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魂の渇きを癒すもの(記事No.112)

 先週、仕事関係の懇親会に1つ出席した。2年数ヶ月ぶりに開催された、その懇親会には、20数名が出席した。酒を飲まなかったのは私を含めて数名だけで、ほとんどがビールの乾杯に始まり、日本酒、焼酎、ワインと気持ちよく飲んでいた。セルフコントロールが出来る限り、酒を飲むのもそれぞれの自由ではある。酒が入ると陽気になり、場が盛り上がるのも理解出来る。私自身は、酒を旨いとは思わないが、以前、いずれも人から勧められて、最高級のワインや日本酒を飲んでみた時には、率直に美味しいと感じた。その種の高品質な酒であれば、私でも少々飲めるが、安酒は匂いも嫌なものである。

 それはそうと、なぜ多くの人々が、友人や仲間たちと酒を飲みたがるのか?酒を飲まなくても、集まって食事を共にするだけではダメなのか?今さら書くまでもないが、それは、酒を飲み交わすと、より楽しさが増すからである。なぜ、楽しさか増すのか、それは、心が少しでも開放的になるからであろう。開放的になると同時に、解放的に過ぎると、酒の席での様々な過ちの元にもなる。もっとも、今日では、セクハラや暴言などは、酒の席を理由に許されることでは無くなった。楽しく飲むなら良いというのは優等生的意見であるが、酒が無ければ人生を存分に楽しめないとすれば、それは気の毒なことではあろう。

「酒を見つめるな。酒は赤く杯の中で輝き、滑らかに喉を下るが 後になると、それは蛇のようにかみ 蝮の毒のように広がる。 目は異様なものを見 心に暴言をはき始める 海の真ん中に横たわっているかのように 綱の端にぶら下がっているかのようになる。『打たれたが痛くもない。たたかれたが感じもしない。酔いが醒めたらまたもっと酒を求めよう。』 」(箴言 23:31-35 新共同訳)


 まあ、実際問題、他人がどれだけ酒を飲もうと、他の人々に絡んだり、隣でとぐろを巻いたりしない限り、別にどうでもよいことである。それよりも気になることは、酒の席での、周囲の人々の会話である。仕事の話に加えて、人現関係や家族の話をする人々もいる。ある程度セーブしながらも、ストレスや悩みの一端を愚痴という形で吐き出す人もいる。多くの場合は、自分の心の内にある何かを話すことで、少しスッキリするようである。だが、他人に話すことで解決する悩みや問題であれば良いが、しばしば、一時的な気分転換は出来ても、根本的な解決を得られる訳ではない。

 今回、特に酒について触れたが、それは、喉を潤したり、一時的なストレス発散には役立ったとしても、私たちの人生の諸課題に対して、何の解決策にもつながらない。また、単なる楽しみとしても、ほんのひと時の享楽に過ぎず、それどころか、過剰に飲めば確実に心身の健康を蝕むであろう。このような一時の、表面的な楽しみや現実逃避をもたらすものは、何も酒だけではない。あらゆる娯楽や芸術、学問や宗教もそうであろう。もちろん、それらの中には、私たちにとって表面上は良いものも多くある。私たちが、この地上で楽しく生きること自体は罪ではない。また、芸術や文学に親しみ、スポーツに汗を流すことも良いだろう。私たちが心に留めるべきことは、いかに良いものであっても、それらは、私たちの魂の奥底を潤し、心を満たすことは出来ないということである。

 現代社会では、誰でも、生きているだけで、強度のストレスを受ける可能性がある世界となっている。だから、物質的には満たされているように見える、大金持ちや有名人でも、精神を病む人もいれば、中には自殺する人もいる。一時的なストレス解消という意味では、酒も麻薬も似たようなものかも知れない。喉が渇いているからと言って海水を飲むならば、もっと乾きが強まるようなものである。私たちの心には、身体がそうであるように、潤いが必要であるが、それは正しいリソースから得る必要がある。そうでないと、いくら潤いの素を求めても、決して渇きは癒やされない。私たちの魂を潤してくださる方、イエス・キリストを求めるならば、その愛と力は、私たちの心の渇きを癒すのに十分である。
 
「わたしはた疲れた魂を潤し、衰えた魂に力を満たす」(エレミヤ署 31:25 新共同訳)
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世界は欺瞞で満ちている(記事No.111)

 先月来日本でも連日報道されていた、ウクライナ南東部の港湾都市マリウポリの、アゾフスターリ製鉄所における攻防であるが、ついに地下に立てこもっていたウクライナ軍兵士らがロシア軍に投降した。マスコミ報道では当初、負傷兵らが「退避」を開始したとのことであったが、結局は誤魔化し切れず、「投降」との表現に変わった。BBCなどによる、ロシア占領地域への「移送」との報道も、捕虜になって「連行」されたと認めるに至った。「撤退」を「転進」と呼び替えて発表していた、かつての日本軍大本営発表は、ウクライナ政府によっても繰り返されている。今後、ネオナチのアゾフ部隊員など、民間人を虐殺した者らは、捕虜交換の対象とはならず、ロシアの軍事裁判で処断されることになるだろう。一部で囁かれている、捕虜の中にいたとされる、米英仏加などのNATO軍人については、ロシアの交渉カードであるから、公表されることになるかは未だ分からない。

 今年2月24日にロシア軍がウクライナ侵攻を開始して以来、日本を含む西側メディアの論調は、ロシアは一方的な侵略者の悪玉であり、ウクライナは果敢に抵抗している善玉という位置付けである。民間人の犠牲者は、ウクライナ政府の主張そのままに、全てロシア軍の攻撃や虐殺により生じたものとされている。それでも、世界の決して少なくない人々が、SNSや独立系メディアによって発信される情報によって、より真実に近い実態を知るに至っている。ロシアを戦争に引きずり込んだのは米英を中心とするNATO諸国であり、その手先となってロシア系住民を暴力的に迫害するなど、自国民を殺害して来たのがウクライナ政府やネオナチ勢力であることは、白日の元に晒されつつあると言えよう。今回のブログ記事は、この戦争を起こした者たちと、米露戦争や第3次世界大戦を引き起こそうとしている者たちの欺瞞について、改めて書こうと思い資料を読み込んだりしていた。

 ところが、別のテーマでインターネット検索をしていた時、もっと大きな、時代を超えたスケールの欺瞞について取り上げている動画を見つけた。聖書を信じるクリスチャンが制作していることが明らかなその動画は、「Eden Media」という名のYouTubeチャンネルであり、チャンネル登録者数 は8.94万人と中々の認知度である。あるいは、本ブログ読者の皆さんの中にも、既に観たことがある人もいるかも知れない。そこで、ウクライナについての話は、状況を見極めながら改めて書くとして、今回は、その大きな欺瞞について少し書いてみたい。なお、Eden Mediaには、今回紹介するテーマ以外にも、世の中の様々な事象を聖書から解き明かしている動画が多くあるので、興味のある方はアクセスしてみると良いと思う。ただし、本ブログ自体を含めてであるが、そこにある全てを鵜呑みにするのではなく、それぞれに吟味しながら視聴する(読む)ことが必要であろう。

 さて、その時代を超えたスケールの欺瞞とは、「木」に関することである。もちろん、木のことだけではなく、地球の過去の姿についての欺瞞であるが、代表例の1つとして、木をのことが挙げられると言うことである。現存する木の高さは、最高でも110数メートルである。しかし、ノアの箱舟で有名な、大洪水の前の地球には、想像を遥かに超える高さの木が生えていた。このことは、私も以前から聞いていた。大洪水前の地球環境は、今とは大きく異なり、生物の成長や生存に最適な環境が整っていた。アダムとエバが罪を犯したことにより、地上に呪いがもたらされてしまったが、それでも、地球環境は神の恵みにより守られていた。であるから、私も、高さ数百メートル級の木が生い茂っていたと思っていた。しかし、今回観た動画によれば、それどころではない、山々を越えるような高さの木が存在していたと言う。

「見よ、あなたは糸杉、レバノンの杉だ。その枝は美しく、豊かな陰をつくり 丈は高く、梢は雲間にとどいた」(エゼキエル書 31:3 新共同訳)


 それでは、その想像を絶するような巨木の痕跡は、どこに消えてしまったのか?それは、世界各地の山や岩のなかに見られるのだと言う。例えば、アメリカのワイオミング州北東部に、デビルスタワーという名の岩山がある。デビルスタワーは、1906年にアメリカ初のナショナル・モニュメントにも指定されている、奇怪な形状の岩山である。その生成の過程は、定説では、地下から噴出したマグマが冷えて固まり、長年の侵食によって現在の形になったとされる。標高は1,558mだが、麓からの高さは386m程である。頂上は、5,000平方メートル程の広さがあり、ほぼ平坦である。その形は、切り株にも似ているが、何と、巨木の切り株そのものであると言う。もしそうだとすれば、他にも世界各地に存在する、切り株状の岩山は、太古の巨木の化石なのだろうか?実は、その動画を見て思い出したのだが、私も、アメリカ留学中に、コロラド州にある3,000メートル程の山に登ったことがあり、言われてみると、巨木の切り株にそっくりな形状であり、その頂上は平坦な草地であった。皆さんの中にも、そうとは知らずに、かつて巨木であった山に登ったことがある方がいるかも知れない。

 今回、太古に地球上に存在していたであろう、巨木のことを少し紹介したが、これは隠された「真実」の一端である。他にも、私たちの常識を覆すような、幾多の真実が覆い隠され、もっともらしい説明付きで他のものに置き換えられている。誰が、何のために、真実を隠し、欺瞞によって人々に誤った知識を植え付けて来たのか。誰がとは、言うまでもなく、悪魔崇拝の地上の支配者たちによってであり、ラスボスは悪魔自体である。何のためにかは、神の創造の偉大さを人々が知ることがないようにであり、悪霊となった堕天使たちが、いかに人間に働きかけて、人類を欺いて来たかを悟らせないためである。欺瞞に満ちたこの世界であるが、真実を知る第一歩は、真の神、天地万物を創造された神を知ることである。そして、神からの天的な知恵と知識を求めることである。それでも、わたしたちは、この地上に生きている間に全てを悟ることは出来ないが、終わりの時代を生き抜くに必要な全ての知恵と知識とは与えられると思う。

「人々を恐れてはならない。覆われているもので現されないものはなく、隠されているもので知られずに済むものはないからである」(マタイによる福音書 10:26 新共同訳)
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スペルト小麦パンと玄米ご飯(記事No.110)

 先日、いつも利用している会員制自然食品通販サイトで注文していた、スペルト小麦で作られたパンを食べてみた。初めて注文した商品であったが、以前に古代小麦と同じ種類であるとの説明文を読んで、是非一度食べてみようと思っていたのである。今回食べたスペルト小麦パンは、バッケットタイプ1本約110gで税込480円(送料別)であったので、一般的な同種のパンの2倍前後の価格と少し高い。工場で大量生産されたパンと比較するのが間違っていることは分かるが、やはり良いものはそれなりの出費にはなる。

 今回のパンは冷凍で配送されたので、冷蔵庫で1日解凍してから、オーブントースターで温めて食べた。1口食べて、今までに食べて来たパンとは性質が違うと分かり、あまりの美味しさに感動した。最初は、夕食時に妻と次男と3人で食べたのだが、翌日は妻と2人で昼食にチーズをおかずに食べ、少し次男に残すつもりが、結局全部食べてしまった。帰宅した次男に聞くと、食べたかったと残念がっていたので、早速再発注したのは言うまでもない。ところで、今まで気に留めたことがなかったのだが、スペルト小麦のことは、旧約聖書にも何箇所かに記されている。

「地のおもてを平らにしたならば、いのんどをまき、クミンをまき、小麦をうねに植え、大麦を定めた所に植え、スペルト麦をその境に植えないだろうか」(イザヤ書 28:25 口語訳)


「小麦と裸麦は壊滅を免れた。穂の出る時期が遅いからである」(出エジプト記 9:32 新共同訳)


 聖書でスペルト小麦を指す語には、新共同訳や新改訳では、「裸麦」との訳語が当てられている。旧約聖書では他にも、エゼキエル書にも登場する。今回の記事では、その霊的意味合いについては、あえて踏み込まない。品質としては、小麦よりも劣るとされているのだが、痩せた土地でも栽培が可能である。旧約聖書が記された頃の古代世界では、地中海沿岸やヨーロッパ大陸で広く栽培されていた品種であった。現代において、スペルト小麦は少ない肥料で栽培できることもあり、有機栽培に適しているとして、その商品価値が見直されている。

 スペルト小麦の素晴らしい点として、栄養が豊富なことが挙げられる。また、食物繊維が豊富に含まれている。また、タンパク質であるグルテンの量が、小麦と比べて少ないと言う。古代からほとんど品種改良(改変)されていない品種のため、小麦アレルギーが発症しにくいという利点もある。小麦の場合、農薬や化学肥料を投入しての大量生産向けに品種改良が繰り返されて来たが、スペルト小麦は単位面積あたりの収穫量が小麦の半分ほどであり、大量生産向きではない。スペルト小麦の皮穀が厚く、害虫被害に対して強い特性があるため、農薬はごく少量の使用で十分である。概して、小麦に比して、自然そのままの味わいや栄養価を有し、自然農法に適した品種がスペルト小麦である。

 小麦とスペルト小麦の対比は、白米と玄米のそれとも似ている面がある。米の場合は、精米するかしないかの違いであり、品種の違いを指している訳ではない。白米は見た目が良く、食べやすく、様々な料理に用い易いと言う利点がある。これに対して玄米は、一般的には、その逆である。しかし、栄養価となると、白米よりも豊富であり、食味も慣れてくると、白米よりも美味しく感じる。私も、良質の天然塩と梅干しを使った玄米おにぎりなどは、白米のおにぎりよりも好きである。また、免疫力を高めるには、白米よりも玄米中心の食事の方が良いとも言われる。精米しないことから、玄米で食べることを前提とした米作りの場合、必然的に低農薬農法など、極力化学物質を使わない栽培方法が望ましい。

 さて、あれこれ書いたのは、スペルト小麦パンと玄米ご飯は、いずれも、人間にとって理想的な食物であることを言いたかったためである。もちろん、極力農薬や化学肥料を使用しないという前提の上であるが。そのことは、聖書に記されている、神が天地創造の時に、人間のために定められた食物を見ても明らかである。決して肉など動物性タンパク質の食物を食べてはいけないと言う意味ではなく、私自身も肉食系ではあるが、人間にとって必要な栄養素は、全て穀物、野菜、果物から摂れると言うことである。

「神は言われた。『見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。』」(創世記 1:29 新共同訳)


 現代の食料品の多くは、農薬や化学肥料、保存料などに由来する化学物質まみれである。物質的な人間の体は、食事と水によって作られ維持されることを考えると、病気や精神的問題の原因の多くは、食生活にあるとも言えるのではないだろうか。外食なども含めて、特に都市部では、化学物質と全く無縁の食生活を送ることは困難であるが、せめて家庭では、可能な限り、自然の性質が残っている食物を摂ることを心がけた方が良いと思う。私もプチ・グルメを自負しているので偉そうなことは言えないが、やがて到来する全世界的な食糧不足に備える意味においても、スペルト小麦パンや玄米ご飯など、多量でなくとも、シンプルかつ健康的な食生活にも慣れておいた方が賢明かも知れない。
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ポン友と会う(記事No.109)

 数日前、中高生時代からの友人と夕食を共にした。40年以上の付き合いになる親友ではあるが、むしろ、俗な言い方ではあるものの、ポン友(40代以下の人たちは、あまり使わないのかも。)と称するべきか。ちなみに、ポン友とは、中国語の朋友(ポンヨウ)に由来する外来語で、戦前から使われていると聞く。そうなると、その友人の場合は、中国語の老朋友(ラオポンヨウ)と言ったところか。30代の10年間ほどは、彼とはあまり会っていなかったが、この10数年は直近2年間を除き、毎年数回会って積もる話に花を咲かせて来た。今回は、そろそろ過剰な新型コロナ感染予防対策から脱し、久しぶりに会おうということになったのである。

 彼は、ある化学品メーカーの先代社長に嘱望され、10数年前に、その会社の社員から抜擢されて後を襲った。10代、20代の頃には、大きな試練を通ったこともあったが、その経験も、今の彼を形造るためには有益であったのだろう。お互い業種は違えど、中小企業の経営に携わっているということも、話が弾む理由の1つであろう。それに加えて、彼とは、世の中の動きについて、大まかなところでは、お互いの考えが近い。今回も、ウクライナを支配しているのはネオナチであること、新型コロナ・ワクチン接種率が高い国ほど感染者が増えていること等々、世界の動きについての認識が一致した。また、以前から語り合って来たことであるが、先進諸国の中で、日本だけが唯一貧しくなっていることは、政府が国民を搾取する政策を推し進めていることが主因であることも、改めて意見が一致した。

 あえて詳しくは書かないが、東日本大震災の時、彼は合弁会社のある韓国から丁度羽田空港に到着したところだったが、ある有名政治家の夫人と幼い子供たちが、国際線ターミナルに到着したのを目撃した。当時の民主党政権の閣僚であった、その政治家は、彼と同じ出身大学ということで、夫人と共に雑誌に載っていた写真が印象に残っており、黒塗りの車で到着した夫人の顔を識別出来たそうである。地震の結果発生した、福島原発事故の影響を懸念した政官のエリートたちの一部は、国民には真実を伏せながら、自分達の家族は急遽国外に避難させていたのである。このような体験もあって、彼は、青年時代から持っていた反骨精神を深化させ、日本のエスタブリッシュメントらに対しては、厳しい視線を有している。

 このようなポン友であるが、1つ残念な点がある。それは、彼は未だ、イエスを個人的な救い主としては受け入れていないのだ。決して、無神論者ではなく、神の存在は信じているであろうし、また仏教徒という訳でも無い。実は、高校生の頃彼は、自分は無教会派のクリスチャンであると言っていたこともあった。それなのに、その頃に、彼がイエスを明確に受け入れることをしなかったのは、私を含めたクリスチャンにも責任があった。ある時、話の中で彼は、先述の無教会派クリスチャンという話を出したのだが、信仰を持って間もなかった私は、無教会派はどこで洗礼を受けるのかと、愛も知恵も無い応答をしてしまい、話は尻切れトンボに終わってしまった。クリスチャンになることは、地上の組織としての教会に所属することとイコールではなく、イエス・キリストを救い主と信じ、イエスと個人的に繋がることであるという真理について、当時の私は、まるで浅い認識しか持っていなかったのである。

 彼はまた、不思議な体験について話してくれたことがあった。今もそうだと思うが、当時は、キリスト教の異端である、モルモン教の若い白人宣教師が2人1組で、街行く日本人学生などに声をかけ、彼らの教会での無料英会話教室に勧誘することがあった。その友人も、ある時彼らに声をかけられ、時間が無かったのでモルモン教会へはついて行かなかったものの、モルモン経という経典を受け取ったのだと言う。彼は、当時からモルモン教には全く興味は無く、英会話教室であっても通いたいとは思っていなかった。普通なら、押し付けられたような経典など捨てれば良いが、律儀なところがある彼は、返そうと思って後日訪ねようとした。最寄りの駅から歩いて、そのモルモン教会に向かう途中、彼は不思議な光が少し先にあるのを認め、その動きについて行ったのだと言う。その光は、ある建物の前で消えたが、見るとそこは、行こうとしていたモルモン教会ではなく、プロテスタントの教会であった。

 もしかしたら、神の導きかも知れないと思った彼は、呼び鈴を押すと、牧師か牧師夫人らしき女性が出てきた。そこで、今さっきの不思議な体験談を話し、キリスト教系高校の生徒であることも話した。ところが、その女性からの反応は、キリスト教主義の学校に通っているのなら、その学校の関係教会に行った方がいいとのアドバイスであった。自分の不思議な体験を、まともに取り合ってもらえなかったと感じたのだろう。彼は、それ以来、組織として、また、宗教としての教会には足が向かないのだ。その話を聞いた時の私は、先に書いたように、形式を重視する未熟な信仰者であり、神の奇蹟には目が開かれていなかった。彼が不思議な光に導かれて辿り着いた教会の姉妹も、彼の身近な友人であった私も、イエスを紹介する絶好の機会を、みすみす逃してしまったのだ。

 残念なことに、それ以来これまで、彼にイエスを伝える絶妙の機会を作って来れなかった。彼と夫人の間には一男一女がいるが、2人とも小学校からカトリック系の学校に入れている。青年時代に神を求めたことが、魂の記憶として今もなお、彼を神に近づけようとしているのだと思う。今度、彼にイエスを紹介する機会が訪れた時には、自分の考えを押し付ける失敗は繰り返すまい。神は、一人一人をユニークな方法で導いてくださる。不思議な光で導かれる人は少ないのかも知れないが、誰の人生にも、雲の柱や火の柱のような、道標を置いてくださるのだと思う。それに気がつく人、それに目を留めることが出来る人は幸いである。先にイエスと出会った私たちは、神からの知恵をいただいて、良きガイドの役割を果たしたいものである。

「あなたは大いなるかあわれみをもって彼らを荒野に見捨てられず、昼は雲の柱を彼らの上から離さないで道々彼らを導き、夜は火の柱をもって彼らの行くべき道を照されました」(ネヘミヤ記 9:19 口語訳)
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消えた11兆円(記事No.108)

 ゴールデンウィークも今日が最終日であり、明日からまた、普段通りの生活が始まる人が多いと思う。今年は、飛び石を含めて10日間であったが、この間も様々なニュースが報道された。大きく取り上げられたものとしては、国内関係では、知床半島沖遊覧船沈没事故と、それに次いで、山梨県道志村での女児行方不明事件と人骨の発見に関するニュースであった。海外関係では、断トツで、ウクライナにおける戦争に関するニュースであったことは言うまでもない。そのような中、あるニュースについての後追いや深掘りがほとんどなかったのが気になった。

 気になったそのニュースとは、日本経済新聞が2022年4月23日朝刊1面で報道した、新型コロナ予備費約12兆円の内9割の使途追えずというものであった。これまで国会に報告された、約12兆3,000億円の同予備費の内、使途が特定可能なのは約8,000億円のみであり、残り約11兆5,000億円については、使途不明であると言う。国の予算支出であるから、何かしらに使われているはずであるが、納税者である国民はそれを知ることができないと言うことだ。一応は民主国家である日本で、白昼堂々こんなふざけた話が罷り通って良いはずが無い。本来ならば、日経新聞だけでなく、新聞、テレビ、ラジオ、インターネットメディアなど、マスコミ総動員で連日取り上げるべきテーマであろう。あるいは、日経新聞の飛ばし記事だったのか?

 遊覧船の沈没事故や女児行方不明事件は、命に関わる事案であり、犠牲者の遺族や行方不明者の家族にとっては、人生を左右する重大問題であるが、国民全体に関わるスケールの問題とは次元を異にする。それなのに、片や微に入り細に入り報道されているが、もう一方は、なるべくなら報道したくないような取り扱い方である。なぜ、そうなるのかは、官民癒着構造を含めて、独自に追求しようとしている人々もいるので、ここでは深くは立ち入らない。しかし、日本という国は、国も地方も、公金を政官業などの利権集団が貪り尽くす構造が確立されていることは、今回の消えた11兆円の事案でも明らかであろう。

「あなたのつかさたちはそむいて、盗びとの仲間となり、みな、まいないを好み、贈り物を追い求め、みなしごを正しく守らず、寡婦の訴えは彼らに届かない」(イザヤ書1:23 口語訳)


 ゴールデンウィーク期間中に報道されたニュースで、気になった1つがあった。京都新聞が2022年5月7日朝刊1面に掲載した、「京都5私大学生仕送り752円/日」というニュースである。京都私立大学教職員組合が集計したアンケートは、同志社、立命館、龍谷、京都先端科学、京都橘の各大学に在籍する学生の、保護者7,276人から回答を得たものである。それら5大学に2021年度に入学した下宿生は、家賃を除くと、平均で1日当たり752円の仕送りで生活をやり繰りしていると言う。仮に、1人年間100万円の給付型公的奨学金を100万人の学生に支給するとしたら、年間合計1兆円である。今般明らかになった使途不明の国家予算は、その11倍以上である。それだけの公金が、新型コロナ(対策)で苦境に陥った国民を救うために正しく使われていたら、どれほど多くの人々が助けられたことだろう。やはり、日本は滅ぶのだろうかと思わざるを得なかった、最近の2つのニュースであった。
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ディズニーの真実(記事No.107)

 皆さんの中にも、ディズニーランドに行ったことがある人がいると思う。好きな人は、年間パスポートを購入して、毎月のように通うのだろう。私の姪の1人は、小さい時からディズニーランドが大好きで、学校の休みの度に両親と泊まりがけで行っていた。宿泊費も含めると、土産代は別としても、3人で軽く1回10数万円以上は使っていたはずである。ヘビーユーザーとなれば、毎年100万円以上使う人もいるのではないだろうか。私自身は、ロサンゼルス近郊のディズニーランドには2回ほど行ったことがあるが、自分で望んでというより、団体旅行などの機会で行ったものであった。興味のある無しは人それぞれだが、私の場合は全く無いに等しかった。ちなみに、私の子供たちは、一度も行ったことが無いが、親の影響からか、興味も無いようではある。

 以前より、ディズニーランドについては、良くない話も耳にすることがあったが、最近も、そのようなニュースがあった。ロイター通信電子版2022年4月22日付記事によれば、アメリカ・フロリダ州のデサンティス知事(共和党)は4月22日、ウォルト・ディズニーが同州内のテーマパーク「ディズニーワールド」を自治区のように運営できる権利を廃止する法案に署名した。デサンティス氏が特別地区の権利廃止を議会に要請し、法案が可決されていた。同社がLGBTQを巡る州政府の政策に反対したことを受け、知事が報復した格好とのことである。これまでディズニーは、特別地区制度により、過去50年にわたり、消防や水道といった公共サービスを提供し、郡政府のように機能してきた。代わりに税制上の優遇措置を受けられる債券を発行し、施設整備に充てることが可能だった。今般のフロリダ州知事と議会の行動を受けて、ディズニーは、州内の学校教育でLGBTQに関する話題を取り上げることを禁じた新法に反対し、フロリダ州への政治献金を停止する方針を表明した。デイサンティス氏は、これまで移民や中絶、LGBTQの権利などで保守的な立場を表明しており、今回の対応も保守層へのアピールとも受け取られているとのことである。

 ディズニーランドがLTBTQに対して好意的に行動していることは、日本でも次第に知られて来ている。東京ディズニーランドは、ウォルト・ディズニー・カンパニーとライセンス契約を締結している、オリエンタルランドが運営しているが、昨年3月から、場内の英語案内放送で、性別を含む表現をジェンダーフリー的なものに変更したと聞く。具体的には、「レディース・アンド・ジェントルメン」、「ボーイズ・アンド・ガールズ」を「ハロー・エブリワン」などの表現に変更したとのこと。ちなみに、ウォルト・ディズニー・ジャパンの公式ホームページには、次のように謳われている。「ウォルト・ディズニー・カンパニーは、毎年、プライドと私たちのプライド・コレクションを記念して、LGBTQ+コミュニティを支援する世界中の団体に寄付をしてきました。(中略)2022年のプライド・コレクションでは、さらに支援を深めていきます。その詳細は日本での取り組みと併せて、6月のプライド月間に公表します。」なお、プライド月間とは、LGBTQ+の権利を啓発する月間のことである。

 近年、ディズニーの映画作品では、LGBTQ擁護のメッセージが公然と盛り込まれるようになった。例えば、同社製作の映画「美女と野獣」(2017年)では、ゲイのキャラクターが登場した。また、ディズニー映画には、サブミナル効果を狙ったものか、性的シンボルなどが巧妙に隠されているともされ、それらを検証するインターネット・サイトなどもある。創業者のウォルト・ディズニーはゲイでは無かったと言われるが、ご多分に洩れずフリーメーソン会員ではあった。LGBTQ(最近では、LGBTQIA+とまた長くなった。)を積極的に擁護するディズニーの真意が、顧客層をより広げようとの商業的動機なのか、それとも、道徳的退廃を図ろうとする広義の宗教的動機なのかは、明確に決めつけられないのかも知れない。しかし、確実に言えることは、彼らの顧客、特に子供たちに対して、聖書的には性的倒錯であることを、あたかも自然的な個性として受け入れさせる効果は十分あるということだ。

 私たちは、LGBTQと自認する人々に対して、そのことゆえに差別的な扱いをしてはならないが、かといって、聖書の正しい教えを曲げることがあってはならない。もし、彼らが、真摯に神を求めて教会に来るならば、受け入れることも必要である。しかし、神の定めた創造の秩序に反することは、決して容認すべきではない。LGBTQの人々に本当に必要なことは、魂の深い部分における癒しと解放であり、それは神の力でしか実現出来ないと思う。聖書の教えを信じるクリスチャンの中でも、ディズニーのファンはいるだろうが、ファンタジーの向こう側にある、その真実は知っておくべきであろう。

「こういうわけで、神は彼らを恥ずべき情欲に引き渡されました。すなわち、彼らのうちの女たちは自然な関係を自然に反するものに替え、同じように男たちも、女との自然な関係を捨てて、男同士で情欲に燃えました。男が男と恥ずべきことを行い、その誤りに対する当然の報いをその身に受けています」(ローマ人への手紙 1:26-27 新改訳)
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戦争被害者に神の愛を実践する人々(記事No.106)

 今日は、10年来交流がある、名古屋在住のクリスチャンの友人夫妻と会い、昼食を共にしながら歓談の時を持った。京都で働かれているご子息に会いに来られたのを機に、京都駅近くのホテル・レストランを会場に、約2時間も話が弾んだ。ご主人のT兄は、国際的ネットワークを有するキリスト教系NGOの役員を務めており、その活動で最近ポーランドを訪問したとのことで、現地の状況も聞くことが出来た。

 今年2月24日のロシアによるウクライナ侵攻以来、ウクライナから国外に逃れた難民は、既に500万人を越えているとされ、その約半数をポーランドが受け入れているそうである。T兄は、3月下旬から4月上旬まで、他のスタッフ2名を率いて、ワルシャワからウクライナ国境のメディカに至るまで、いくつかの都市を訪問し、今後の食糧支援など人道支援活動に向けた事前調査と、現地団体などとの調整作業に従事したそうである。

 これまで本ブログでも、ウクライナ情勢に関する記事を何本か掲載しているが、実際に国境地帯まで足を運んで、難民の状況をつぶさに見てきた人の話を聞くことは、大きな収穫であった。戦争の原因を作り出した者たち、特に首謀者らに近い者たちは、皆戦火の及ばない場所にいるのであろう。露宇双方に掲げる大義があるが、前線で血を流す者たちは、動員された兵士たちである。民間人の中にも、戦火に巻き込まれて悲惨な運命に遭う人々がいるが、中でも最大の被害者は、子供たちではないかと思う。

 現在ウクライナでは、18歳から60歳までの男性は、兵役に就くために国内に留まらなければならず、家族で国境検問所に辿り着いても、隣国に脱出出来るのは母親と子供たちだけで、父親とは離れ離れにされてしまうそうである。避難所を訪問したT兄らは、こうした子供たちと、サッカーやバスケットボールなどで一緒に遊んだとのこと。本来なら、父親たちが子供たちの遊び相手になってあげられるのに、可哀想なことである。ウクライナをロシアとの戦争に誘導した者たちが誰であれ、どう控えめに言っても、子供たちを苦しめる権利は誰にも無い。

 日本でも、第2次世界大戦最末期にソ連軍が満州に侵攻した際、関東軍主力は在留邦人を守ろうとせず、多数の民間人が犠牲となり、中国残留孤児の悲劇を生んだ歴史がある。また、日本本土でも、空襲や従軍で両親を亡くし、敗戦後は戦災孤児として、この世の地獄を見た子供たちがいた。しかし、そのような悲惨な状況の中でも、彼らに愛を示した人々がいたことは事実である。今般、T兄らの団体が、ウクライナ難民支援に乗り出したのも、彼らに愛を示すためであり、それにより、難民たちに少しでも実際的な助けをするためである。

 戦争は自然災害とは異なり、意思を持ってそれを起こす者たちがいるゆえに発生する。そのことに注意を払い、それぞれに探求することも、欺かれないためには重要である。しかし、最も緊急に重要なことは、戦争によって被害を受けた人々を助けることであり、特に、戦争に何の責任も有していない子供たちを救うことは、神と人々との前に尊い働きである。それは、命を守り、命を生かす、神の愛を実践する行動である。ウクライナの地に平和が訪れることを、また、戦争が拡大しないことを、共に祈り続けたい。

「命は慈善の道にある。この道を踏む人に死はない」(箴言 12:28 新共同訳)
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破局は突然始まる(記事No.105)

 今年2月下旬、本ブログ記事No.92「核戦争の危機は当面回避」を掲載したが、その直後、ロシア軍のウクライナ侵攻が始まった。ロシアによる「特別軍事作戦」は、西側政府の見解やマスコミの報道とは逆に、民間人の犠牲を最小にしながら作戦目的を達成するために、抑制され統制の効いた行動であると考えられる。繰り返し報道される、ロシア軍の仕業とされる残虐行為の数々は、よくも臆面無くと言えるほど、フェイク画像・映像が多用されているが、それらを解析する記事は次々と削除されている。

 これまでの展開を見る限り、ロシアは、アメリカやNATO諸国との直接軍事対決を望んでいないことは明らかである。これに対して、米欧諸国は、ロシアの忍耐力を試すような行動、ウクライナへの軍事支援や対露経済制裁等を続けている。米欧のロシアに対する政策を決定しているのは、それら諸国の獅子身中の虫である、悪魔崇拝のグローバリスト集団である。プーチン大統領はじめロシア指導部は、当然そのことを熟知しており、挑発に乗るような真似はしていない。しかし、一方で、プーチン氏は、ロシア国民に対するメッセージの中で、「ロシアの無い世界など必要無い。」とも発言しており、最悪の場合には、核戦争も辞さじとの意思表示と受け止められている。

 ロシアとは異なり、米欧諸国政府は、それぞれの国民の意思と正反対に、第3次世界大戦を欲している。その主要なイベントは、米露核戦争であり、ロシアの西側諸国に対する核攻撃である。彼らは、これまでのウクライナに対する兵器や軍用装備品の支援に加えて、東ヨーロッパへの大規模な正規軍派遣に踏み切ろうとしている。4月29日にイギリス国防省が発表したところでは、今年夏までに東ヨーロッパ各地で計画されている多国間合同軍事演習に、イギリス陸軍の部隊約8000人を派遣するとのことである。これは、東西冷戦が終結してから最大の規模となり、フィンランドや北マケドニアなどには戦車等の機甲部隊も配備するという。同軍事演習には、NATO諸国のほか、加盟を検討しているフィンランドやスウェーデンなども参加を予定している。ロシアの立場からすれば、西側諸国からの軍事的圧力以外の何物でもない。

 なぜ、そこまで、第3次世界大戦や米露核戦争を引き起こしたい勢力が存在するのか。本ブログでも、これまで書いて来たが、この世界には陰謀論などではなく、現実に世界統一政府樹立を目指している者たちがいる。その中核は、悪魔崇拝の偽ユダヤ人らである。彼らの存在は、ヨハネの黙示録第2、3章に明記されている。彼らの最終目的は、世界の国家と宗教を統合し、この世界において、悪魔が神の地位を簒奪することである。彼らが共産主義やファシズムを作り出し、宗教の中に反キリスト的な教義を浸透させて来た。また、政治や教育、芸術などを通して、反聖書的な思想や文化を拡散させて来た。彼らの世界統一の邪悪な野望実現に向けた総仕上げが、やがて起こされる第3次世界大戦である。

 残念ながら、それは、いずれ起こされるだろう。西側諸国からの全面的な挑発を受け続けているロシアであるが、彼らも、これ以上は忍耐出来ないという限界線を設定している。それが、どこであるかは分からないが、これまで中立国であった、フィンランドやスウェーデンのNATO加盟だけでは無いように思える。ロシア包囲網の一部として、日本周辺の東アジア(ロシアからすれば極東)でも、軍事的圧力が生成されるのではないだろうか。ロシアが、忍耐出来る限界線を、西側に越えられたと判断したならば、彼らは躊躇することなく、先制核攻撃を加えると思う。その第1撃は、米欧の主要軍事基地や全ての核ミサイル施設であろう。恐らくは、その時、日本国内の米軍基地や主要自衛隊基地も標的となり、悉く壊滅させられるだろう。無差別攻撃が行われるとは思えないが、強力な破壊力を有する核兵器による攻撃であるから、標的周辺の市街地にも甚大な被害が生じるだろう。

 去る4月7日、大阪市が市内の地下鉄駅舎99カ所を、弾道ミサイル落下時の避難施設に指定したと発表された。大阪市では、今回の避難施設指定により、市内の避難施設は607ヶ所、対人口比135パーセントになったとのこと。各避難施設が、放射能除去エア・フィルターや防爆気密扉などの、フォールアウト・シェルター仕様になっているとは考えられず、大阪維新得意の、やってます感を出したに過ぎないと思う。本気で避難施設を整備するなら、それもいいが、今日本が安全を確保するために最も必要なことは、ロシアとの軍事的緊張関係を、自ら作り出さないことではないだろうか。軍拡競争では、核兵器大国のロシアには絶対に対抗出来ず、国土の特性も考慮すれば、仮にロシアとの本格的な軍事衝突が起これば、敗北するのは間違いなく日本の方であろう。危機を喧伝する人々は、そこまで覚悟しているのであろうか?

 今年中か、来年なのか、それとも、それ以降になるのかは分からないが、ロシアと西側諸国との核戦争は、いずれ必ず起こると考えていた方が良い。現実問題として、自衛隊では守り切れず、米軍も頼りにならない。ロシアは、地上軍で日本全土を制圧する必要もない。スイスやイスラエル並みの国民皆兵とした上で、日米安保条約を破棄して中立を宣言するなら、ロシアも日本に手出しはしないだろうが、今すぐ方向転換は非現実的であろう。となると、日本も、米露核戦争の時には、ほぼ確実に巻き込まれるだろう。極めて局地的な軍事目標に対する攻撃で無い限り、核攻撃の事前予告などあり得ない。ロシアであれ、アメリカであれ、核攻撃を行う場合には、先制攻撃を行わなければ、座して死を待つに等しい。それは、ある日突然起こる。その時、私たちは、どのように身を守ることが出来るであろうか?もし、その答えを既に持っているのであれば、私たちは怯える必要はないであろう。

「突然襲う恐怖、神に逆らう者を見舞う破滅に おびえてはならない。 主があなたの傍らにいまし 足が罠にかからないように守ってくださる」(箴言 3:25-26 新共同訳)
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