この「事件」の当事者である給食調理員は、各種報道によると、規則では、余剰米は廃棄することが定められているにもかかわらず、余ったご飯を捨てずに残しておき、自分が持参したおかずと一緒に食べたようである。読売新聞オンライン版2023年3月30日付記事によれば、「2021年12月〜22年12月、園児の給食として炊いたご飯のうち、余った1食分(150グラム)を236回にわたって取り置き、業務終了後に昼食として食べていた。」と言う。また、地元のテレビ愛媛の報道によれば、「園児の給食ため(原文ママ)調理した米飯をあらかじめ取り置き、自分の昼食で食べていました。保育園の職員はおかずは代金を支払って園児と同じものを食べ、米飯は自分で用意する決まりになっているということです。」と、余った分ではなく、あらかじめ取り置いたとされ、少しニュアンスが異なる。テレビ愛媛のホームページ掲載記事は、こう続く。「女性調理員は『弁解のしようもない。深く反省している』と話しているということです。市は『公務員の信用を失墜させた』として、女性調理員を29日付けで給料の10分の1、1カ月の減給処分に。女性職員は依願退職しました。市は、保育園長や関係部局の管理職に文書や口頭で訓告をしていて、今後全職員に対し綱紀粛正を通知することにしています」
皆さんは、このニュースを聞いて、どう思われれるだろうか?仮に、調理員が、園児の給食の分量を減らして自分の昼食用に取り分けたなら問題であり、クビになるのも当然であろう。しかし、彼女は、余ったご飯を捨てずに取って置き、自分の昼食として食べただけである。この事が、全国に報道されるほどの事案であろうか?また、懲戒処分を受け、職を失うほどの不祥事だろうか?第一、食べたのは236回というのは、上司か同僚が密かに監視していたのか、それとも、当人が事情聴取で認めた回数なのだろうか?彼女の行為と、それに対する社会的制裁があまりにアンバランス過ぎはしないか?いや、むしろ、事業所系の廃棄食材は、産廃業者に処分費を支払って引き取ってもらうことを考えると、怪我の功名とは言え、ゴミの容量を減らして処分費用(新居浜市民の税金である。)の低減に努めたことは、評価しても良いのでは無いだろうか?
このようなニュースが流れると、必ず、規則に違反したのだから処分は当然とする意見が出て来る。だが、規則自体が理不尽である可能性も考えなければ、一度規則が作られたなら、規則を遵守すること自体が目的となってしまうことがある。いわゆるブラック校則なども、この類であろう。頭髪は黒色に限ると言う校則のゆえに、地毛が茶色い生徒が髪の毛を黒に染めさせられたとか、はっきり言ってバカである。下着の色は白に限るという校則に至っては、悪趣味な上、人権侵害であろう。幼い頃から、このような理不尽な規則の数々に縛られながら疑問も持たずに成長すると、今般の事案で処分を決めた新居浜市の人事権者のような、程度の低い大人になってしまうのだと思う。
「彼は言っている。『戒めに戒め、戒めに戒め、規則に規則、規則に規則、ここに少し、あそこに少し』と」(イザヤ書 28:10 新改訳)
この社会には、律法主義が至る所に見られるが、今般の「給食ご飯取り置き事件」は、その格好の見本と考え、あえて低レベルの話題を取り上げた。およそ全ての規則は、人々にとって有益な効果を期待して、作られ維持されるべきである。規則が人々のためにあるのであり、その逆では無い。不合理な規則に人々を縛り付けようとする社会は、人々を幸せに出来るような社会ではないと思う。マスコミ各社も、末端の一契約公務員である給食調理員の「不祥事」を大々的に取り上げる暇があれば、政治家や官僚の不正を追求したらどうだろうか。取り急ぎ、これまでに支出された莫大な新型コロナ対策国家予算の内、使途不明となっている約11兆円の行方を徹底的に調べたら良いと思う。