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ある老ピアニストのこと(記事No.43)

 皆さんも名前を聞かれたことがあるかも知れない、フジコ・ヘミングというピアニストがいる。1932年12月生まれとのことであるから、今88歳である。コロナ流行以前は、毎年世界各地でコンサートを開いていたが、現在は専ら国内で演奏している。そのような中で、10月から国内ツアーを予定しているという。今回は計16本のツアーとのことで、追加公演もあるそうだ。私も、12月15日に滋賀県大津市で開催される、彼女のコンサートを聴きに行きたいと思っている。

 フジコ氏は、数奇な運命に生きて来たピアニストでもある。ロシア系スウェーデン人画家・建築家の父とピアニストであった日本人の母との間に、ドイツ・ベルリンで生を受けた。幼い頃日本に帰国し、5歳から母親の手ほどきでピアノを始めた。10歳からは、父の友人であった、ロシア生まれのドイツ系ピアニストに師事した。その師は、「フジコはいまに、世界中の人々を感激させるピアニストになるだろう。」と絶賛したと言う。青山学院高校在中、17歳の時に、コンサート・デビューし、東京藝術大学在学中には、NHK毎日コンクールなど、多数の入賞を果たした。芸大卒業後は、本格的な演奏活動に入り、国内オーケストラと多数共演した。28歳の時にドイツに留学し、ベルリン音楽学校を優秀な成績で卒業した。その後は、ヨーロッパに在住しながら演奏活動を続け、多くの作曲家や指揮者から高い評価を受けた。しかし、リサイタル直前に風邪をこじらせて、35歳で聴力を失うという悲劇に見舞われた。失意の中、ストックホルムに移住し、耳の治療を続けながら、音楽学校の教師としてピアノを教えることを生業としつつ、地道なコンサート活動を続けた。

 数十年の歳月が流れ、フジコ氏が再びクラシック音楽界の表舞台に立つ日が訪れた。1999年2月にNHKのドキュメンタリー番組「ETV特集」で、「フジコ〜あるピアニストの軌跡〜」が放映され、大反響を呼んだのである。フジコ氏の演奏をもっと聴きたいという視聴者からの要望が殺到し、番組は繰り返し再放送され、続編も放送された。フジコ氏66歳の時である。その後1999年8月に発売された最初のCDは、200万枚を超える大ヒットを記録している。以来、フジコ氏には国内外からの演奏オファーが途切れることなく、世界中で多くの聴衆を魅了し、多くの高名なアーティストらから、その演奏が絶賛されて来た。

 波乱万丈の人生を過ごして来たフジコ氏であるが、彼女の芸術的才能はもちろんのこと、幾多の困難に耐えて、老年とも言える歳となって大きく羽ばたいた、その力の源泉はどこにあるのだろうか?彼女は以前、あるインタビューで、「祈りがあったから、やって来れた。」と答えたと言う。また、人生で最も大切なのは、信仰と祈りと愛であると語っている。「『遅くなっても待っておれ、それは必ず来る』という聖書の言葉は、私に訪れたのです。」とのフジコ氏の言葉が心に響く。

「主はわたしに答えて、言われた。『幻を書き記せ。走りながらでも読めるように 板の上にはっきりと記せ。定められた時のために もうひとつの幻があるからだ。それは終わりの時に向かって急ぐ。人を欺くことはない。たとえ、遅くなっても、待っておれ。それは必ず来る、遅れることはない』」(ハバクク書2:2−3 新共同訳)


 フジコ氏がまだ10代だった頃、彼女のピアノの師が「予言」したように、ついに彼女は世界中の人々を感激させるピアニストとなった。神が彼女の心に与えられた幻は、半世紀以上の年を経て現実のものとなった。この神を私も信じている。信じる者たちの人生に、素晴らしいことを成し遂げてくださる、この神を。さて、12月15日のコンサートは、チケット発売開始が9月26日である。今までは、映像でしか観たことがなかったフジコ氏の演奏である。妻と、出来れば次男も一緒に、聴くことを今から楽しみにしている。