敗戦後の日本の首相は、菅氏を含めて35人いるが、その平均在任機関は約2年である。大統領制のように憲法で任期が規定されている訳では無いので、単純な比較は出来ないとは言え、一国の最高指導者としては、余りに短いことは確かであろう。なお、歴代首相の中で、最長在任期間を誇るのは安倍晋三前首相であり、以下、桂太郎、佐藤栄作、伊藤博文と、上位4人までが長州出身者である。それぞれに毀誉褒貶があるが、共通しているのは、明治維新以来変わらない、長州支配の構図により輩出された人物ということである。敗戦後はこれに、対米従属という要素が加わったのは、前記の佐藤、安倍両元首相を見ても明らかであろう。
日本の首相の平均在任期間がかくも短いことは、政治的には様々な理由がある訳だが、霊的な面においても理由が明確にある。それは、神の教えに対する反逆である。加えて、正当な国の秩序と、国民に対する反逆もある。真の神を信じているか否かに関わらず、人は神が心に置かれた、良心に反さないよう歩むことが必要である。仮に聖書の教えを知らなかったとしても、良心に従うことで神の教えを守っているならば、その人は神の恵みを受けるであろう。これまでの首相たちの政治的業績を検証するまでもなく、彼らの多くは神の教えを実践して来なかったことは、現在の日本の惨状を見れば明らかであろう。
「反乱のときには国に首領となる者が多く出る。分別と知識ある人ひとりによって安定は続く」(箴言28:2 新共同訳)
元石油開発会社の経営者でフリー・ジャーナリストでもある、藤原肇氏は、2000年4 月に当時の小渕恵三首相が脳梗塞で入院した際、青木幹雄官房長官が首相代行となり、その後小渕氏が退院することなく死去し、森喜朗幹事長が後任首相に就任した一連の流れを、談合により首相を決定した一種のクーデターであると非難した。密室政治で国の最高指導者を決めるのは、反乱に等しいと言うことである。また、元参議院議員の平野貞夫氏は、2018年9月に、安倍晋三氏を内乱罪及び同予備罪で最高検察庁に告発しているが、その後、事件は東京検察庁に回送され、2019年9月に不起訴処分とされた。平野氏の告発理由は、安倍氏が首相として憲法尊重義務に背いて来たことは、憲法の基本秩序を破壊する暴動に等しいという、大真面目なものであった。検察庁は嫌疑を認めなかった訳だが、内乱罪は諸外国の国家反逆罪にも近い犯罪であり、少なくとも平野氏の視点では、安倍氏は反逆の徒であったと言うことだ。
このように、在野の知識人らによって、しばしば厳しく指弾されて来たように、日本にも、権力を私物化する、人治政治を行う政治家らが蠢いている。彼らは、決して国民のための政治は行わず、自分たちの既得権益のために働くに過ぎない。これは、与党政治家だけでなく、野党政治家の多くも同様であろう。首相や大臣らの下で働いていることになっている、官僚たちについても同じことが言える。国家と国民に対する反乱は、政・官・財・報・学・労といった、各分野の共犯者らによる合作であるだろう。
もう1つ見逃してはならないことは、現在の自公連立政権は、カルト宗教の影響下にあるということである。この体制は、1999年から、民主党政権時を除き、約20年間の長きに渡り継続中である。公明党が創価学会と表裏一体であることは、誰もが知っている常識であるが、自民党は岸信介首相時代より、統一教会と親密な関係を維持して来た。加えて自民党は、生長の家の幹部らが関与して設立された、日本会議との関係も深い。もっとも、生長の家は、その後政治的には穏健な保守の立場に転じ、日本会議と決別していると言われている。自民党政治家は、韓国や北朝鮮に対する強硬姿勢を示すことがあるが、水面下では統一教会などの半島系団体を通じ、今もなお韓朝とも利権を共有している疑いが濃厚である。
先ほど、次期自民党総裁なら石破氏一択と書いたのは、彼がプロテスタントのクリスチャンだからという理由だけでなく、国民に対する反乱を起こすような人物では無いからである。何回か石破氏の講演を聞いたことがあるが、彼の言う、自分が忠誠を尽くすべきは国民である、という言葉には偽りを感じなかった。2018年に石破氏と安倍氏が総裁選挙を戦った時、産経新聞は、石破氏は安倍氏と比べて国家観が弱いと批判した。報道機関でありながら統一教会と不自然な関係を有する産経新聞が、どの口で言うかと思ったものである。本記事を書いている時点では、石破氏が自民党総裁選に出馬するかどうかは分からないが、民主政治とは、その時に最善の選択肢が無かったとしても、少しでもマシな選択をすることの積み重ねである。私は自民党員で無いので、総裁選挙は見守るだけであるが、これ以上国民に対する反乱者が国の首領になって欲しくない。神を信じるものたちの祈りが必要である。