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オリンピック、中国、戦争(記事No.95)

 中国・北京オリンピックに続き、パラリンピックが開催されている。ロシアによるウクライナ侵攻で、同国の選手が参加を拒否されるなど、オリンピックと国際政治が不可分であることが、改めて示されたと言えよう。国内で激しい人権侵害を続けている中国には、平和の祭典とも称されるオリンピックを開催する資格など無いと考えるが、ロシアを批判する諸国のダブルスタンダードによれば、特段の問題は無いようである。キエフと姉妹都市関係にある京都市では、二条城をウクライナ国旗色にライトアップするなど、平和と連帯のメッセージを発信しているが、これはこれで目くじらを立てることでは無いだろう。

 さて、オリンピック、中国、戦争と言うキーワードから、ある人物のことを連想した。その人は、ウクライナにもロシアにも直接関係は無かったと思うが、中国とは深く関わりがあった。1924年のパリ・オリンピック陸上男子400メートルで金メダルに輝いた、エリック・リデルその人である。リデル氏は、イギリス・スコットランド出身のキリスト教宣教師夫妻の息子として、1902年に清朝時代の中国・天津市で生まれた。学齢期になり、彼は母国の学校に入学するため、スコットランドに渡り、1920年にエジンバラ大学に入学した。大学時代に、ラグビー選手や陸上選手としての才能が開花したリデル氏は、パリ・オリンピックの陸上短距離のイギリス代表に選出される。しかし、100メートルの競技は日曜日に行われることが分かり、聖日を重んじる彼は出場を拒否する。その代わりに、400メートルに出場することになったリデル氏は、人々の予想に反し世界新記録で金メダルを獲得した。その記録は、その後20年間破られることは無かったと聞く。

 パリ・オリンピックのエピソードを中心に、青年時代のリデル氏を描いた映画、「炎のランナー(原題:Chariots of Fire)」(ヒュー・ハドソン監督)が1981年にイギリスで公開されている。日本でも翌1982年に公開され、当時のイギリスにおける時代背景がよく描かれているとの評価を受けた。私は、その数年後にビデオで観たのだが、リデル氏の生き様に感動し、DVDが出た際には、改めて買い求めた。映画の中では、クライマックスはオリンピックでのリデル氏の活躍であり、丁寧に描かれているのは、優れたアスリートとしての彼の姿であり、また、ライバルを含めた周囲の人々の心情や生き方である。しかし、リデル氏の活躍は、オリンピックがピークではなかった。映画では、詳しくは語られていなかったが、彼は1925年に大学を卒業した後、両親と同じく宣教師として中国に渡る。1934年には、同じ宣教師のカナダ人と結婚し、後に、彼女との間に3人の娘をもうけている。この間、1931年には満州事変が勃発し、1937年には日中戦争が始まるなど、中国大陸に戦火が拡大していった時代である。

 1941年になると、中国は西洋人にとっても危険な場所となり、イギリス政府は、在留国民に対して、国外退避するようにとの勧告を出す。リデル氏は、妊娠中の妻と2人の娘を妻の母国であるカナダに帰し、自分は宣教師としての働きを全うするために中国に残った。同年の12月8日、イギリスと日本との間に戦争が勃発し、中国に在留していたイギリス人は抑留されることになった。その後の抑留生活については、日本軍収容所に入れられていた、スティーブン・メティカフ氏の著書が日本語にも訳されており(邦題:闇に輝くともしびを継いで)、その中に詳しく記されている。同氏は、別のイギリス人宣教師の息子として中国に生まれ育ち、当時14歳で収容所に抑留された人物である。メティカフ氏は、移送された山東省濰坊(ウェイファン)市にあった日本軍収容所で、リデル氏と巡り合うことになった。前述の同氏の本には、収容所におけるリデル氏の人となりや、彼から受けた聖書の教えのことも記されている。

 リデル氏は、収容所の中でも被収容者たちに聖書を教えていたが、ある日、「山上の垂訓」として知られるキリストの教えの中の、「あなたの敵を愛せよ」という一節をめぐって議論が起こったそうである。当時のメティカフ氏らにとって、敵とは日本兵のことであり、彼らが中国人に対して行った残虐な仕打ちや処刑も見て来たことから、この聖書の教えは、理想を語っているに過ぎないと受け止めることしか出来なかった。しかし、リデル氏は、聖書の続きに、「迫害する者のために祈れ」とあると教え、彼自身も毎朝日本と日本人のために祈っていると語った。メティカフ氏も一大決心をして、リデル氏に倣い、日本のために祈り始めたところ、やがて、「父よ、彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか、自分で分からないのです。」と祈れるようになったそうである。憎むべきは、日本兵ではなく、戦争であり、神は日本兵のことも愛し、彼らが神に立ち返ることを願っておられることを悟ったのである。

 イギリスと日本との戦争は4年目に入り、日本の敗色は次第に濃くなっていたが、外国人収容所に抑留されている人々の厳しい生活は続いていた。壮健であったリデル氏も次第に体力が衰え、脳腫瘍の兆候が現れ始めていた。1945年2月21日、かつてオリンピックのイギリス代表選手として金メダルの栄誉に輝き、その後の20年間中国派遣宣教師として神と中国の人々とに仕えたエリック・リデル氏は、中国山東省の日本軍収容所において43年間の地上の生涯を終え、天の故郷に帰った。今は、神から永遠の栄冠を受け、天の御国で安らいでいる。映画「炎のランナー」では、ラストの、かつてのライバル選手でもあった、イギリス陸上競技界の長老の葬儀シーンで、「エリック・リデルは、第2次世界大戦末期、日本占領下の中国で死去、全スコットランドが喪に伏す」と短くテロップが出ただけであった。2000年代に入って、リデル氏の収容所生活を描いた中国映画も作られたが、こちらの方は、中共のプロパガンダ映画であり、キリスト教信仰については一切描かれておらず、彼の元アスリートとしての中国人との交流がテーマであると聞く。

 前述のメティカフ氏の書には、リデル氏の棺を墓地まで担いだ1人であったが、その時、次のような思いを抱いたと記されている。「これが中国にいのちを捧げた男の迎える結末なのか。(中略)ゴールドメダリストであり、聖人のような人物だったのに。でもいつかきっと、神様がエリックに栄誉を与えてくださるに違いない。(中略)神様、もし僕が生きてこの収容所を出られる日が来たら、きっと宣教師になって日本に行きます」(「闇に輝くともしびを継いで」P.55)リデル氏の最後の数年の証人ともなったメティカフ氏は、収容所の中で戦争を生き延び、その後1952年、宣教師として来日、以後38年間、青森、北海道、千葉で教会開拓などの活動に従事し、その後イギリスに帰国、ロンドン日本人教会の働きに携わった。2014年6月7日、メティカフ氏は、86年の生涯を終え天に召された。召天のその時まで、イギリスと日本の和解のための働きを続けていたと言う。彼も、リデル氏と同様に、神からの栄冠を受け、永遠の報償を与えられている。2人の命のランナーが掲げたともしびは、今もなお多くの人々に受け継がれて、暗闇の中で輝き続けている。

「わたしは戦いをりっぱに戦いぬき、走るべき行程を走りつくし、信仰を守りとおした。今や、義の冠がわたしを待っているばかりである。かの日には、公平な審判者である主が、それを授けて下さるであろう。わたしばかりではなく、主の出現を心から待ち望んでいたすべての人にも授けて下さるであろう」(テモテへの第二の手紙 4:7−8 口語訳)