今年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻以来、ウクライナから国外に逃れた難民は、既に500万人を越えているとされ、その約半数をポーランドが受け入れているそうである。T兄は、3月下旬から4月上旬まで、他のスタッフ2名を率いて、ワルシャワからウクライナ国境のメディカに至るまで、いくつかの都市を訪問し、今後の食糧支援など人道支援活動に向けた事前調査と、現地団体などとの調整作業に従事したそうである。
これまで本ブログでも、ウクライナ情勢に関する記事を何本か掲載しているが、実際に国境地帯まで足を運んで、難民の状況をつぶさに見てきた人の話を聞くことは、大きな収穫であった。戦争の原因を作り出した者たち、特に首謀者らに近い者たちは、皆戦火の及ばない場所にいるのであろう。露宇双方に掲げる大義があるが、前線で血を流す者たちは、動員された兵士たちである。民間人の中にも、戦火に巻き込まれて悲惨な運命に遭う人々がいるが、中でも最大の被害者は、子供たちではないかと思う。
現在ウクライナでは、18歳から60歳までの男性は、兵役に就くために国内に留まらなければならず、家族で国境検問所に辿り着いても、隣国に脱出出来るのは母親と子供たちだけで、父親とは離れ離れにされてしまうそうである。避難所を訪問したT兄らは、こうした子供たちと、サッカーやバスケットボールなどで一緒に遊んだとのこと。本来なら、父親たちが子供たちの遊び相手になってあげられるのに、可哀想なことである。ウクライナをロシアとの戦争に誘導した者たちが誰であれ、どう控えめに言っても、子供たちを苦しめる権利は誰にも無い。
日本でも、第2次世界大戦最末期にソ連軍が満州に侵攻した際、関東軍主力は在留邦人を守ろうとせず、多数の民間人が犠牲となり、中国残留孤児の悲劇を生んだ歴史がある。また、日本本土でも、空襲や従軍で両親を亡くし、敗戦後は戦災孤児として、この世の地獄を見た子供たちがいた。しかし、そのような悲惨な状況の中でも、彼らに愛を示した人々がいたことは事実である。今般、T兄らの団体が、ウクライナ難民支援に乗り出したのも、彼らに愛を示すためであり、それにより、難民たちに少しでも実際的な助けをするためである。
戦争は自然災害とは異なり、意思を持ってそれを起こす者たちがいるゆえに発生する。そのことに注意を払い、それぞれに探求することも、欺かれないためには重要である。しかし、最も緊急に重要なことは、戦争によって被害を受けた人々を助けることであり、特に、戦争に何の責任も有していない子供たちを救うことは、神と人々との前に尊い働きである。それは、命を守り、命を生かす、神の愛を実践する行動である。ウクライナの地に平和が訪れることを、また、戦争が拡大しないことを、共に祈り続けたい。
「命は慈善の道にある。この道を踏む人に死はない」(箴言 12:28 新共同訳)