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戦争への覚悟は出来ていますか?(記事No.151)

 国内外の報道によれば、ロシア国防省は3月28日にSNSで、同国太平洋艦隊が日本海において、艦対艦巡航ミサイル2発の射撃演習を行なったと発表した。3月3日に実施された、同国海軍による潜水艦発射巡航ミサイルの射撃演習に続く、日本海でのミサイル演習である。日本周辺では、北朝鮮が近年頻繁に、弾道弾などミサイルの演習や実験を繰り返しているが、今般の一連のロシア海軍による演習は、ウクライナへの支援に前のめりな、日本に対する牽制と警告であることは明白であろう。

 直近では3月25日に、岸田首相がウクライナを「電撃訪問」(一部報道機関には事前にリークされていたが。)し、同国のゼレンスキー大統領と会談し、「非殺傷性装備品」など約700億円相当と言われる、一層の支援を約束している。その際には、岸田氏の選挙区がある広島県の土産として、「必勝しゃもじ」を寄贈したことは、あまりに低レベルな話とは言え、ロシアを刺激したことは間違い無いようである。その由来が、日露戦争当時に広島から出征する兵士たちが、厳島神社に必勝祈念に「しゃもじ」を奉納した(ロシアを召し取るの意味)ことであることは、無知な政治指導者のパフォーマンスとして笑える問題では無い。現在、ウクライナとロシアは戦争遂行中であり、この種のユーモア?は通じないのである。

 本ブログで繰り返し書いてきたように、私は、ウクライナ戦争は、米英を中心としたNATO側による策略の結果、ロシアとして侵攻に踏み切るほか無い状況に追い込まれ、必然的に起こったものと考えている。もちろんロシアは、どんなに遅くとも2015年2月のミンスク2合意以来、こうなることを十分想定して戦争準備を進めて来たのであろう。それは、単に軍備だけでなく、資源や金融などを含めた総力戦への準備である。戦況では既にウクライナの敗北は決定的であり、本来は、国際社会は双方に即時停戦を求め、その実現のために働きかけるべきである。だが、日本を含めた西側諸国は、ウクライナに停戦を許さず、ロシアとの代理戦争を戦わせているのである。3月27日には、ドイツが主力戦車「レオパルト2」18両のウクライナへの引き渡しを完了したと発表したが、西側諸国のロシアに対する敵対行動はエスカレートする一方である。今後、代理戦争が直接戦争に発展しないとは、どうして言えるであろうか?米英など西側諸国を操るグローバリスト集団は、むしろ、それを望んでいるのである。
「争いにかかわらないのは立派なことだ。無知な者は皆、争いを引き起こす」(箴言 20:3 新共同訳)
 日本では相変わらず、WBCだ、ガーシーだと、スポーツや芸能ネタなどでかしましいが(それが悪いと言っているのではなく、国を挙げての話題の中心になるのは変という意味である。)、国民が他人事としてウクライナ戦争を観戦している間に、日本も、いつの間にか準当事国になってしまったのだ。これも、本ブログで何度も書いて来たことだが、ロシアがNATOとの直接軍事対決を決意したならば、ほぼ同時に戦火は日本にも拡大し、米軍基地や主要海空自衛隊基地は、核弾頭を含むミサイル攻撃を受け、周辺都市を含めて灰燼に帰することになる可能性が大である。その際、日本に対してロシアは、国連憲章の敵国条項を適用したとも宣言し、国際法的に攻撃は正当化されるであろう。このように、自公政権が国民に求めている国を守る覚悟とは、アメリカの世界戦略(正確には、グローバリスト集団のであるが。)と最後まで運命を共にすることなのである。あなたはもう、戦争への覚悟は出来ているだろうか?
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「桜を見た会」(記事No.150)

 今日は岡山市に出張したことを幸いに、メインの仕事の後、社員たちと後楽園に行ってみた。過去に2回訪れたことがあるが、この季節は初めてである。後楽園では、正門前で待ち合わせすることとして、園内は1時間ほど各自で回った。欧米系などの外国人観光客も多く、平日にも関わらず、それなりの人出であった。欧米系観光客は、ほぼ全員ノーマスクであったが、日本人は逆に、ノーマスクは少数派であった。私はと言えば、散策中はマスクを外し、日光を顔中に浴びて光合成に努めた。実際、人混みや屋内以外でマスクを着ける意味は、花粉症対策くらいしか無いのではないだろうか?

 園内の一角には、桜林のような場所があり、ほぼ満開の桜の木の近くでは、多くの人が行き交い、観賞したり写真を撮ったりしていた。私も、人があまりいない所で、桜の花に顔を近づけ、深呼吸などしてひと時楽しんだ。桜の花に爽やかな気分を感じるのは、単に美しいからだけでなく、何かリフレッシュやリラックスの効果をもたらす物質が花から出ているのだろう。あるいは、プラスのエネルギーのようなものかも知れない。せっかくの桜の花を見るのに、酒の匂いや嬌声が混ざるとしたら風情も減退してしまう。そんなのは、「桜を見る会」に集う人々だけで結構である。いずれにせよ、日本人の感性にぴったり合うのが桜の花であろう。ここで、本居宣長の有名な和歌を一句。「敷島の やまと心(大和心)を 人とはば(人問はば) 朝日に匂ふ 山さくら花」

 三重県松阪市にある本居宣長記念館のホームページによれば、この歌は、「お前の姿形はわかったが、では心について尋ねたい。」と言う質問があったことを想定しているのだと言う。歌に込められた意味とは、「日本人である私の心とは、朝日に照り輝く山桜の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心です。」とのことである。美しい自然や草花を見て感動するのは、世界のどこでも共通した人間性であろう。その中で、日本人は、特に桜に惹かれるのである。ネットで検索すると、日本人が桜を愛する理由は、大別すると次のようなものである。春の到来を告げる花であること、美しい花であること、咲いて散る潔さを感じさせること。

 日本人にとって特別な存在である桜であるが、外国にもある所にはある。中でも有名なのは、アメリカの首都ワシントンD.C.にある、ポトマック川沿いの桜並木であろう。この桜は、1912(明治45)年に、当時のアメリカのタフト大統領夫人の要望により、尾崎行雄東京市長が苗木を寄贈したものだと言う。日米友好のシンボルとして贈呈された桜は、111年の歳月に渡り大切に維持管理され、例年3月末から4月初旬にかけて、盛大に「桜祭り」が開催されている。アメリカ人でも美しい桜を見ることは好きなのであろうが、日本人の感性はまた違う。日本人としては、桜の花を見ながら、様々な思いが去来するのだ。私自身も今日、後楽園の桜の花を間近に見ながら、この地上での人生が儚いものであると思いながら、ほんの一瞬、様々な悩み事が小さな事であるかのような感覚を抱いた。私たちの地上の人生は、実に桜の花のようなものなのであろう。

「主のいぶきがその上に吹くと、草は枯れ、花はしぼむ。まことに、民は草だ。 草は枯れ、花はしぼむ。だが、私たちの神のことばは永遠に立つ」(イザヤ書 40:7-8 新改訳)
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人権後進国日本(記事No.149)

 1966年に静岡県清水市(現静岡市清水区)で発生した、味噌製造会社の橋本藤雄専務(当時41)一家4人が殺害された、いわゆる「袴田事件」の第2次再審請求に対して、東京高等裁判所は3月13日に再審開始を決定した。当事件については、これまでも多くのメディアが取り上げて来たし、インターネット上でも関連情報が多数あることから、あえて概略は省く。よく分からない場合は、日本弁護士連合会のホームページに分かりやすい概要が掲載されているので、参照していただきたい。

 さて、当事件で犯人とされた袴田巌氏(87)は、1980年に最高裁判所で死刑判決が確定しており、約48年もの拘禁を経て、2014年3月の静岡地方裁判所による再審開始決定で執行一時停止となり、釈放後も第1次再審請求では東京高裁による決定取消しにより、今なお戦い続ける事を余儀なくされている。当事件では、警察や検察が証拠を捏造した疑いが濃厚であることは、東京高裁の今回の決定においても指摘されている。少しでも理性的な思考が出来る人であれば、明らかに袴田氏は冤罪被害者であることが分かるであろう。真犯人として当初から噂されていたという、被害者一家の長女とその(内縁の?)夫であった暴力団関係者は既に故人であるが、長女が67歳で死亡したのは、静岡地裁の再審決定で袴田氏が保釈された翌日であり、警察は病死と発表したが自殺説もあり真偽は不明である。

 言うまでもなく、捜査機関による証拠の捏造は重大な権力犯罪であるが、袴田氏は取り調べの過程で激しい拷問を受けて自白を強要されたと言われる。事件が発生した1966年は敗戦後20年以上経っていたにも関わらず、特高警察に代表される非民主的な警察や検察のあり方は、戦前・戦中と変わっていなかったのである。ちなみに、静岡県警察本部で袴田氏の取り調べを主導したのは、「拷問王」と呼ばれた、紅林麻雄(くればやしあさお)警部であり、担当した事件において、数多くの冤罪被害者を生み出したことで知られている。

 袴田氏は、死刑確定後から34年間もの間、執行の恐怖に怯える毎日を送り、拘禁性ノイローゼとなってしまった。だが、死の恐怖に直面する中で、カトリック神父の教誨を受けるようになり、神の救いを求めて、1984年12月に獄中で洗礼を受けるに至った。これには後日談がある。1審の裁判官であった熊本典道氏(故人)が、2007年に「自分は無罪と判断したが、2人の先輩裁判官を説得出来ずに、2対1の多数決で有罪となった。」と明かし、大きな反響があった。熊本氏は、「裁判官として判決文を作成したが、悔いが残り、裁判官を辞めざるをえなかった。」と語り、誤判の当事者として心に責めを抱き続けて来たことを告白した。判決の翌年に裁判官を辞職し弁護士へ転身した熊本氏は、良心の呵責に耐え切れず酒浸りの生活を送るようになり、一時は自殺も考えたという。その後、「袴田君の気持ちを少しでも理解したい。」と聖書の教えを学ぶようになった熊本氏は、袴田氏の無実を訴え続ける中、2014年2月にカトリックの洗礼を受け、2020年11月に帰天している。

 「袴田事件」のような冤罪事件は、死刑や無期懲役の判決が確定したものだけでも複数あるが、その中には、1992年に福岡県飯塚市で発生した女児2人の殺人事件、いわゆる「飯塚事件」で死刑判決を受け、2008年10月に森英介法務大臣(当時)の命令により福岡拘置所で処刑された久間三千年氏のように、絶対に取り返しがつかないケースもある。冤罪事件は、決して日本だけの現象では無いとは言え、無実の人を処罰することは最悪の権力犯罪であり、霊的には国にとって呪いを招くものとなる。

 日本には、冤罪事件以外にも、公的機関による様々な人権無視の実態があり、早急に是正されなければならない。スリランカ人のウィシュマ氏死亡事件で広く知られるようになった、出入国在留管理局、いわゆる入管の不法滞在外国人に対する非人道的扱いもその1つである。また、代用監獄の存在も、近代民主制国家にあるまじき制度であり、被疑者に対する虐待や冤罪など悪質な人権侵害の温床ともなっている。これについては、国際人権規約委員会や国連拷問禁止委員会なども問題視しており、日本政府に繰り返し是正を求め、廃止勧告などの国連決議も採択されている。このような状態であるのに、中国や北朝鮮の人権状況について、よくも上から目線でものが言えるものである。人権状況に関しては、日本の為政者や役人も、共産主義国家と同様のメンタリティーである。

 言うまでもなく、人は誰でも過ちを犯し得る存在である。聖書は、「義人はいない、ひとりもいない。 」(ローマ人への手紙 3:10)と教えているが、神の前に誰もが罪人であり、宗教的、道徳的な罪はもちろんのこと、少し道を逸れてしまい過ちを犯す可能性もある。自分は絶対に罪を犯さないと信じているとしたら、それは人間の本質を実は理解していないと言うことを示している。であるなら、犯罪を犯してしまった人に対しては、多少非人道的な扱いをしても許されるという考え自体が異常であり、誰に対しても、人としての最低限の尊厳に配慮した扱いを捨て去ってはならないと思う。冤罪を作り出した警察官、検察官、裁判官ら、冤罪処刑に関わった政治家や法務官僚らは、故熊本氏のように罪を悔いて告白し神の赦しを受けない限り、たとえ地上では栄華栄達に浴したとしても、いずれは陰府(黄泉)で最後の審判の日を震えながら待つ身となるだろう。

「悪しき者を正しいとする者、正しい者を悪いとする者、この二つの者はともに主に憎まれる」(箴言 17:15 口語訳)
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再び人口減少問題について(記事No.148)

 3月24日に厚生労働省より、人口動態統計速報令和5年1月分が発表された。予想通り、人口減少のスピードがさらに加速している。本ブログ記事No.145「人口急減中の日本」で、日本の年間死亡者数が今から3年後に、過去最大の死亡者数であった、敗戦の年(1945年)の214万人を超えるとの予測を書いた。また、10年以内に、日本の人口は現在の8割程度(最悪は3分の2程度)になる可能性を挙げた。読者の皆さんの中には、私が事を大袈裟に捉えていると思った人もいたかも知れない。だが、1月単月で死亡者が前年同月比17.3パーセント増加を示した最新の統計は、私の前回の予測は甘かったことを示している。このままだと、出生数がこれ以上減少しなかったとしても、3年後を待たずに過去最大の死亡者数と人口減少を記録するだろう。10年後には、現在の8割の人口を維持するのも困難であろう。人口問題に関心のある方は、厚生労働省のホームページに掲載されている人口動態統計速報を見て、電卓で計算してみていただきたい。

 ところで、テスラの創業者でありCEOのイーロン・マスク氏は、これまでインタビューや自身のSNSで、人口問題は人類にとって環境問題以上の深刻な問題であると指摘している。中でも、日本のことは、人口減少の代表例として度々言及しており、平均的な日本人以上に、危機感を持っていることが伝わる。なぜ、当の日本人の中で、人口問題を真剣に訴える有名人がほとんどいないのか?巷には、この種の問題を取り上げている本やネット記事も多数あるので、自分で調べれば良いのだが、テレビや新聞でしか情報を得なければ、事の深刻さがよく分からないとは思う。

 何度も同じようなことを書いてしまうが、現在進行中の人口急減は、国の根幹を揺るがすような重大問題であり、国民一人一人の人生にも直接間接に影響を及ぼす事柄である。時に、岸田自公政権は、防衛費の大幅増額方針を打ち出したが、守るべき国民の数が急減していることは、戦時下に等しい重大危機である。こちらの危機対応への予算は、なぜ大幅に増やさないのだろうか?(答えは、宗主国や既得権益集団への利益供与が優先されるから、と思うが。)人口減少は、現在の社会システムの維持が困難になることでもあり、年金や健康保険は破綻するか大幅に制度改悪されるほか無い。当然、各種行政サービスは維持困難となり、道路や上下水道など社会インフラは荒廃する。大都市にはスラム街が生成され、治安の悪化も必定である。政府は、人口の自然減を社会増で補おうと、移民を増加させるだろうから、文化や社会の様相も大きく変わるだろう。

 現在進行中の人口急減の原因については、本ブログ記事No.145「人口急減中の日本」で私の分析を書いたので、読まれていない方は、是非ご覧いただきたい。だが、実際的な状況の背後には、しばしば霊的な理由が存在する。単に、国家指導者らが神を信じず暴政を敷いて来たというだけなら、中国のように、共産主義政府の統治下で人口が大幅に増加した(既に過去形だが。)事例もあり、人口急減の霊的理由としては弱いと思う。トンデモ論のようではあるが、私は、日本人の多くがユダヤ人のルーツを持っていることが、その大きな理由であると考える。厳密には日猶同祖論とは違うが、日本人の祖先には、中東からシルクロードと中国、朝鮮半島を経て、また、一部は東南アジアを経て海路を渡り、日本列島に到達したユダヤ人らがいたと思う。彼らは、古代日本において、指導的な集団となり、この国を形造った。

 旧約聖書には、ユダヤ人が神に従った時、大きな祝福を受け敵対国家を退けたが、彼らが神に叛いた時、敵対国家に破れ捕囚となるなど、大きな試練に遭ったことが記されている。日本人の多くが、天地万物を創造された真の神に叛き、たとえ意識せずとも心に記されている、神の民としての律法に従って来なかったことが、人口急減という裁きを招いているのではないだろうか。また、悪魔と悪霊どもにとっては、聖書の民であるユダヤ人の子孫である日本人は、絶滅させる対象とされていると思う。過去の歴史の中で、偽ユダヤ人ではない真のユダヤ人が、迫害や虐殺の対象とされて来たのと同様である。私は、今でも日本の再生を信じ期待しているが、その前に、国家的、民族的試練を通過することになると思う。残念ながら、この国は一旦滅亡し、その後再建されることになるのではないか。ただし、再建の地が日本列島とは限らず、遠い中東の地の可能性もあるが。

「わたしはエルサレムを瓦礫の山 山犬の住みかとし ユダの町々を荒廃させる。そこに住む者はいなくなる。 知恵ある人はこれを悟れ。主の口が語られることを告げよ。何故、この地は滅びたのか。焼き払われて荒れ野となり 通り過ぎる人もいない。 主は言われる。『それは、彼らに与えたわたしの教えを彼らが捨て、わたしの声に聞き従わず、それによって歩むことをしなかったからだ。』」(エレミヤ書 9:10-12 新共同訳)
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インバウンド!インバウンド!(記事No.147)

 新型コロナ騒動で過去3年間低迷していた、海外からの訪日旅行客が増加している。特に、白人は目立つこともあってか、東京や京都の観光地周辺や主要駅構内、新幹線ホームなどでは、彼らの姿を多く見ない日は無い。韓国や台湾など、周辺諸国からの旅行者も多いが、これで中国からの観光客来日が本格的に再開されたら、有名観光地など局地的には、外国人の方が多い場所も出て来るのは必至であろう。ちなみに、京都の場合は、良くも悪くも門川市長のインバウンド誘致政策の成果で、海外からの観光客への経済依存が高まり、宿泊、交通、飲食、物販などのサービス産業は、外国人の来京を切望している状態である。逆に関連業界以外の市民の多くは、激しい交通渋滞やバス・鉄道・地下鉄の車内混雑、ゴミや騒音問題など、外国人観光客の増加には辟易しているのが実情である。

 外国人観光客の多くは、政府やマスコミが喧伝するように、日本に特別な魅力があるからと言うよりも、円安でお得に海外旅行が出来、比較的治安が良く食べ物も美味しいと言う理由で来日するのであろう。ちょうど、1990年代頃までの日本人が、韓国、台湾、香港などへ、グルメや買い物目当てで気軽に旅行したようなものである。今は未だ、中国からの観光客来日が本格的に再開されていないが、それが解禁されれば、各地の観光地に中国人が大挙押し寄せるであろう。私の知人で、旅行会社を経営している中国人社長の話では、中国には、日本人と同程度か、それ以上に豊かな人々が約3億人いるそうである。その人々は、手軽に海外旅行に行く先として日本に熱い視線を送っているとのこと。一時期話題になった「爆買い」も、転売益を稼ぐ目的があるにせよ、商品によっては、もはや日本の方が、品質が良いにも関わらず安価だからである。既に、日本人と中国人の購買力が逆転しているのだ。

 来日する外国人が増えているのは、何も観光客ばかりではない。事実上の移民もそうである。本ブログ記事No.145 「人口急減中の日本」で書いたように、現在進行形で人口の急減が起こっている日本であるが、本来は、人口急減の原因を早急に特定し対策を打ち出すことと、日本人の出生数を増やすこととのいずれも必要である。だが、これらの問題に対する政府のこれまでの姿勢からして、政治家や官僚たちは、日本人が減少した穴埋めに移民を増やせば良いと思っているのではないかと疑う。私は、日本人では必要数を充足出来ないような職種において、専門能力や技能を有する外国人を受け入れるのには反対でない。また、政治的、宗教的理由で迫害を受けている人々に対して、安住の地を提供することは、日本の使命の1つであると思う。問題なのは、低賃金労働者としての移民と、日本にとって有害な活動を行う工作員やその協力者である。

 ところで、出入国在留管理庁が発表した、2022年6月末現在における中長期在留者数は266万人9,267人、特別永住者数は29万2,702人で、これらを合わせた在留外国人数は296万1,962人となり、2021年末に比べ、20万1,334人、7.3パーセント以上増加した。在留外国人は、90年代末以降増加の勢いを増し、2001年末の178万人から前記の人数へと、20年少々で1.7倍近くになっている。国別では、中国が約74万人と25パーセント以上の割合である。以下、ベトナム約48万人、約16パーセント、韓国約41万人、約14パーセントと続く。中国人が全体の4分の1以上を占めているのは、留学生として来日し卒業後は日本で就職する人々が多いことと、帰化したり永住権を取得した人たちの親族が来日するケースが多いことと推察される。当然のことながら、かなりの数の中国情報機関や共産党工作組織の要員が含まれていると思われる。中には、日本政府や民間財団の奨学金を受給していた留学生が、その実、情報機関要員であったと言うケースも少なくないのではと疑う。今の日本は、実にお人好しの国である。

 多くの国民が経済的に苦しい生活を余儀なくされている現状において、低賃金の技能実習生以外の外国人を厚遇し、どちらの数も増やそうとしているのは、もちろん日本政府である。故安倍晋三首相は、2016年4月19日に開催された産業競争力会議で、新たな成長戦略について、「第4次産業革命を担う優秀な人材を海外から呼び込みたい。」と述べている。その上で、「永住権取得までの在留期間を世界最短とする。」と表明した。自公政権が保守ではなく、グローバリストの走狗であることがよく分かる発言であろう。日本の永住権取得を望んでいるのは、欧米諸国の人々よりも、中国人や韓国人が圧倒的に多いことは言うまでもない。永住権を取得した人々の中には、帰化を目指すケースも少なくない。その理由は、日本のパスポートを保有している方が、中国のそれよりも、簡便に渡航できる国々が多いなど、ビジネスや生活上のメリットが大きいためであろう。そんな彼らに、日本に対する忠誠心などあるはずも無い。いい加減日本も、アメリカのように、帰化する際には、他国に対する一切の忠誠を放棄する宣誓を必須とすべきであろう。評論家の石平氏(帰化した中国系日本人)のように、心から日本を愛してくれる中国人なら大歓迎である。

 日本人の多くが、自分と家族さえ幸せならば良いという狭窄的な考えで生きて来た間に、いつの間にか、日本の要所は、外国の強い影響下にある人々によって占められてしまった。はっきり言って、無邪気にインバウンドを呼び込んでいる場合では無い。世界史において、先住民族が武力や計略に勝る他民族に征服され、被支配民族となったり絶滅の危機に瀕した事例は枚挙にいとまが無い。このままでは、遠からず日本民族もそうなるだろう。その時になって初めて真実に気づいても、既に取り返しが付かないのである。日本人の日本は、今まさに存亡の危機にある。

「お前たちはわたしの聖所の務めを守らず、お前たちの代わりに外国人をわたしの聖所で務めを行う者にした」(エゼキエル書 44:8 新共同訳)
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公文書の改竄は歴史への冒涜(記事No.146)

 このところ、高市早苗経済安全保障担当大臣が渦中の人となっている。言うまでもなく、国会審議で立憲民主党の小西洋之参院議員から追及を受けたところの、総務省の行政文書に記録されていることが明らかになった、放送法の運用を巡る政治的介入疑惑である。高市氏は、国会審議では、当該行政文書に記録された自身の発言について、捏造であると否定した。「捏造でなかった場合、議員辞職するか?」と、国会審議で小西議員から問われた際は、「結構ですよ。」と啖呵を切ってもいる。だが、問題となっている行政文書が作成されたのは、高市氏が総務大臣を務めていた当時のことである。もし、文書が捏造であれば、高市氏の監督責任が問われるであろうし、捏造した官僚らは、公文書偽造で懲戒免職の上、刑事告発されるべき事案である。どちらに転んでも高市氏は責任を免れ得ず、また彼女は、公文書が持つ重みを十分理解していないという一点のみでも、公職者の、まして国会議員や国務大臣の資格は無いと言えるであろう。

 しかし、政治家や官僚が公文書を軽視しているのは、高市氏に始まったことではなく、日本における官公庁のお家芸とも言える悪癖であろう。近くは、いわゆる森友問題において、議事録の改竄を指示された、財務省近畿財務局職員の赤木俊夫氏が自殺した事件が記憶に新しい。この事件では、公的補助金を詐取したとされた、籠池泰典・諄子氏夫妻が詐欺罪で実刑判決を受け収監されることになったが、公文書偽造に関与した官僚らは誰も起訴すらされていない。日本で公文書偽造が罷り通ることになったのが、いつの頃からなのかは判然としないが、古事記・日本書紀さえも真偽ない混ぜという説があるように、古代から脈々と続く悪しき文化である。近代国家となったはずの明治以降もそれは続き、むしろ常態化したとさえ言える。今日、中国や韓国との歴史問題が燻り続ける元凶の1つは、日本政府が大東亜戦争当時の公文書の多くを破棄しているため、事実の記録に基づく検証が十分になされて来なかったことだと思う。特に、731部隊に関わる証拠隠滅に象徴されるように、戦争犯罪に関わる公文書の大半は、敗戦後直ちに軍部によって焼却されたと考えられる。古今東西、歴史は権力者や勝者によって作られると言う話があるが、公文書を改竄・破棄することへの弁解にはなり得ず、それは歴史に対する冒涜でしかない。それは、現在のみならず、未来の国家・国民に対する罪でもある。

 ところで、中国は白髪三千丈との言葉があるように、古来から誇張や捏造の文化もある。だが一方で、正確な記録を重んじる側面もあり、それを象徴するような故事を1つ紹介したい。中国大陸の春秋時代に斉という国があったが、その歴史書である「春秋左氏伝」に次のような出来事が記載されている。斉の第25代君主の壮公は臣下の崔杼の妻と密通していたところ、怒った崔杼は主君を殺してしまった。斉国の歴史記録官である太史は、この事実をありのままに記録した。太史が、「崔杼、其の君を弑す(しいす=叛逆して殺すこと)」と事実を史書に書いたので、崔杼は彼を殺した。後を継いだ太史の弟も同じことを書いたので、彼も殺された。しかし、彼らの弟も同じことを書き、ついに崔杼は事実を記録することを許した。太史兄弟が殺されたことを聞いた別の史官は、「崔杼其の君を弑す」と書いた竹簡を持って駆けつけたが、すでに事実が記録されたと聞いて帰ったと言う。崔杼と太史たちの故事は、(少なくとも古代の)中国の人々は、歴史を正確に後世に残すことの重みをよく理解していたことを示している。もっとも、今日の中国共産党は違うようであるが。

 さて、それでは、キリスト教における最高の公文書でもある聖書はどうなのか?クリスチャンの中でも、聖書は神の霊感を受けて書かれた誤りの無い神の言葉とする逐語霊感説に立つ人々と、聖書の言葉の無謬性を認めない新正統派学的霊感説を受け入れる人々がいる。また、それぞれに近似や亜種の諸説があり、福音主義と自由主義という神学の違いからも、聖書に対する捉え方が大きく異なる。ちなみに私自身は、逐語霊感説であり、人間の知識の視点で聖書を研究しようとする、高等批評と呼ばれる考え方を受け入れない。自由主義神学や高等批評は、悪魔が聖書の権威を失墜させ、信仰の本質を骨抜きにするために造り出した偽物であるとさえ思う。聖書の著者や写本の書写者たちは、神の言葉を正確に記録するために全身全霊を傾注し、文字の点1つさえも間違えることが無いように慎重に作業を進め、記事の真実性を守った。それゆえ、聖書には、書かれた当時の権力者や霊的指導者らに不都合な事実も、そのまま記録されている。戦争の敗北、愚王による国の乱れ、偶像崇拝、不信仰、殺人、不倫、偽証、裏切り等々である。聖書の言葉は、それをどう扱うかにより諸刃の剣にもなる。付け加えてはならず、削除してもいけない。解釈や適用は様々あっても、神の言葉そのものは変わることが無く、変えられることも無い。それを信じるか信じないかは、私たち自身の問題である。

「この書の預言の言葉を聞くすべての人々に対して、わたしは警告する。もしこれに書き加える者があれば、神はその人に、この書に書かれている災害を加えられる。 また、もしこの預言の書の言葉をとり除く者があれば、神はその人の受くべき分を、この書に書かれているいのちの木と聖なる都から、とり除かれる」(ヨハネの黙示録 22:18-19 口語訳)
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人口急減中の日本(記事No.145)

 厚生労働省は2月28日に、2022年の人口動態統計(速報)を発表した。既に、昨年1月から11月までの速報値で分かっていたことだが、日本の人口が急減していることが改めて確認された。2021年に60万9392人であった自然減は、2022年は78万2305人と急増した。新聞各紙の報道では、出生数が前年比5.1パーセント減となり、1899年以降で初めて80万人を割ったことが強調されている。当然それも重大な問題であるが、加えて恐ろしいことは、死亡数が1945年を除く過去最大を更新したことである。以下に、第2次世界大戦中の1943年より昨年までの、死亡者数の推移の概要を記す。出典は、厚生労働省の人口動態調査が基本であるが、1944年〜1946年は、戦災による資料焼失のため、総務省などの推計値である。2022年のみ、速報値の人数をそのまま記載した。

 1943年 約123万人
 1944年 推定約126万人
 1945年 推定約214万人 ※東京など各地に大空襲、広島・長崎へ原爆投下
 1946年 推定約137万人
 1950年代から70年代にかけて、毎年70万人以下
 1990年代 80万人を超え90万人台に
 2000年 約96万人
 2010年 約119万人
 2011年 約125万人 前年比約5.6万人増加 ※東日本大震災、福島第1原発事故
 2012年 約125万人 前年比約0.3万人増加
 2020年 約137万人 前年比8445人減少 ※新型コロナ・ウイルス流行始まる
 2021年 約145万人 前年比6.7万人、約4.9%増加、※コロナ・ワクチン接種開始
 2022年 158万2,033人 前年比15万8,387人、8.9%増加

 統計で明らかなように、日本における現在の死亡者数は、敗戦の年である1945年に次いで史上2番目に多い。仮にこのペースで増加が続くなら、今からわずか3年後(統計に現れるのは4年後)の2026年には、戦争末期を大きく超えて史上最大となる計算である。また、10年以内に、日本の人口は現在の8割程度に減少する。(出生数がこれ以上減少しないと仮定した最良のケースであり、出生数が今のペースで減少を続けるなど最悪のケースでは3分の2程度となり得る。)それでは、死亡者数急増の主な要因は何だろうか?政府やマスコミは、高齢者人口の増加で説明しようとする。しかし、これほどの増加率では、その理由は明らかにこじ付けである。現に、人口に占める65歳以上の(統計上の)高齢者の割合は、2020年が28.8%であったのに対して、2021年は29.1%と、増えたとは言え、1年で0.3ポイントである。それでは、新型コロナ・ウイルス感染による死亡者急増かと言えば、それも違う。日本における統計上のコロナ死者数は、2月28日時点で、約3年間の累計が約7万2,500人であり、しかも、流行が始まった2020年は、前年比で死亡者数が8千人以上減少しているのである。いわゆる巣篭もり生活で、体力が衰えた人が増加したという見方をする人もいるが、統計的に結びつけるのには無理がある。

 私は、2年前からの死亡者急増と人口の急減の主な原因として、2つあると考える。1つは、2011年3月11日の東日本大震災直後に発生した、福島第1原発事故で環境中に放出された放射能の影響である。事故から2、3年の間は、放射能汚染問題に関心を持つ人々も少なく無かった。特に東日本では、食べ物や飲み水に気をつけるなど、被曝回避行動を心がけている人々も、それなりにいたと思う。だが、政府や電力会社による世論対策が功を奏してか、年々放射能汚染に注意を払う人も減少し、その間、かなりの人々が内部被曝の蓄積により、健康被害を受けて来たのではないだろうか?公式には、福島第1原発事故が直接の原因で死んだ人はいないとされているが、遅発性の癌や循環器疾患で相当数の人々が寿命を縮めたと推測される。

 もう1つの原因として合理的に考えられることは、2021年2月より国内で接種が開始された、新型コロナ・ワクチンによる影響である。厚生労働省の発表によれば、2021年2月17日から2022年12月18日までの期間において、1,963人の新型コロナ・ワクチン副反応疑いの死亡者が報告されているとのことである。ただし、この人数は、12歳以上で、医師から副反応の疑いがあるとして報告があったケースのみであり、これまで、1人もワクチン接種による死亡と認定されてはいない。ワクチン接種と死亡との関連が不明とされたまま、補償金の対象になった死亡事例が数十件あるのみである。政府や製薬会社は、ワクチン死の存在を頑として認めず、精緻な検証もしない。また、マスコミも一部の例外を除き、重大問題として取り上げることは無い。だが、専門家の中には、少数だが声を上げる人々もいる。例えば、京都大学名誉教授(薬剤疫学)の福島雅典氏は、国に新型コロナ・ワクチンのデータ開示を求めて訴訟を起こしたが、記者会見で次のように語っている。「沢山のお金を使って、国民の手元に残ったのは何なのか。ワクチンの死亡報告は氷山の一角。それからワクチンは本当に効いているのか、重症化率、死亡率は下がったのか、これは検証しないといけない。それは国としての義務でしょう、と私は申し上げたい」

 仮に、現在進行中の日本における死亡者の急増が、前述した2つの要因のどちらか、あるいは両方だとすると、そして、その蓋然性は極めて高いと考えるが、これまでの数はまだ序の口と言えるであろう。 NHKの2023年3月6日時点での集計によれば、日本では、人口の81.3%が、少なくとも1回の新型コロナ・ワクチン接種を済ませているとのこと。以下、2回接種80.3%、3回接種68.4%と続き、3回以上のブースト接種率(現時点で3回目〜5回目の累計)は、2位の韓国の79.76%を大きく引き離し、140.51%と世界最高である。仮に、ワクチンの成分やその濃度について、国ごとに大きな違いが無いとするなら、死亡や障害などの重大な有害事象の発生率が最も高くなるのは、この日本である可能性が高い。新型コロナ・パンデミックと、それを理由としたワクチン接種の推進は、明らかに悪魔崇拝者たちの策略である。彼らの目的は、世界統一政府の樹立に向けた大衆コントロールと、彼らが管理可能と見なすレベルまでの人口削減である。このままでは、特に後者の方は、日本において、最も効果が現れることになってしまう。私の友人の中にも、ワクチン接種後の体調不良により接種を激しく後悔し、漢方薬などを用いて解毒の努力をして、徐々に効果が現れている人がいる。多くの人々が、手遅れにならないうちに新型コロナ・ワクチンの危険性に気づき、これ以上の接種を止め、解毒を図ることを願う。

 本記事の最後に、数年前より心に強く響いている聖句を挙げておきたい。本記事においては、この聖句は神から「示された」と断定的には書かないが、私としては、日本の将来に対する警告でもあると受け止めている。私の危惧していることが杞憂に終われば、どんなに良いだろうか。

「山々で、悲しみ嘆く声をあげ 荒れ野の牧草地で、哀歌をうたえ。そこは焼き払われて、通り過ぎる人もなくなり 家畜の鳴く声も聞こえなくなる。空の鳥も家畜も、ことごとく逃れ去った。 わたしはエルサレムを瓦礫の山 山犬の住みかとし ユダの町々を荒廃させる。そこに住む者はいなくなる。 知恵ある人はこれを悟れ。主の口が語られることを告げよ。何故、この地は滅びたのか。焼き払われて荒れ野となり 通り過ぎる人もいない。 主は言われる。『それは、彼らに与えたわたしの教えを彼らが捨て、わたしの声に聞き従わず、それによって歩むことをしなかったからだ。』彼らは、そのかたくなな心に従い、また、先祖が彼らに教え込んだようにバアルに従って歩んだ。 それゆえ、イスラエルの神、万軍の主は言われる。『見よ、わたしはこの民に苦よもぎを食べさせ、毒の水を飲ませる。 彼らを、彼ら自身も先祖も知らなかった国々の中に散らし、その後から剣を送って彼らを滅ぼし尽くす。』」 (エレミヤ書 9:9-15. 新共同訳)
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