強力な感染力を有しているのであれば、なぜ大都市圏の満員電車は自粛要請されないのだろう?通勤や通学の移動距離は、帰省よりも短いに違いないが、ほぼ毎日利用しているのであり、感染者との接近機会は遥かに可能性が高い。

 結局のところ、日本を含めた世界の多くの国々の政府とマスコミによって、実態以上にウイルスの危険性が煽られているのであろう。昨年初頭の世界的流行当初は、ウイルスは強力な感染力と毒性を有していたのかも知れないが、変異を繰り返して毒性は相当低下している可能性が高い。そうなると、少なくとも現時点でパンデミックは、本当は終息に近付きつつあると思われる。もちろん、ワクチン接種なども必要ない。最初はワクチン接種は感染を防ぐと言われたが、接種者も感染することが明らかになると、今度は重症化を防ぐ効果があると言われるようになった。すぐに、接種者も重症化することが判明したが、今度は抗体が減少しているためで、ブースト接種が必要であると言う。既に十分、詐欺に等しいことが明らかであろう。

 なぜ、今なお世界の多くの国々で、人々に対する行動制限が、強制であれ自粛要請であれ継続され、一部の国ではむしろ強化されようとしているのか。また、なぜ、有効性や安全性に疑問符が付きまくりのワクチン接種が、多くの国々で強力に推進されているのか。もちろん、決して人々の健康を守るためでは無い。これらを推進している者たちの最大の目的は、人々に対する管理を飛躍的に強化して、世界統一政府樹立への道筋を付けることである。だから、非科学的であろうが、憲法違反であろうが、人々に行動制限を課し、ワクチン接種へと駆り立てるのである。

 コロナ前はそう意識していなかったと思うが、私たちにとって、移動の自由はとても大切な自由である。この自由が保障されているか否かは、言論や信教の自由と並んで、ある国が全体主義的国家であるかどうかのリトマス紙のようなものである。日本でも、江戸時代には、一般には国境(くにざかい)を超えての移動の自由は無かった。国境を越えて旅行するには、通行手形などの旅行許可証が必要であり、それが無いと各地に設けられた関所を通過することは出来なかった。神奈川県の箱根には、お玉ヶ池という名称の池がある。その名の由来は、江戸で奉公していた、お玉という女性が故郷に帰ろうと関所破りをして捕らえられ、処刑されたことを人々が悼んで付けたものとされる。移動の自由が無い時代、許可なき移動は死刑に処せられる重罪だったのである。

 現代でも、北朝鮮などは国内旅行をするにも許可が必要であることは知られているが、ソ連や共産主義政権下の東欧諸国も同様であった。中国では、旅行許可証こそ今では必要ないものの、長距離列車の切符や航空券を買うときには、窓口で身分証明書の提示が求められるため、政府が国民の移動を監視していることは変わらない。全体主義国家では、人々の移動の自由を制約することが、国民管理上不可欠とされているのである。新型コロナ・ウイルス流行を口実に、移動の自由を奪おうとするのは、世界を全体主義体制に導こうとする意図があまりにも明白である。

 私は、帰省したい人はすれば良いし、旅行したい人は好きな所に行けば良いと思う。手洗いやうがいなど基本的な感染予防策の励行は、自分の身を守るためにも必要だが、ウイルスを過剰に警戒するあまり、大切な家族や友人と過ごす時間を失ってはならないと思う。もし私たちが、移動の自由の制約という理不尽を甘受するのであれば、次は言論や表現、やがては信教や思想など内面の自由も侵害されるようになるだろう。帰省や旅行の自粛は、それを唱えている人たちだけで努めてもらえば良いと思う。

「それで、サウロはエルサレムで使徒たちと自由に行き来し、主の名によって恐れずに教えるようになった」(使徒言行録 9:28 新共同訳)
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さらに緊張高まるウクライナ情勢(記事No.76)

 毎日新聞の2021年12月22日付電子版が報じたところでは、ロシアのプーチン大統領は、12月21日、同国国防省の会議で、「西側諸国が攻撃的路線を続けるなら、軍事技術的な対抗措置を取る」と警告した。12月17日に公表した、米露2国間の条約案や北大西洋条約機構(NATO)との協定案について、西側諸国が受け入れるよう、重ねて圧力をかけたと見られる。ウクライナとの国境地帯には、既に17万人から最大26万人規模と言われるロシア軍地上部隊が集結し、戦闘準備がほぼ完了していると見られる。

 さらに、12月23日、プーチン大統領は年末恒例の記者会見において、ロシア周辺に外国軍基地が増えていることに危機感を示し、NATOの東方不拡大を直ちに確約するよう米欧に要求すると共に、来年1月上旬にアメリカとの協議が始まるとの見通しを明らかにした。硬軟両睨みながら、交渉が決裂した場合には、直ちに軍事侵攻する態勢を整えているということだ。ウクライナは現在NATO加盟国ではなく、アメリカと2国間安全保障条約を締結している訳ではないので、もしロシアがウクライナに侵攻したとしても、米欧側には防衛義務は無い。となると、米欧の対抗手段は、経済制裁や人的交流の制限などが中心となると思われるが、同時に、ロシアに対して軍事的圧力をかける動きにも出るだろう。

 これまでのウクライナ情勢を見る限り、同国をめぐり緊張を高めているのは、ロシアよりも米欧の方だと見做せるだろう。かつての冷戦の場合は、大国同士の背後にいた勢力による壮大なゲームであったと捉えることが出来る。その勢力とは、本ブログでも繰り返し説明して来たように、一般にイルミナティと呼ばれる集団である。その中核を構成するのは、偽ユダヤ人の悪魔崇拝者らであり、ヨハネの黙示録が語っている通りである。さらに言えば、その偽ユダヤ人らは、ロシアとは歴史的因縁がある。現下のウクライナ危機が、なぜ起こされたのかを知る上でも、このことは知っておいた方が良いと思う。

 話は、およそ1200年前に遡る。現在、ウクライナとカザフスタンとなっている地帯には、ハザールという王国があった。800年頃のこと、ハザール王国は、王をはじめ国を挙げてユダヤ教に改宗した。これは、キリスト教とイスラム教をそれぞれ奉じる周囲の国々から圧迫を受け、第三の宗教としてのユダヤ教を受け入れることで、国の存続を図ろうとしたためとの説が有力である。当時は、ロシア人とハザール人は、しばしば戦火を交えており、ハザール人は捕虜としたロシア人を奴隷として売買していたと言う。965年にハザール王国は、ついにロシア人の国、ルーシに敗北し事実上滅亡した。その後、13世紀には、モンゴルがハザールに侵入し、多数のハザール人がロシアに逃れたと言われる。ユダヤ教に改宗したハザール人は、本来のユダヤ人がセム系であるのに対してヤペテ系であり、アシュケナジーと称される東欧系ユダヤ人の祖先と言われている。

「ヤペテの子孫はゴメル、マゴグ、マダイ、ヤワン、トバル、メセク、テラスであった。ゴメルの子孫はアシケナズ、リパテ、トガルマ」(創世記 10:2−3 口語訳)


 ハザール人ユダヤ教徒が民族的にセム系で無いことは、その子孫の現在アシュケナジーと称される人々が、イコール偽ユダヤ人という意味では無い。民族的にセム系で無くとも、ユダヤ教を信仰しているのであれば、少なくとも、人々の目からはユダヤ人と見做されるであろう。問題は、ハザール人が受け入れたユダヤ教が、(旧約)聖書を信奉する純然たるユダヤ教であったのかである。その当時、既にユダヤ人は、聖書以外に、タルムードと呼ばれる教学書を持っていた。これは、新約聖書でラビや律法学者として記録されている、宗教教師や賢者らの教えを編集したものである。ユダヤ教の主流派は、このタルムードを聖書と同等かそれ以上に重んじている。また、新バビロニアによってユダ王国が征服された結果、紀元前597年から同538年の間にユダヤ人たちが集団で捕囚となった、バビロン捕囚が起こったが、その時代に、バビロンの悪魔崇拝の思想を取り込んだともされる。それは、カバラと称される秘儀となって、伏流水のように一部ユダヤ人に受け継がれて来たと言われている。ハザール人の中にも、ユダヤ教に改宗した際に、カバラの教えを受けた者たちがおり、彼らは今日カバールとして知られている。

 ロシアの歴史は、かつてのハザール人である、改宗ユダヤ人の中の悪魔崇拝者と、正教を信奉する生粋のロシア人との戦いの繰り返しであった。ロシア革命とはユダヤ革命であったとも言われるが、正確には、偽ユダヤ人革命であったと言えよう。その文脈で歴史を見るならば、ソ連崩壊後の混乱から立ち直った後のロシアは、ようやく自分達の国を取り戻したと見ることが出来るだろう。当然、プーチン大統領は、ハザール王国との確執以来のロシアの歴史から十分に学んでおり、それゆえ、「我々にとって世界革命は必要無かった。」と語ってもいる。地政学において、ロシアはハートランドと見做されている。ロシアを制する者がユーラシア大陸を制するのであり、世界を制するには、ユーラシア大陸を制することが不可欠であるからである。すなわち、世界統一国家を樹立するためには、何としても、ロシアをコントロール下に置かなければならない。ロシアがイルミナティのターゲットとされているのは、前述のような、ハザール王国滅亡の怨念を晴らすためと、世界制覇の実現という目的がある。聖書の預言によれば、いずれロシアは、自ら望まなくとも、戦争へと駆り立てられる。

「人の子よ、メセクとトバルの大君であるマゴグの地のゴグに、あなたの顔を向け、これに対して預言して、言え。主なる神はこう言われる、メセクとトバルの大君であるゴグよ、見よ、わたしはあなたの敵となる。わたしはあなたを引きもどし、あなたのあごにかぎをかけて、あなたと、あなたのすべての軍勢と、馬と、騎兵とを引き出す。彼らはみな武具をつけ、大盾、小盾を持ち、すべてつるぎをとる者で大軍である」(エゼキエル書 38:2−4 口語訳)


 現在進行中のウクライナ危機が、ストレートに米露の直接軍事衝突になるかは、まだ分からない。私は、そこまで一気に事態が進むのではなく、ロシアがウクライナに侵攻し、一旦その状況で米露の睨み合いになる可能性が高いと推測する。しかし、そのまま膠着状態が長く続くとも思えない。遅かれ早かれ、米露は戦争へと突入するだろう。恐らくそれは、これまでに預言されているように、ロシアによる奇襲核攻撃で火蓋が切られるのではないだろうか。開戦前に、ロシア政府内部に巣食う内通者により、米欧のイルミナティ構成員には警報が発せられ、彼らは堅固な地下バンカーに避難する計画であろう。この米露戦争が勃発すれば、世界は7年間の患難時代に入っていることになる。患難時代の起点がいつなのかは現時点では分からないが、米露核戦争とは第3次世界大戦そのものであり、エゼキエル書などに記されている聖書預言の成就である。

 昨年の今頃の時点では、ここまで世界が一気に終末に向けて大きく動くとは、まだ考えられなかった。しかし、ついに患難時代の到来が目前となってしまった。神が恵みの時を暫し延ばしてくださらなければ、私たちの生きている今この時代が終わりの時代となる。ロシア正教のクリスマスは、2022年1月7日である。来年1月上旬の米露の交渉が決裂すれば、クリスマス明けからそう日を置かず、ロシア軍のウクライナ侵攻が実行に移されるだろう。その時、核戦争が近づいていることを、世界の多くの人々は悟るだろう。だが、日本ではどうだろうか?もし、私たちが神を信じているのであれば、恐怖に囚われることは無い。神の特別な恵みを信じて祈り求めるなら、超自然的な方法で私たちの安全は守られる。昔も今も後も生きておられる、全能の神が私たちの主なる神である。

「われわれの神、主がみずからわれわれと、われわれの先祖とを、エジプトの地、奴隷の家から導き上り、またわれわれの目の前で、あの大いなるしるしを行い、われわれの行くすべての道で守り、われわれが通ったすべての国民の中でわれわれを守られたからです」(ヨシュア記 24:17 口語訳)
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米露戦争勃発の危機(記事No.75)

 アメリカとロシアの関係であるが、ウクライナを巡り緊張が高まっている。ロシア政府は2021年12月17日、緊迫するウクライナ情勢を緩和させるための条件として、北大西洋条約機構(NATO)の東ヨーロッパでの活動を大幅に縮小するよう求める、米露2国間条約案を示した。ウクライナとの国境地帯に、17万人とも見られる地上部隊を集結させているロシアが、来年1月にもウクライナに侵攻するのではないかと懸念されている。しかしながら、NATOがロシアの要求に応じる可能性はほとんど無いと見られている。アメリカなどNATO側も、ウクライナに武器を供与していると言われており、ロシアとしても強硬姿勢を崩せない状況である。ウクライナは旧ソビエト連邦の一部であり、ロシアとは歴史的、文化的、宗教的にも緊密な関係があった。

 ウクライナは、1991年にソ連邦から独立したが、その後は、次第にロシアよりも西側諸国との関係を深めて来た。2014年のロシアによるクリミアの併合は、ウクライナは当然認めておらず、日本を含む西側諸国も同様である。宗教面でも、多くのウクライナ国民が信仰しているとされる、ウクライナ正教は、2018年10月にコンスタンティノープル総主教庁の承認を得てロシア正教会から独立、これを受けてロシア正教会は、世界の正教会の筆頭格である、コンスタンティノープル総主教庁と断交した。ちなみに、日本ハリストス正教会もロシア正教会側に立ち、同総主教庁と断交している。ロシアとウクライナとの対立が、政治的な領域に止まらず、宗教的な関係にも及んでいることは、両国の対立を深化させ、戦争へと導こうとする者たちの策略であろう。

 私たち日本人は、日本が四方を海に囲まれており、イメージし難いが、仮にウクライナがNATOに加盟し、アメリカ軍など西側軍隊が同国に駐留する、あるいは同国の基地を自由に使用できるとなると、ロシアにとっては、安全保障上極めて重大な事態となる。例えるなら、カナダかメキシコがロシアと軍事同盟を結び、国内にロシア軍が駐留することになったらどうであろうか?アメリカは、そうなることを口先の抗議だけで見過ごすだろうか?1962年11月のキューバ危機に際しては、当時のアメリカ・ケネディ政権は、最悪の場合核戦争に突入するリスクを承知で、カリブ海において海上封鎖を行い、ソ連がキューバに配備した核ミサイルを撤去させた。ロシアが、ウクライナのNATO加盟を戦争覚悟で阻止しようとしていることは、彼らの側からすれば当然であろう。

 最近、インターネットで視聴した、スペイン人の歴史学者であり神学者である、ダミアン・ガレロン氏の警告メッセージを動画に編集したとされるビデオがある。「2021年から2022年にかけて起こること(Events to come for 2021/2022)」と題され、英語の翻訳ナレーションが付いたその動画は、映画のシーンをつなげたり、CG映像などを多用した手の込んだものである。世界統一政府樹立を企む、イルミナティ側の偽情報という可能性もあるので、吟味しながら数回視聴した。結論としては、内容の全てを鵜呑みにすることは出来ないものの、近い将来起こり得ることに着目させる、視聴者に対するアラートの効果はあると判断した。ガレロン氏は、ロシアとアメリカの情報機関の、それぞれ最高幹部クラスから情報を得たと言う。その通りだとすれば、情報源の意図は、イルミナティの陰謀を暴露して人々に警鐘を鳴らそうとしているのか、それとも、逆に人々に恐怖を植え付け、抵抗を諦めさせようとしているのか、いずれかであろう。

 そのビデオ・メッセージによると、今後連続した3段階で世界に大きな出来事が起こると言う。まず、各国に大停電が起こされる。それは、ヨーロッパで広範囲に雪が降る1月か2月に起こされると言う。1ヶ月に及ぶこの大停電により、電気だけでなく、インターネットを含む全ての通信が遮断され、食料の供給は途絶する。国際航空便は、全面的に運航を停止し、陸上交通も麻痺する。大停電の間、各国では戒厳令が敷かれ、人々は自宅に留まるよう命じられると言う。ビデオの中で、グローバル・エリートとして語られる彼らの目的は、世界の人口の削減であり、3年間のうちに50億人を削減することが目標だと言う。今年10月に全世界的に一時的な通信障害が発生したのは、彼らの予行演習とされる。ガレロン氏は、最低限5ヶ月分の食料を備蓄するよう勧めている。

 大停電が終わる時、今後は第3次世界大戦が起こされる。主要な戦場はヨーロッパであり、ロシアと中国の連合軍が侵攻する。そして、アメリカも攻撃を受ける。攻撃には大陸間弾道弾などの核兵器も使用され、3週間の内に22億人を殺害する計画とのことである。この戦争により、ヨーロッパの50パーセントは壊滅する。アメリカは、戦争開始から2年以内に、1億8,000万人が犠牲になると言う。その後、3番目の段階へと進むが、直径7キロメートルもある巨大な隕石が地球に落下する。隕石はその際2つに分裂し、大きい方は太平洋に、小さい方は大西洋に落下する。それは、2023年か2024年の5月に起きるそうだ。計算では、隕石落下により生じた、高さ500〜600メートルの巨大な津波により、大西洋のすべての島々は消滅し、ニューヨークなど各国の沿岸部にある都市もことごとく消滅する。これらのことは、5月に月が赤く変わる時に起こると言う。なお、核戦争や隕石による巨大災害が起こっている間、それを待ち望んだ者たちは、地下都市そのものである巨大シェルターで、快適な避難生活を送る計画らしい。

 23分少々にまとめられたこのビデオの中では、カトリック教会のミサから聖体(カトリックの聖餐式である聖体拝領に用いられるパン、キリストの体がパンに現存するとされる。)が取り除かれる時が来ると言う。それ以降のミサは、全て悪魔的な儀式へと変わるそうである。ガレロン氏は、推察するに、スペインのカトリック系大学の教授であろうが、終末論を長年研究して来たように思われる。また、カトリックの預言者(幻視者とも言われるようであるが。)が語ったという預言も引用していることから、聖霊の賜物についても受け入れているようである。ビデオ・メッセージでは、現在のローマ教皇は悪魔崇拝側から送り込まれた人物であることも明らかにしており、カトリック教会の悪魔化を憂慮していることが伝わる。ビデオは最後に、人々に神の前に悔い改めて祈ることを呼びかけ、主の祈りで終わる。前述のように、情報源による情報提供の意図が、正邪どちらとも受け取れるのだが、少なくとも、イルミナティの計画を暴露していることは間違い無いと思われる。全てを鵜呑みにすることは危険であるが、今後の世界の動きとも照らし合わせながら、彼らの策略を見抜くための参考にはなるかも知れないと思い、あえて概略を紹介した。

 
「あなたがたは、これらすべてのことを見たなら、人の子が戸口に近づいていると悟りなさい」(マタイによる福音書 24:33b 新共同訳)


 もう1つ、アメリカとロシアの戦争に関する預言を紹介したい。こちらの方は、預言した人物は間違いなく神の人であると断言できる。私も1度だけお会いする機会があり、その際に祈ってもいただいたが、謙遜で柔和な聖霊に満たされた器である。その神の人、ヘンリー・グルーバー師は、祈りの歩行(Prayer Walking)の実践者として知られている。同師は何度も来日し、日本ために各地で祈りとメッセージの奉仕をされた。2019年10月に召天されたが、同師を通して語られた神のメッセージは、今なお多くの人々に励ましと慰めを与えている。グルーバー師は1986年に、祈りの歩行の最中、神からある幻を見せられた。それは、ロシアの指導者が、アメリカに対して激しく怒っているシーンから始まる。次に、ロシアの軍港から多くの潜水艦が出港し、密かにアメリカ大陸沖に展開する。グルーバー師は、すぐに警戒警報が発令されるものと思ったが、アメリカでは誰もロシア潜水艦の接近に気が付かない。驚いて見ていると、海中の潜水艦から一斉に核ミサイルが発射される。ミサイルは、アメリカの主要都市に着弾し、核爆発でそれらの都市は破壊される。幻があまりにもリアルだったため、その幻が終わった後、今にも警報が出されると思ったほどだったと言う。

 現在進行中のウクライナを巡るアメリカとロシアの対立が、果たして戦争にまで突き進むのかは、現時点では確定的なことは言えない。しかし、これはイルミナティにとってはゲームかも知れないが、世界の人々にとっては、真剣に憂慮すべき現実である。旧約聖書のエゼキエル書には、ロシアがイスラエルに攻め込むと解釈される預言がある。その預言には、時を同じくして、別の国も侵略するとも解釈可能な記述がある。その別の国とは、アメリカを指しているようにも捉えることが出来る。もしアメリカとロシアが戦争に至るならば、それは世界が世の終わりに入ったことを意味する。世界は今、かつてのキューバー危機と同様、核戦争の脅威が現実的になりつつある状況である。私自身は、アメリカとロシアの軍事的衝突は、ひとまず回避される可能性が高いと考えている。希望的観測であるかも知れないが、もうしばらくの間、神は人類に再生の機会を与えてくださるのではないだろうか。私たちは、世界平和のためにも、祈り続けることが重要である。
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日本だけが貧しくなるのは何故か(記事No.74)

 東京新聞の2021年12月15日朝刊1面トップに、「借家追われる危機急増』と言う見出しで、自治体が生活困窮者に対して家賃を補助する、「住宅確保給付金」の支給件数が、昨年比で約34倍に激増したとの記事が掲載されていた。コロナ禍対策で、休業などによる減収の場合にも適用出来るようにした、利用条件緩和の影響もあるとのことだが、経済的に追い詰められている人々が増加していることは確かであろう。

 昨今の新自由主義的な考え方の蔓延で、勘違いしている人々も多いのかも知れないが、そもそも住居の確保は国民の権利である。具体的には、日本国憲法第25条に、「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」との明文規定がある。すなわち、政府は、最も基本的な性能を有する公営住宅を、国民のために十分に供給する責任を有している。現在の公営住宅の多くが、低所得者層向けと言う、言外にいささかの侮蔑の意味を含んだカテゴリーとして整備されていることは、憲法の精神からも問題があり、これまでの住宅政策の誤りを現しているようにも思える。このように、住宅政策に関わる現況にも、日本が単に精神的にだけでなく、実際的にも貧しいことが現れている。

 最近は、この現実を認識している人が増えたが、先進国と言われている諸国の中で、何故か日本だけが貧しくなって来ている現実がある。過去30年間の経済成長率は、日本は先進国で最低レベルである。1990年から2020年までの30年間で、国内総生産(GDP)の変化は、アメリカが3.5倍、ドイツが2.3倍に対して、日本は1.5倍である。平均賃金の伸び率も最低レベルであり、30年間で日本は4.4パーセントの増加であるのに対して、アメリカは47.7パーセント、ドイツは33.7パーセントの増加率である。俗に、失われた30年と言われる所以である。日本経済新聞2021年12月16日付記事によれば、このままでは、日本の1人あたりGDPは、2027年には韓国に、2028年には台湾を下回る見込みとの予測である。

 こうなった原因は、様々な説があるが、故意であれ過誤であれ、政策の失敗が最大の要因であろう。国家指導者らが愚かだったと言うことである。もちろん政治家たちだけでなく、中央省庁の官僚たちにも大きな責任がある。政治家の陰に隠れて、国民にとって不利益をもたらす政策を進めて来たのが彼らである。財務省がしれっと発表した統計によれば、2021年の国民所得に対する税金と社会保険料の負担割合を示す国民負担率は、何と44.3パーセントに達するとの見通しである。彼らが言う将来の負担とされる、財政赤字を加えた潜在的国民負担率は56.5パーセントとなるそうである。既に五公五民並の負担率であるから、封建時代に等しい搾取である。百姓は生かさず殺さずの思想は、現代の政治家や官僚に、しっかりと受け継がれていると言えよう。

「指導者に英知が欠けると搾取が増す。奪うことを憎む人は長寿を得る」(箴言 28:16 新共同訳)


 私が思うに、日本人は、政府からだけでなく、各種業界の利権構造からも、長年搾取され続けている。中所得者層(先進諸国の国際的感覚では、年収4,000〜5,000万円程度以下の層か)までの人々、すなわち、私たち、俗に言う99パーセントの人々は、住宅、教育、医療・介護の3大出費要因により、経済的余裕の乏しい生活を強いられている。これらの各分野における公費の投入を増やし、同時に過剰な出費を強いるような仕組みを改める必要がある。住宅分野では、先ほど公営住宅の供給において質・量共に問題があることを指摘した通りである。教育分野においては、公立小中学校の教育レベルが低いことと、生徒に異常な負担を強いる受験システムのため、塾に通う必要があったり、私立学校に行けば高額な授業料を払うことになるなど、とりわけ子供が複数いれば教育費負担が重くのしかかる。医療分野では、医学が進歩すれば病人が減って医療費も減るのが正しいはずであるが、実際は逆で、病人は減らず、医療費は膨張を続け、介護費用と併せて国民生活を圧迫している。以上の全ては、政官財などの利権構造を徹底的に改めることによって、大きく国民負担を減らすことが可能であり、出来ないのではなく、やらないだけである。

 解決策としては、本ブログでもこれまで書いて来たが、国家指導者が神を畏れ、民を愛する者となる必要がある。そのような人は、国民から搾取するような政策は拒否し、国民を豊かにするような政策を進めるだろう。以前、政治の表舞台に、「悪夢の民主党政権」とよく口にする人がいたが、失われた30年間の中で、民主党政権が国政を担っていたのは3年余りに過ぎない。彼らにも責任があるのは確かであるが、より大きな責任を負っているのは誰であるか、一目瞭然である。多くの日本人が苦しい生活から脱却し、この国がもっと暮らしやすい国となるためには、責任を負っている者たちが心を入れ替えるか、さもなくば、表舞台から(裏舞台からも)退場するかが必要であろう。正しい心を持つリーダーたちが、この国の各分野に起こされることを祈りたい。
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魂に響く音楽(記事No.73)

 今日12月15日の午後、滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールで開催された、フジコ・ヘミング氏のコンサートを、妻と次男と一緒に鑑賞して来た。フジコ氏は、本ブログ記事No.43「ある老ピアニストのこと」で書いた、今月で89歳となったピアニストである。スウェーデン人建築家の父と日本人ピアニストの母を両親として、ドイツ・ベルリンに生まれた彼女は、母の指導で幼少の頃よりピアノを習い始めた。10歳の時、ロシア生まれのユダヤ系ドイツ人ピアニストである、レオニード・クロイツアー氏に師事し、彼をして、将来世界中の人を魅了するピアニストになると予言させた。その後の彼女の軌跡は、先の記事でも書いたとおり、波乱万丈の人生であった。

 「昼下がりのコンチェルト」と題された今回のコンサートは、関西フィルハーモニー管弦楽団との共演であり、指揮者はスロバキア国立放送交響楽団の音楽監督を長年務めた、マリオ・コシック氏という豪華な布陣であった。最初の曲、ショパンのピアノ協奏曲第1番第2楽章の演奏が始まると、その次の瞬間、会場の空気が一変した。何と、優しく、美しい調べであることか。目を少し閉じて聴くと、奏でられる旋律に心が洗われるようである。続いて、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番、ショパンのエチュード・エオリアンハープが演奏され、締めは、フジコ氏の十八番である、リストのラ・カンパネラである。これまでフジコ氏の演奏会には行ったことがなく、Netflixでドキュメンタリーを観たり、Youtubeで演奏を観ただけであったが、今回生演奏を聴くことが出来て感激した。

 聞くところによると、これまで、何人かの日本人有名ピアニストや音楽評論家からは、フジコ氏の演奏は酷評されて来たそうである。その主な理由は、技術的なレベルやレパートリーの少なさとのことらしい。はっきり言って、何を勘違いしている人たちであろうか。音楽専門家らが、彼らの指標で、フジコ氏の演奏をどう評価しようが勝手ではある。しかし、演奏家は、一体何のために演奏するのであろうか?自分の演奏を極めるためか、あるいはコンクールなどで高い評価を受けるためか。また、一体誰に向けて演奏するのであろうか?自分と同じ演奏家たちにか、あるいはコンクールの審査員に向けてか。そうではなく、聴衆のために、多くは音楽の素人かアマチュアである彼らに向けて演奏するのが、本来の演奏家ではないだろうか。

 フジコ氏は、誰が名付けたか、「魂のピアニスト」と呼ばれている。彼女は、絵の才能も並はずれているが、全て芸術とは魂にあるものを、形にする作業であると言える。表現者その人の、内側にあるものが音楽や絵画や演劇などとして現されるのが芸術であろう。人の魂は、知性・感情・意思の3つの部分から成っているが、それらを結ぶことが出来るのが愛である。愛はまた、人と人とを結ぶ帯でもある。フジコ氏の演奏が人々の心を打つのは、彼女の魂に愛が豊かに宿っており、演奏を通して、それが溢れ出るからであろう。目に見えない愛が、彼女が演奏する時、鍵盤を弾く手に宿り、それがピアノによって音色となって、人々の耳に入り、心(魂)にまで伝わるのである。だから、技術や曲のレパートリーの面においては、フジコ氏を上回る演奏家が少なくないにも関わらず、彼らよりも、多くの聴衆をより感動させることが出来るのだろう。

 
「これらいっさいのものの上に、愛を加えなさい。愛は、すべてを完全に結ぶ帯である」(コロサイ人への手紙 3:14 口語訳)


 音楽の起源は、創造主である神を讃えるために創造されたものである。そこには、神による愛、神に対する愛があった。歴史における音楽の拡がりの中では、愛だけでなく、様々な影響を受けて多様な音楽が作られてきた。人を感動させるものだけでなく、陶酔させたり、催眠効果を与えるものなど、音楽が人々に与える影響は様々である。しかし、フジコ氏の音楽には、その根底に愛がある。今日は、その愛を感じ取ることが出来た、素晴らしい演奏会であった。帰宅してから、家庭の祈りの時間で、フジコ氏の健康と益々の活躍のため祈ったことは言うまでもない。
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国際的医療犯罪者たち(記事No.72)

 オーストリア政府はヨーロッパで初めて、2022年2月より、12歳以上の全住民を対象とした新型コロナ・ワクチン接種の義務化に踏み切る方針とのことである。同国は、11月20日より20日間の都市封鎖(ロックダウン)を再び実施している。ロックダウン解除後も、ワクチン未接種者に対する外出制限は継続されると言う。オーストリアも、記事No.70「風前の灯となったオーストラリア」で書いた、オーストラリアと似たような状況のようである。また、ドイツでも、同様の政策が導入されようとしている。まるで、ナチスの亡霊が甦ったかのようではないか。

 そのような状況がある中、気になるニュースがある。EU委員会委員長のウルズラ・フォン・デア・ライエン氏が、ニュルンベルク綱領(Nuremberg Code)の廃止を唱えたと言う。ドイツ人である彼女は、2005年に第1次メルメル内閣で家族・高齢者・婦人・青少年担当相に就任以来、労働・社会相、国防相を歴任し、2019年12月より第13代EU委員会委員長に在任している。政治家になる前は、医師としてのキャリアを歩んで来た。メルケル前ドイツ首相と同じ、キリスト教民主同盟(CDU)に所属している。ちなみに、CDUは、キリスト教の理念を基本綱領の中核に置いているが、キリスト教徒のみで構成される政党ではなく、日本における創価学会と公明党の関係などとはイメージが大きく異なる。

 ところが、AP通信(AP News)の2021年12月7日付オンライン記事によれば、ライアン氏がニュルンベルク綱領の廃止に言及したのは、彼女の発言を曲解した人々が流した誤報だと言う。実際の彼女の発言を調べてみたところ、BBCオンライン版2021年12月1日付記事に、次のように伝えられていた。ライアン氏は、新型コロナ・ウイルスとそのオミクロン株の流行に立ち向かうために、EU諸国は、ワクチン接種義務化を検討すべきであると述べた。BBCが報道した発言のみであれば、ニュルンベルク綱領の廃止を直接的には言及してはいない。しかしながら、新型コロナ・ワクチンは治験中のワクチンであり、各国政府が緊急的に使用を許可する形式で、接種が進められているものである。

 そもそもニュルンベルク綱領とは、何であろうか。これは、第2次世界大戦でドイツが降伏した後、連合国によって、ドイツ側戦争犯罪者を裁くために開設された、国際軍事裁判、いわゆるニュルンベルク国際軍事裁判において、戦時下のナチスによる人体実験などの医療犯罪を裁いた結果、制定された倫理原則である。ニュルンベルク国際軍事裁判では、医療犯罪は第1法廷第1事件として審理され、被告人は23名、うち20名が医師であった。1947年8月20日に判決が言い渡され、死刑7名(うち医師4名)、終身刑5名などの厳しい判決が下された。この裁判後に制定されたのがニュルンベルク綱領であり、10項目から成っている規定である。その第1番目は、「被験者の自発的同意は絶対に不可欠である。」という規定である。なお、この綱領に違反した場合には、「人道に対する罪」などと同じ、戦争犯罪に問われることになり、最高刑は死刑となる。

 AP通信は、新型コロナ・ワクチンの接種義務化は、人体実験とはカテゴリーが異なるとして、ニュルンベルク綱領廃止はフェイク・ニュースだと言う。各国政府が、新型コロナ・ワクチンを正式承認すれば治験期間は終了となるが、そうなれば義務化=強制接種しても許されると言う考え方はおかしいと思う。いや、異常と言っても過言では無いだろう。政府であれ、医師であれ、人が明確に拒否しているのであれば、いかなる薬物を投与することも許されないと思う。これは、例えば精神医療などの分野でも同様である。新型コロナ・ワクチンの場合、安全性や有効性が十分に検証されているとは言えず、製造しているファイザーなどの製薬会社は、成分さえも全てはオープンにしていない。このようなワクチンを接種義務化すれば、言い方は何であれ、ニュルンベルク綱領違反であり、それを有名無実化=実質的廃止するのに等しいと思う。ファイザーCEO アルバート・ボーラ氏とも親しいとされるライエン氏が、ワクチン接種義務化を望んでいることを公言したことは、彼女の思考の根底には、ナチスと同様の発想があることを認めたに等しい。

 アメリカでは、連邦政府による民間企業従業員に対する接種義務化について、一部の連邦巡回裁判所(高裁)で違憲判決が出されるなど、全国的な接種強制の試みは根強い抵抗で進んでいない。連邦議会では、ワクチン導入の政府側の司令塔であるファウチ博士を糾弾する動きも出ている。ファウチ氏がそうであるように、どこの国の誰であっても、新型コロナ・ワクチン接種を推進している者たちは、いずれ、ニュルンベルク綱領違反の犯罪者として、人道に対する罪等で裁かれる可能性が高い。もし、そうはならず、逆に、アメリカを含めた多くの国々で、全住民に対するワクチン接種強制に至るならば、いよいよ世の終わりの時が来たと判断すべきかも知れない。ヨハネの黙示録に預言されている、7年間の患難時代に突入すると言うことである。目を覚ましていなければ、気がついたら患難時代に入っていたと言うこともあり得る。世界は今、大きな分岐点にある。私たちは、それぞれが持つ信仰や自由を堅く守らなければならない。

「ただ、わたしが来る時まで、自分の持っているものを堅く保っていなさい」(ヨハネの黙示録 2:25 口語訳)
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真珠湾を巡る奇蹟の物語(記事No.71)

 今年12月8日は、日本海軍による真珠湾攻撃から80年が経つ日である。それは、日米開戦の日でもあった訳だが、武力衝突が始まる少なくとも20年以上前から、両国は戦争へ向けて突き進んでいた。戦争準備という点では、アメリカの方が先を進んでおり、既に1920年代には、対日戦争を想定した、オレンジ計画と呼ばれる作戦計画が立案されていた。国としての歴史がより古い日本よりも、はるかに歴史の浅いアメリカの方が、長期的な視野に立って国家戦略を策定していたのである。当時も今も、その違いは変わっていない。

 私が小学生だった1970年代には、従軍経験のある大人が現役世代にも多くいて、戦争体験者からの話を直接聞くことも普通であった。子供向けの本でも、戦争や兵器をテーマにしたものが多く出版されていたし、テレビドラマやアニメも同様に多くあった。戦争アニメ「決断」などは、子供ながら毎回観ていたし、映画でも「トラトラトラ」など真珠湾攻撃をテーマにしたアメリカ映画や、「沖縄決戦」などの日本映画を、テレビ放送で観たことを覚えている。戦争の実態は悲惨であり、一握りの権力者や資本家などを除き、誰も得することは無い。戦争によって利益を受ける者たちは、総じて卑怯者であり、自分達は安全な場所にいる。これに対して、戦争によって損失を受ける者たちの中には、勇敢で愛国心と使命感に富んだ者たちも多くいる。真珠湾攻撃における第1次攻撃隊総指揮官として戦爆連合部隊を率いて突入した、淵田美津雄元海軍大佐(1941年12月当時は少佐)も、そのような勇敢な人々の1人であった。

 奈良県出身で、海軍兵学校を出た生粋の職業軍人の淵田元大佐であるが、例のごとく、実は、私もこの人と細い糸で繋がっている。話は、敗戦後の日本に遡る。それまでの幾多の軍功を挙げた英雄的な軍人から、一転して日本を破滅に陥れた戦犯のように白眼視されるようになった淵田氏は、戦犯裁判を進める米国など連合国に対して、激しい復讐心と憎悪の念を抱いていた。その頃、アメリカの捕虜収容所から送還されて来た元捕虜の一群から、彼は驚くべき話を聞く。マーガレットという若いアメリカ人女性が、日本人捕虜に対して親切に看護をしてくれていた。敵国兵士に対して、心を込めて世話をしてくれるその姿に、捕虜たちは心を打たれ、ある日その理由を聞いてみた。当初は返事をためらっていた彼女に、皆がなおも聞きただすと、重い口を開いた彼女の答えは、「私の両親が日本軍に殺されたからです。」というものであった。なぜ、普通なら殺したいのが当然であるはずの、両親の仇に対して、逆に親切に出来るのか。捕虜たちが聞いた、彼女の両親の最期は次のようなものであった。

 彼女の両親、ジェームズ&シャーマ・コベル夫妻は、日米戦争が始まった時、フィリピンのパナイ島イロイロにある大学で教育宣教師として働いていた。日本軍がパナイ島にも上陸し、彼らは他のアメリカ人宣教師らと共に山奥に避難した。ところが、ゲリラ掃討の日本軍部隊に発見され、捕らえられてしまう。敵国人としてスパイの容疑をかけられた彼らは、本来は後送されて軍法会議にかけられるべきところ、部隊指揮官の判断で即刻処刑されることになった。コベル夫妻は、日米関係が険悪化する前、日本で宣教師として働いていたため日本語が堪能であり、自分達が戦火を逃れて避難した宣教師であると説明したが聞き入れられなかったと言う。1943(昭和18)年12月20日、コベル夫妻ら11名の宣教師と彼らの子供3名は、パナイ島山中で斬首された。後に、「希望の谷の殉教」として知られる出来事であった。処刑の直前、コベル夫妻らは日本軍指揮官に30分の祈りの時間を求めて許され、自分達を処刑する日本軍兵士らのために、また日本のために祈ったと言う。推察するに、彼らの最期を目撃した現地住民の証言を、フィリピンを奪還した米軍が聴き取って遺族に伝えたものと思われる。マーガレット氏は、両親が最期の時に敵を赦したことを知り、日本人への憎しみを捨て、自分も同じように敵を赦す者になったのだ。

 ジェームズ・ハワード・コベル氏は、1896に生まれ、長じてアメリカン・バプテスト宣教団(北部バプテスト派)の派遣宣教師として1920年に来日、以後約18年間、横浜にある関東学院に奉職し、中学及び高等部で英語と宗教教育を担当する。教会では、日曜学校の校長も務めていた。ところが、日米関係が悪化する中、平和主義を唱えていたコベル氏は、警察からの度重なる圧力により関東学院を辞職せざるを得なくなる。コベル氏は、捜真女学院で同じく教育宣教師として働いていたシャーマ夫人と共に、1939(昭和14)年6月に日本を離れ、フィリピンに活動の拠点を移す。バナイ島イロイロの大学で教鞭を執りながら、キリスト教伝道に従事した彼らは、日米戦争勃発により、遂に前述のような最期を遂げたのである。

 元捕虜らから衝撃的な話を聞いてからしばらくの後、淵田氏は渋谷駅前で1人のアメリカ人から1枚のパンフレットを受け取る。そこには、ドーリットル東京空襲で爆撃機の搭乗員として出撃、乗機が中国大陸の日本軍占領地に不時着し捕虜となった、ジェイコブ・デシェーザー氏の体験談が書かれていた。デシェーザー氏は、中国・南京の日本軍収容所で戦争犯罪人として獄中生活を送っていたが、ある時仲間が病死、その葬儀に使うために日本人看守が差し入れた聖書を読み、キリストを受け入れる。日本敗戦により解放された同氏は、アメリカに戻った後神学校に入り、1948年に宣教師として妻のフローレンス氏と共に来日する。淵田氏が手に取ったのは、彼の「私は日本の捕虜であった」というパンフレットであった。パンフレットに書かれた体験談に心打たれた淵田氏は、聖書を読むようになり、ある聖句に捉えられた。コベル宣教師夫妻が、最期の時に神に捧げたであろう祈りと同じ、十字架上のキリストの祈りである。

「かくてイエス言ひたまふ『父よ、彼らを赦し給へ、その為す所を知らざればなり』」(ルカ伝福音書 23:34a. 文語訳)


 キリストの言葉は淵田氏の心に激しく迫り、1951年についに彼は、イエス・キリストを信じる者となり洗礼を受ける。クリスチャンとなった淵田氏は、デシェーザー宣教師と協力し、日本各地のみならず、かつての敵国であるアメリカにも渡り、キリストの福音を伝える伝道者として残りの生涯を捧げた。伝道者としての淵田氏は、日米両国で多くの人々に自分の体験談を通して福音を語った。日本では、敵国の宗教を伝えるのは許せないという一部の元海軍軍人らからの批判も受け、アメリカでは、「リメンバー・パールハーバー」の憎悪の声を浴びせられることもあった。しかし、彼は終始、憎しみの連鎖を断つことを訴え続け、互いに赦し合うことが必要であると聖書の教えを説いた。1976(昭和51)年5月30日、かつて真珠湾攻撃の英雄であり、その後、キリストの伝道者として新たな人生を歩んだ淵田氏は天の故郷に帰った。今では、先に天に召されたコベル夫妻や、後に天に帰ったデシェーザー氏らと共に、神の元で安らいでいる。

 さて、私が中学・高校に在学していた時、学校の礼拝メッセージの中で、コベル氏のことを聞いたことがある。メッセージを語った教師は、真剣な眼差しで私たち生徒に、「本学院の礎は、彼らのような宣教師の犠牲の上に据えられた」と教えた。私が、高校在学中にキリストを信じることが出来たのは、彼らがその生涯を捧げ、命を捧げて神に仕えた、その献身と労苦と犠牲の賜物である。そして、このキリストを通して私は、コベル氏とも、淵田氏とも細い糸で繋がっている。神に栄光があるように!
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風前の灯となったオーストラリア(記事No.70)

 2021年12月4日(土)午後、世界各地でオーストラリアにおける国家的人権侵害に対する抗議デモが開催された。日本でも、東京都港区三田のオーストラリア大使館前に、動員ではなく自発的な参加者である200人以上の人々が集結し、同国の強権的な国民統制に対して抗議の声を上げた。日本ではほとんど報道されることは無いが、オーストラリアでは、COVID-19と称される新型コロナ・ウイルスの蔓延防止対策を名目に、人権無視の強圧的なワクチン接種キャンペーンが展開されており、非接種者は社会的な自由を次々と奪われている状況である。

「また、小さな者にも大きな者にも、富める者にも貧しい者にも、自由な身分の者にも奴隷にも、すべての者にその右手か額に刻印を押させた。そこで、この刻印のある者でなければ、物を買うことも、売ることもできないようになった。この刻印とはあの獣の名、あるいはその名の数字である」(ヨハネの黙示録 13:16−17 新共同訳)


 一般的に日本人がオーストラリアに抱くイメージは、美しい大自然に恵まれた、自由で開放的な社会というものではないだろうか。そこに住む人々は、おおらかで、明るく、フレンドリーというイメージか。私自身は、未だオーストラリアに行ったことは無いのだが、同国の人々とは少し縁がある。現在大学生の長男が中高生の時、オーストラリアからの交換留学生を2回ホームスティで受け入れたことがある。その内1人の生徒は、2ヶ月間受け入れた。同じ屋根の下で暮らしてみて、オーストラリア人は日本人と比べて、のんびりしているような印象を受けたことは確かである。オーストラリアに交換留学したことがある長男に聞くと、やはり現地でも同様であるとのことなので、同国民の一般的な国民性なのだろう。それも、彼の国の風土と自由な社会により培われたものであろう。

 ところが、そんな国が今、収容所国家に堕してしまった。同国では、公共の場所でマスクを着けないでいると現行犯逮捕される。呼吸器系の持病など健康上の理由があっても、取り締まりの警官にとっては、お構い無しである。それ以上に酷いのは、新型コロナ・ワクチンを「完全に」接種していなければ、社会生活が大幅に制約を受けることである。「完全に」というのは、最低2回接種済みのことを指すが、2回目接種後6ヶ月経つとブースター接種の対象となるので、事実上エンドレスで(死ぬまで)、「完全に」接種したと見做されるために、半年ごとにワクチンを打ち続けなければならない。同国では、御多分に洩れず、政府やマスコミと医療業界が足並みを揃えて、新型コロナ・ウイルスとその変異株に対する恐怖を煽りに煽り、一方で、自由を得たければワクチンを打てと脅し、非接種者を弾圧することで、今年11月末までの時点で、公称では全人口の約90パーセントが、2回以上のワクチン接種を終えたことになっている。

 なぜ、自由な国であったはずのオーストラリアが、短期間で急速に全体主義国家と化してしまったのか。そのスピードについては私の想像を超えていたが、こうなったこと自体は不思議でも何でもない。その理由は、オーストラリアが歴史の浅い人造国家であり、実験国家として、恐らくは数十年以上前から、世界統一政府樹立を図る勢力のターゲットとして選定されていたからである。この理由の前提として、この世には、世界の国々を1つにまとめて、統一国家を作り出そうと動いている勢力があることを認識する必要がある。彼らは、一般にはイルミナティと呼ばれる集団であるが、その上層部は別の名称を有している可能性がある。彼らは、悪魔崇拝者であって、キリスト教を憎悪し、その変質と破壊に努めてきた。彼らの目的を実現するための最大の障害が、真のキリスト教会の存在であるからだ。イルミナティの中核は、ヨハネの黙示録が示す通り、偽ユダヤ人の悪魔教徒である。彼らにとって、世界の民衆は家畜に等しい奴隷であり、彼らが意のままに利用し処分出来る存在でしかない。オーストラリアは、不幸にも彼らに目をつけられてしまったのだ。

 私がこの事実に気づいたのは、故小石泉牧師の著作の中で、オーストラリアがイルミナティの根拠地に選ばれているという記述があったことが1つである。もう1つは、20年以上前に観た、ある映画の中で、「彼ら」のメッセージを読み取ったからである。日本では興行的に大ヒットとは言えなかったであろう、その映画とは、「ゲーム(原題:The Game)」という、1997年に公開されたアメリカ映画である。日本では、1998年に公開されており、私もその時に映画館で観た。映画の内容は、マイケル・ダグラス扮する実業家ニコラスが、48歳の誕生日に弟からCRSという会社主催のゲームの招待状をプレゼントされ、その後次々と不可思議な出来事に巻き込まれて行くというストーリーである。映画を見始めてすぐに、これは、「彼ら」のメッセージ映画ではないかという疑念が湧き起こり、結末を観る前にそれは確信となった。「彼ら」の思想やアジェンダが、場面の随所に盛り込まれていたからである。その映画のラストシーンで、CRS社のクリスティーンという女性がニコラスに語ったことが、一語一句まで正確には記憶していないものの、「今度は、オーストラリアに行って、羊ちゃんたちを騙すのかしら。」というセリフであった。この一言で、私は、オーストラリアが「彼ら」のターゲットにされていることを確信したのである。

 世界にはもう1カ国、現在ワクチン接種キャンペーンが強力に展開され、接種率が高まるほど、逆に新型コロナ感染者と死亡者が急増している「人造国家」があるが、この国については、はっきり疑問を書くとクリスチャンの兄弟姉妹からも批判を受ける可能性もあり、もう少し考えを整理してから書くこととしたい。今私たちに出来ることは、国民国家としては風前の灯となったオーストラリアで現在進行形で起こっている事態が、日本で決して起こることの無いように、状況に関心を持ちながら、目を覚ましてオーストラリアの人々のために祈ることである。そして、この状況に関する情報を周囲の人々と分かち合うことも重要であり、導かれれば、抗議デモに参加する選択肢もあるだろう。オーストラリアに、神の正義が現されることを祈りたい。
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神は血の復讐をされる(記事No.69)

 本ブログ記事No.66「寒い冬が来る」の中で少し触れたが、北海道旭川市や東京都町田市で起こった、学校でいじめを受けていた中学生と小学生の女子生徒が、自殺及び不審死に至った事件は、日本社会から愛が失われつつあることを象徴しているような出来事である。2021年12月2日の京都新聞夕刊社会面に、この内、旭川市の中学2年生女子凍死事件(正確には自殺と断定されていない)の被害者の母親を取材した記事が掲載されていた。共同通信の取材であるので、多くの地方紙に同じく掲載されていると思う。これまで断片的に報道されて来た範囲で概要を知っているので、「決死の叫び 学校届かず」の見出しが目に入っただけで、憤りが込み上げて来るのを禁じ得なかった。

 旭川事件で亡くなった、当時旭川市立北星中学2年の生徒の母親によれば、被害者は担任に上級生からのいじめについて、「絶対に内緒で」と前置きして担任に相談したが、すぐ当事者に伝わり、いじめが悪化したと言う。その後母親は、学校側と話し合いを続けたが、同校の中山岳教頭(当時)から、「いたずらが行き過ぎただけで、悪意はなかった」、「10人の加害者の未来と、1人の被害者の未来、どっちが大切ですか。10人ですよ。1人のために10人の未来を潰してもいいんですか。どっちが将来の日本のためになりますか。もう一度、冷静に考えてみてください」と投げかけたと言う。これらの中山氏の発言は、今年8月に公開された、被害者の母親の手記に記されていることである。今回の京都新聞の記事では、教頭に「これ以上何を望むのか」と尋ねられ、「できないのは分かるが、娘の記憶を消して元の状態に戻してください」と伝えると、「頭、おかしくなっちゃったんですか。病院に行った方がいいですよ」とあしらわれたことも明らかになった。被害者の少女は、今年2月13日に失踪、その後3月23日になって、低体温症で亡くなっているのが発見された。

 この事件に関しては、最近ではテレビや新聞で少し報道されるようになって来たが、元々は、今年4月に、「文春オンライン」が商業メディアとしては初めて報じたことで、世に明らかになったものである。旭川には、北海道新聞だけでなく、全国紙も支局を置いているが、彼らは所轄警察署も回っているはずであるのに、この重大事件を報道することが無かった。私が、加害者親族あるいは学校関係者に、地元の有力者か政治的圧力団体関係者がいると推察しているのは、このような状況もあってのことである。日本社会には、臭いものに蓋の根強い隠蔽文化があることは、いわゆる森友問題において、公文書の改竄を命じられた、財務省職員の赤木俊夫氏が自殺した事件でも如実に明らかになった。

 東京では、2020年11月に、町田市立第5小学校の6年生女子生徒が、いじめを苦にして自殺した事件が発生したが、この時も学校側の対応は似たようなものであった。五十嵐俊子校長(当時)は、彼女が推進したIT導入の中で、学年全員でパスワードを共有するなど杜撰な管理体制があったことが、チャット機能を利用した悪口の拡散などの結果を招いたにも関わらず、女子生徒の自殺を今年1月まで隠蔽し、教育委員会へも2月まで報告していなかったと聞く。その五十嵐氏は、今年3月末に定年退職し、4月には渋谷区教育長に就任している。写真週刊誌「FRIDAY」のオンライ版によれば、五十嵐氏が初めて自殺した生徒の遺族宅に弔問に訪れたのは、今年2月24日であり、この日は渋谷区議会へ同氏の教育長任命に関する議案が上程された日であったと言う。自分の栄転が決まったので、安堵して弔問に行ったのだと言われているそうであるが、誰が考えてもその通りであろう。

 本記事では、最近報道されるようになった2つの事件を取り上げたが、日本全国で同様の事件が発生しているであろう。厚生労働省がまとめた2020年版自殺対策白書によれば、15歳〜39歳の各年代の死因の第1位は自殺である。また、遺書などから推定できた原因・動機で最多は、学校問題であり、以下、健康問題、家庭問題と続いている。と言うことは、恐らくは、中高生の死の原因として、学校に関わる問題が最多であると言うことだ。その内の、かなりの割合が、いじめを主な原因とするものであるとも推測可能であろう。いじめ自殺が発生する最大の原因は、これまでも書いて来たように、愛の欠如である。この場合の愛とは、家族愛、兄弟愛、同胞愛、友愛など、人が互いに尊重し、労わり、支え合う愛のことである。教師たちが互いに愛しておらず、生徒たちのことも愛していないのに、どうして生徒同士に互いに愛し合うようにと教えられるであろうか。

 熊本日日新聞の2021年12月5日更新のオンライン記事で紹介されていたが、2013年8月に自殺した、熊本県立高校1年生の女子生徒の遺族が学校や加害生徒と学校に損害賠償を求めた裁判で勝訴してから1年4ヶ月が経ったが、今に至るまで誰からの謝罪も無いと言う。この事件でも、学校は加害生徒と歩調を合わせて、自殺の原因となったトラブルは、いじめでは無く喧嘩であると主張していたそうである。死人に口なしで、自分達に都合が悪い事実は隠蔽あるいは歪曲して説明したのである。このようなケースは、熊本だけでなく、日本各地であったことと思う。何故なら、学校を含めた日本社会から、愛が失われているからである。

 いじめ自殺が起こった場合、加害者や担任教師や校長など、生徒の死に責任を有する者たちが必ずいる。彼ら、彼女らに対して、刑事責任が追求されることは稀である。ほとんどの場合は、被害者遺族が損害賠償請求の裁判を起こした場合に、民事上の賠償責任が認められるに止まる。つまりは、多くの場合は、加害者ら責任を負うべき者たちは、せいぜい賠償責任を負う以外の社会的責任を取ることは無いのである。現代では、SNSなどで加害者名が拡散されることもあるが、それでも、テレビや新聞で実名が報道されることは無く、やがて素知らぬ顔で社会に出て行くのである。被害者が、精神的に、時には肉体的にも追い込まれて、若い命を絶たされたことからすると、何というアンバランスであり、不条理であるのか。憤りの念を禁じ得ないが、これが現在の日本の実情である。

 しかし、加害者や教師らが死んだ被害者のことや、自分たちの責任のことを忘れたとしても、神が忘れることは無い。それが直接手を下したものであっても、いじめにより間接的に手を下したものであっても、神の目からは、人の命を故無く奪ったという点では同じである。その死に際して実際に流血があったかどうかに関わらず、それは無実の人の血が流されたことと同じことである。そこには、必ず神の復讐がもたらされる。いじめ自殺に責任がある者たちの人生に復讐が現されるだけで無く、血が流された、その地に復讐がもたらされる可能性もあるだろう。今回取り上げた、旭川市と町田市には、濃淡は違うが、私にとっても、それぞれ思い出がある。だから、とても残念ではあるが、これらの自治体が、公正な調査により責任の所在を明確にし、被害者遺族への謝罪及び賠償と再発防止に真摯に取り組まないのであれば、やがて都市としても裁かれることになるだろう。その意味においても、いじめ問題は、決して対岸の火事ではなく、私たちの社会における共通の問題として、継続的に関心を持つ必要があるだろう。

「わたしは彼らが流した血の復讐をする。必ず復讐せずにはおかない。主はシオンに住まわれる」(ヨエル書 4:21 新共同訳)
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血筋の意味(記事No.68)

 今上天皇ご夫妻の長女敬宮愛子内親王が12月1日、20歳の誕生日を迎えられた。公表された「成年の感想」の全文を読んだが、成年皇族として、自分に与えられた使命と務めを自覚した、平易な文章にまとめられながら、責任感と共に気品が伝わって来るようなメッセージであった。やはり、今上天皇ご夫妻によって育てられただけのことはある。特に、「両陛下をお助けしていきたい」との言葉は、大袈裟ではなく、強い使命感を持たれていることが分かる。私たち国民としては、愛子内親王が立派に成年を迎えられたことは、喜ばしいことであろう。

「すべての人をうやまい、兄弟たちを愛し、神をおそれ、王を尊びなさい」(ペテロの第一の手紙 2:17 口語訳) 


 時を同じくして、安定的な皇位継承を議論する政府の有識者会議は、11月30日に開催された第11回会合で、「女性皇族が婚姻後も皇族としての身分を保持する」、「皇族の養子縁組を可能とすることで、皇統に属する男系男子が皇族となることを可能とする」の2案を軸に、今後意見を集約する方針を固めたと報道されている。1947年5月の日本国憲法施行後に、11宮家の皇籍離脱(臣籍降下)があり、以来皇位継承権を有する皇族男子は減少し続け、現在では、秋篠宮皇嗣、悠仁親王、常陸宮親王の3人となっている。これでは、将来皇室存亡の危機に陥る可能性もあり得ることから、今年3月に設置されたのが先に記した有識者会議である。

 有識者会議では明確な結論を打ち出すことは出来ないであろうが、結局のところ最大の論点は、女性天皇を容認するか否かである。端的に言えば、女性天皇を否定する人々は、男系でなければ、天皇の血筋が継承出来ないという考え方である。人間が持つ46束の染色体は2本1組の対で存在しているが、この内22対44本は男女共通であり、残り1対2本が、女性はXX、男性はXYとして分かれる。男性にしかないY染色体は、男系においてのみ受け継がれるという論拠である。これに対して、女性天皇を容認する人々は、皇位においても、男女平等であるべきであり、歴史的にも女性天皇は存在しているのであって、男子のみが継承するというのは時代錯誤である、と言うのが最大公約数的な考え方であろう。

 ところで、天皇家のルーツについては、聖書研究家であり牧師である久保有政氏などが、これまでに優れた著作を世に出してるが、古代イスラエルにまで遡ることが出来るという説がある。驚くべきことに、ダビデ王朝の系図と、神武天皇の系図は、人物名が違うだけで関係性は同一である。天皇を国家神道の中で位置付けるのは明治時代の創作であるが、古神道との関係において見るなら、古来より日本の国における大祭司の役割を担って来られた。古代イスラエルでは、王と大祭司の職制は原則として分かれていたものの、基本的には祭政一致であり、天皇の役割とも近似していた。そうなると、現代の天皇も、古代からの血筋を守るために、男系男子が皇位を継承するべきであろうか?

 私は、クリスチャンであり、日本人であるので、聖書信仰とも矛盾せず、日本国民として皇室の弥栄を願う思いにも適った、自分なりの結論を持っている。日本国憲法では天皇は象徴として定められており、その地位は国民の総意に基づくとある。これはこれで大切な規定であり、国の制度としての天皇の職位を保つためには妥当な考え方でもあるだろう。天皇は、国の大祭司であると同時に、名称はどうあれ国王でもある訳で、世襲も当然であろう。しかし、その地位は、国民から受け入れられてこそ、存続し得ることも事実である。そうであるなら、男系の血筋であることよりも重要なことは、その地位に就くに相応しい人物であることではないだろうか。天皇家に生を受け、幼少の頃より皇族としての教育を受けた愛子内親王は、今般の「成年の感想」を読んでも、将来天皇の地位に就かれたとしても、決しておかしいとは思わない。むしろ、順当のようにも思えるのだが。

 本記事の最後に、聖書の教えに触れたいが、人はイエス・キリストを信じる時、神の子供として新しく生まれるとある。この地上で肉体的に生まれ変わるのではなく、霊的に生まれ変わるのである。霊が新しく生まれることを新生と言い、神の子となる唯一の方法である。血筋は関係無く、ただイエスを信じる信仰だけが必要条件である。天皇の存在は、日本にとって決定的に重要な事柄であるが、いかに高貴ではあっても、この地上における人の制度である。神の子となることは、地上の制度とは根本的に異なり、永遠の神の国に至る、全ての人々にとって重要な事柄である。信じる者は誰でも、聖なる神の子の立場を得ることが出来る。私をも神の子とされたことに、ただ感謝である。

「この人々は、血によらず、肉の欲によらず、人の欲にもよらず、神によって生まれたのである」(ヨハネによる福音書 1:13 口語訳)
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