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熊本バンドの精神は何処に(記事No.154)

 2023年4月11日付京都新聞夕刊1面トップに、「同志社ゆかりの洋館 復興」とのトピックで、2016年4月の熊本地震で全壊した、「熊本洋学校教師ジェーンズ邸」が復興されたとの記事が掲載されていた。同邸は1871(明治4)年に建設された、熊本洋学校のアメリカ人教師の住居として使用されていた建物と言う。地震で全壊したことを知った同志社校友会の役員らが募金活動に奔走し、同会の国内外78支部の会員らが2年間に1,500万円を集めて、再建資金として熊本市に寄付したとのことである。

 なぜ、同志社が熊本洋学校とゆかりがあるのか、記事はこう書いている。「この洋学校は、後に京都で同志社の礎を築く『熊本バンド』と呼ばれるキリスト教徒の青年たちを輩出したことで知られる」熊本バンドとは、明治初期に各地で青年たちの間でキリスト教に入信する者たちが起こされた時、特に顕著な動きがあった三大バンドの1つである。ちなみに、他の2つは、札幌と横浜であり、前者は「青年よ大志を抱け」の言葉で知られる、ウイリアム・スミス・クラーク博士が教えた、札幌農学校の第1期生全員がクリスチャンとしての信仰を告白したことが始まりであり、内村鑑三や新渡戸稲造などの人物を輩出したことで知られる。後者の方は、1872年に日本最初のプロテスタント・キリスト教会である、「日本基督公会」の成立として結実した運動である。

 記事を読んだことを機に、改めて熊本バンドと同志社の関わりを少し調べてみた。同志社大学キリスト教文化センターの資料によれば、そこには以下のような史実があった。「同志社は三つの柱によって築き上げられたと言われています。それは新島襄、アメリカン・ボード、そして熊本バンドです。この三つの源流を力に言い換えても、過言ではないと思います。新島襄の創業力、アメリカン・ボードの経済力、そして熊本バンドの人材力、この三つの力が同志社を立てた。このどれ一つを欠いても今の同志社はなかったと思うのです。(中略)(熊本洋学校は)アメリカ軍人L・L・ジェーンズ(リロイ・ランシング・ジェーンズ)大尉を教師に迎え、英語、数学、地理、歴史、化学、生物などの授業をすべて英語で教えていました。授業の質は高く熊本洋学校からは多くの優秀な人材が輩出されます。キリスト教徒であったジェーンズは、希望する生徒に自宅で聖書を教えていました。キリスト教の教えに感銘を受けた生徒たちは洗礼を受け信者となります。1876年には、生徒35人が熊本の西方にある花岡山に登り、キリスト教による人心革新を唱え奉教結盟を行いますが、彼らの行動が知られるようになると反対派勢力による弾圧が始まります。明治政府は1873年にキリスト教禁教令を廃止しますが、一般的にはまだキリスト教は邪教であり迫害の対象となっていたのです。この花岡山事件によってジェーンズは解雇となり、熊本洋学校は廃校になります。ジェーンズは行き場を失った生徒の受け入れを新島襄に依頼します。襄はジェーンズの依頼を快く引き受け熊本洋学校から20名を超える生徒(小崎弘道、金森通倫、伊勢時雄(横井時雄)、海老名弾正、吉田作弥、浮田和民、不破唯次郎など)が同志社英学校に転入してくるのです」

 同志社英学校には、熊本バンドの青年たち、すなわち、廃校となった熊本洋学校のクリスチャン学生らが転入して、草創期の柱となったと言う。彼らは、キリスト教禁制の影響が強く残る明治初期の日本において、文字通り命をかけてキリストに従った信仰者たちであった。彼らを受け入れた新島襄もまた、キリスト教信仰を土台とした教育を通して、日本において、神と国のために働くことが出来る有為な青年を育成し世に送り出すことに心血を注いだ。彼らの信仰的熱情と勇敢な行動とが、今日に至る同志社の礎を築いたことは疑いない。それでは、同志社には今も、その源流の1つである熊本バンドの精神が脈々と受け継がれているのであろうか?残念ながら、私が思うに、その答えは「否」である。

 もちろん、今なお同志社には、活きたキリスト教信仰を持つクリスチャンの教職員が一部にはいると思う。そのことは決して否定するつもりはないし、彼らはキリスト教教育の素晴らしい実践者であろう。だが、私が現時点で知る得る限り、現在の同志社には、熊本バンドの精神に象徴されるような、キリストに対する信仰的熱情は一般に見られない。特に堕落しているのが、ブランド学校と化した小中学校であろう。一例を挙げるなら、ある系列中学校では、クリスチャンを自称する副校長が実権を握っているのだが、過去3年間、新型コロナ・ウイルス感染予防を口実に、学年礼拝を一度も行わなかった。私は、彼と直接話したこともあるのだが、率直に言えば、彼をキリストに在る兄弟とは思えなかった。もっと言えば、彼は、異なる霊に動かされているようにも思えた。彼に、異端などの組織的背景があるのか、あるいは、本人も無自覚な内に、悪霊の影響を受けているのかは、その時は確信を持って判別出来なかったが。

 今回、熊本バンドの青年信徒らを輩出した、熊本洋学校の旧教師館再建の新聞記事を読んだことから、キリスト教学校としての同志社の現況について取り上げた。だが、このような状況は、何も同志社に限ったことではない。非常に残念なことであるが、日本の多くのキリスト教主義学校において、程度の差こそあれ同様の問題があると思う。学校教育法など教育関連法規の範囲での宗教教育などは、いろいろと難しい状況もあるとは思う。だが、キリスト教信仰に基づく教育を実践しないのであれば、いっそのこと、キリスト教主義の看板を下すべきであろう。羊頭狗肉では、神を悲しませるだけでなく、少数派であったとしても、志を持って入学した生徒たちと保護者らに対する裏切りであるからだ。キリスト教主義の高校に在学中に、宗教主任や同級生らに感化されたのも、信仰を持つに至った大きな理由の1つであった私としては、これも終末が近い中では必然かと思いつつも、寂しさと憤りがない混ぜになった複雑な想いを禁じ得ない。

「しかし、民の間には偽預言者も現れました。同じように、あなたがたの間にも偽教師が現れることでしょう。彼らは滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を否定して、自らの身に速やかな滅びを招いています。 しかも、多くの人が彼らの放縦を見倣い、そのために真理の道がそしりを受けるのです。 彼らは欲に駆られ、噓偽りであなたがたを食い物にします。この者たちに対する裁きは、昔から滞りなく行われており、彼らが滅ぼされないままでいることはありません」(ペトロの手紙二 2:1-3 聖書協会共同訳)