技能実習生の制度については、様々な問題点が指摘されて来た。中でも、実習生らの人権が侵害されているケースが多々あることは、日本人として恥ずべきことでは無いだろうか。本来の技能実習制度の目的は、発展途上国などからの人材に日本で働きながら技能を学んでもらい、実習期間終了後は、学んだ技能を母国で活かしてもらう、と言うものであった筈である。ところが、それはほとんどの場合建前で、現実は実習生にとっては出稼ぎであり、受け入れ企業にとっては、低賃金現場労働者の確保が主目的であることは疑いない。
建前がどうであれ、特に3K職場の人手不足に対応する方策として、技能実習生制度が有用であることは事実であろう。日本人を募集しても人材確保が難しいのであれば、給与などの待遇を改善して少しでも魅力的な職場にするのが、本来の方策ではないかと思う。そうは言っても、技能実習生制度を活用するのであれば、日本人労働者を採用した場合と同じ処遇にしなければ差別ではないだろうか?先のベトナム人実習生の話では、日本で稼いだ給料は母国では3倍の価値があると言う。彼らは、妻子帯同が認められていないので、単身来日し、毎月僅かな生活費だけを残して仕送りをしているそうだ。
在留外国人の中でも、技能実習生らは弱い立場に置かれている。外国人の中でも、政治的圧力団体でもある民族団体を組織している人々や、外国企業の駐在員とは全く違う。また一般に、日本人の外国人に対する態度は、西洋諸国の白人に対するそれと、東南アジア人に対するものでは明らかに異なる。多くの人々は、無意識の内にではあっても、白人には劣等感を持ち、有色人種には優越感を抱いているのではないか。日本人同士でもマウントを取り合うような有り様であるから、外国人に対しても同様なのか。何だか、寂しいことである。技能実習生は、日本企業のために働いているのだから、もう少し親切に出来ないものだろうか。
「あなたたちは寄留者を愛しなさい。あなたたちもエジプトの国で寄留者であった」(申命記10:19 新共同訳)
今回、ベトナム人技能実習生から直接、彼らが虐げられている実態を聞いたので、憤りを吐露してしまったが、全ての受け入れ企業で同様の状況とは言えないであろう。中には、実習生らを日本人社員と同様に、大切に扱っている経営者も少なくないとは思う。否定的な話ばかりでは無く、彼らに愛を示した経営者の話も書いておきたい。皆さんの中にも、覚えておられる方々もいるだろう。2011年3月11日に発生した、東日本大震災の時のことである。
宮城県女川町の水産加工会社、佐藤水産には、当時20人の大連市出身の中国人実習生が働いていた。地震が発生した時、作業場の隅に固まって震えていた彼女らを、同社の佐藤充専務は捜し出して、安全な場所へと誘導した。その後すぐ、佐藤氏は逃げ遅れた人たちを捜しに引き返したところ、津波に呑まれてしまったのだ。中国人実習生らを守るために、自分の命を投げ出した佐藤氏の行動は、日中両国の多くの人々に感動を与えた。危機に際しては、人の本質が現れる。佐藤氏は、日頃より自社のために働く実習生らに対して、思いやりの心を持って接していたことが、生死がかかった状況の中で、愛と勇気を示すことに結びついたのだと思う。
全ての日本人では無いにせよ、どうして、外国人の中で弱い立場の人々に対して、辛く当たるようになってしまったのか。日本人同士でも弱者を虐げることがあるが、こと外国人に限って言えば、江戸時代の鎖国と、明治維新以来の欧米追従の流れの影響も大きいと思う。徳川幕府が鎖国政策を採る以前は、日本人はアジア各地と交流を持ち、フィリピン、ベトナム、タイ、カンボジアなどには日本人町も形成されていた。古代から日本は、各地からの渡来人が長い年月をかけて融合して、やがて単一的民族となったもので、元来は多民族国家であった。それにより形成された、日本人本来の霊的、精神的DNAは、今は埋もれているようではある。そうであっても、私たちに悪を働くので無い限り、私たちは、居留している技能実習生を含めた外国人にも、日本人に対するのと同じ愛を示したいと思う。