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自ら良いものを壊す社会(記事No.67)

 京都新聞2021年11月27日朝刊の1面トップ記事であるが、京都駅前に高さ約60メートルの高層複合ビル建設が計画されていると言う。計画は、駅前にある京都中央郵便局と隣接の立体駐車場を再開発するもので、2029年度以降の開業を目指し、日本郵便とJR西日本グループが共同で事業を進めるとのことである。計画地一帯は、京都市により新築建物は高さ31メートル以内の制限があるが、公共性と利便性に配慮した施設機能を充実させることで、高さ制限の緩和を受ける方針と言う。

 単なる都市再開発事業に関する記事のようではあるが、いくつかの点において、現代日本の問題点が浮かび上がったような内容である。1つには、当再開発の事業者2社は、両社共、かつての国営事業が民営化された法人である。JR西日本は、日本国有鉄道が分割民営化されて誕生したうちの1社である。日本郵政は、郵政省が所管していた郵便事業が現在の日本郵政グループとして民営化され、その郵便事業と郵便局の運営を担う小会社である。それぞれの民営化にまつわるエピソードは、多くの報道や出版物などで語られて来たので、ここでは詳細は取り上げない。一言で言えば、これらの民営化の本質は、官民挙げての利権の拡大であり、同時に、労働組合運動の弱体化であったと考えられよう。取り分け、各事業体が有していた不動産の売却や再開発により、関係各方面には巨額の利益がもたらされた。それらの不動産は、元々は公有財産、すなわち、国民の共有財産であったものである。今般報道された、京都駅前再開発の種地も、まさに本来は国民の共有財産である。

 もう1つ、景観を含む環境保護の観点からも、考えさせられる計画である。新幹線で特に新大阪方面から京都に近づくと、東寺の五重塔よりも先に目に入るのが京都タワーである。蝋燭を模したデザインと言うのが有力な説であるが、古都京都のシンボル的な近代建築物としては、私にはグロテスクな外見としか思えない。京都駅の巨大な駅ビルもそうであるが、建築の素人が見ても、お世辞にもセンスが良いとは言えない。その京都駅正面口の壁面に、大正年間の京都市街の鳥瞰図が展示されているのだが、実に美しい街並みである。現代の新旧ない混ぜで統一感のない京都の街並みとは、似ても似つかぬ情景である。京都は戦時中もほとんど空襲に遭わず、現在上京区の辰巳公園となっている地帯など一部を除き、市街地は破壊を免れた。それを戦後の無節操な都市開発により、自らの手で破壊してしまったのが、これまでの京都人であった。それは、日本のほとんどの都市に共通して見られる、非文化的な発想ではなかったか。

「知恵はその家を建て、愚かさは自分の手でそれをこわす」(箴言 14:1 口語訳)


 聖書は、昔の方が良かったという発想を戒めているが、それは、古いものを大切にしないという意味ではない。いかに古くても、良いものは残し受け継ぐべきであろう。明治初期に日本各地を旅し、その体験を2巻の旅行記にまとめた、イザベラ・バードというイギリス人女性がいた。牧師の長女として生まれた彼女は、病弱であった幼少期に北米に転地療養したことを契機に旅への関心を持ち、大人になると世界各地を旅するようになり、卓越した観察者として多くの著作を記した。そのバードは、1878(明治11)年6月から約7ヶ月間かけて、日本人通訳兼従者を伴い、東京を起点に新潟から東北を経て北海道に至るまで、続けて伊勢、京都、奈良、大阪、神戸など関西方面を旅した。その旅の目的は、日本の本当の姿を知り、それを記録に残すことと、キリスト教普及の可能性を探ることであった。バードは、日本旅行の記録を全2巻800ページを超える著書、「Unbeaten Tracks in Japan(邦訳:イザベラ・バードの日本紀行など)」にまとめて世に出した。

 当時は、外国人の単独日本国内旅行は厳しく制約されていたが、駐日英国公使パークスの尽力で、日本政府より内地旅行免状を取得しての旅であった。パークス公使としては、日本各地の詳細な情報を取得したいとの思惑もあったはずであるが、彼の日本政府に対する強力な働きかけもあり、バードの旅は十分に準備されたものであった。そうとは言え、公共交通網が未発達の当時の日本は、現代とは比較にならないほどの困難な旅であった。彼女は、行く先々の日本人の、北海道ではアイヌ人を含めて、生活様式や考え方などを丹念に調査し、詳細に記録した。彼女は、その著書の中で、日本各地の自然の美しさだけでなく、街々の美しさや清潔さを絶賛している。また、日本人の生活や文化については、率直な賞賛と厳しい批判の両方が記されている。もしバードが京都をはじめ現代日本の醜い街の情景を見たら、変わり果てた街並みに驚くであろう。

 バードが京都を訪れたのは、1878年10月のことであった。新島襄が校長をしていた、同志社英学校に2週間滞在するなど、京都ではキリスト教伝道活動の視察が主な目的であった。御所の東に完成したばかりの新島邸に招かれ、新島夫妻とも親しく歓談したバードは、新島襄に、日本人の最も良くない点は何かと尋ねたところ、すぐさま、「嘘をつくことと、規律を守らないことである」との答えが返って来たと言う。その答えは、クリスチャンではない2人の日本政府高官に聞いた時と、全く同じものであったそうである。日本では、正直が美徳とされ、秩序を守ることが重んじられているが、反面、その正反対の行動をとる人々も多いということであろう。これは、一部の人々が主張するように、中国人や韓国・朝鮮人だけの欠点ではなく、日本人自らも顧みなければならないことである。

 今回は、京都駅前の高層ビル開発計画に絡めた記事であったが、環境に限らず、日本の良いものを壊し続けて来たのが、実は日本人自身であったという残念な事実がある。国粋主義的な考え方を持つ人が少なくない中で、ある種不思議なことと言えなくも無いが、結局は、日本の伝統や文化をやたら強調しながら、その実、それらを蔑ろにして来た人々が上から下まで少なく無かったのであろう。私たちは、有形無形の文化や伝統、あるいは街を含めた環境においても、捨てるべきものは断捨離しつつ、良いものは大切に残し、後代に受け継いでもらうべきである。

「神の造られたものは、みな良いものであって、感謝して受けるなら、何ひとつ捨てるべきものはない」(テモテへの第一の手紙 4:4−5 口語訳)
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寒い冬が来る(記事No.66)

 最近、朝夕は大分冷え込んで来た。昨年から今年にかけて経験した、京都での初めての一冬は、東京都心部や神奈川東部よりも寒かったが、色々工夫もしてどうにか耐えることが出来た。高村光太郎は、「冬が来た」の詩で、「冬よ 僕に来い、僕に来い 僕は冬の力、冬は僕の餌食だ」と詠んだが、とてもそんな気分にはなれないのが少し哀しい。京都市内でも、中心部より標高が数十メートル以上も高い地域であると、冬は平均気温が2、3度低く、雪が積もることも珍しく無いようである。タクシーなどは、12月に入ると、スタッドレスタイヤに交換するようであるが、一般車では少数派かも知れない。私も、昨年同様ノーマルタイヤで通すつもりなので、厳冬期には、東名や名神、新名神を利用しての北から東方面へのドライブは出来ない。

 今年の冬は、昨年よりも寒くなるとの予測が出ている。それと言うのも、気象庁が発表しているところでは、現在ラニーニャ現象が発生している可能性が高いとのことである。ラニーニャ現象が発生すると、日本では冬が例年より寒くなる傾向がある。地球は温暖化していると言われているが、逆に寒冷化していると言う説もある。仮に温暖化していることが事実だとしても、その原因は、二酸化炭素濃度の上昇だけでなく、長年の熱帯雨林の大量伐採により、地球の気温調整機能が低下していることも指摘されている。また、一部には、世界中の原発から出る膨大な量の温排水が、海水温度を上昇させていることも原因とする説がある。いずれの説が正しいにせよ、地球温暖化関連ビジネスは、主導する者たちが巨大な利益を得ている現実がある。ウォール・ストリート・ジャーナル誌2021年9月2日付(電子版)記事によれば、昨年の世界の排出権取引市場(炭素市場)の規模は、約31兆円にも達するそうである。新たな製品やサービスを創出した結果では無く、世の中の仕組みを変えただけで巨額の市場が創られた訳であるから、ビジネスというよりも錬金術と言うのが相応しのかも知れない。

 自然的な意味で、これから例年よりも寒い冬が始まる訳だが、霊的な意味でも、今後世界は寒い冬を迎えるだろう。自然的な冬は、防寒具や暖房などが無ければ身体が冷えるが、霊的な冬では、暖かい愛が無ければ心(魂)が冷えるのである。逆に、もし愛があるなら、日本が、世界が、厳しい状況であったとしても、私たちは、心に温もりを保つことが出来る。私たちの人生に愛があるか否かにより、心は冬にもなれば春や夏にもなるのである。私たちが生きているこの社会も同様である。残念ながら、日本と世界の状況を見る時、刻々と愛が失われつつあることを認識せざるを得ない。神の目から見て、間違ったことが、この世に盛んになることを、聖書は不法がはびこると警告している。不法がはびこるので愛が冷え、愛が冷えると、ますます不法がはびこるのである。

「不法がはびこるので、多くの人の愛が冷える」(マタイによる福音書 24:12 新共同訳)


 以前から書いているように、私はテレビを視る習慣が無いのだが、どのようなテレビ番組があるのかは、新聞のテレビ欄やインターネット上の情報で、ある程度は把握している。最近、テレビでは、木下富美子都議会議員の問題が各局で集中的に取り上げられている。その前は、小室圭氏と真子氏の結婚問題であった。中国の四字熟語(成語)に「打落水狗」と言うものがある。直訳すれば水に落ちた犬を打つということで、窮地に陥った者に追い打ちをかけるという意味に使われる。日本のテレビ局が行っているのは、まさにこのようなことである。ある人は、それは元々中国人や韓国人の考え方で、日本人本来の考え方では無いという。そうなのかも知れないが、現代では、それは多くの日本人の考え方にも見られるのではないか。スケープゴートを選んで集中的に叩いて見せることは、大衆受けすると、テレビ局などは踏んでいる訳である。それは、視聴率稼ぎの他に、国民にとって重要な問題から目を逸らさせると言う、一石二鳥の効果がある。小室氏や木下都議の問題は、総選挙の争点や、新型コロナ・ワクチン接種後大量死(厚生労働省発表でも、これまでに国内で1,300人以上)から、国民の目を逸らす効果があった訳である。小室氏夫妻が渡米し、木下氏は議員辞職を発表した今、次のターゲットは誰になるのだろうか?

 小室氏夫妻や木下都議の場合は、社会的弱者とは言えないが、日本は弱者に対する不正義が罷り通る国になってしまった。最近でも、北海道旭川市や東京都町田市で、小中学生がいじめで自殺に追いやられても、学校や教育委員会は校長や担任を庇い、真相究明や責任追求に及び腰である。多くのマスメディアも追求の矛先が鈍いことを見ると、加害者の親族に地域の有力者や政治的圧力団体関係者がいるのではと、つい勘繰りたくもなる。これらの事件が象徴しているように、ここまで社会から愛が損なわれ、不正義が跋扈するようになると、霊的法則では、遠からず裁きがもたらされる。恐らくは、近い将来、それは日本にも起こるであろう。それは、どのような形で現されるのだろうか?現時点では、預言では無く推測ではあるが、大きな地震か噴火が起こるのではないだろうか。それに伴い、再び巨大原発事故が起こる可能性もある。もちろん、リーマン・ショックを超える経済クラッシュや、新型コロナ・ワクチンの薬害などによる、世界規模での社会的混乱も想定しておく必要があるだろう。いずれにせよ、これから来る冬は、霊的にも寒い冬となりそうである。神の愛に包まれて、暖かい心で厳しい冬を乗り切りたい。

「このことが冬に起こらないように、祈りなさい」(マルコによる福音書 13:18 新共同訳)
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預言カフェ訪問レポート(記事No.65)

 昨日、お茶の水にあるキリスト教書店での買い出しを兼ねて、妻と日帰りで東京へ行き、かねてより一度訪問してみたかった、高田馬場にある「珈琲専門店 預言CAFE」に行ってみた。同カフェは、他に赤坂にも同じ系列店があるが、アライズ東京キリスト教会牧師でもある、吉田万代氏が立ち上げた店である。「珈琲専門店」とあるように、店で使用するコーヒー豆は、厳選した生豆を仕入れ、自家焙煎しているそうだ。しかし、同カフェが他のコーヒー専門店と決定的に異なるのは、希望する客に対して、店内で「預言」を行なっていることである。

 「預言CAFE」のオーナー経営者である吉田万代牧師と、同師のご主人である吉田浩牧師は、共にアライズ東京キリスト教会の牧師である。吉田夫妻はドイツ留学経験のある音楽家でもあるのだが、教会での働きに召命(神による働きへの導き)を受け、栃木県佐野市にある、佐野キリスト教会において、カナダからの宣教師、ロナルド・サーカ牧師夫妻らから訓練を受けた働き人である。サーカ師は、アメリカにおける預言的働き人の1人であった故ビル・ハモン師が設立した宣教団体、クリスチャン・インターナショナルに加入し、1996年に、クリスチャン・インターナショナル・アジアを設立し、使徒的・預言的ミニストリーに従事して来た。クリスチャン・インターナショナル・アジアは、その後Arise5と名称を変更し、現在ではCatch The Fireという宣教団体と統合している。

 さて、本ブログの読者の皆さんはお気づきかも知れないが、私は記事の中で、「実は」という言葉を時々使うことがある。実は今回も、「実は」である。実は私も、サーカ師の設立した、クリスチャン・インターナショナル・アジアとは、少し関わっていたことがある。彼らは、団体設立以降、佐野市において、毎年2、3回の聖会を開催していた。その聖会には、佐野キリスト教会の会員でなくても、参加申し込みをすることが出来た。当時から、預言的働きに関心を持っていた私は、妻と共に、1997年のゴールデン・ウィークに開催された聖会に参加したのを皮切りに、その後約10年間、彼らが主催するほとんどの聖会に参加したのである。また当時は、「預言のパートナー」と言うサポーター会員制度があり、私もその1人となって、毎月少しばかりの献金を捧げていた。

 クリスチャン・インターナショナル・アジアは、主催者の宣教師がカナダ人とアメリカ人の夫妻ということで、アングロサクソン系教会に豊富な人脈があったことと、預言的働きはアメリカなど欧米の教会の方が盛んだったこともあってか、聖会では、たいていは海外からのゲスト・スピーカーが主講師を務めていた。毎回賛美で始まるプログラムは、講師の説教の後、参加者が、講師や教会スタッフより個人預言を受けられる時が持たれた。特に、使徒や預言者として働いている人々からの預言は、ほとんどすべての場合において、的確であり、励ましと希望が与えられるものであった。語られたそれらの預言は、その後次々と成就して行った。それらの預言の中には、まだ成就していないものもあるが、これまでそうであったように、これから実現して行くことを信じている。
 
 その後、クリスチャン・インターナショナル・アジアは、団体名が変更されただけでなく、活動方針にも変化があり、私たちも導きが感じられなくなったことで、ここ10数年は直接的な関わりは無かった。しかし、これまで書いたような経緯があり、吉田牧師夫妻の働きのことは、20年以上前より見聞きしていたのである。なので、預言カフェの働きを始められたと知って以来、いつかは訪問してみたいと思っていたのだ。預言カフェは、私の知る限り、東京の吉祥寺にも別のオーナーが運営している店がある。こちらの方は、数年前に、あるキリスト教系研究団体の懇親会で利用したことがあったが、その時はパーティーであって、私を含めて誰も預言は受けなかった。預言カフェという以上、一度はそこで実際に、預言を受けてみたいというのが人情であろう。

 預言カフェについては、クリスチャンの中でも賛否両論があるのは承知している。否定的な考え方としては、「預言」をビジネスと結びつけるべきではないということ以外に、これは「預言」ではなく、「占い」に近いのではないか、というものがある。私も、当然事前にこられの点について、実態はどうなのか情報収集した。結論的には、カフェ自体はビジネスであるが、預言自体は収益源では無いことと、占いとは明確に別物であるという見方が固まったことで、実際に訪問し、「預言カフェ」体験をすることにしたのである。

 背景説明が長くなってしまったが、昨日の同カフェの様子と、そこで受けた「預言」について説明したい。店の開店時間は14時であったが、受付は13時からとなっていたので、13時過ぎには店を訪れ、入り口近くにあった予約受付簿に氏名を記入した。ファミリーレストランなどにある記入用紙と同じようなものであるが、30分刻みで人数制限がかけられており、私たちは14時30分入店組であった。一旦店を出て付近を散歩などして時間を調整し、予約時間少し前に戻ると、私たち以外に、2、3人1組の客が4組くらい入店待ちであり、定刻にスタッフからそれぞれ名前を呼ばれ入店した。店内は、教会の礼拝会場にも使われているからか、装飾などはシンプルで、4人掛け用のテーブル席が6、7セット置かれていた。メニューは、オレンジジュースの他は、全てコーヒーであり、値段は1,000円前後と、カフェにしてはやや高めの設定である。「預言」自体は、希望する客は無料で受けられることになっているが、ほとんどの客は希望するのであろう。

 テーブルに運ばれて来たコーヒーは美味しかったが、飲み始めて数分すると、別のテーブルで「預言」していた60代半ばくらいの男性スタッフが、椅子を持って私たちのテーブルに移動してきた。録音を勧められたので、スマホのボイスメモ以外に、安全のため、テープ代250円を払ってカセットテープでの録音も選択した。「預言」は、それぞれの客に対して個別に語られ、時間は各2分数十秒くらいであった。「預言」するスタッフは、アライズ東京キリスト教会の預言訓練コースなどで学んだ、クリスチャンと言うことである。それでは、私たちに語られた「預言」であるが、内容はやや抽象的であり、どちらかと言えば、一般的な励ましや労りを中心とするものであった。その「預言」自体は、はっきり言えば、預言と言うよりは、励ましや勧めといった印象であった。

 今回、実際に自分たちで預言カフェを訪問し、「預言」を受けて感じたことは、この働き自体が悪い訳ではなく、教会の外に積極的に出て、人々に聖書的なメッセージとの接点を提供していることは良いことだと思う。語られる「預言」は、預言についての聖書的知識を持たない人々に対しては、むしろマイルドで適切な内容かも知れない。しかし、そこで用いられている霊的賜物は、預言と言うよりも、どちらかと言えば、勧める賜物ではないかとも感じた。その辺りは、預言の重要な機能として、人を励まし慰めると言うものもあるので、預言カフェの「預言」の場合は、厳密に区別する必要は無いと思う。預言カフェの客には、クリスチャンもそうでない人々もいるだろうが、そこで見たある種の盛況は、他者からの励ましを得たいと願っている人々が多いと言う、現代日本の社会状況の反映であると言えるであろう。彼らが、「預言」を入り口に、真の神と出会うことを期待したい。

「勧めをする人であれば勧め、分け与える人は惜しまずに分け与え、指導する人は熱心に指導し、慈善を行う人は喜んでそれを行いなさい」(ローマ人への手紙 12:8 新改訳)
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修学旅行来たる(記事No.64)

 京都は、言わずと知れた修学旅行のメッカである。かく言う私も、高校の修学旅行は京都・奈良であった。もっとも、私と友人たちは、寺社にはほとんど興味が無かったので、班行動の時間には、見学は早々に切り上げて喫茶店に入り、当時よく置いてあったテーブル型のゲーム機で遊んだことを思い出す。夕方に錦市場を皆で歩いた時は、混雑していて、楽しむどころではなかった。現代の修学旅行生は、班行動ではタクシーに分乗して巡る学校もあると言うから、便利になった反面、見学をサボることは出来そうに無い。その修学旅行生であるが、昨年4月から今年8月くらいまで、京都では全くと言えるほど見かけなかった。

 8月になってから、ごく稀に修学旅行の班行動らしき中高生の姿を見かけるようになった。緊急事態宣言明けの10月に入ると、京都駅構内でも修学旅行の団体をよく見かけるようになり、観光バスも随分と走るようになった。それでも、観光・交通事業者にとっては、以前の活況には遠く及ばないのであろう。長期休業を余儀なくされていた修学旅行専門宿泊施設などの事業者にとっては、中高生の団体客の有無は死活問題である。彼らにとっては、修学旅行は無くてはならぬものである。中高生の多くにとっても、修学旅行は楽しみなものであろう。政府の無策と、教育委員会や学校の無能や保身によって、多くの学校で修学旅行が中止となり、一生に一度の機会を失って、がっかりした生徒らも多かったと思う。

 一方で、学校でいじめに遭っていたり、集団行動に馴染めないといった事情で、修学旅行が中止となってホッとした生徒らも少なくなかったと思われる。公立中学校などの一部には、経済的事情で修学旅行に行けない生徒も少数いると推察する。コロナ禍を奇貨として、修学旅行のあり方も再考すべきではないだろうか。具体的には、原則全員参加ではなく、原則希望者のみ参加として、学校教育における選択プログラムとして位置付けてはどうかと思う。しかし、修学旅行が学校と旅行会社にとっては既得権益となっている現状では、当事者側からの改革はあまり期待できないが。

 近年では、修学旅行の行き先が海外である学校も珍しく無い。私の長男の場合も、中学ではオーストラリアが修学旅行先であった。農家に分宿し牧場での農業体験をするなど、それなりに楽しいプログラムであったようである。単なる観光地での見学にとどまらず、この種の体験型プログラムを取り入れる修学旅行も流行っているのかも知れない。いずれにせよ、単にある場所を訪ねて見学するだけよりも、自分たちで何かに取り組む経験の方が、総体的には生徒らにとっては思い出深いものになるだろう。

 修学旅行も本来そうであってほしいが、若い時に、どんな所に行き、どんな人々と出会い、どんな学びや経験をしたかは、その後の人生に大小の影響を与える。もちろん、それは旅行だけではなく、家庭に始まり、学校や地域の中でのことも同じである。中でも、どんな人々との出会いがあったかは、しばしば、人生を左右するほどの影響があるだろう。私の場合を振り返って見ると、両親や近しい親族の他、友人たちや何人かの教師や習い事の師範などが思い浮かぶ。教師たちの中には、反面教師としての影響を受けた人々もいる。大人が少年少女に与える影響力を考える時、たとえ親や教師であっても、子供たちをぞんざいに扱ってはならないと思う。時々、京都駅のコンコースでは、修学旅行生の集団が体育座りをして、引率教師の話を聞いている姿を見かけることがあるが、とんでもないことである。第一、不衛生であるし、躾としたら無意味なことである。本当のところは、教師たちにとって楽だからであろう。

 さて、私の場合、数十年前に行った修学旅行は、自分自身の不真面目さもあって、残念ながら意義深い経験とはならなかった。その頃に、最も有意義だったことは、ある人に出会ったことである。その人は、今でも私の師であり、また、友でもある。その人の名は、イエス・キリスト、人となられた神の子である。人間の考えでは、本当に不思議なことではあるが、若い時に一度だけ、わずかな信仰を持つに至って信じただけであるのに、この方は、それ以来ずっと私と共にいてくださるのだ。私が、背いたり離れたりした時も、私が気づかなかっただけで、いつも共にいてくださったのだ。その私の経験からも、確信を持って言えるが、人にとって最高の出会いは神との出会いであり、人生最大の経験もまたそうである。京都を訪れる修学旅行生を見る度、彼らが、若い日に神と出会って欲しいとの思いが湧き上がる、今日この頃である。

「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。わざわいの日が来ないうちに、また『何の喜びも無い』と言う年月が近づく前に」(伝道者の書 12:1 新改訳)
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日本社会の現況について(11月13日現在)(記事No.63)

 今週は、調停で裁判所に出頭したり、出張で福岡に行ったりと、何だかせわしなく、ついブログ記事の更新間隔が開いてしまった。引き続き、強い関心を持って注視していることに、パンデミックやワクチンに加え情報を武器として、世界中の民衆に戦争を仕掛けている、世界統一政府樹立を図る者たちの動きがある。また、独裁体制をさらに強化しようとしている、中国の習近平政権の動きも気がかりではある。しかし、それらのテーマを一度に取り上げることは、話が広がり過ぎ、記事も長文になることから、機会を改めて書くこととしたい。今回は、ここ最近の日本社会の状況に照らして、何点か思ったことと、今後の見通しを含めた分析と意見を書いてみたい。

 まず、政治状況についてであるが、今般の総選挙の結果が、これから国民に重くのしかかって来るだろう。自公維国の改憲勢力と言われる諸政党で衆議院の3分の2以上を占めたことで、早ければ来年の参議院選挙と同時の国民投票を目指して、あるいは遅くとも4年以内には、国会での憲法改正発議が行われる可能性が出てきた。誤解を恐れずに書けば、私は、憲法とて不磨の大典とは思わないし、国軍の保持は主権国家の権利であると考えている。しかし、対米従属構造から脱するでもなく、大日本帝国体制との親和性がある政治思想を有する勢力が台頭する中での改憲は、仮に実現すれば、政府ではなく国民を縛るものへと憲法の性格を変えるであろう。新生日本国軍となった自衛隊が、有志連合の先鋒として中東などの戦場へと派遣されるようになれば、再び国民にとっては悪夢の時代が始まるだろう。

 もう1つ気になったこととして、台湾の半導体メーカー、台湾積体電路製造(TSMC)が、ソニーとの共同出資の形で新会社を設立し、熊本県内に半導体工場を建設するとのニュースがある。TSMCは、世界における最大手クラス半導体メーカーの1つであり、新会社は同社が過半数を出資すると言う。設備投資額は8,000億円規模となるとされ、約1,500人の新規雇用が創出されると見込まれている。かつて1980年代後半には、日本の半導体生産は、世界市場シェアの過半数を超えていた 。1990年には49パーセントであった日本の世界シェアは、30年後の2020年には6パーセントにまで低下した。代わりにシェアを大きく伸ばしたのは、米国と日本を除くアジア各国(韓国、台湾、中国)である。失われた30年とも称される日本経済の低迷は、先端技術関連製造業の状況にも如実に現れている。

 改憲を巡る状況の背景にある、日本社会の右傾化(国粋主義とも少し違う、対米従属を是とする歪んだ右傾化か)と、半導体産業の凋落にも象徴される日本経済の低迷とは、密接にリンクしていることは明らかであろう。長期間の経済の低迷は、多くの国民にとって、生活が苦しいか、あるいは株価などの数的指標で示される、あるはずの豊かさを実感できない状況が続いているということである。それでも、将来に希望が持てるのであれば、一時の苦境は耐え忍ぶことも出来る。しかし、希望が見えず、袋小路のように、苦境からの脱出の道が見出せない状況が続くならばどうであろうか。社会には閉塞感が漂い、人々の心には落胆とストレスとが沈殿する。そのような状況の中で、日本民族の優秀さや日本の素晴らしさを唱える主張は、人々の心に響き易い。一部に指摘されているように、ヒトラーが率いるナチスが台頭した当時の、ドイツの状況にも似ているのかも知れない。しかし、決定的な違いもあり、それは、ヒトラーはドイツ経済を立て直し、少なくとも大戦前までの間は、ドイツ国民の生活を苦境から脱出させたが、現代の日本の指導者らはそれが出来ず、また、やろうともしていないことである。

 昨年来の新型コロナウイルス流行を通じて、より鮮明になったことは、日本も世界も、一握りの人々によって、誤った方向へと導かれていると言うことである。地球温顔化問題やSDGsなどの欺瞞についても、それが当てはまるが、大きな問題であるほど、全ては予め計画されていたと言うことである。彼らの最終的な目的は、これまでのブログ記事でも度々書いて来たように、世界統一政府を樹立し、支配者集団を除く全人類を奴隷化することである。その時には、キリスト教を筆頭に全ての宗教は廃止され、悪魔崇拝が唯一の宗教とされる。これは決して陰謀論などでは無く、これまでの歴史と現在世界で起こっていることとを、聖書の記述に照らし合わせると、はっきりと分かることである。彼らの計画の中で、日本はどんな役割を負わされているのか。これについては諸説あり、中国と戦争させて両者をすり潰す計画との見方も出来るし、ATMとして骨の髄までしゃぶり尽くすと言う企てかも知れない。いずれにせよ、彼らにとって日本は手駒に過ぎないのであろう。

 私たち日本人としては、テレビの垂れ流すゴシップなど低俗な話題に惑わされて、今この国に進行中の、重大な事態に気が付かないと言うことが無いようにしたい。例えば、真子氏と小室氏の結婚についてなど、一般国民にとって騒ぎ立てるような問題ではない。小室氏夫妻で新宮家を創設するならともかく、一般国民としての新家庭である。国民には、二人の結婚に反対する権利はそもそも無かったし、真子氏をして皇籍離脱の一時金を辞退せざるを得なかったような批判をするなら、はるかに巨額の、政治家や官僚による国費の簒奪こそ厳しく糾弾すべきではないか。思い返せば、小泉政権の頃から、より露骨になって来たことであるが、日本という国は、権力者たちが各界の利権集団と手を組んで、国民から搾取をする国家になり下がってしまった。明治維新以来その性質があったのだが、敗戦でも完全にはリセットされず、今では、それがさらに深化していると言えよう。このような政治体制は、泥棒政治(クレプトクラシー)と呼ばれる。

 その昔、私がまだテレビを日常的に視ていた頃であるが、東北地方のある街で、ちゃぶ台返しコンテストが開かれた様子が放映されていたのを覚えている。進行役のおばちゃんの掛け声を合図に出場者がちゃぶ台をひっくり返し、一番飛距離を出した者が勝ちである。その掛け声とは、「あんた、も〜やめて〜」というものであった。テレビアニメ「巨人の星」に登場する頑固親父、星一徹が、怒ると食事中のちゃぶ台をひっくり返していたことを思い出す。私たち国民は、この国に巣食い利権を貪る者たちに対して、「いい加減、あんたら、も〜や(止/辞)めろ!」と、ちゃぶ台を返して三行半を突きつけなければならないだろう。そのためには、まず私たちの意識を覚醒させる必要がある。神の言葉である聖書を読んで、その教えに従うことは、その為の有力な助けになる。いや、それ無くしては、ましてや世界支配を目論む者たちの策略を見抜き、彼らに対抗することが、どうして可能となるだろうか。

「だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなたがたから逃げて行きます」(ヤコブの手紙 4:7 新共同訳)
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韓国系異端宗教を警戒せよ(記事No.62)

 本ブログ記事No.28「カルトに注意」に書いた、以前所属していた教会で知り合った、70歳くらいの女性から、先日メールが送られて来た。何でも、今世界中で見られているYoutube番組を、是非見て欲しいとのことである。彼女がキリスト教系カルトにのめり込んでいると知っていたが、具体的にどのような団体か分かると思い、送られて来たアドレスをクリックしたところ、案の定、韓国系異端宗教である新天地の動画であった。

新天地とは、正式名称を新天地イエス教証拠(あかし)の幕屋聖殿と称し、李萬煕(イ・マニ)という人物が教組であり、総会長として組織を支配している。李教祖により、1984年に韓国で創設された新天地は、李自身を再誕のキリストとする、キリスト教を詐称する宗教団体であり、正統キリスト教の側から見れば異端である。先ほど記したYoutube動画は、再生して数秒で新天地と判明したので、そこで見るのを止めた。異端研究をするのでも無い限り、全部見ても時間の無駄であるからだ。

異端研究と言えば、友人の韓国人宣教師が中心となって運営している、「異端・カルト110番」という、キリスト教異端・カルト情報サイトがあるのだが、同サイトによれば、現在確認されているだけで、以下のような韓国系異端宗教が日本でも活動している。なお、以下のリスト以外にも、全能神教会という異端宗教が活動しているが、これは中国発祥である。

  • 救援派(クオンパ)3グループ ーー グッドニュース宣教会、大韓イエス教浸礼会 命の御言葉宣教会、キリスト教福音浸礼会
  • インマヌエルソウル教会 ーー タラッパン運動・レムナント運動、RUTC
  • 平康第一教会(旧・大声教会)
  • 天の父母様聖会・世界平和統一家庭連合(旧・統一教会)
  • 世界平和統一聖殿(サンクチュアリ協会)日本サンクチュアリ協会
  • ソウル聖楽教会(ベレヤ運動)
  • 新天地(正式名称は先述) 
  • キリスト教福音宣教会 CGM(クリスチャン・ゴスペル・ミッション)(通称・摂理) 
  • 万民中央教会(以前、私の友人が副牧師をしていたが疑問を抱き離脱している。) 
  • インターコープ宣教会
  • 神様の教会
  • 恵み路(ウネロ)教会(グレース・ロード・チャーチ)


「多くの者がわたしの名を名のって現れ、自分がキリストだと言って、多くの人を惑わすであろう」(マタイによる福音書 24:5 口語訳)


韓国発祥のキリスト教系(キリスト教詐称)異端宗教と言えば、統一教会が最も知られているであろう。この分野の先駆者である統一教会は、以前は、原理研究会などと称して大学でのサークル活動を立ち上げ、学生らを勧誘していた。決して少なくない日本人学生らが、彼らの組織に引き入れられ、原理講論などの教理を刷り込まれて洗脳された。最近では見たことが無いが、高額な壷を売りつけたり、珍味を売り歩いたりで資金稼ぎをしていた。また、集団結婚式で組織の決めた韓国人男性信者と結婚して渡韓し、農村部などで今なお苦しい生活を余儀無くされている日本人女性もいる。日本社会にとっての脅威はそれらに止まらず、各大学の統一教会系サークル出身者が、中央官庁など国家機関に就職し、獅子身中の虫として活動している疑念がある。

現在では、統一教会の日本における布教の成功(?)に倣ってか、先に挙げたように、さらに多くの韓国系異端が進出している状況である。日本におけるキリスト教系異端の歴史は古く、アメリカ発祥の、エホバの証人(ものみの塔)は灯台社という団体名で戦前から活動している。アメリカ系では他に、モルモン教などが活動しており、2人1組で自転車で移動する白人男性チームが、日本人の若者を、モルモン教会の無料英語教室などに勧誘しているので、街頭などで声をかけられた経験がある人もいるだろう。現代の日本には、幸い信教の自由があるので、異端であっても活動自体は自由である。しかし、詐称されている側のキリスト教とすれば、彼らの誤った教えに人々が引き込まれてしまうことが無いよう、警告と啓発は行う必要がある。異端は、人々の貴重な時間、労力、財産を奪い、人間関係を破壊するからである。

近年日本に進出している異端は、数的には韓国系が多い。ここ数十年、韓国から日本に対して、異端だけでなく、正統キリスト教プロテスタント教会による宣教活動も盛んに行われて来た。その内、最も知られており、かつ影響力を及ぼしたのは、趙鏞基(チョー・ヨンギ)牧師による活動であろう。趙牧師は、今年9月に召天したのだが、彼がソウルに創設したヨイド純福音教会は、1958年に天幕教会の形でスタートした後爆発的な成長を遂げ、一時は80万人近い信徒数を有していた世界最大の教会である。日本では、1970年代後半より趙牧師の宣教活動が始まり、各地に純福音教会が設立され、途中で分離した教会を含めれば、恐らくは10万人近い信徒を擁するのではないだろうか。彼らの典型的な宣教手法は、韓国人宣教師のもと、まず在日韓国人やその日本人配偶者らを主な対象として福音を伝え、信者となった人々を核として日本人伝道を進めるというものである。

私も、1990年代には、趙牧師の日本宣教活動に伴う聖会(キリスト教会による大小の大会)に何度か参加し恵みを受けた経験がある。また、ヨイド純福音教会の日本派遣宣教師として来日し、後に独立して教会を設立しただけでなく、日本を愛し、日本の土となることを決意し、夫妻で日本に帰化した三井康憲(韓国名・李康憲)牧師からは、礼拝やテープで聞いた説教により、これまた大きな恵みを受けた。だから、韓国系キリスト教会というだけで、否定的な考えは持っていない。警戒すべきは、アメリカ系と同様に、韓国系の異端だからである。読者の皆さんも、くれぐれも気を付けていただきたい。
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九転十起生(記事No.61)

 数日前、法人会の会合に出席した際、会社が保険契約で付き合いのある、大同生命の営業員と立ち話をした。大同生命は、全国の法人会と提携し、中小企業向け団体保険などを主力商品として扱っている生命保険会社である。近年は、個人向け保健の分野では、どこもネット販売に力を入れているが、企業・団体向け分野では、担当営業員が直接アプローチすることが多い。多くが男性であるソニー生命は別として、営業員は圧倒的に女性の比率が高く、大同生命も同様である。昔、「日生のおばちゃん」と言うテレビCMが流れていたが、今は、保険のおばちゃんならぬ、セールスレディと言うのか。

さて、これは私の習い性とでも言おうか、どんなんことでも、何かキリスト教や聖書に関係があることが分かると、そのことについて調べてみることにしている。大同生命の営業員と話したことで、同社の創業者の一人である、広岡浅子氏がクリスチャンであったことを思い出し、改めて、彼女について少し調べてみた。広岡浅子氏とは、2015年に放送されたNHKの連続テレビ小説、「あさが来た」の主人公、「あさ」のモデルともなった人物である。とは言うものの、私自身は基本的にテレビを観ないので、その番組も観ていないのだが。

 幕末の1849(嘉永2)年、豪商三井家の1つ、京都の出水三井家の四女として、浅子氏は生まれた。既に2歳の時には、大阪の豪商加島屋当主の次男広岡信五郎氏と、将来結婚することが決められていた。浅子氏は、将来豪商に嫁ぐ女性として、三味線、琴、習字、裁縫といった教養を身につけさせられる。今で言う、お嬢様教育を受けさせられて育ったのである。1865(慶応元)年、17歳で浅子氏は広岡信五郎氏の元に嫁ぐ。広岡家の一員となった浅子氏は、家業である加島屋の内実を見て行く末に危機感を抱く。自分がしっかりしなければと思い立った彼女は、夫信五郎氏の理解を得て、学問を修めようと励んだ。おっとりした御曹司であった夫だが、生涯浅子氏の良き理解者であったと言う。

 浅子氏の抱いた危機感は、結婚から3年後に現実となる。明治維新が起こり、新政府は、加島屋を含む大阪商人にも、巨額の御用金の献金を命じた。江戸時代より長州藩と取引のあった加島屋は、何とか危機を乗り切りることが出来た。次なる危機は、1871(明治4)年に訪れた。廃藩置県により、諸藩への融資が焦付き、主要な収入源が途絶えてしまったのだ。家業の重大な危機に直面し、浅子氏は、今こそ自分が力を発揮すべき時だと腹を据え、加島屋の経営に参画することになる。その後、浅子氏の八面六臂の奮闘の甲斐あって家業は再生され、次に加島屋は炭鉱事業に進出する。さらに、1888(明治21)年には、加島銀行を設立する。炭鉱事業は後に政府に買収されたが、さらに転機が訪れる。

 1896(明治29)年、一人の紳士が浅子氏を訪ねて来た。成瀬仁蔵と言い、大阪の加島銀行本店から近い、梅花女学校の校長であった。成瀬氏ははクリスチャンであり、女子大学設立の構想を抱き、協力者を探していたのである。初対面では色良い返事をしなかった浅子氏であったが、贈られた成瀬氏の著書「女子教育」を読み、大きな衝撃を受ける。成瀬氏は、女子を、「人」として、「婦人」として、「国民」として教育するとの理想を説き、その具体論を詳細に述べていた。幼少期より、女子に学問は不要とする当時の商家の中で、独力で学問を修めて来た浅子氏にとって、成瀬氏の理想は、深く心に染み渡った。

 こうして、浅子氏は日本女子大学校(現在の日本女子大学)の発起人の一人として、学校設立のため奔走し、苦難の末、ついに1901(明治34)年、日本初の女子高等教育機関である、日本女子大学校が開校する。その頃、浅子氏は、別の新規事業の準備も進めていた。生命保険事業である。当時は生命保険会社の新設ブームであり、そのうちの1社であった、浄土真宗を基盤とした、名古屋に本社を置く真宗生命を買収したのである。社会公益のためとの目的のもと、1899(明治32)年のことである。経営権を取得すると、早速本社を京都に移し、社名を朝日生命へと変更した。その後、乱立する生命保険会社を集約したい政府の意向もあり、1902(明治35)年、朝日生命は、護国生命、北海生命と三社合併を果たし、ここに、今日に至る大同生命が誕生する。浅子氏自身は大同生命の経営陣には加わらなかったが、株主構成は広岡家が75パーセントを占め、いわば生みの親としての役割を果たしたのである。時に浅子氏54歳(数え年55歳)であった。

 その後、1904(明治34)年に夫信五郎氏が64歳で死去すると、浅子氏は、事業を娘婿に委ねて潔く引退する。その後の人生を、女性の地位向上のための活動に専念するためであった。愛国婦人会の活動に参画しながら、日本女子大学校の機関誌に寄稿するなど、言論活動にも積極的に取り組んだ。浅子氏の人生に最大の転機が訪れたのは、そのような時である。後に自ら、「新たな人生」と語った、キリスト教との出会いである。そのきっかけの1つは、60歳の時に受けた乳癌手術であった。万が一を覚悟し、身辺の整理を行なった浅子氏であったが、無事手術が終わった時、「天はなお何かをせよと自分に命を貸したのであろう。」と感じたと言う。もう1つは、梅花女学校校長であった成瀬氏から紹介され、宮川経輝牧師と出会ったことである。自分の知らない宗教を学ぶためという理由で、宮川牧師に師事して聖書を学ぶことにしたのである。

 聖書を学び始めた浅子氏は、避暑に訪れた軽井沢で霊的経験を感じ、そこでキリスト教信仰への確信を持つ。こうして浅子氏は、1911(明治44)年のクリスマスに、宮川牧師が牧会する大阪教会において洗礼を受けた。62歳であったが、新しい人生のスタートである。浅子氏は、言論活動の場をキリスト教系のメディアに移し、伝道活動で全国を巡回した。代表的な活動として、廃娼運動や禁酒運動などを進めていた、キリスト教婦人矯風会での働きがあった。また、1917(大正6)年からは、基督教世界というキリスト教系新聞で連載を開始する。その際、浅子氏が名乗ったペンネームが、「九転十起生」というペンネームである。クリスチャンとなった浅子氏の、活動の集大成ともなったのが、御殿場に建設した別荘で開催された、若い女性たちとの勉強会であった。合宿形式で開催されたこの勉強会は、浅子氏の死の直前まで続けられ、市川房江ら、後に政治、教育、ジャーナリズム、文学など各分野で活躍する女性たちの若き日の姿があった。

 御殿場の勉強会で参加者らが見た浅子氏は、かつての叱咤激励する女性経営者ではなく、若い女性たちと共に学び、語り合う、穏やかな老婦人の姿であった。浅子氏は、最後まで実践の人であり、学び続ける人であった。1919(大正8)年1月14日、浅子氏は、東京・麻布の別邸で、その波乱に満ちた地上での生涯を終えた。彼女が創設した日本女子大学校での追悼式で弔辞を述べたのは、同校の創立委員長も務めた大隈重信氏であった。生前浅子氏は、自らの人生をこう語っている。「九度転んでも十度起き上がれば、前の九度の転倒は消滅して、最後の勝利を得るものである。斯くの如く、転んで起き上がって歩くのでなければ、本当にしっかりとしたあゆみではない。そしてすべての迫害四囲の習慣、失敗など、これらの万難を排して得た月桂冠は、真の光輝ある勝利者の頭上のみかざされるのである」

『正しい人は七度倒れても、また起き上がり、悪しき者はわざわいでつまずくからだ」(箴言 24:16 新改訳)


 広岡浅子氏は、その生涯で多くのことを成し遂げた女性であった。キリスト教の信仰を持つ前の数十年間もそうであり、クリスチャンとなった62歳から召天した69歳までの7年間も、同じかそれ以上の実を結んだ人生であったようにも思える。神は、浅子氏がこの世に生を受ける前から、彼女の人生に計画を持っておられた。浅子氏は、その計画、神から与えられた召しに応えた人生を送ったと言えるだろう。なお、拙稿は、大同生命のホームページに掲載されている、「広岡浅子の生涯」を参考に執筆したことを明記しておきたい。
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