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プロパガンダとしての事件、報道(記事No.124)

 東京・秋葉原で2008年6月、通り魔事件を起こし7人を殺害、10人に重軽傷を負わせ死刑判決が確定していた、加藤智大死刑囚が7月26日に処刑された。以前に本ブログでも書いたが、私は、刑事犯罪においては死刑を廃止すべきと考えており、死刑は戦争犯罪に限るべきとの立場である。しかし、死刑制度を維持している日本の現行刑法に基づく裁判の結果としては、今般の死刑執行も当然のことではあろう。その意味において、死刑判決確定以来、加藤氏の命は、死刑執行命令権者の胸先三寸にあったのである。加藤氏処刑の報道に接して、すぐに頭に浮かんだことは、2018年7月6日に、オウム真理教事件の死刑囚7人が処刑されたことと、その前日に、死刑執行命令権者の上川陽子法務大臣や、安倍晋三総理大臣(いずれも当時)などが参加して開かれた、「赤坂自民亭」と称された議員パーティーのことである。

 死刑執行の下命が職務とは言え、自身の命令により7人が死刑に処せられる前夜に、酒盛りに参加して楽しむとは、一体どのような人生を送れば、そのような人間になれるのか?彼女は、カトリック信徒とも聞くが、本当だろうか?率直に言えば、下劣な人間性の持ち主としか思えない。死刑制度を運用する立場であったとしても、執行前夜には、一人黙想して心を鎮めるか、断食祈祷でもして事件の被害者の冥福を祈るのが、正常な神経を有する人の振る舞いであろう。これは、上川氏から、翌日に処刑が行われるとの報告を受けていたに違い無い、安倍氏についても同様である。加えて、パーティー当日の夜は、ちょうどその時、西日本で豪雨被害が発生し始めていたのである。「こんな人たち」が、国民の生殺与奪の権を握っているのである。

 この死刑執行のタイミングは、朝日新聞が2017年2月9日付朝刊で報じた、森友学園に対する国有土地払い下げに関わる問題が、国会で追求されたものの、疑惑が晴れたとは言えない状況が続いていた時であった。2017年7月に補助金搾取の疑いで逮捕されていた森友学園理事長籠池氏夫妻は、2018年5月に釈放されたが、同月捜査対象となっていた官僚ら38名は、全員不起訴となった。同年6月に国会が閉会し、翌7月には、国会で森友問題への政治家の関与を否定し、森友学園との土地取引は適正であったと答弁した、財務省理財局佐川局長が国税庁長官に任命された。だが、森友学園に関わる問題は、もし事実であれば、単なる小役人による便宜提供のレベルでは無く、一国の首相も関与した疑獄であり、国会で厳しく指弾され解明されるべきものであった。当然、マスコミ各社も、連日特集記事・番組で報道すべき問題であったことは言うまでも無い。

 だが、オウム真理教の松本智津夫ら元幹部7名の処刑により、マスコミの報道は森友よりもオウム中心へと、一時的にせよ変わり、疑念が晴れたとは言えないまま、多くの人々の関心レベルは、次第に低下していったと言えよう。この一連の流れは、果たして偶然の結果であろうか?日本の死刑制度では、法律で定められた判決確定後6ヶ月以内の執行というルールは、法務省の遵守義務ではないと解され、執行時期は、法務大臣が、と言うよりも政府が任意で決められるのが実情である。今般の加藤死刑囚の場合も、安倍氏暗殺を契機にパンドラの箱が開いたように、自民党と統一教会との親密な関係が、改めて露呈することになったタイミングである。加藤氏処刑後も、統一教会を巡る話題は収まる兆しが無いことから、近いうちに再度、話題性のある死刑囚の処刑が行われるかも知れない。ワイドショーが派手に取り上げそうな死刑囚と言えば、和歌山カレー殺人事件や光市母子殺害事件で死刑判決が確定した面々などが思い浮かぶが、前者は一貫して無実を主張し続けていることも事実ではある。

 今回、死刑執行と、そのプロパガンダ効果について取り上げたが、場合によっては、「事件」そのものが作られることがあるだろう。これは、日本に限らず、諸外国でも同様である。スケールが大きく、記憶に新しいところでは、2001年9月11日に発生した、アメリカにおける同時多発テロ事件などが、その疑いが濃厚な「事件」であろう。ここでは、いわゆる偽旗事件であることの詳細な根拠は書かないが、あの「テロ事件」を契機に、アメリカと有志連合軍によるアフガニスタン侵攻が開始され、続いてイラクと、20年間に及ぶ泥沼の戦争が始まったのである。マスコミも、「テロ事件」については、アメリカ政府の主張に寄り添った報道を繰り広げ、対テロ戦争を正当化するのに一役買った。結果として、莫大な利益を得たのが、米欧の軍産複合体であり、逆に夥しい損失を被ったのが、軍人、民間人いずれにせよ、戦争当事国の庶民たちである。

「いいですか。わたしが、あなたがたを遣わすのは、狼の中に羊を送り出すようなものです。ですから、蛇のようにさとく、鳩のようにすなおでありなさい」(マタイの福音書 10:16 新改訳)


 こと左様に、政府の行動や、あるいは世間を騒がせる事件と言うものは、しばしば、物事の隠蔽や世論の誘導にも使われることがある。イエスが言われたように、この世界は、人々を食い尽くそうと、虎視眈々と狙いながら徘徊している、悪魔の手先どもが実在している。しかも、彼らは、世の中で指導的な地位にも就いているのである。であるから、私たちは、正直な者であるべきだが、馬鹿正直ではいけない。卑怯者であってはならないが、進んで損な役回りを演じることは無い。政府の行動によく注意を払い、マスコミの報道は鵜呑みにせず吟味し、怪しげな人々や面倒臭い人々を近づけないことである。狼どもは強いようにも見えるが、小羊であるイエスは彼らを圧倒する強さを持っている。それゆえ、イエスを信じる羊は、狼よりも強い者である。そして、私たちは、蛇のように聡く、鳩のように素直に生きるべきである。
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祇園祭から見えるもの(記事No.123)

 去る7月17日、3年ぶりに祇園祭の山鉾巡行が行われ、10数万人とも20万人以上ともされる人々が沿道で見物した。新型コロナが「第7波」の流行状態とされる中、不特定多数が密集する場所に出向く人々の心理状態は面白い。私自身は、普通に生活している限りは、感染する可能性は極めて低いと考えているが、わざわざ多数の人々が密集して滞留する場所には出向かない。どこかのテレビ・ニュースでは、仕込みかどうかは分からないが、見物に来たとされる中年の女性が、「ワクチンを接種しているから重症化しないから大丈夫だと思って。」とインタビューに応じていたようである。新型コロナ・ワクチン接種キャンペーン開始当初は、打てば感染しないとされていたが、いつの間にか、打てば重症化しないに変わり、現在では、接種回数を重ねるほど、感染も重症化もし易くなるという事実が、次第に知られるようになった。それはともかく、祇園祭は、京都に生まれ育った人々にとっては、単なる夏の風物詩以上の、欠かせない年中行事のようである。もっとも、祇園祭の御稚児に選ばれる男児の選考基準は、公表されている「長刀鉾町に住んでいる8歳~10歳の男の子。ただし、1年間身内に不幸がない家庭」とは別に、総額2,000万円とされる諸費用を支払える家の子供という「条件」があると聞くと、少し白けてもしまう。それは当事者間の問題であるからさておき、祇園祭の由来と歴史は、京都新聞のホームページに掲載されている、「祇園祭の歴史」によれば次のとおりである。

 「平安時代前期の869(貞観11)年、京で疫病が流行した際、広大な庭園だった神泉苑(中京区)に、当時の国の数にちなんで66本の鉾を立て、八坂神社の神輿を迎えて災厄が取り除かれるよう祈ったことが始まりとされる。応仁の乱(1467~77年)で山鉾巡行は途絶えたが、1500(明応9)年に町衆の手で再興された。 以後、中国やペルシャ、ベルギーなどからもたらされたタペストリーなどを各山鉾に飾るようになった。 これらの懸装品の豪華さゆえに、山鉾は「動く美術館」とも呼ばれる。 江戸時代にも火災に見舞われたが、町衆の力によって祭りの伝統は現代まで守られている。2009年にはユネスコ無形文化遺産に登録された。山鉾巡行は本来、神輿渡御に伴う「露払い」の位置づけで、神幸祭に先立つ「 前祭さきまつり」と還幸祭の「後祭あとまつり」がある。 高度成長期以来、交通渋滞や観光促進を理由に、前祭と後祭の合同巡行が続いていたが、 祭り本来の形を取り戻そうと分離が決定。2014年、約半世紀ぶりに後祭の山鉾巡行が復活した。」

 このように、祇園祭が始まったのは、平安時代に遡るのだが、当時京都が平安京と呼ばれていた時代である。平安京は、渡来人であった秦氏が建設したことが知られている。京都市歴史資料館が開設している「フィールド・ミュージアム京都」というホームページにも、この事実が掲載されている。「…古代に朝鮮半島から渡来した氏族。『日本書紀』応神天皇条に,秦始皇帝(しんのしこうてい)子孫という伝承をもつ弓月君(ゆづきのきみ)が多数の民を率いて渡来したのに始まるとしますが,「はた」は古代朝鮮語で海の意であり,実際は5世紀中頃に新羅から渡来した氏族集団と考えられます。山城国葛野郡(かどのぐん)太秦(うずまさ)あたりを本拠とし,近畿一帯に強い地盤を築きました。(中略)秦氏は,高度な技術力と豊富な経済力をもっていたため,桂川に灌漑用の大堰を作って嵯峨野(さがの)一帯を開墾し,養蚕や機織などの新しい技法を伝えました。(中略)長岡京は10年で廃され,同じ山背に平安京が造られますが,そこでも新都建設に秦氏が尽力し,秦氏の本拠地であった桂川一帯は,建設に必要とする材木の陸揚げ基地となりました。長岡京は,都としてどこまで整備されていたか疑問視されていましたが,近年の発掘調査で都城形体がかなり整っていたことがわかっています。再度平安京へ遷都するのにはかなりの困難が伴ったはずです。それをやり遂げた桓武天皇の背後には,山背地域を本拠として高度な技術力と財力をもっていた秦氏がいたからできたことだといわれています。」

 平安京を建設した秦氏一族は、秦始皇帝の子孫ともされ、中国大陸から朝鮮半島を経由して、民族大移動で日本に渡来した人々であった。秦始皇帝は、ユダヤ系であったとの説もあるが、日本に渡来した時点での秦氏は、景教と呼ばれた宗教を信奉していた。景教とは、原始キリスト教をルーツとする東方キリスト教会の一派である、ネストリウス派のキリスト教のことであり、すなわち秦氏は、恐らくはユダヤ系の、クリスチャンの集団であったのである。ユダヤ教の宗教指導者であるラビとして、日本に長く住んだ経験を持つ、マーヴィン・トケイヤー氏も、秦氏がユダヤ人景教徒であったとの説を支持している。彼は、日本の伝統的神道と古代イスラエル祭儀とが酷似していることなどに着目し、秦氏はユダヤ系であり、日本人の祖先の一部は、シルクロードから中国、朝鮮半島を経て渡来した、イスラエルの「失われた十支族(部族)」の末裔であると唱えている。「日猶同祖論」とも通じる説であるが、ラビとして古代イスラエルの宗教に精通し、長い滞日経験もあるトケイヤー氏の説には説得力がある。

 さて、仮に秦氏がユダヤ系景教徒であり、平安京の建設など、今日に至る京都の歴史の礎を築いたとなると、通説とは違う祇園祭のルーツが見えて来るのである。先ほど挙げた、「フィールド・ミュージアム京都」によれば、祇園祭の祭礼期間は約1ヶ月であるが、中でも多数の見物客が集まるのは、7月16日の宵山と、クライマックスである翌17日の山鉾巡行(四条烏丸―四条通―河原町通―御池通)である。この7月17日とは、かつて世界を覆い尽くした大洪水の後、ノアの箱舟がアララト山上に止まった日である(創世記8:4)。祇園祭の山鉾数は前祭23基、後祭11基、休山1基の合計35基であるが、山鉾の種類の1つに、神功皇后の説話により鉾全体を船型にしたのが由来とされる、船鉾(ふねぼこ)がある。これらは、ノアの箱舟を連想させられる。山鉾巡業は、「エンヤラヤー」の掛け声を合図に始められるが、この言葉は、ヘブライ語がルーツではないかとの説がある。すなわち、ヘブライ語の「アニ・アレルヤ=私は神を讃える」という言葉が訛り、「エンヤラヤー」になったとの説である。あるいは、別の解釈では、ヘブライ語「アニヤラ・ヤー=私は行く!神よ!」が変化したものであると言う。どちらにせよ、民が神を讃えつつ、進んで行く時に発せられる言葉である。

 今回取り上げた祇園祭だけでなく、京都には秦氏の痕跡が、太秦の広隆寺など、いくつも存在している。景教徒であった秦氏の信仰は、次第に仏教やアミニズムとも融合し、今日では祇園祭がそうであるように、その痕跡が日本文化や風習の中に見られるだけである。16世紀になって、フランシスコ・ザビエルを皮切りに、カトリック教会の宣教師たちが来日し神の福音を説いた時、短期間で日本のほぼ全土に多数の改心者が起こされたのは、古代日本に渡来した景教徒や原始キリスト教徒ら、先祖の信仰への立ち返り(リバイバル)だったという見方も出来よう。もしそうであるなら、日本人の霊的DNAには、天地を創られた唯一の神に対する憧憬が受け継がれているのではないか。祇園祭だけでなく、全国各地に古代から伝わる祭りがあるが、それらが元来は創造神を讃えるものであったなら、祭りにかける人々の情熱のルーツは、聖書の神に対する信仰的熱情であったと言えるであろう。祇園祭を見物に来る人々の圧倒的多数は、そこまで想いを馳せる訳ではないことは分かっている。だが、祇園祭に参加する人々が身に付ける護符に書かれている、「蘇民将来之子孫也」にもあるように、日本人が霊的に覚醒し、再生されることを願う。このままでは、日本は滅亡するという危機感を強く覚えながら、その前に再生のチャンスが与えられるようにと、祈らずにはおられない。

「主は私に言われた。『これらの骨に向かって預言し、彼らに言いなさい。枯れた骨よ、主の言葉を聞け。 主なる神はこれらの骨にこう言われる。今、私はあなたがたの中に霊を吹き込む。するとあなたがたは生き返る。 私はあなたがたの上に筋を付け、肉を生じさせ、皮膚で覆い、その中に霊を与える。するとあなたがたは生き返る。こうして、あなたがたは私が主であることを知るようになる。』」(エゼキエル書 37:4-6 新共同訳)
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カルト重汚染国家(記事No.122)

 7月8日に安倍元首相が暗殺されて以来、早くも2週間近くが経過した。この間の日本社会の動向を見ていると、改めて思わされることの1つに、日本はカルトに激しく汚染されているということがある。安倍氏の衝撃的な死は、統一教会(現・世界平和統一家庭連合)と自民党との密接な関係を全国民の前に明らかにした。ある意味では、同氏の怪我の功名でもあろう。本ブログでも何度か書いて来たが、統一教会の最初の日本支部は岸信介邸の隣地に置かれたが、それは偶然では無かった。統一教会教祖の文鮮明と岸信介は、親密な関係であったことが知られている。その関係を最初の足がかりとして、日本進出当初から今日に至るまで、統一教会は自民党とは密接な関係を構築して来た。それはまた、統一教会と韓国中央情報部(KCIA=現国家情報院)による、静かな日本侵略であったとも言えよう。彼らの対日工作、また、彼らの上部機関とも言える、アメリカ中央情報局(CIA)による日本コントロールについては、多くの優れた検証や分析がネット上でも存在する。関心のある方は、吟味しつつ読んでみると良いだろう。安倍氏暗殺事件を誰が画策したかを推察する上でも、統一教会と米韓情報機関との関係は無視出来ない。

 Wikipediaによるカルトの説明とは、次のようなものである。「カルト(仏: secte、英: cult)は、新宗教団体を含む非科学的(ニセ科学)主張をしている集団や組織を指して使用される。(中略)虚偽に基づいた非科学的主張を信じていないことへの恐怖心を煽り、親団体の組織名を隠した強制的又は詐欺的な入信勧誘・多額の寄付金強要による経済的搾取や性搾取を含む人権侵害など様々な反社会的活動のため、世界各国で社会問題になっている。」この定義は、特に前半部分は明らかなミスリードであり、これを書いた人々の知性と誠実さが疑われる。これに対して、キリスト教宣教団体である、GotQuestions.org ミニストリーによるカルトの説明は、次の通りである。「『カルト』ということばを聞くと、しばしば悪魔礼拝をしているとか、動物をいけにえにしているとか、邪悪で異様で異教的な儀式をしているグループのように考えがちです。しかしながら、ほとんどのカルトはもっとずっと無邪気に見えます。特にキリスト教から見たカルトの定義は、ひとつ以上の聖書的真理の原理を否定する宗教グループのこと。もっと簡単に言えば、カルトは、それを信じたら救われないような何かを教えるグループのことです。宗教とは違って、カルトはその宗教の一部であると主張しますが、それでいてその宗教の基本的な真理を否定します。キリスト教のカルトは、クリスチャンであると主張しながら、キリスト教の真理の原理を否定するグループです。」ほぼ正しいカルト理解と思うが、ほとんどのカルトは無邪気に見えるというのは、いささか甘いと言わざるを得ない。

 私のカルトについての個人的理解は、次のようなものである。「カルトとは、人々に教祖とその教えに対する絶対的忠誠を要求し、一旦その集団に帰属させた人に対しては、恐怖と洗脳によるマインドコントロールを施し、教祖また組織に人格と生活を従属させ、人間関係を破壊し、財産、労力、時間を搾取する集団のこと。その教祖と指導者たちは、しばしば悪霊に取り憑かれており、人々を真の神とその教えから遠ざけ、社会と家庭に対する精神的破壊活動を行う邪悪な集団である。」世の中に、無邪気なカルトなど無い。数多くの宗教団体がある中で、信者たちに教祖やその教えに対する盲従を強いており、かつ金銭的要求を行うものは、ほとんど全てカルトに類別されると見て良いだろう。統一教会系に限らずとも、創価学会などは、実質的にはカルトに当たる組織ではないだろうか。ちなみに、統一教会と創価学会には共通点が多々あるが、いずれも政界や司法部門を含む中央官庁に広く浸透していることも1つである。また、両者とも、朝鮮半島系の人脈を中心に組織され、運営されて来たことも共通点として挙げられよう。彼らは、日本人の財産を収奪し人生を破壊することに、何の痛痒も感じていないと思えるが、「日帝36年の植民地支配」の償いをさせているという意識が根底にあるのだろう。統一教会は、教理上も、日本は韓国に服従すべきことを謳っている。日韓併合の身から出た錆とは言え、とんだ獅子身中の虫を許容して来たのは、政治家や官僚らの中に、彼らの側に立つものが少なくなかったからである。

 さて、統一教会は、20年くらい前までは、霊感商法や合同結婚式などで、多くの訴訟が起こされて、ある種社会問題ともなっていた。多くの日本人は、彼らが普通の宗教団体とは違う、異様な集団であり、近づかない方が良いという認識を持っていたと思う。今でも、その認識は多くの人々が持っていると思うが、いつの頃からか、マスコミで批判的に取り上げられることが少なくなっていった。彼らによる、マスコミ浸透工作が功を奏した為であろう。だが、統一教会と、その分派であるサンクチュアリ教会などの集団の本質は変わっていない。それどころか、日本社会要所への浸透がより進んだと言えるであろう。このうち、キリスト教界への浸透に関しては、「異端・カルト110番」というサイトが詳しく取り上げているので、是非参考にしていただきたい。サイト運営者の一人は、私の友人でもある韓国人牧師であるが、彼の牧会する教会も、カルトによる分断工作のターゲットにされたことがあり、戦いは現実に起きているのである。同サイトには、他にも「新天地」や「全能神教会」など、韓国系や中国系のカルトに関する情報も掲載されており、大いに参考になる。

 安倍氏暗殺は、現在の日本が、カルトにより激しく汚染されていることを世に知らしめた。警察やマスコミは、今回の事件を山上某の個人的犯行に矮小化しようとしているが、彼の手製銃から発射されたと言われる弾は、安倍氏に致命傷を与えることはおろか、周囲の人々を含め、人体にはかすりもしなかったと思われる。状況は、大きな組織が動いた可能性が極めて高いことを示している。安倍氏は、恐らくは、知り過ぎたのであろうし、背後の勢力にとって独断専行が過ぎたのであろう。彼は、統一教会のようなカルトと親密に関わると、ろくな事は無いという事実を、身を持って示すこととなった。安倍氏の「犠牲」を無駄にしたくないのであれば、統一教会が切望する内容での改憲を進めるのではなく、日本から彼らの影響力を除去し、国政を正常化することが必要である。そうすれば、社会は明るさと活力を取り戻し、日本に再生の芽が出て来ると思う。そのためにも、私たち一人一人が、カルトに対する警戒感を持ち、彼らの策略を見破る知恵と知識を得ることが不可欠であろう。神の言葉である聖書と、神の霊である聖霊とが、私たちに、その優れた知恵と知識とを与えてくださる。

「にせ預言者を警戒せよ。彼らは、羊の衣を着てあなたがたのところに来るが、その内側は強欲なおおかみである。 あなたがたは、その実によって彼らを見わけるであろう。茨からぶどうを、あざみからいちじくを集める者があろうか。 そのように、すべて良い木は良い実を結び、悪い木は悪い実を結ぶ。 良い木が悪い実をならせることはないし、悪い木が良い実をならせることはできない」(マタイによる福音書 7:15-18 口語訳)
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安倍氏暗殺に思う(記事No.121)

 昨日は、安倍元首相が銃撃され死亡したというニュースが、日本中を駆け巡った。テレビ番組などは、関連報道一色だったようである。早速、ネット上では、事件に関する不自然な点などを指摘するものを含めて、解説や分析の記事が次々とアップされた。中でも、最も大胆な説としては、事件は、いわゆる偽旗であり、実際には、安倍氏は殺されていなかったというものがある。その説によれば、安倍氏を悲劇のヒーローに仕立て上げることで、支配者集団にとって都合の良い状況を作り上げようとしたと言うことである。海外では、これまでに政治的指導者の死が偽装された事例がいくつもあったとは思う。例えば、第2次世界大戦末期に、ヒトラーがベルリンの防空壕で拳銃自殺したとされているケースがある。ヒトラーの死体は顔の判別がつかない程に焼かれていたので、歯科治療の跡が一致したとされているのが、物的証拠らしきものとして挙げられている。だが、実は、軍用機でベルリンを脱出して占領下のノルウェーに跳び、そこから潜水艦で南米または南極に脱出したという説もあり、目撃証言とされるものもある。ヒトラーの死の真相は藪の中ではあるが、安倍氏の場合は、一応は平時のことであって、暗殺死を偽装するのは、政府や自民党にとってリスクが大き過ぎる。やはり、実際に暗殺されたとみて間違い無いと思う。

 しかし、報道されているように、現行犯逮捕された41歳の男が放った銃弾が、本当に致命傷であったのかは大いに疑問である。逮捕された山上某であるが、逮捕されて数時間もしない内に、元海上自衛官であることや、犯行の動機や準備に関わる情報が次々出たことには早過ぎる感が否めない。どうしても、ケネディ大統領暗殺犯とされた、オズワルドのことを連想してしまう。あるいは、要人暗殺では無いが、9.11同時多発テロ事件の犯人とされた者たちの場合も、アメリカ国内での飛行訓練の様子など、事件後に次々と、いかにもな状況証拠が出て来たことを思い出す。はっきり言えば、特殊部隊経験者でもない元海上自衛官が、手製の「銃」と「銃弾」で至近距離から2発撃ったところ、ターゲットの心臓に大穴を開けたなど、あまりにも出来過ぎた話である。私自身も、アメリカ留学中に、趣味で通算数千発の小銃射撃を経験したが、どうしたら素人が手製の簡易的な銃と弾で、周囲の人々には一切被弾させずに、正確にターゲットの人物だけに致命傷を与えられるのか、合理的な説明が思いつかない。もっとも、これは、犯人にとっての好条件が偶然にも重なったのだと説明されるのであろう。山上某が現場で発砲したのは事実であろうが、致命傷を与えたのは、別に存在したプロの狙撃手であった可能性が高いと考える。

 暗殺事件の真相がどうであれ、安倍氏が殺されたことで、誰が得をしたのだろうか?そう考えるのは、政治家の暗殺の場合、単独犯の犯行とされたとしても、必ず教唆した者や支援を与えた者または組織が存在すると見るべきだからである。2002年10月25日に刺殺された、石井紘基衆議院議員の場合は、刺殺犯の自称右翼伊藤某は、石井議員との間に生じた金銭トラブルを恨みに思ったのが動機であると、個人的犯行を主張し、裁判でも真の動機は解明されなかった。しかし、2010年10月にテレビ朝日で放送された、当該事件に関するドキュメンタリー番組によると、同テレビ局の記者が獄中の伊藤某と面会して聞き出したところでは、「実は頼まれてやった。」との告白を得たと言う。その後、伊藤某は記者との面会を拒否するようになり、告白の内容が事実であったのかは謎のままである。なお、石井議員は暗殺される前に、国会で特別会計に関する追及を始めており、殺害されたのは、決定的な国会質問をする予定の前日であったとも言われている。同議員の暗殺に組織的背景があったのか、その証拠は判明していないが、確かなことは、石井議員の死により、利益を得た者たち、個人や組織・集団があったことは、紛れもない事実である。安倍氏の場合は、森友問題などの疑惑の最重要当事者が消えたことや、アベノミクスの失敗責任を安倍氏一身に負わせることが出来るようになったことで、日本の支配層にとっては、臭い物に蓋をすることが出来たとも考えられよう。あるいは、パペットはコントロールが効かなくなると、ハンドラーによって処分されるということかも知れない。安倍氏暗殺のタイミングが、参議院議員選挙投票日の2日前であったことは、これで同情票が大幅に積み上がるとも思えないが、仮に選挙不正が行われた場合には、与党大勝利の理由の1つに使われるのではないだろうか。

 ところで、個人的に私は、これまで安倍氏の政策の多くには反対であったし、保身のためには末端の官僚を死に追いやっても省みない、彼の人間性には嫌悪感さえ覚えることもあった。しかし、同氏がこのような形で世を去ることは望んでいなかった。彼は、数々の疑獄に関して法的責任を追求されるべきであったし、アベノミクスや消費税増税などの失政により、日本に経済的惨状をもたらした政治的責任を取るべきであった。その他にも、ロシアとの外交交渉の失敗や、海外への累計数十兆円(あるいは1桁上かも知れないが。)のバラ撒きなど、彼の責に帰せられるべきことは多くあったと思う。国家の最高指導者として、時に政治責任を追求されることに堪えられないのであれば、最初から宰相の座を狙うべきでは無かったが、権力欲は人一倍旺盛であったのだろう。対米従属の深化を含め、安倍氏が日本に与えた傷は深く、彼が残したツケは、今後も日本国民が払わされるのである。日本人の多くは、死んだらみんな仏になると考えているともされるが、公職者はたとえ仏(と呼ばれる存在)になっても、在職中の行為については、公的にも私的にも、検証され評価される必要があると考える。その意味において、決して安倍氏を美化してはならず、まして、神格化する人がいるとしたら、とんでもない勘違いと言うべきである。今、安倍氏は陰府で、世の終わりの時の、神の最後の審判を待つ身となった。私たちが、神の審判の結果を想像することには、ほとんど意味が無い。それは、全く神の専権事項であって、神と、その人との問題である。私は、安倍氏のために涙を流さなかったが、しかし、彼の死を喜ばない。彼が暗殺されたことを、残念に、また気の毒に思う。彼もまた、イエスの救いを受けなければならなかった。世の終わりの時には、神が、彼を公正に扱われるであろう。

「敵が倒れても喜んではならない。彼がつまずいても心を躍らせるな。 主がそういうあなたを見て不快とされるなら 彼への怒りを翻されるであろう。 悪事を働く者に怒りを覚えたり 主に逆らう者のことに心を燃やすことはない。 悪者には未来はない。主に逆らう者の灯は消える」(箴言 24:17-20 新共同訳)
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自由への闘い(記事No.121)

 昨日、Netflixで「ミラダ 自由への闘い 」という映画を観た。2017年に製作された、アメリカとチェコの合作である。この映画は、ミラダ・ホラーコヴァというチェコスロバキアの法律家であり、政治家であった、実在の女性の半生を描いたものである。映画を観るまでは、恥ずかしながら、ミラダ氏のことは知らなかった。1901年12月25日にプラハで生まれた彼女は、大学で法律学を学び、その後は女性の地位向上運動に携わった。第2次世界大戦中は、チェコスロバキアを占領したドイツ軍に対するレジスタンスに加わったが、1940年に夫と共にナチス当局により逮捕され、1945年4月にアメリカ軍によって解放されるまで服役する。戦後は、1946年に国民社会党から国会に立候補し当選、民主的な国家建設のために働いた。しかし、1948年2月に共産党がクーデターを起こすと、彼女はこれに抗議して議員を辞任した。彼女の政治的同志らは、西側への亡命を勧めたが、ミラダ氏は祖国に留まることを選び、プラハで政治的活動を続けた。

 1949年9月27日、彼女は共産主義政権を転覆させる計画のリーダーであるとして、仲間の活動家らと共に逮捕された。公判が開かれるまでの間、ミラダ氏と他の被告たちは、肉体的・精神的拷問を受け、罪を認めるよう強要された。彼女らにかけられた容疑は、アメリカなど西側諸国に協力し政府を転覆しようとした反逆罪と、スパイ行為の共謀罪であった。ミラダ氏と彼女の12名の同志らに対する裁判は、共産主義者らの常で、見せしめを目的としていた。彼女らは、共産党指導部によって扇動された市民らの憎悪の対象となり、新聞、ラジオなどは、大々的に糾弾キャンペーンを展開した。裁判は共産主義政権の筋書きに沿って進められ、1950年6月24日に最高裁判所で、ミラダ氏を含めた4人の良心の囚人に対する死刑判決が確定した。世界各国の多くの人々から、彼女らに対する死刑回避の嘆願がチェコスロバキア政府に寄せられた。その中には、アルバート・アインシュタイン、エレノア・ルーズベルト、ウィンストン・チャーチルなど、米英の著名人も含まれていた。しかしながら、当時のチェコスロバキア首相のアントニーン・ザーポトッキと、共産党議長のクレメント・ゴットワルドは、それらの嘆願書を一顧だにしなかった。

 国際社会からの嘆願も虚しく、1950年6月27日の夜明け、プラハのパンクラック刑務所の裏庭で4人の囚人に対して死刑が執行されることになった。前日の夜、死刑囚らは短時間それぞれの家族と面会することが許された、ミラダ氏のもとを訪れたのは、彼女の娘のヤナ、妹とその夫の3人であった。記録によると、ミラダ氏は4人の内で最後に絞首台に送られ、全ての処刑は午前5時43分に終わったと言う。ミラダ氏の最後の言葉は、次のようであったと記録されている。「私は、この戦いには敗れました。しかし、誇りを持って世を去ります。私は、この国と国民とを愛しています。彼らの幸福のために働いて来ました。私は、あなたたちを憎んではいません。私は、あなたたちが…。(最後の言葉が終わる前に、絞首台の床板が開いたと思われる。)」彼女の遺体は荼毘に付されたが、その遺灰は遺族には返還されず、遺棄された場所は知られていない。彼女の夫ボフスラス氏は、逮捕を寸前で逃れて国外脱出に成功し、後年アメリカで娘のヤナと再会を果たした。1968年6月の「プラハの春」の時、ミラダ氏の判決は無効と宣言された。共産主義体制崩壊後の1991年になって、彼女には勲章が授与され、正式に国家のための犠牲者と認定された。現在チェコでは、ミラダ氏が処刑された6月27日は、「共産主義体制の犠牲者のための記念日」として定められている。

 映画の中でも、ミラダ氏ら自由主義者に対する共産主義者らの憎悪が描かれていたが、これは、共産化した国々では普遍的に見られたことであった。ソ連が構築した巨大な収容所システム、自国民を千万人単位で殺害した中国の文化大革命、カンボジアでは子供たちに親や教師を殺させた等々、彼らが行った粛清は、単に政敵を排除するという合理的な動機ではなく、人々に血を流させることを狙ったと言えるであろう。彼らの思想のルーツは悪魔であり、彼らの行動は悪霊どもに導かれていたからである。日本では幸い、共産革命は成就しなかったが、もしそれが実現していたなら、皇室を筆頭に、旧体制派と見做された人々は、ことごとく処刑されるか収容所送りになっていたことだろう。もっとも、危険で邪悪な思想は共産主義に限らず、あらゆる全体主義がそうであり、ナチズムや、日本でもかつての国家神道体制下での軍国主義も該当するだろう。今日では、新型コロナ・パンデミックを作り出し、ワン・ワールドを実現しようとしている者たちの思想は、共産主義やナチズムと根底では同一である。彼らが、自由を愛する人々を激しく憎悪するのは、彼らの霊的、思想的マスターが誰であるかを如実に示している。

「悪い者を正しいとすることも 正しい人を悪いとすることも ともに、主のいとわれることである」(箴言 17:15 新共同訳)


 ミラダ氏は、彼女の政治活動の中で、ナチスと共産主義体制という2つの勢力と対決した。彼女は自由な社会を守り、国民を幸せにしようとの強固な意志と信念を持っていた。多くの同志たちが逮捕、投獄され、ある者らは転向し、他の者たちは国外に逃れる中、祖国に留まることを選択し、最後まで自分の信念を捨てなかった。彼女を、そのように保ったのは、神に対する信仰であった。彼女は若き時、夫のボフスラフ氏の家族から信仰的感化を受け、イエス・キリストを受け入れ、チェコ福音ブラザレン教会の信徒として忠実に神に仕えた。彼女が獄中から義母に宛てて出した手紙には、詩篇23編の言葉は全く真実であると書かれていた。彼女が処刑の数時間前に家族宛に記した手紙には、自分自身を慎んで神の最高の審判に委ねるとあった。この地上では不正義の犠牲となったミラダ氏であったが、正義の神は彼女に天で最高の栄誉を与えられた。この地上においても、1989年にビロード革命でチェコスロバキアの共産主義体制は崩壊し、1993年には国はチェコとスロバキアに分離した。その後、ミラダ氏を告発した検察官らの最後の生き残りが、司法殺人の容疑で起訴され、80代の彼女は有罪となり刑務所に送られた。ミラダ氏の名誉は回復され、彼女はチェコの人々の良心と正義の象徴となった。それだけでなく、彼女の生涯は、世界中で今なお自由を守るために闘い続ける人々にとって、先駆者の一人として輝いている。

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。 主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。 死の陰の谷を行くときも わたしは災いを恐れない。あなたがわたしと共にいてくださる。あなたの鞭、あなたの杖 それがわたしを力づける。 わたしを苦しめる者を前にしても あなたはわたしに食卓を整えてくださる。わたしの頭に香油を注ぎ わたしの杯を溢れさせてくださる。 命のある限り 恵みと慈しみはいつもわたしを追う。主の家にわたしは帰り 生涯、そこにとどまるであろう」(詩篇 23編1-6節 新共同訳)
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