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京都の真実(記事No.155)

 私は、これまで本ブログでも書いてきたように、世界が終末へと向かっていることを日々実感しており、いつもそのことを考えてしまう。家族にも、日常的にその種の話をするので、高校生の次男などは、私が話し始めると、その先何を話すか分かっているという顔をする。自分でも、世界のことや日本のことなど考えずに暮らせれば、少しは気が楽なのかと思うが、それが出来ない自分を受け入れるしか無い。今回の記事では、国際情勢や社会問題などに直接関係する話ではなく、今住んでいる京都について、社会的、また霊的状況について、その真実を少し書いてみたい。

 まず、社会的な状況であるが、言わずと知れた古都であり、国際的観光都市としての京都の実相である。多くの日本人は京都に対して、どちらかと言えば肯定的なイメージを抱いていると推察する。先月、文化庁が京都に移転して来たが、古くから豊かな文化が培われて来た都市というイメージがあるとは思う。国内外からの観光客も多く、最近では、いわゆる旅割、全国旅行支援制度が開始されて以来、特に昨年11月くらいから、国内観光客数が急激に回復している。また同様に、新型コロナ対策入国規制の緩和と大幅な円安により、外国人観光客が激増しており、京都駅のタクシー乗り場などは彼らで長蛇の列になることも珍しくない。京都人の中には、京都が魅力あふれる都市であるから、国内外の観光客を惹きつけると思っている人も多いのであろうが。確かに、観光客として、少し多めの小遣いを持って遊びに来るなら、観光名所巡り、グルメ、買い物と楽しく過ごせること請け合いである。

 しかし、これまで3年間、実際に住んで来た者として、率直な感想を言えば、京都は、その歴史ゆえに観光名所の多い、地方大都市の一つというのが実相であると思う。民度も、日本の他の諸都市と同レベルであろう。あえて具体的には書かないが、利権構造があるのも、スケールの違いは置いても同様である。生まれてから一度も京都を出たことの無い人々の多くは、京都が一番素晴らしい街だと思っているのかも知れないが、考え方は自由ではあるものの、「井の中の蛙」という諺を思い浮かべてしまう。実際には、約144万人(2023年4月京都市推計)の人口の内、15万人ほどが大学生と言われるなど、若い世代を中心に市外からの転入者も多いので、先祖代々からの生粋の京都人は、いずれマジョリティの座を降りることになるかも知れない。有名な寺社も多く、茶道や華道、美術や工芸なども盛んであり、豊かな文化があることは確かである。だが、その実態は、伝統行事を含め、結局は「金目でしょ。」の世界ではないだろうか。京都を特にディスっているのではなく、金が価値の最上位にあるのは、現代日本の他の諸都市と同じという意味である。まあ、これらを踏まえた上で住むのであれば、そこそこの環境の都市ではあろう。ただし、間違っても、誰もが憧れるような、万人にとって快適な都市ではないとは言えるが。

 次に、霊的な状況であるが、これは、社会的状況以上に、奥が深い事柄である。数ヶ月前に、京都で20年近く牧会している牧師と会った時、何か霊的覆いがあるように感じるとの話を聞いた。私も、現在の京都は、霊的には、雲で覆われているような状況ではないかと思う。ただし、これも多くの日本の都市に共通している状況であり、国全体としてもそうであると思う。私の聞く限り、京都の有名寺社の多くは(ほとんど全てか?)、宗教活動よりも観光収入(拝観料等)で財政を維持しているようである。個々の寺社や信仰者の中には、天台宗の千日回峰行に象徴されるように、熱心に信心している人々もいるだろうが、総体的には、伝統的な仏教や神道の中に、宗教的情熱がどれほど残っているのか、疑わしいところである。そうは言っても、およそ宗教と名のつくところには、何らかの霊が働いていることも事実であり、京都の霊的状況としては、決して多くの人々を幸福にするような結果をもたらしてはいない。前述のように、これは京都に限った状況ではなく、日本全体に共通した状況であり、宗教のみならず、社会のあらゆる領域に、悪霊の働きが程度の差こそあれ存在している。例えて言えば、厚い雲が太陽を覆い隠すように、悪霊の働きが、人々の魂に覆い被さり、真の神の姿を人々が知り得ない状況ではないかと思う。

 だが、京都は、初めから今のような霊的状態であったのではない。今でもその残滓が残っているように、元来は開明的な国際都市であったのが京都である。本ブログ記事No.154「熊本バンドの精神は何処に」でも、明治初期に新島襄が京都の地に同志社英学校を開いたことに触れたが、それを受け入れる精神的土壌があったからこそである。また、徳川幕府がキリスト教禁教令を出す前は、京都ではキリスト教宣教が活発に展開されており、市街中心部には南蛮寺と呼ばれたキリスト教会が建設され、市中には多くのクリスチャンが所在していた。1597年に豊臣秀吉の命により26人のクリスチャン(日本人信徒20名、外国人宣教師6名)が長崎・西坂で処刑された時、その内の24名は京都で捕縛されている。さらに遡れば、平安京の時代から、京都は、日本列島東西の交通の結節点であり、人々、物資、情報、文化、宗教などが交わる所でもあった。特に平安時代前期には、海外から多くの渡来人が集まり、国際都市の様相を呈していたようである。

「多くの牧者たちはわたしのぶどう畑を滅ぼし、わたしの地を踏み荒した。わたしの麗しい地を荒れた野にした」(エレミヤ書 12:10 口語訳)


 現在の京都の霊的状況とは、最深部の岩盤の上に、時代の流れの中で、幾層もの地層が折り重なり、当初とは全く異なる風景が現れているようなものであろう。都市とは人為的に築かれたものであるから、建物に例えるならば、最初に据えられた土台の上に、設計通りの建物が造られたが、やがて増改築が重ねられるに従い、建築士の設計図とは似ても似つかぬ建物に変わってしまったようなものである。今となっては、建築当初の記憶は忘れ去られ、異なる物語によって建物の歴史が語られているようなものだ。それでは、京都の街の起こりは、どのようなものだったのか?そこに、本来の京都の霊的姿があったはずである。

 本ブログ読者の皆さんの中には、既に答えを知っておられる人も少なくないと思われるので、勿体ぶらずに結論を書きたい。794年に後に京都と呼ばれる平安京が造られた時、桓武天皇の命を受け都を造営したのは、渡来人集団の秦氏(はたし、はたうじ)であった。秦氏は、景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)であり、数万人かそれ以上の規模で朝鮮半島から波状的に渡来したが、現在の朝鮮民族(韓民族)とは異なり、そのルーツは古代イスラエル人との説が有力である。彼らは、建築、土木、冶金、機織、言語、芸術など多方面に渡り高度な技術や知見を有していた。豊富な財力をも有していた彼らは、一族が集住していた山城国(山背国)の地に新たな都を建設した時、単に物質的な新都市を建設したのではなく、その地に霊的な土台をも据えたのである。その証拠に、唐の都・長安を模したと言われる碁盤の目の都市デザインは、その実、十字架の形に造られたのである。すなわち、街区は長方形のブロックと正方形のブロックとから形成されているが、長方形のブロックだけを抽出すると、そこにはT字形の十字架が現れるのだ。十字架の頭に相当する位置には、天皇の住居である大内裏が置かれていたが、そこはかつて秦河勝の住居があった所である。イエス・キリストの十字架で、罪状書が掲げられていた位置に相当する所には、「元稲荷」神社が置かれたが、「稲荷」とは、『INRI」すなわち、「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」(Iesus Nazarenus Rex Iudeorum)のラテン語の頭文字に由来する言葉である。これについては、聖書解説者の久保有政氏が、その著作やYouTube動画などで詳しく解説されているので、興味がある方は是非調べていただきたい。なお、現在の京都の碁盤の目部分は、豊臣秀吉が大幅に都市改造を行った時に造営されたもので、平安京とは場所自体も異なっている。

「なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである」(コリント人への第一の手紙 3:11 口語訳)


 聖書の原則では、何か物事が最初に始められた時、それは霊的にも土台が据えられたことを意味している。前述のように、京都は秦氏が平安京を造った時、その霊的土台が据えられたが、それは誰も動かすことが出来ないのである。平安京という名称自体にも、その事が表されている。平安京とは、読んで字の如く、平安の都=平和の都である。同じ意味の名称を持つ都市が、古代より現在に至るまでに西方にもある。それは、イスラエルの地にあるエルサレムである。「エル」はヘブライ語で「神」を表し、「サレム」は「シャローム」即ち「平和」の意味である。秦氏は、平安京を東のエルサレムとすべく造営したのではないだろうか。そして、その土台は、イエス・キリストへの信仰であった。そうなると、戦国時代から江戸時代初期にかけて、京都に多くのクリスチャンが起こされたのは、実に歴史の必然であった。彼らは、祖先の信仰に立ち帰った人々であったのである。このように、京都の真の霊的土台に目を向けると、この都市の本来あるべき姿が見えて来る。キリスト再臨の日の前に、もう一度、いにしえの真実の京都が回復されることを願う。もし、それが実現するならば、その時、この地は再び神の平和の都として、人々が救われ癒され幸いを得る地となるだろう。

「しかし、見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す。 そして、ユダとイスラエルの繁栄を回復し、彼らを初めのときのように建て直す。 わたしに対して犯したすべての罪から彼らを清め、犯した罪と反逆のすべてを赦す」(エレミヤ書 33:6-8 新共同訳)
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熊本バンドの精神は何処に(記事No.154)

 2023年4月11日付京都新聞夕刊1面トップに、「同志社ゆかりの洋館 復興」とのトピックで、2016年4月の熊本地震で全壊した、「熊本洋学校教師ジェーンズ邸」が復興されたとの記事が掲載されていた。同邸は1871(明治4)年に建設された、熊本洋学校のアメリカ人教師の住居として使用されていた建物と言う。地震で全壊したことを知った同志社校友会の役員らが募金活動に奔走し、同会の国内外78支部の会員らが2年間に1,500万円を集めて、再建資金として熊本市に寄付したとのことである。

 なぜ、同志社が熊本洋学校とゆかりがあるのか、記事はこう書いている。「この洋学校は、後に京都で同志社の礎を築く『熊本バンド』と呼ばれるキリスト教徒の青年たちを輩出したことで知られる」熊本バンドとは、明治初期に各地で青年たちの間でキリスト教に入信する者たちが起こされた時、特に顕著な動きがあった三大バンドの1つである。ちなみに、他の2つは、札幌と横浜であり、前者は「青年よ大志を抱け」の言葉で知られる、ウイリアム・スミス・クラーク博士が教えた、札幌農学校の第1期生全員がクリスチャンとしての信仰を告白したことが始まりであり、内村鑑三や新渡戸稲造などの人物を輩出したことで知られる。後者の方は、1872年に日本最初のプロテスタント・キリスト教会である、「日本基督公会」の成立として結実した運動である。

 記事を読んだことを機に、改めて熊本バンドと同志社の関わりを少し調べてみた。同志社大学キリスト教文化センターの資料によれば、そこには以下のような史実があった。「同志社は三つの柱によって築き上げられたと言われています。それは新島襄、アメリカン・ボード、そして熊本バンドです。この三つの源流を力に言い換えても、過言ではないと思います。新島襄の創業力、アメリカン・ボードの経済力、そして熊本バンドの人材力、この三つの力が同志社を立てた。このどれ一つを欠いても今の同志社はなかったと思うのです。(中略)(熊本洋学校は)アメリカ軍人L・L・ジェーンズ(リロイ・ランシング・ジェーンズ)大尉を教師に迎え、英語、数学、地理、歴史、化学、生物などの授業をすべて英語で教えていました。授業の質は高く熊本洋学校からは多くの優秀な人材が輩出されます。キリスト教徒であったジェーンズは、希望する生徒に自宅で聖書を教えていました。キリスト教の教えに感銘を受けた生徒たちは洗礼を受け信者となります。1876年には、生徒35人が熊本の西方にある花岡山に登り、キリスト教による人心革新を唱え奉教結盟を行いますが、彼らの行動が知られるようになると反対派勢力による弾圧が始まります。明治政府は1873年にキリスト教禁教令を廃止しますが、一般的にはまだキリスト教は邪教であり迫害の対象となっていたのです。この花岡山事件によってジェーンズは解雇となり、熊本洋学校は廃校になります。ジェーンズは行き場を失った生徒の受け入れを新島襄に依頼します。襄はジェーンズの依頼を快く引き受け熊本洋学校から20名を超える生徒(小崎弘道、金森通倫、伊勢時雄(横井時雄)、海老名弾正、吉田作弥、浮田和民、不破唯次郎など)が同志社英学校に転入してくるのです」

 同志社英学校には、熊本バンドの青年たち、すなわち、廃校となった熊本洋学校のクリスチャン学生らが転入して、草創期の柱となったと言う。彼らは、キリスト教禁制の影響が強く残る明治初期の日本において、文字通り命をかけてキリストに従った信仰者たちであった。彼らを受け入れた新島襄もまた、キリスト教信仰を土台とした教育を通して、日本において、神と国のために働くことが出来る有為な青年を育成し世に送り出すことに心血を注いだ。彼らの信仰的熱情と勇敢な行動とが、今日に至る同志社の礎を築いたことは疑いない。それでは、同志社には今も、その源流の1つである熊本バンドの精神が脈々と受け継がれているのであろうか?残念ながら、私が思うに、その答えは「否」である。

 もちろん、今なお同志社には、活きたキリスト教信仰を持つクリスチャンの教職員が一部にはいると思う。そのことは決して否定するつもりはないし、彼らはキリスト教教育の素晴らしい実践者であろう。だが、私が現時点で知る得る限り、現在の同志社には、熊本バンドの精神に象徴されるような、キリストに対する信仰的熱情は一般に見られない。特に堕落しているのが、ブランド学校と化した小中学校であろう。一例を挙げるなら、ある系列中学校では、クリスチャンを自称する副校長が実権を握っているのだが、過去3年間、新型コロナ・ウイルス感染予防を口実に、学年礼拝を一度も行わなかった。私は、彼と直接話したこともあるのだが、率直に言えば、彼をキリストに在る兄弟とは思えなかった。もっと言えば、彼は、異なる霊に動かされているようにも思えた。彼に、異端などの組織的背景があるのか、あるいは、本人も無自覚な内に、悪霊の影響を受けているのかは、その時は確信を持って判別出来なかったが。

 今回、熊本バンドの青年信徒らを輩出した、熊本洋学校の旧教師館再建の新聞記事を読んだことから、キリスト教学校としての同志社の現況について取り上げた。だが、このような状況は、何も同志社に限ったことではない。非常に残念なことであるが、日本の多くのキリスト教主義学校において、程度の差こそあれ同様の問題があると思う。学校教育法など教育関連法規の範囲での宗教教育などは、いろいろと難しい状況もあるとは思う。だが、キリスト教信仰に基づく教育を実践しないのであれば、いっそのこと、キリスト教主義の看板を下すべきであろう。羊頭狗肉では、神を悲しませるだけでなく、少数派であったとしても、志を持って入学した生徒たちと保護者らに対する裏切りであるからだ。キリスト教主義の高校に在学中に、宗教主任や同級生らに感化されたのも、信仰を持つに至った大きな理由の1つであった私としては、これも終末が近い中では必然かと思いつつも、寂しさと憤りがない混ぜになった複雑な想いを禁じ得ない。

「しかし、民の間には偽預言者も現れました。同じように、あなたがたの間にも偽教師が現れることでしょう。彼らは滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を否定して、自らの身に速やかな滅びを招いています。 しかも、多くの人が彼らの放縦を見倣い、そのために真理の道がそしりを受けるのです。 彼らは欲に駆られ、噓偽りであなたがたを食い物にします。この者たちに対する裁きは、昔から滞りなく行われており、彼らが滅ぼされないままでいることはありません」(ペトロの手紙二 2:1-3 聖書協会共同訳)
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律法主義の見本(記事N0.153)

 去る3月29日、1つの衝撃的ニュースが全国を駆け巡った。なんと、愛媛県新居浜市の市立保育園で、60代の女性調理員が、1年間に渡り給食の米飯を自分の昼食用に勝手に食べていたと言う。事実が発覚したことを受け、市当局は当該調理員を減給処分とし、当人は依願退職した。あまりにもお粗末な話であり、衝撃的ニュースとして取り上げるのはおかしいと思われるであろう。その通りであり、私が衝撃的と書いたのは、こんなことが全国的ニュースとして報道されたことと、件の調理員がこの程度の話で懲戒処分に付された上、依願退職に追い込まれたことである。

 この「事件」の当事者である給食調理員は、各種報道によると、規則では、余剰米は廃棄することが定められているにもかかわらず、余ったご飯を捨てずに残しておき、自分が持参したおかずと一緒に食べたようである。読売新聞オンライン版2023年3月30日付記事によれば、「2021年12月〜22年12月、園児の給食として炊いたご飯のうち、余った1食分(150グラム)を236回にわたって取り置き、業務終了後に昼食として食べていた。」と言う。また、地元のテレビ愛媛の報道によれば、「園児の給食ため(原文ママ)調理した米飯をあらかじめ取り置き、自分の昼食で食べていました。保育園の職員はおかずは代金を支払って園児と同じものを食べ、米飯は自分で用意する決まりになっているということです。」と、余った分ではなく、あらかじめ取り置いたとされ、少しニュアンスが異なる。テレビ愛媛のホームページ掲載記事は、こう続く。「女性調理員は『弁解のしようもない。深く反省している』と話しているということです。市は『公務員の信用を失墜させた』として、女性調理員を29日付けで給料の10分の1、1カ月の減給処分に。女性職員は依願退職しました。市は、保育園長や関係部局の管理職に文書や口頭で訓告をしていて、今後全職員に対し綱紀粛正を通知することにしています」

 皆さんは、このニュースを聞いて、どう思われれるだろうか?仮に、調理員が、園児の給食の分量を減らして自分の昼食用に取り分けたなら問題であり、クビになるのも当然であろう。しかし、彼女は、余ったご飯を捨てずに取って置き、自分の昼食として食べただけである。この事が、全国に報道されるほどの事案であろうか?また、懲戒処分を受け、職を失うほどの不祥事だろうか?第一、食べたのは236回というのは、上司か同僚が密かに監視していたのか、それとも、当人が事情聴取で認めた回数なのだろうか?彼女の行為と、それに対する社会的制裁があまりにアンバランス過ぎはしないか?いや、むしろ、事業所系の廃棄食材は、産廃業者に処分費を支払って引き取ってもらうことを考えると、怪我の功名とは言え、ゴミの容量を減らして処分費用(新居浜市民の税金である。)の低減に努めたことは、評価しても良いのでは無いだろうか?

 このようなニュースが流れると、必ず、規則に違反したのだから処分は当然とする意見が出て来る。だが、規則自体が理不尽である可能性も考えなければ、一度規則が作られたなら、規則を遵守すること自体が目的となってしまうことがある。いわゆるブラック校則なども、この類であろう。頭髪は黒色に限ると言う校則のゆえに、地毛が茶色い生徒が髪の毛を黒に染めさせられたとか、はっきり言ってバカである。下着の色は白に限るという校則に至っては、悪趣味な上、人権侵害であろう。幼い頃から、このような理不尽な規則の数々に縛られながら疑問も持たずに成長すると、今般の事案で処分を決めた新居浜市の人事権者のような、程度の低い大人になってしまうのだと思う。

「彼は言っている。『戒めに戒め、戒めに戒め、規則に規則、規則に規則、ここに少し、あそこに少し』と」(イザヤ書 28:10 新改訳)


 この社会には、律法主義が至る所に見られるが、今般の「給食ご飯取り置き事件」は、その格好の見本と考え、あえて低レベルの話題を取り上げた。およそ全ての規則は、人々にとって有益な効果を期待して、作られ維持されるべきである。規則が人々のためにあるのであり、その逆では無い。不合理な規則に人々を縛り付けようとする社会は、人々を幸せに出来るような社会ではないと思う。マスコミ各社も、末端の一契約公務員である給食調理員の「不祥事」を大々的に取り上げる暇があれば、政治家や官僚の不正を追求したらどうだろうか。取り急ぎ、これまでに支出された莫大な新型コロナ対策国家予算の内、使途不明となっている約11兆円の行方を徹底的に調べたら良いと思う。
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値上げの季節(記事No.152)

 4月1日から、食品をはじめ多くの物品やサービスが値上げされた。NHKの報道などによれば、食品だけでも5,100以上の品目が値上げとなるそうである。その他、宅配便などサービス料金の改定もあり、値上げの総計は1万数千品目に及ぶようである。大企業などでは、次々ベースアップに踏み切っているが、中小・零細企業ではその余力が無いところも多く、生活がますます苦しくなる人々が少なくないであろう。このような状況においても、自公政権が頑なに減税を拒否しているのは、彼らがどちらを向いて政治を行なっているかがよく分かる現象ではある。私自身は、現時点で特定の支持政党は無いが、統一地方選挙でも、消費税減税を公約に掲げる候補者に1票を投じる積もりである。

 現在進行中の物価上昇の主要な原因として、マスコミの多くは、ウクライナ戦争により資源価格が値上がりしていることや円安を挙げている。その他、物流コストの上昇も指摘されている。例えば、食料はカロリーベースで約62パーセントが輸入であり、国際価格の上昇があれば小売価格に跳ね返るのは当然である。円安もまた、価格上昇に拍車をかけている。だが、円安は自然現象では無く、第2次安倍政権以来政策的に実現されて来たものである。長年、食料自給率の改善に取り組んで来なかったことと併せ、現在の物価上昇は自公政権の政策の当然の帰結であり、ウクライナ戦争はトリガーに過ぎなかったと思う。国民ではなくグローバリスト集団の側を向く政府を持つと、こうなるのだ。故安倍晋三氏の言葉を借りれば、「悪夢の」自公政権であろう。値上げの季節は、まだ始まったばかりだと思う。

 それでは、一国民として、どうすればこの状況を乗り越えることが出来るのか?節約術や投資術などは情報が世に溢れているが、前者は決定打とはなり得ないであろうし、後者は失敗のリスクもある。「稼ぐに追いつく貧乏なし」との諺もあるが、現代日本では、多少稼ぎを増やせたとしても、税金や社会保険料の伸び率は、大抵の場合所得の増加率を上回る。可能であれば、家庭菜園で無農薬・有機肥料で野菜などを栽培した方が良いが、都市部の住宅事情では困難な場合も多い。井戸水や湧水の利用も、同様の制約がある。そこで、私がお勧めしたいのは、世界のどこででも通用する能力や技能を習得することである。外国語の習得はもちろん有用であるが、それだけでなく、いわゆる手に職を付けるようなことが重要であろう。かつて、ソ連により約58万人の日本軍兵士らがシベリヤに抑留された時、理容や大工仕事の技能を持つ者たち、ロシア語が話せる者たちなどは、比較的良好な待遇を受けたと聞く。「芸は身を助く」という諺の通りである。
 
 今後、現在のインフレが激化し、いずれハイパーインフレになるやも知れないが、そうなると、現金の価値は大きく低下する。現物資産の場合も、それ自体で腹を満たせる訳ではない。金などは、世界共通の価値ある現物資産であるので、保有しているに越したことはないが、可搬性の無い不動産や趣味性の高い家財などは有事の備えとしては弱い。何世紀にも渡り、いつ流浪の民となるかも知れない中で生き抜いて来たユダヤ人や、母国を離れて世界各地に渡った華僑たちが、いずれも子供たちに高い教育を受けさせようと努めて来たことを見習うべきであろう。仮に戦争や迫害などで全財産を失ってしまったとしても、自身が身に付けた知識、能力、技能は、その人が生きている限り、世界のどこででも有用だからである。

「金もあり、珠玉も多い。しかし、貴いものは知識ある唇」(箴言 20:15 新共同訳)


 諸物価値上げの折、自己研鑽に多くの費用を充てるのは厳しいかも知れないが、今は多くの領域でインターネットを活用して、無料あるいは比較的低廉な価格で学習することも可能である。まずは、自分が特に関心のある分野から、能力や技能を一層磨くべく取り組むことが良いと思う。ニッチな分野ほど希少価値があるので、こんなこと学習して何になるのかという考え方は持たない方が賢明であろう。学んだ事がすぐに仕事や収入に結び付かなくとも、いざとなったら活用できる能力や技能を高めておくことは悪くない。それは、自分自身に備わった貴重な財産ともなるからである。
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