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騙してナンボに騙されない(記事No.114)

 今週報道されたニュースの中で、あまりにもセコイ話で、第三者が真剣に取り上げるほどの価値はないものの、日本人の劣化と日本社会の様相をよく現しているものがあった。皆さんも報道を目にされたと思うが、グルメサイト「食べログ」が評価を不当に操作したことで損害を受けたとして、焼肉店チェーンが訴えていた裁判で、同サイトの運営会社「カカクコム」が敗訴したというニュースである。詳細は詳しく報道されているので省くが、東京地方裁判所の判決は、評価ルールの変更は、チェーン店には不利益となると認定し、独占禁止法違反に当たると結論付け、評価が下がったことによる営業損失について、カカクコム側に3,840万円の支払いを命じた。判決を受け、双方共に控訴する方針と言う。

 私も、「食べログ」や「ぐるなび」などの飲食店情報サイトはよく見ることがあるが、便利であることには違いない。だが、「PR」などの表示が明確になされている店が、検索結果上位に表示されるのは理解できるとしても、評価基準を店の運営形態によって区別していることには釈然としない。今回の判決を不服として「カカクコム」が控訴することからも、同社の経営陣の本音は、広告料も払わない店をタダで宣伝しているのだから、細かいことでガタガタ言うな、と言うものと推察する。ユーザーに対しても、情報をタダ見しているのだから、ありがたく思えと言ったところか。ま、この種のグルメ情報サイトは、参考までに見るのが良いのであって、そこに掲載されていることを全て鵜呑みにすることは危険(地雷を踏む可能性もある。)である。

 この種の、詐欺とまでは言えないが、狡い手法のビジネスモデルを聞くと、随分前に故人となった叔父の言葉を思い出す。その叔父は、長年会社を経営していたのだが、いろいろな話をしてくれた時よく、「日本人って狡いなぁ。」と嘆息するように言っていた。ちなみに、叔父自身も私も、家系を遡れる限りでは純日本人である。日本人が抱く一般的なイメージでは、狡い性質を有するのは、日本人ではなく一部の外国人であろう。確かに、それも傾向としては間違い無いのかも知れないが、実は日本人にも、そのような性質を有する人々が少なくなかったのである。つまり、本質的には人種や民族の問題ではなく、むしろ個人の人間性の問題である。社会における狡い人の割合については、様々な見方はあるであろうが。

 欧米など、キリスト教文化を基盤に社会が築かれた国々では、聖書の教えが、人を欺くことや強欲な商売手法を戒めていることを人々は知っていた。また、「黄金律」と呼ばれる行動原則もよく知られていた。シェークスピアの戯曲、「ベニスの商人」で、強欲な商人シャイロックの描かれ方は、人々が、利己主義的な商売手法を正しくないと思っていたことの現れでもあるだろう。日本でも、近江商人の「三方よし」の経営哲学はよく知られている。「買い手よし、売り手よし、世間よし」との教えである。自分さえ良ければ式の考え方で商売をする人々は、いつの世にも、どこの国にもいたであろう。その意味では、何も今に始まった話では無い。しかし、いつの頃からか、大企業など名の通った企業の中でも、強欲で倫理観が欠如したような商売手法を採るところも増えて来た。ちなみに、今般敗訴した「カカクコム」も、れっきとした東京証券取引所プライム市場(旧東証1部)上場会社である。

 そもそも、私たちは、政府の奴隷でないのと同様に、企業の金ズルではない。「消費者」という言葉が一般的に使われているが、私たちは、物やサービスを消費するための存在ではない。「消費者」と言う言葉自体、提供者の視点からのものである。主として企業である、提供者らは、「もっと買え、もっと使え、もっと食べろ、もっと捨てろ(そしてまた買え)」との本音を隠しながら、私たち「消費者」に、いかにもっとお金を払わせるか、日々アイデアを捻り出し、せっせと商品やサービスのマーケティングに励んでいるのである。彼らは、あるいは彼らの依り頼むマーケティング専門家らは、「消費者」は理性的な購買行動よりも、むしろ感情や感覚によって動くことを熟知しているのである。これは、経済行動だけでなく、政治行動にも共通した行動原理であり、大衆を手玉に取るのは、彼らにとっては容易いことであるのだろう。

「未熟な者は何事も信じこむ。熟慮ある人は行く道を見分けようとする」(箴言 14:15 新共同訳)


 それでは、私たちが、企業にも、政府にも、その他どのような組織や人々にも、騙されないで生きるためには、どのようにすれば良いのだろう?もちろん、どんなことでも、わずかでも違和感を感じた時には特に、話を鵜呑みにせず、自分の頭で考えることは大事なことである。考える過程で、様々な情報を得ようとするであろうが、知り得た情報を的確に判断するには、知識もある程度必要となる。しかし、必要なことは、それだけではない。騙されないために最も必要なことは、知恵であり、また、見分ける力である。世の中には、様々な知恵の源泉があり、それらを得る方法がある訳だが、本ブログ記事でお薦めするのは、もちろん聖書の教えにある通りのことである。まずは、私たち自身には、知恵が欠けていることを認めることが必要である。そして、全ての良き知恵の源である、神に対して、知恵を与えて下さるよう、願い求めることである。そうすれば、私たちに、誰にも騙されないための、優れた知恵が与えられるであろう。

「あなたがたの中で知恵の欠けている人がいれば、だれにでも惜しみなくとがめだてしないでお与えになる神に願いなさい。そうすれば、与えられます」(ヤコブの手紙 1:5 新共同訳)