さて、「天国からの奇跡」は、実話に基づいて制作された映画である。その物語は、アメリカ・テキサス州に住む、アナベルと彼女の家族らが実際に経験したことである。この映画のメッセージはシンプルだ。私たちが互いに愛し合うならば、わたしたちの人生は、神の奇跡に満ち溢れたものとなる。映画の中では、様々な登場人物が、それぞれ別々の時に、別々の場所で、アナベルと彼女の家族に対して、小さな愛を示す。小さなと言っても、それぞれの人にとっては、仕事を失うリスクを伴うなど、愛と勇気がなければ出来ない行いである。そして、彼らの愛の行いが、神の手の中で絶妙に作用し合って、大きな愛を現すことに結びつく。もちろん、その大きな愛とは神の愛のことである。
「そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」(マルコによる福音書 12:33 新共同訳)
イエスは、神を愛し、隣人を自分のように愛することが、偉大な行いであると教えた。私たちは、それぞれが神より、人生における使命を与えられている。私を含めて、多くの人々が、その使命を知ろうとする中で、悩み苦しんだことがあるだろう。また、使命を知ったとしても、それが思うように果たせず苦しむことがある。私たちは、クリスチャンであってもなくても、時に試練や困難を通して、使命を達成する者となるため、練られ鍛えられていくものであろう。
ところで、私たちに与えられている固有の使命に加えて、全ての人に共通した人生の使命がある。人生の目的と言っても良いだろう。それは、互いに愛し合うことである。神が人を創造されたのは、神と人とが互いに愛の内に交わるためである。その後、人は神に背く罪を犯したため、神との交わりは絶たれてしまった。イエスが来られたのは、断絶した神と人との関係を再びつなぐためであり、それにより、神と人、また、人と人とが互いに愛し合うためである。この愛とは、決して抽象的なものではない。私たちが、隣人を思いやり、自分に出来る小さな助けをすること、その具体的な行いである。
「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです」(ヨハネの手紙一 4:7−8 新共同訳)
本ブログでは、決して読者の皆さんの思いを暗くする意図は無いのだが、重いテーマを取り上げることが多く、明るい話題が少ないのかも知れない。しかし、暗い話題を作り出しているのは、この世界から愛を根絶やしにしようと画策している者たちである。彼らに対する最も有効な対抗策は、私たちが愛を実践することである。なぜなら、私たちが愛を行う時、そこには神が働かれているからだ。いずれ世の終わりが来ることは確かであるが、この世界の全てが更新されても、私たちの愛はいつまでも残る。なぜなら、それは神から出たものであり、神はいつまでも私たちと共にいてくださるからである。