3週間ほど前のことであるが、農家で米作りをしているクリスチャンの友人より、今年の田植えが無事終わったとの連絡があった。友人曰く、「お米さん達に、元気に育ってください。ありがとうね。と言葉をかけておきました。」とのことである。本ブログの読者の皆さんであれば、何もおかしな話ではないと思われるだろう。植物に肯定的な言葉をかけるのと、否定的な言葉をかけるのとでは、前者が元気によく育つのに対して、後者は元気が無く育ちも悪いことは、様々な実験などで確かめられている。1例を挙げると、数年前に家具のIKEAが公開した、いじめ撲滅のプロモーション・ビデオで、興味深い実証実験の結果が見られる。興味のある方は、"Bully A Plant"、"IKEA"でネット検索すると、その動画を見ることが出来る。
IKEAはアラブ首長国連邦で、いじめ撲滅を訴えるための、ユニークな啓発プロモーションを実施した。「お互いの接し方によって幸せは伝播すると信じている」というIKEAは、これを実証するためにUAE国内の小学校で、生徒たちの協力により実証実験を行った。学校に設置されたのが、それぞれ観葉植物のようなものが植えられた二つの植木鉢である。そのうちの1つに対しては、事前に録音された「お前のことは誰も気づかない」などのネガティブな言葉(音声)をループ再生して聞かせた。もう1つには、「あなたは美しい」などポジティブな言葉を同じくループ再生して聞かせた。それぞれの言葉は、生徒たちにも協力してもらいバリエーションを増やして、2鉢の植物に繰り返し聞かせた。その状態を30日続けた結果、植物の成長度合いは対照的な結果となった。ネガティブな言葉を受け続けた植物は枯れてしまい、ポジティブな言葉を受け続けた植物は順調に育ったのである。
同じような検証は、植物だけでなく、水などでも行われて来た。例えば、クラシック音楽を聴かせた水と、ヘビーメタルを聴かせた水とでは、結晶の美しさがまるで違う結果となることもそうである。これらのことから明らかなのは、私たちの言葉や音楽には伝える力があり、他の被造物は、私たちの言葉や音楽が与えるメッセージを理解出来ることである。このことは、犬や猫を飼ったことのある人にとっては、普通のことであると思う。私自身は、子供の頃、鳥類を飼ったことがあるだけで、犬猫は飼ったことは無い。だが、大学生の時に、2匹の犬の飼い主である初老の夫妻の旅行中に、住み込みでペットの犬の世話をしたことがあった。シェパードと犬種は忘れたが中型犬であったが、彼らに初めて会った時には警戒されて吠え続けられた。しかし、飼い主の夫妻が旅行に発つと、餌や散歩の世話をしてくれる私に逆らっては損だと思ったのか、次第に懐くようになった。お世話初日の夜から、私が割り当てられた寝室に入ると、もっと遊んでくれとばかりに、しばらく部屋の扉をカリカリ掻くのであった。飼い主たちが戻る頃には、私たちは、すっかり友達になっていたのである。
さて、人間は被造物の中で、天使たちを除けば唯一、霊が与えられている存在である。すなわち、霊、魂、体から成る人格的存在として創造されたのが人である。他の被造物には、霊は無く、魂と体が与えられている。先に植物の例を挙げたように、魂は、そう呼ぶのが相応しいかは別として、動物などの狭義の生き物だけでなく、木や草にも与えられている。また、水がそうであるように、およそ自然界を構成する物質には、被造物同士でコミュケーションを取ることが出来る性質が与えられている。全ての被造物は、互いに交流するように造られている。人は霊で創造主である神と交流し、魂で他の被造物と交流するのである。それは、人が全ての被造物を治めることを、神から委ねられていることとも通じる。これは、「文化命令」とも言われ、天地創造の時に神が人に命じられたことである。
神が文化命令の中で、「地を従わせよ」、「全ての生き物とを治めよ」と言われたことは、人が自然や生き物に対して好き放題振る舞えるという意味では無い。そうではなく、唯一霊を与えられた被造物の中のリーダー役として、神の意思をこの世界に実現する責務と権威を与えられたということである。であるから、私たちは、自分たちの考えを他の被造物に押し付けるのではなく、神の考えを探り、その創造の計画に沿った被造物管理を行わなければならない。この原則に立つならば、自然環境に長期にわたり悪影響を与えること、例えば原子力発電などは廃止すべきであることは言うまでも無い。穀物や野菜などの遺伝子組み換えも、自然の性質を人工的に改変する手法としては、行き過ぎたものであろう。この世界を正しく管理するためには、私たち自身が、神に似せて造られた存在として、神を信じ、その創造の秩序の内に歩む必要がある。全ての被造物は、そのような私たちの到来を待ち望んでいる。
私たちを含めて、全ての被造物は孤立して存在し得るものでは無い。相互に依存し、作用し合っている。私たちは、他の被造物に良い影響も悪い影響も与えることが出来る。そして、人を含めた全ての被造物には、イエス・キリストにより与えられる新しい命が必要である。人がイエスにより罪が贖われて新しい命を得る時、他の被造物に、その波動、あるいはエネルギーが伝わり、彼らもまた、神の命の喜びや平安を得る。実に全ての被造物は、互いに響き合っているのだ。世界を苦しみから解放することが出来るのか否かは、私たちの選択にかかっている。
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IKEAはアラブ首長国連邦で、いじめ撲滅を訴えるための、ユニークな啓発プロモーションを実施した。「お互いの接し方によって幸せは伝播すると信じている」というIKEAは、これを実証するためにUAE国内の小学校で、生徒たちの協力により実証実験を行った。学校に設置されたのが、それぞれ観葉植物のようなものが植えられた二つの植木鉢である。そのうちの1つに対しては、事前に録音された「お前のことは誰も気づかない」などのネガティブな言葉(音声)をループ再生して聞かせた。もう1つには、「あなたは美しい」などポジティブな言葉を同じくループ再生して聞かせた。それぞれの言葉は、生徒たちにも協力してもらいバリエーションを増やして、2鉢の植物に繰り返し聞かせた。その状態を30日続けた結果、植物の成長度合いは対照的な結果となった。ネガティブな言葉を受け続けた植物は枯れてしまい、ポジティブな言葉を受け続けた植物は順調に育ったのである。
同じような検証は、植物だけでなく、水などでも行われて来た。例えば、クラシック音楽を聴かせた水と、ヘビーメタルを聴かせた水とでは、結晶の美しさがまるで違う結果となることもそうである。これらのことから明らかなのは、私たちの言葉や音楽には伝える力があり、他の被造物は、私たちの言葉や音楽が与えるメッセージを理解出来ることである。このことは、犬や猫を飼ったことのある人にとっては、普通のことであると思う。私自身は、子供の頃、鳥類を飼ったことがあるだけで、犬猫は飼ったことは無い。だが、大学生の時に、2匹の犬の飼い主である初老の夫妻の旅行中に、住み込みでペットの犬の世話をしたことがあった。シェパードと犬種は忘れたが中型犬であったが、彼らに初めて会った時には警戒されて吠え続けられた。しかし、飼い主の夫妻が旅行に発つと、餌や散歩の世話をしてくれる私に逆らっては損だと思ったのか、次第に懐くようになった。お世話初日の夜から、私が割り当てられた寝室に入ると、もっと遊んでくれとばかりに、しばらく部屋の扉をカリカリ掻くのであった。飼い主たちが戻る頃には、私たちは、すっかり友達になっていたのである。
さて、人間は被造物の中で、天使たちを除けば唯一、霊が与えられている存在である。すなわち、霊、魂、体から成る人格的存在として創造されたのが人である。他の被造物には、霊は無く、魂と体が与えられている。先に植物の例を挙げたように、魂は、そう呼ぶのが相応しいかは別として、動物などの狭義の生き物だけでなく、木や草にも与えられている。また、水がそうであるように、およそ自然界を構成する物質には、被造物同士でコミュケーションを取ることが出来る性質が与えられている。全ての被造物は、互いに交流するように造られている。人は霊で創造主である神と交流し、魂で他の被造物と交流するのである。それは、人が全ての被造物を治めることを、神から委ねられていることとも通じる。これは、「文化命令」とも言われ、天地創造の時に神が人に命じられたことである。
「神は彼らを祝福して言われた、『生めよ、ふえよ、地に満ちよ、地を従わせよ。また海の魚と、空の鳥と、地に動くすべての生き物とを治めよ』」(創世記 1:28 口語訳)
神が文化命令の中で、「地を従わせよ」、「全ての生き物とを治めよ」と言われたことは、人が自然や生き物に対して好き放題振る舞えるという意味では無い。そうではなく、唯一霊を与えられた被造物の中のリーダー役として、神の意思をこの世界に実現する責務と権威を与えられたということである。であるから、私たちは、自分たちの考えを他の被造物に押し付けるのではなく、神の考えを探り、その創造の計画に沿った被造物管理を行わなければならない。この原則に立つならば、自然環境に長期にわたり悪影響を与えること、例えば原子力発電などは廃止すべきであることは言うまでも無い。穀物や野菜などの遺伝子組み換えも、自然の性質を人工的に改変する手法としては、行き過ぎたものであろう。この世界を正しく管理するためには、私たち自身が、神に似せて造られた存在として、神を信じ、その創造の秩序の内に歩む必要がある。全ての被造物は、そのような私たちの到来を待ち望んでいる。
「被造物は、実に、切なる思いで神の子たちの出現を待ち望んでいる」(ローマ人への手紙 8:19 口語訳)
私たちを含めて、全ての被造物は孤立して存在し得るものでは無い。相互に依存し、作用し合っている。私たちは、他の被造物に良い影響も悪い影響も与えることが出来る。そして、人を含めた全ての被造物には、イエス・キリストにより与えられる新しい命が必要である。人がイエスにより罪が贖われて新しい命を得る時、他の被造物に、その波動、あるいはエネルギーが伝わり、彼らもまた、神の命の喜びや平安を得る。実に全ての被造物は、互いに響き合っているのだ。世界を苦しみから解放することが出来るのか否かは、私たちの選択にかかっている。
「実に、被造物全体が、今に至るまで、共にうめき共に産みの苦しみを続けていることを、わたしたちは知っている」(ローマ人への手紙 8:22 口語訳)