京都は観光地と言うことで、人口あたりのタクシー台数は日本有数と聞く。今は海外からの観光客が無いに等しいことと、修学旅行生や団体客も激減しているので、タクシーの乗客数も大きく落ち込んだ状況が続いている。京都駅からタクシーに乗る場合、なるべく個人タクシーに乗るようにしているので、顔馴染みのドライバーが出来たという訳である。彼らと話すと、もちろん乗客相手に話せないことは多々あるだろうが、業界のことや京都の面白い話も聞くことが出来るので、豆知識が増えることになる。利用客にとってはサービスが良いと評判のMKタクシーが、他のタクシー会社からは随分と嫌われていることも、ドライバーたちとの会話で知ったことである。
タクシー・ドライバーとの会話の中で、さりげなく京都出身か聞くことも多いのだが、意外なことに、随分と他県出身者も多いことが分かった。顔馴染みになった個人タクシー・ドライバーの1人は、福岡県出身で30代の時に、九州で行われていたMKタクシーの募集に応じて京都に来たと言う。京都生まれの京都育ちのドライバーの中には、京都出身ということを誇りに思っているような人も多いのだが(なぜ、京都出身ということだけで誇りに思うのか不思議ではある。)、他県出身者は総じて京都の良いところだけでなく、悪いところも忌憚なく話してくれる人が多い。であるから、新参者としては、飾らない本当の京都の実情を、ドライバーから多少なりとも聞くことが出来る訳である。
国際的観光都市という土地柄、タクシー・ドライバー、特に個人タクシーのドライバーの中には、外国語が出来る人も少なくない、中には、中国残留孤児の子息として来日し、今は個人タクシーを生業としている人もいる。ワゴンタイプ車に乗るその人は、コロナ流行前には、中国人観光客相手に連日フル稼働で稼いでいたそうである。英語が出来るドライバーの中には、英語のホームページで外国人観光客を集客していた人もいる。旅行代理店経由では手数料を差し引かれるので、自分で集客した方が利益が上がると言う訳だ。概して、外国人観光客相手の貸切営業は、うま味のある仕事であったと聞く。タクシー・ドライバーと言うと、長時間労働の割には、収入が低いというイメージもあるが、実際は、様々な工夫と努力で、自営の個人タクシー業者として、そこそこの収入を得て来た人もいるということだ。
さて、こちらは個人ではなく法人車のドライバーであったが、カリスマ・タクシー・ドライバーとも言われる人がいる。現在は武蔵野市議会議員である、下田大気(しもだ ひろき)という人物である。同氏は、父親が作家の志茂田景樹であることでも知られている。現在45歳である下田氏は、中学時代からギャンブルを覚え、高校生になると新宿や麻布などのクラブに繰り出すなど、遊び人としての生活を送っていた。高校卒業後は、起業家を志すが、ことごとく失敗し、自己破産の憂き目にも遭う。そんな破天荒な人生を送っていた下田氏のために、クリスチャンであった母親は忍耐強く祈っていたと言う。
下田氏に転機が訪れたのは、彼が32歳の時である。家族を養うために、本業の他にタクシー・ドライバーとして働いていると言う知人の話を聞いて、人生をやり直すためにハンドルを握ろうと思い立ったのである。タクシー会社に就職した下田氏は、たちまち頭角を現し、入社1ヶ月で社内トップの売上をあげるドライバーとなり、3ヶ月後には業界トップクラスの売上を上げるようになった。その秘訣は、かつて遊び歩いた繁華街などでの人々の行動パターンを熟知していたことと、何よりも、母親に倣って神を信じるようになったことで、神からの恵みを得たことであった。祈りつつ仕事をすることで、稼がせてくれる乗客を神が送ってくれたのである。
「目をさまして、感謝のうちに祈り、ひたすら祈り続けなさい」(コロサイ人への手紙 4:2 口語訳)
下田氏はその後、タクシー・ドライバー派遣事業やコンサルタントしての活動も手がけたが、政治家になるようにとの神の導きを受け、2015年4月の武蔵野市議会議員選挙に立候補し、見事当選を果たした。現在でも、無所属議員として、精力的に政治活動に従事している。クリスチャン・メディアのインタビューや、教会での講演などで、彼が常に語ることは、祈りこそ人生における最大の武器ということである。放蕩に明け暮れた少年時代にも、事業の失敗を重ねた青年時代にも、常に背後には母の祈りがあって守られて来た。タクシー・ドライバーの時代には、いつも祈りながら働き、神はその祈りに応えて優良顧客と売上を与えてくださった。政治家として市民のために働く今も、彼自身と周囲の人々の祈りが、その重要な働きを支えている。下田氏に倣い、私たちも、祈る者でありたいと思う。