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2022年を振り返って(記事No.137)

 早いもので、あっという間に2022年も残すところ数時間となってしまった。毎年のことであるが、達成感や充実感とは逆に不完全燃焼感を抱いてしまうのが、正直な思いである。いつも全力疾走を続けられる人はそう多くはないのかも知れないが、毎年自分自身の歩みに満足感を抱けたことはない。まず自分を顧みなければならない者が、世の中の動きを振り返ってものを書くのは、ある種おこがましいが、あえて少しだけ取り上げてみたい。

 2022年を一言で振り返るならば、終末への扉が開いた年であった。その扉は、これまでも少しずつ開いていたのだが、今年は一気に大きく開いてしまった。これまで約3年に渡り続いて来た、グローバリストらにより造られた新型コロナ・パンデミックは、彼らの世界支配の完成に向け大きく時計の針をすすめた。以下は、本ブログの2022年1月2日付記事「2022年を展望する」(記事No.81)の一部である。

 「既に世界は、ヨハネの黙示録が預言する患難期の入り口に到達した可能性が出てくる。これについては、患難前携挙説を信じるクリスチャンは、別の受け止め方をするだろう。なお、新型コロナ・パンデミックについては、ワクチン接種キャンペーンを中止する国々では、今年半ば迄には終息し、そうでない国々は、少なくとも来年前半頃までは終息に至らないと思われる。日本は、残念ながら、後者に該当するのではないか。人々の自然免疫力を生かすのか、それとも、失わせるかの違いである。(中略)今年はまた、戦争の勃発が現実となる可能性が高い。発火点は、ウクライナと台湾海峡が最も可能性が高いが、中でも前者では、今月中にロシア軍による侵攻が起こる可能性がある」

 まあ、この程度であれば、予測するのは難しいことではないと言われるのかも知れない。新型コロナ・パンデミックについて言えば、日本では、終息に向かうどころか、人口当たりで世界最高水準の感染者数が続いている。1日あたりのコロナ死者とされる人数も、12月には過去最多を記録した。新型コロナ・ワクチンのブースト接種が感染拡大抑制にはつながらず、明らかに逆効果になっている。2021年2月以降、日本の前年同月比超過死亡者数は増加の一途を辿っていることが何を意味しているのか、賢明な読者諸氏はとうに気づいていると思う。このままでは、イーロン・マスク氏に言われずとも、日本の人口は急減すること必至である。

 日本の報道各社による2022年の10大ニュースは、国内1位が軒並み「安倍元首相の暗殺」であり、海外1位が「ロシアによるウクライナ侵攻」であった。社会に与えたインパクトとしては、その通りであったと思う。どちらの出来事も、背後には、悪魔崇拝のグローバリスト集団が暗躍していたことは共通している。暗殺犯とされた山上某は見せ球であり、安倍氏は「彼ら」にとって用済みであったから消されたと考えられる。また、ロシアは外形的には「侵略者」であるが、戦争を周到に準備し、ロシアをして自国の安全のため軍事行動に踏み切らざるを得なくさせたのは、「彼ら」である。先に触れた、新型コロナ・パンデミックもそうであるが、2022年は、「彼ら」が公然と尻尾を出した年でもあった。世界統一政府樹立に向けて計画を大きく進める上での、「彼ら」の自信と、同時に抱いている、「焦り」の両方が伺える。

 ところで、終末の様相が着実に濃くなっている世界であるが、私は、現時点では未だ、世界が7年間の患難期に入ったとは考えていない。聖書預言を信じる人々の中で、患難前携挙説の支持者が多いと思われるが、その説に立つならば、クリスチャンは地上で患難期を通過することは無い。だが、本ブログでも、2021年10月3日付記事「携挙は近いのか?」(記事No.48)でも書いたように、患難前携挙説が正しいと断定することで良いのであろうか?真のクリスチャンは患難期の前に地上から取り去られるという考え方は、希望を持つには良いのだが、「通過するはずの無い」患難期突入のサインを見逃してしまうことにもなりかねない。本ブログ読者の皆さんには、世の終わりに関する聖書の教えについて、今一度祈りつつ熟考することをお勧めしたい。

 今年は、10月頃から、世界が終末に向けて、もう後戻り出来ないとの確信が強まり、否定的な論調にしか記事を書けないとの思いから、筆が(キーボードを打つ手が)進まなくなってしまった。日本の将来にも、残念ながら希望は残っていない。だが、最後まで残っているのが、神に在る希望である。世の終わりがいつ来るのかは、全く神の主権の内に決定されることである。あるいは、神は、もう少しの猶予を与えて下さるかも知れない。それは、少しでも多くの人々が、イエス・キリストを信じることによって、神の民に加えられ、永遠の命に生きるようになるためである。暗黒の世にも、確かな希望があることを強調しつつ、2022年最後のブログ記事を締めたいと思う。

「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである」(ペテロの第二の手紙 3:9 口語訳)