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御翼の陰に(記事No.86)

 毎日、日本と世界のニュースを、主にインターネットで見ている。日刊新聞も、事務所用と合わせると一応数紙購読しているが、全国紙は政府や各種業界の広報紙に近いと受け止めているので、熱心に読むのは地方紙の方である。その流れで、出張や旅行で宿泊する時には、その地方の新聞を読むようにしている。札幌なら北海道新聞、福岡なら西日本新聞という具合である。また、普段は週刊誌は読まないのだが、興味がある記事が掲載されている時には、なるべく購入するようにしている。つい最近は、女性セブンという雑誌に、「子供のワクチン接種 本当に必要なのか」という記事が掲載されていると知り、少し勇気を出して、書店で買って来て読んだ。大手新聞やテレビではタブー扱いされているテーマを取り上げるメディアは、やはり購入して記事を読むことが、報道の自由を支持する上でも必要だと思う。

 私が今、継続的に最も注目しているテーマは、新型コロナ・ワクチンに関する国内外の状況と、ウクライナ情勢など戦争勃発の可能性についてである。それらは、日本人にとっても大きな影響を受けることが必至の事柄であり、同時に、世の終わりが近づいていることの兆候を見極めるためでもある。関心を持ってチェックしているニュースは、それらだけでなく多岐にわたるのだが、事件や事故についてもそうである。犯罪のニュースがあると、容疑者の写真が出ていれば、必ずよく見るようにしてる。もちろん、容疑者の段階では犯罪者と決めつけられない場合もあるが、それでも、特に凶悪事件の場合などでは、どんな人相をしている人物が、犯行を疑われているのかを知っておきたいと思う。どんな雰囲気の人物に気をつけたら良いか、学習するためである。また、事故のニュースでは、どのような状況でそれが起こったのか、新聞などの記事をよく読むように努めている。自分が車を運転する際になど、決して事故を起こさないように、他山の石とするためである。

 数日前のニュースで、川崎市宮前区の県道で、ワゴン車が反対車線に飛び出し、3人を死傷させた事故が発生したことが報道された。運転していた50代女性は、カゴに入れたペットのインコを助手席に乗せて動物病院に連れて行く途中であり、走行中に気を取られてハンドル操作を誤ったとのことである。単なる運転ミス以上の重大な不注意であるが、運転中にスマートフォンを操作しているドライバーも少なく無いので、運転する者は誰でも、自らを顧みて一層安全運転を心がけることが、加害者を非難することよりも必要であろう。私自身は、幸いこれまでに人身事故を起こしたことは無いが、交通事故の被害者になったことは、これまでに4回ある。いずれも軽傷で済んだが、高校生の時にバイクの免許を取得して以来、平均約10年に1回は事故に遭っているので、回数的には多い方かも知れない。ちなみに、車を運転中に追突されたのが2回、あとの2回は、バイクを運転中に車が急転回して転倒した事故と、夜間に信号の無い横断歩道を歩いて渡っていた時に、側道から一時停止しなかった車に撥ねられた事故であった。

 今でも、ごく稀にではあるが、交通事故にあった時のことを思い出すことがある。それ以外にも、自分が山道を車やバイクを飛ばしていて、スピードを出し過ぎて、ヒヤリとしたことを思い出すこともある。いや、それだけでなく、小学生の頃、友達と学校の近くの川に降りて遊んだ時、擁壁をよじ登って戻る途中に、体が固まって動けなくなったことを思い出すこともある。その時は、必死に友達に助けを呼び求め、駆け付けてくれた級友が手を差し伸べてくれて、何とか這い上がることが出来た。体が固まった時に下を見ると、洗剤のような泡が川に渦を巻いており、もし落ちたら大怪我をして破傷風になるだろうと、心底恐怖を感じたものである。このような恐怖体験は、普段はすっかり忘却の彼方にあるのだが、本記事を書いているうちに思い出してしまった。

 過去に事故や危険に遭遇したことは、痛い経験であり記憶であるのだが、話はそれだけではない。それらの出来事を思い出す時は、いつも、ある事実を思わざるを得ないのだ。それは、私は、その時には気づいていなかったのだが、神に守られていたのだという事実である。先に書いた川崎市の交通事故では、歩行者の30代の女性と、母親の運転する自転車に乗っていた3歳の男児が死亡している。なぜ彼女たちが死んだのか、外形的には交通事故死であるが、なぜ、その時、その場所にいて事故に遭ったのか。私が、その理由を明確に示すことは出来ない。危険な状況に直面した時、死ぬ人もいれば、助かる人もいる。人の生き死には、運命であると考える人もいる。聖書は、人の命は、神の主権の中にあることを教えている。それでも、人は与えられている自由の中で、意識して、また無意識の内に選択を重ね、それが結果的に、自分や他人の生と死の結末に現れることがある。

 神を明確に信じる以前にも、自分が気づいていなかっただけで、神の守りの内にあったことを思わされる。自分には、その守りを受ける資格など無かった。ただ、恵みにより守られたのだと思う。子供の頃、わずかでも神に顧みられる理由があったとすれば、カトリックの幼稚園に通っていた時に、単純に「イエズス様…」と祈ることをしていたくらいしか思い当たる節はない。小学校もカトリック系だったので、漠然とではあったが、神様と言えば、「天の父なる神様」であり、「イエズス様」であった。子供の頃の、文字通り小さな祈りさえも、神の耳に届いていたのだろうか。今こうして、幸いにも神に対する信仰を持ち、これまでの人生を断片的にでも振り返ると、私を災いから防ぎ守って来た、神の恵みに感謝せずにはおられない。神は、親鳥が雛鳥をその翼で覆い、外敵から守るように、私たちを守ってくださる。多くの危険が潜んでいるこの世の中において、御翼の守りは、最も確実で、全幅の信頼を置ける守りである。
 
「瞳のように私を守り 御翼の陰にかくまってください」(詩篇 17:8 新改訳)
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人生の目的は互いに愛し合うこと(記事No.85)

 昨夜、Netflixで「天国からの奇跡(原題:Miracles from Heaven)」という映画を観た。2016年に公開された、パトリシア・ゲイン監督、ジェファニー・ガーナー主演のアメリカ映画である。いわゆるキリスト教映画ではなく、一般映画館で上映された作品である。ストーリーはネタバレにならないよう詳しくは書かないが、難病を患った10歳の少女アナベルを巡る、苦難と癒しと愛の物語である。Netflixは、オリジナル映画はポリティカル・コレクトネスを意識した映画も多く、それらは観る気もしないが、一般映画では良い作品も観ることが出来るので、使い方次第で役には立つ。

 さて、「天国からの奇跡」は、実話に基づいて制作された映画である。その物語は、アメリカ・テキサス州に住む、アナベルと彼女の家族らが実際に経験したことである。この映画のメッセージはシンプルだ。私たちが互いに愛し合うならば、わたしたちの人生は、神の奇跡に満ち溢れたものとなる。映画の中では、様々な登場人物が、それぞれ別々の時に、別々の場所で、アナベルと彼女の家族に対して、小さな愛を示す。小さなと言っても、それぞれの人にとっては、仕事を失うリスクを伴うなど、愛と勇気がなければ出来ない行いである。そして、彼らの愛の行いが、神の手の中で絶妙に作用し合って、大きな愛を現すことに結びつく。もちろん、その大きな愛とは神の愛のことである。

「そして、『心を尽くし、知恵を尽くし、力を尽くして神を愛し、また隣人を自分のように愛する』ということは、どんな焼き尽くす献げ物やいけにえよりも優れています」(マルコによる福音書 12:33 新共同訳)


 イエスは、神を愛し、隣人を自分のように愛することが、偉大な行いであると教えた。私たちは、それぞれが神より、人生における使命を与えられている。私を含めて、多くの人々が、その使命を知ろうとする中で、悩み苦しんだことがあるだろう。また、使命を知ったとしても、それが思うように果たせず苦しむことがある。私たちは、クリスチャンであってもなくても、時に試練や困難を通して、使命を達成する者となるため、練られ鍛えられていくものであろう。

 ところで、私たちに与えられている固有の使命に加えて、全ての人に共通した人生の使命がある。人生の目的と言っても良いだろう。それは、互いに愛し合うことである。神が人を創造されたのは、神と人とが互いに愛の内に交わるためである。その後、人は神に背く罪を犯したため、神との交わりは絶たれてしまった。イエスが来られたのは、断絶した神と人との関係を再びつなぐためであり、それにより、神と人、また、人と人とが互いに愛し合うためである。この愛とは、決して抽象的なものではない。私たちが、隣人を思いやり、自分に出来る小さな助けをすること、その具体的な行いである。

「愛する者たち、互いに愛し合いましょう。愛は神から出るもので、愛する者は皆、神から生まれ、神を知っているからです。愛することのない者は神を知りません。神は愛だからです」(ヨハネの手紙一 4:7−8 新共同訳)


 本ブログでは、決して読者の皆さんの思いを暗くする意図は無いのだが、重いテーマを取り上げることが多く、明るい話題が少ないのかも知れない。しかし、暗い話題を作り出しているのは、この世界から愛を根絶やしにしようと画策している者たちである。彼らに対する最も有効な対抗策は、私たちが愛を実践することである。なぜなら、私たちが愛を行う時、そこには神が働かれているからだ。いずれ世の終わりが来ることは確かであるが、この世界の全てが更新されても、私たちの愛はいつまでも残る。なぜなら、それは神から出たものであり、神はいつまでも私たちと共にいてくださるからである。
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「彼ら」は子供の生贄を欲する(記事No.84)

 数日前、クリスチャンの友人から、「トランプを治療した主治医、命がけの発言!」と題された1本の動画が送られて来た。オリジナルは英語版であり、2021年12月11日発表とある。誰が書いたものか、「この映像を家族や知人など最大限多くの方々に共有してください。(ママ)」とのメッセージが付けられていた。早速、その23分少々の動画を再生して見た。この動画でメッセージを語っているのは、ウラジミール・ゼレンコ氏と言う、ユダヤ系アメリカ人の医師である。話の内容から推察するに、アメリカとイスラエルの二重国籍保有者であるようだ。同氏は、これまでに、6,000人を超える新型コロナ患者を治療して来たと言う。その中には、トランプ大統領、ジュリアーニ元ニューヨーク市長、ブラジルのボルソナール大統領などの要人が含まれているそうだ。

 ゼレンコ氏のメッセージの内容は、テレビや新聞からしか情報を得ていない人々や、政府の発表を鵜呑みにしている人々にとっては、常識が覆される強烈なものであろう。その要点は、新型コロナ・ワクチン接種キャンペーンは人類にとって最大の脅威であり、非合理性と悪意性に満ちていると言うものである。特に、子供へのワクチン接種は、人身御供と同じあり、決して進めてはならないと言う。同氏が引用した、アメリカ感染症予防センター(CDC)のデータでは、子供の場合、新型コロナ・ウイルスに感染しても、99.998パーセントは治療無しに生存するとのことである。ならば、安全性に重大な懸念がある、ワクチンを打つ必要は無いと言う訳だ。

 このような警告を発しているゆえに、ゼレンコ氏は毎日殺害の脅迫を受けているそうだ。トランプ氏ら各国のVIPを治療して来たと言うことは、ゼネンコ氏は高名な医師であろう。彼には、出鱈目を言って、これまでのキャリアや評判、収入や家族と自分自身の安全を危険に晒すメリットは無い。彼のメッセージは、豊富な専門知識と経験に裏付けされ、かつ良心に基づくものであり、内容の信頼性は極めて高いと言えよう。つまり、新型コロナ・ワクチンを、特に子供に対して接種するのは、犯罪にも等しい暴虐と言うことである。ゼレンコ氏は、これは第3次世界大戦であると警告し、人々に、「目覚めよ!」と呼びかけている。

 これまでの、全世界的なワクチン接種キャンペーンを観察して来て、「彼ら」の主要な目的が少なくとも3つ挙げられると思う。経済的利益、人類管理と人口削減、そしてゼレンコ氏が語ったように、人身御供である。これらのうち、経済的利益については、誰もが分かりやすい。日本の場合、共同通信の2021年8月27日付電子版記事によれば、配送費を含めて1回あたり2,400円のコストとのことである。ロイター通信の2020年7月26日付電子版記事では、アメリカ政府のワクチン調達価格が1回分当たり19.50ドルとのことなので、大体1回分で日本円換算2,000円台前半が、各国政府の調達価格ではないだろうか。当初は1人当たり2回接種とされていたものが、ブースト接種がエンドレスに必要であると変わったので、ファイザーなどのワクチン・メーカーには、さらなる巨額の利益が約束されている。また、各国の国民には伏せられている調達契約には、副作用などに対するメーカーの責任を免責する規定があると言われており、製造物責任保険も事実上不要である。

 人類管理は、ワクチンパスポートの真の目的である。また、人口削減については、陰謀論と言われがちであるが、自身が立ち上げたビル&メリンダ・ゲイツ財団でワクチン接種を推進して来たビル・ゲイツは、新型コロナ・ウイルス流行前に、ワクチン接種により人口を削減できると公言してもいる。ゼレンコ氏も、ビル・ゲイツは世界の70億人にワクチンを打たせようとしていると語っており、それが実現すると、20億人が死亡すると見積もっている。もし、ワクチン接種の目的が、本当にウイルスから人々の命や健康を守ることであるならば、同時に、特効薬があれば各国で普及が図られて然るべきである。ところが、ゼレンコ氏によると、アメリアの場合トランプ大統領が、ハイドロキシクロロクイーンという新型コロナ治療に有効な薬を、誰もが入手出来る様にせよとの行政命令を出したにもかかわらず、CDCと食品薬品局(FDA)は実行しようとせず、代わりにレムデシビルの使用を承認したと言う。もちろん、前者の方がはるかに安価で、かつ有効性が高かったのだが。

 人身御供となると、陰謀論と決めつける人々がさらに多いと思う。だが、新型コロナ・ワクチン接種を推進している人々(末端の手下レベルは別として)は、人身売買や誘拐によって集めた子供たちを、悪魔崇拝の犠牲として拷問、殺害して来た者たちと重なる。時には大人が犠牲とされることもあるだろうが、多くの場合は、乳幼児を含めた幼い子供たちが対象とされるのである。このおぞましい悪習は、はるか古代より行われて来た。旧約聖書にも、これについては、神が厳しく警告し戒めていることが記されている。
 
「あなたの子どもをモレクにささげてはならない。またあなたの神の名を汚してはならない。わたしは主である」(レビ記 18:21 口語訳)


 なぜ、悪魔崇拝者たちが子供を犠牲に捧げるのか。それは、幼い子供たちは、魂がまだ無垢の状態であるからだろう。人は誰でも、生まれながらに罪の性質を持っている。だから、幼い子供も、大人が教えなくても、親に叱られないようにと嘘をつくことがあるし、他の子供を妬むこともある。しかし、それでも、彼らの魂(精神と言っても良いだろう。)は、大人と比べればはるかに、汚れの無い無垢の状態である。個人差はあるが、だいたい5〜7歳くらいまでは、そうであろう。イエスは、「誰でも、幼子のようにならなければ、天国に入ることは出来ない。」と教えられた。幼子のように、魂が、罪に対して無垢の状態であることが必要との意味である。イスラエルの人々が、神殿の祭壇に子羊を捧げたように、神に対しては、罪のしみや傷が無い捧げ物だけが受け入れられる。悪魔崇拝者たちは、そのことを十分承知しているので、神に対する反逆と、彼らの主人である悪魔を喜ばせる目的で、神が特に大切にされている、無垢な子供たちを犠牲にするのだ。

 もう1つ、「彼ら」が子供を人身御供にする目的がある。それは、「彼ら」の長年の念願である、世界統一政府の成立が近づいていると見做し、その道筋を整えるためである。世界統一政府は、悪魔崇拝以外の全ての宗教を禁じるが、その王座に座る者は、地上における悪魔支配の具現者となる。「彼ら」の先祖は、約2,000年前に、人の姿をとられて地上に来られた、赤子イエスを殺害して、神の人類に対する救済計画を無にしようと試みた。そして、ユダヤの王であったヘロデを用いて、イエスが生まれたベツレヘム周辺の幼い男児を皆殺しにした。もちろん、その事は神が意図したのではなく、悪魔の仕業である。「彼ら」は、自分たちの王を迎える前に、同様に、幼子たちの血が、悪魔の祭壇に注がれる必要があると考えているのであろう。ゼレンコ氏が人身御供と言う意味は、単なる薬害(それでも歴史上最大規模であるが。)のことだけでなく、生贄という意味も含んでいると理解して良いだろう。
 
「さて、ヘロデは博士たちにだまされたと知って、非常に立腹した。そして人々をつかわし、博士たちから確かめた時に基いて、ベツレヘムとその附近の地方とにいる二歳以下の男の子を、ことごとく殺した」(マタイによる福音書 2:16 口語訳)


 大人が、自分の意思と選択で新型コロナ・ワクチン接種を受けることは、それぞれの考え方次第であり、自由である。しかし、政府であれ、医師であれ、雇用主であれ、強制や欺瞞により、人々にワクチン接種をさせるのは、犯罪的と言うよりも、人道犯罪そのものであろう。特に、抗議や抵抗することも出来ない子供たちに接種するのは、極めて重大な人道犯罪である。日本でも、5〜11歳の子供たちに新型コロナ・ワクチンを接種出来るよう、厚生労働省が特例承認したと言う。仮に、医師や教師から子供のワクチン接種を勧められたとしても、親は絶対に受けさせてはならない。それは子供たちの命と健康を守るのではなく、生贄に差し出すことにもなる悲惨な行為である。神の守りを信じ、神が私たちに与えた自然免疫力に信頼する方が、得体の知れない化学物質を体内に入れるよりも賢明であろう。
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差別と利権と真の解放(記事No.83)

 京都新聞1月11日付朝刊1面トップに、京都市伏見区にある大岩山で不法投棄された、産業廃棄物の混った土砂に関する問題が掲載されていた。大岩山では、複数の土木業者により不法投棄された土砂が、2018年の西日本豪雨以降、繰り返し崩落し、地元住民らが撤去を市に要請していた。京都新聞によると、京都市が昨年9月に土地管理業者に産廃撤去を求める行政指導文書を交付したのだが、これが、業者が自発的に撤去の意向を示してから2週間後であり、「後出し」行政指導であったと言う。当初は、地元自治会などの撤去要請にも関わらず、市と土地管理業者との協議はスローペースでしかなかった。事態が一変したのは、昨年7月に発生した、熱海市における大規模土石流災害が契機であったと言う。京都市廃棄物指導課は、それまでとは打って変わって、業者に廃棄物を早く撤去するよう働きかけを強めるようになった。記事にあった大田直史龍谷大学政策学部教授のコメントでは、「熱海のような災害が起きた際に『自分たちはやれることをやっていた』と責任を逃れるため、と言われても仕方ない」とあった。

 今般報道された京都市大岩山における問題は、昨年熱海市において26名の命を奪った土石流災害の原因となった、土砂不法投棄問題とも共通点がある。それは、いずれの場合も、行政当局が業者に対して、低姿勢とも言えるほどの及び腰の姿勢であったことである。熱海市の場合は、市は一旦業者に対して、安全対策を行わせる措置命令を出そうとしたが、最終的に発令を見送ったことが明らかになっている。なぜ、市当局が静岡県条例に基づく措置命令を出すことを取り止めたのか、その真の理由は報道されていない。だが、東京新聞電子版2021年11月10日付記事によると、2011年6月に静岡県と熱海市が、それぞれ措置命令案を作成し、翌7月に発出すると決めたところ、6月下旬に土砂を投棄した不動産管理会社の代表が市役所を訪問、状況が一変したと言う。結局、業者が条例に基づく変更届を提出することが認められ、措置命令の発出は見送られた。

 一部のマイナー系独立メディアの報道によれば、熱海市の土石流災害の原因となった盛り土を作った業者は、小田原市に本社を置いていた、株式会社新幹線ビルディングという会社である。同社はJR東海の関連会社のような社名であるが、JRとは無関係であり、社長を務めていたのは、天野二三男氏という自由同和会神奈川県本部会長であった人物である。こうなると、何故熱海市が土砂不法投棄の業者に対して、まるで腫れ物に触るような対応を続けていたのかが推測出来るであろう。実際、2007年8月の熱海市議会建設公営企業委員会で、当時の水道温泉課長は、同社を同和系列の会社であると答弁している。今回は、多数の住民が犠牲となる災害が発生したために明らかとなったが、報道されていないだけで、この種の同和系企業優遇案件というのは、全国の自治体で多数あると考えてよいだろう。京都市大岩山の不法投棄問題の背景は今の所不明であるが、ジャーナリズム精神を失っていないメディアがあるなら、是非とも調査報道を行ってほしいものである。

 本記事で、同和系企業が絡む問題の一端を紹介した理由は、差別と利権の問題について、読者の皆さんに考えていただきたいからである。世の中には、様々な差別問題が存在する。その中で、日本において、利権と密接に結びついている問題がいくつかある。取り分け、部落差別と在日韓国・朝鮮人差別は、そのスケールにおいて2大差別問題と言えるであろう。念のため明記するが、私は、あらゆる差別は悪であり、根絶を目指すべきものであると考えている。同時に、差別問題を利用した利権構造も悪であり、存在を許してはならないと考えている。先に挙げた2大差別問題は、それぞれ別々の根を持つ問題であるが、現代の日本において、共通点を有する問題でもある。それは、差別されていたはずの側が、一部であったとしても、差別問題に絡む利権あるいは特権を有しているということである。

 私自身が実際に体験した出来事を、1つ紹介したい。10年以上前の話であるが、会社に1本の電話がかかって来た。個人名を名乗ったので、私の知人と勘違いした社員が電話を取り次いだのだが、私が電話口に出ると、相手の男は、自分は同和系団体(実在する同和団体の名称を挙げた。)の関係出版社の者であるが、人権問題を啓発する機関紙(「誌」だった可能性もある。)を購読して欲しいと言う。丁重に断ると、口調が次第に威圧的になり、それでも断り続けると、捨て台詞を吐いて電話を切った。この出来事自体は、些細な出来事である。その時私が思ったのは、彼らは、このような実質的に強要にも近いようなアプローチ方法で、これまでに大小どれだけの経済的利得を得て来たのかということである。

 同和関係者を名乗り出版物を購読させるのも、一種の利権(あるいは、似非同和)と言えるだろうが、最大の利権は、同和対策事業に絡むものであろう。同和対策事業は、1969(昭和44)年に国会で成立した同和対策事業特別措置法に始まり、2002(平成14)年に終了するまで、33年間で約15兆円の国家予算が投入されたと言う。それ以外に、全国の自治体で独自の同和対策事業が行われて来たので、国と地方合わせた累計支出総額は数十兆円にものぼる可能性がある。もちろん、前述の熱海市のケースのような、同和系企業の不法事業収益は、これらとは別である。これだけ巨額の金が動くところには、議会や行政監察機関による実効性のあるチェック機能が働いていない限り、必ず利権構造が生じるものである。そして、利権構造のインナーサークル内にいる者たちにとっては、差別問題が固定化し存続している方が都合が良いのである。

 私は、差別と利権の構造を終わらせるためには、全ての政府機関や地方自治体で、あらゆる種類の同和対策事業や特別措置を終了させるべきだと考えている。同時代に生きる同じ日本人の中で、出身地によって差別も特権もあってはならない。かつての被差別部落地区に生まれた人々が、それ故に穢れていることなどあるはずもない。逆に、それらの人々が特権的利益を得ても良い道理など無い。日本各地には、かつて処刑場であった場所があるが、その辺りに住んでいるからと言って、穢れていると決めつける人がいるだろうか?個人的心情として、そのような場所に住みたくない人々はいるだろう。例えば、東京都品川区には、鈴ヶ森刑場跡があるが、江戸時代に10万とも20万とも言われる人々が処刑された地である。現在は、かつての刑場跡周辺に住宅街もあるが、その地に生まれ育った人々が穢れているとは言えない。刑場跡地であっても、長い年月の間に、人々の忌避感は次第に薄らぎ、ついにはほとんど無くなるものである。部落差別問題は、制度的にも過去の遺物にするべきであろう。そうすれば、世代交代や地域を超えた移動が繰り返されるに従い、人々の意識からも消えて行くだろう。差別問題は、資料館や図書館の中だけに残しておけば良い。

 部落解放同盟という、全国最大規模の同和団体がある。そのルーツは、1922(大正11)年に設立された、全国水平社であるとされる。彼らが全国水平社から受け継いだ、部落解放運動のシンボルとして、荊冠旗と称される旗がある。赤地の左上部分に、黒地に赤い荊の冠が配されている。1923(大正12)年にデザインされたとされる、その旗に描かれた荊冠とは、イエス・キリストが十字架に架けられた時に被せられた、荊の冠のことである。その意味は、受難の象徴であるが、それだけでなく、勝利と栄光をも表している。部落解放運動に関わっている人々は、今一度、荊冠の意味するものに思いを巡らせ、さらに進んで、キリストとその言葉に思いを向けてもらいたいと思う。もし利権と関わっているのであれば、自らを差別の中に止まらせない為にも、それを断ち切り、心に自由を得て欲しい。私たちは、誰でも神の前に罪人であり、また、誰でもキリストにより罪から解放され、真の自由を得ることが出来るからである。

「自由を得させるために、キリストはわたしたちを解放して下さったのである。だから、堅く立って、二度と奴隷のくびきにつながれてはならない」(ガラテヤ人への手紙 5:1 口語訳)
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トランプ大統領のこと(記事No.82)

 1月6日は、ちょうど1年前、トランプ大統領支持者とされる人々が、アメリカ連邦議会議事堂を占拠した事件が発生した日である。当時アメリカは、前年11月の大統領選挙において、勝利したとされるバイデン氏の支持者と、それを大規模な不正選挙の結果であり不当であると主張するトランプ氏の支持者との間で、国論を二分する対立状況となっていた。そのような緊迫した政治状況の中で発生した、議事堂占拠事件であった。事件を報じるアメリカのマスメディア、いわゆるメイン・ストリーム・メディアと言われる各社は、トランプ支持派の暴挙と決めつけ、トランプ氏が群衆を煽動したと集中砲火を浴びせた。日本の報道も、同様の論調であったが、これは独自取材能力が低い日本メディアであるから、ある意味当然であった。

 2020年アメリカ大統領選挙については、アメリカ国内外で優れた分析や公正な独立系メディアの報道が多数あることから、本記事では詳細には触れない。私としては、やはり大掛かりな不正が行われたと確信している。仮に小規模な不正や集計ミスがあったとしても、それでもトランプ氏が地滑り的な得票数で当選していたはずだ。また、議事堂占拠事件についても、トランプ支持派の暴挙に見せかけるための工作であったと、これまた確信する。選挙後にいくつかの州で、集計所などでの不正行為の現場を捉えた防犯カメラ映像が公表されたり、不正現場の目撃証言も出ている。テキサス州では、民主党運動員の中で、選挙不正行為の容疑で逮捕者も出た。しかし、バイデン側に不利な証拠や証言は、マスメディも黙殺し、司法当局も個人レベルの犯罪以上には扱わなかった。アメリカのエスタブリッシュメント旧守派が総力を挙げて、トランプ再選阻止に動いたと言える。

 トランプ大統領は、1期目の出馬以来、「Make America Great Again (アメリカを再び偉大な国に)」をスローガンに掲げて政治活動を続けて来た。また、2017年1月の大統領就任式スピーチで、「私たちは権力をワシントンD.C.から、国民の皆さんにお返しする。」と語っている。彼の公の言動は、首尾一貫しており、アメリカとその国民を愛し、特定の利権集団のためではなく、国民のための政治を行うべく努めて来たと言えよう。自分たちの利権を失うことを恐れる旧守派にとっては、再選は何としても阻止しなければならない相手であった。ここで言う旧守派とは、アメリカに寄生したグローバリストらと同義語である。あるいは、普段は愛国的な言動を現していても、アメリカ国民と、自分たちの所属する秘密組織の利害とが対立した時には、組織の側に立つ者たちである。

 昨年の今頃、私のアメリカ大統領選挙に関する見立ては、最終的にトランプ氏が当選を確定させ、2期目の大統領として就任するというものであった。その過程で、史上最大規模の大規模な不正選挙を、国家反逆行為(日本と異なり、アメリカには国家反逆罪が存在する。)と見做し、任期末期のトランプ大統領が、戒厳令を発令するとの観測もあった。表立ってそうはならなかったが、私は、トランプ氏が大統領在任中に、反乱法の発動を決し、軍に秘密裏に対処を命じた可能性が高いと考えている。ネット空間には、期待を込めて、大量逮捕について語る人々もいる。しかし、現段階では、そこまで大掛かりな頂上作戦が完遂されたようには思えない。恐らくは、罪状も証拠も明らかな反逆者らの一部が、軍の特殊部隊によって拘束され、グアンタナモ(キューバ領内にあるアメリカ軍基地、キューバは再三返還を求めているが、アメリカは拒否し続けている。)に送致され、軍事裁判で有罪を宣告されて、処刑されたものと推測する。グアンタナモは、中東などで捕らえられたアル・カイーダの構成員が、アメリカ憲法と戦時国際法のいずれの保護も受ける資格のない、敵性戦闘員として収容された基地である。

 トランプ氏の闘争は現在進行形で継続中であり、彼を支持して来た多くのアメリカ国民は、バイデン氏の大統領としての正当性を今なお否定している。アメリカ史上、これほど不人気であった「大統領」はいなかったと思う。これに対して、トランプ氏は、ケネディ大統領に次ぐ、草の根の国民的人気を今も保持している。そう、彼は、ケネディ大統領とも似た立ち位置にあると思える。1963年11月22日にテキサス州ダラスで衆人環視の中暗殺されたケネディ氏は、史上最も国民的支持を集めた大統領であった。キューバ危機に際しては、戦争覚悟で海上封鎖を行い、ソ連のフルシチョフ第一書記は折れて、核戦争は回避された。ベトナムへのアメリカ軍増派には否定的であり、アジアでの新たな戦争を回避しようとした。こうした戦争阻止の政治姿勢は、アメリカ国民にとっては歓迎すべきものであったが、当時既に軍産複合体と呼ばれていた、今で言うグローバリストらにとっては、ケネディ大統領の存在は彼らの計画にとっては阻害要因であり、暗殺してでも排除すべき人物であった。

 ケネディ氏がアメリカ大統領に選出された時、グローバリストらは、彼が自分たちの利益を擁護してくれる存在と捉えていたはずである。何故なら、ケネディ氏の家系は、もともと彼らの側に属していたからだ。この辺りの詳しい事情は、フリッツ・スプリングマイヤー氏(イルミナティなどの研究家であり、彼らの陰謀を明らかにしたため、長年でっち上げの強盗罪で投獄されていた。)の著作、「イルミナティ 悪魔の13血流」(ベストセラーズ、太田龍訳)に詳しく解説されているので、興味のある方は読まれることをお勧めする。彼らのために動いてくれると考えて、ケネディ氏の大統領選挙当選を後押ししたグローバリストら(イルミナティ構成員とほぼ重なる。)は、就任後の同氏がアメリカ国民の利益を第一に行動するのを目の当たりにし、裏切り者として、見せしめの意味も込めて公開処刑するに至ったと考えて良いだろう。家系としてはイルミナティ側であったケネディ氏であるが、第2次世界大戦では海軍士官として従軍し、魚雷艇の艇長として作戦中に、日本海軍の駆逐艦に体当たりされて沈没、自身も負傷しながらも部下を助けて無人島に上陸し救出されたという、勇敢な戦歴を有する愛国者であった。

 私は、トランプ氏も、ケネディ氏と同じく、グローバリスト側からも、ある意味育成されて、最初の大統領選挙出馬にまで至ったと考えている。もちろん、育成したと思っているのは、グローバリストの側であって、トランプ氏の方は、大富豪で金銭的援助を必要としなかったことを含め、育てられたとか、助けられたとかの認識は無かったであろう。ただし、アメリカを牛耳っている者たちの力を知っていたゆえに、彼らとの摩擦は巧妙に回避し、それゆえ、妥協的と思われることも見越した上で、大統領としての地位と権力を手にする日を待ったのだと思う。当然、敵側も、トランプ氏が初めての大統領選挙出馬を決意する頃までには、実は彼らにとっては厄介な存在であることを認識し、その当選阻止に全力を挙げたが失敗した。その苦い教訓から、再選阻止の際には、4年間周到に準備した、史上最大の選挙不正を行った訳である。

 現時点では、アメリカ大統領職にあるのは、公式にはバイデン氏である。しかし、彼は、実権はほぼ無い、お飾りの「大統領」とも考えられる。アメリカが国家としての体裁を保つためには、元首でもある大統領職に就いている者が必要なのは確かであり、そのために存在が許容されているに過ぎないのではないか。どのような外形的プロセスを経てかはまだ分からないが、トランプ氏が暗殺でもされない限り、いずれ彼が再び、アメリカ大統領に正式に就任する可能性が高いと、私は今も考えている。鍵を握るのは、アメリカ国民の粘り強い闘いと、軍の支持であろう。1989年12月のルーマニア革命において、絶大な権力を有していたチャウシェスク独裁体制が倒れたのは、民主化を求める国民の闘争に加え、軍が革命の最終段階で反旗を翻して国民の側についたことが大きい。トランプ氏は、今も多くのアメリカ国民から支持されており、多くの軍人たちからも同様に支持されていると考えられる。

 新たな世界大戦を起こしたいグローバリスト側(戦争を欲しないグローバリストがいるなら、彼らは筋金入りでは無く、目的達成のため利用されている駒に過ぎないと考える。)としては、トランプ氏が正式に大統領職に復帰する前に、何としても米露あるいは米中の戦端を開きたいところであろう。何せ、トランプ大統領は、任期中に新たな戦争を開始しなかった。これまで戦争で肥え太って来た連中にとっては、権力の座に座って欲しく無い人物である。また、エプスタイン事件のように、悪魔崇拝儀式とも結び付いた幼児に対する性的虐待や拷問、殺人などの一端が、トランプ政権下で摘発されたことも恨みに思っているだろう。もちろん、トランプ氏も、神の前には私たちと同様、弱さを持つ人間に過ぎず、スーパーマンでも無い。彼の語ること全てを無批判に受け入れるのではなく、冷静に見極めることも必要である。神を信じる多くのアメリカ国民が祈って来たように、アメリカに正しい心を持つ指導者が立てられる日が来ることを期待したい。それがトランプ氏であることを期待すると共に、その前に第3次世界大戦が始まらないことを願いたい。全ては神の手にある。

「わたしはこうつぶやいた。正義を行う人も悪人も神は裁かれる。すべての出来事、すべての行為には、定められた時がある」(コヘレトの言葉 3:17 新共同訳)
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2022年を展望する(記事No.81)

 今年も、元旦の新聞各紙には、各分野の専門家らによる1年間の予測が掲載された。中でも、経済情勢に関する予測は、各紙が必ず掲載している。人々の関心が最も高い領域であることと、多くが大企業である、広告主にも配慮しているということだろう。私としては、霊的視点から見た今年1年の展望を書くことにする。まず、示された聖句を1つ挙げたい。

「不義な者はさらに不義を行い、汚れた者はさらに汚れたことを行い、義なる者はさらに義を行い、聖なる者はさらに聖なることを行うままにさせよ」(ヨハネの黙示録 22:11 口語訳)


 端的に表現するなら、2022年は、神に反逆して悪を行う者たちは、さらにその邪悪な行いを加速させ、逆に、神を信じ善を行うことに努める者たちは、さらに信仰を深め、良い行いに励むようになるだろう。個人レベルでもそうであるし、集団レベル、国レベルでもそうなる。神をはっきりとは信じてはいないが、悪に染まるのには抵抗があるという、人数的にはマジョリティに属する人たちは、悪に惑わされて不信仰の中に留まる人々と、神に立ち返る人々とに、次第に分かれていくのではないだろうか。数の上では、残念ながら後者の方が少ないだろう。

 もう少し具体的に述べたい。個人レベルでは、昨年までに比べて、苦難や試練に直面する人が増加する。健康、経済、人間関係における問題を抱える人が多くなるだろう。特に、健康上の問題に悩まされる人々が、世界中で激しく増加しそうである。その直接的な原因は、放射能、電磁波、農薬、食品添加物、ワクチンを含む医薬品、重度のストレスなど様々であり、私たちは大なり小なり日々これらに曝露されている。自らの命と健康を守るために、能動的な防御策や解毒策は不可欠である。また、健康被害が生じてしまった場合には、神の癒しを信じて祈り求めることをするのとしないのとでは、その後の健康回復に大きな違いが現れる。私自身も神の癒しを体験したが、医者が一生治らないと宣告した病が、何らの治療を受けずに完全に癒やされて、今ではすっかり健康体である。

 次に集団レベルであるが、これについては、不法を行う集団、その構成員、特に幹部が愛に著しく欠如した集団が、激しく揺さぶられるだろう。これは、企業、官庁、学校、政党、宗教団体など、社会のあらゆる集団で見られることになろう。ブラック・カンパニーが経営危機に陥るのは、分かり易い自業自得のケースだが、世間的には優良企業と思われていた企業の、隠されていた悪事が表面化することも起こるだろう。昨年顕在化した日本大学経営トップの不祥事のような、学校が揺り動かされることも、日本で複数起こるのではないだろうか。また、宗教団体の堕落も、次々表面化すると思う。これは、日本でも海外でも同様であり、キリスト教会においても例外ではないだろう。特に、その世界的スケールにおいて、カトリック教会とプロテスタント教会における堕落は、社会的インパクトが大きい。それは、単なるモラルの逸脱だけでなく、霊的生命が失われて、教会の本質が変化するということである。堕落した教会の分かりやすい特徴は、LGBTの聖職者の公認や、同性婚の承認などがあるが、共産主義やファシズムなど全体主義の受容もそうである。不法を行う集団の一部は、揺り動かしを受けて過ちに気づき、指導者や幹部が刷新されて再興への道を歩み始める。しかし、それ以外の多くは、もはや浄化作用を喪失(初めから無かったケースもあるが。)し、破滅の一途を辿るだろう。

 国レベルでは、1つの、あるいは複数の国々のことであるから、善良な人々であっても、人ごとではない。民主制国家であるはずの、ヨーロッパ諸国や北米、オセアニアなどの諸国のいくつかでは、昨年はワクチン接種の事実上の強制策が導入された。今年は、非接種者に対する刑事罰が導入される国もあり、実際に接種強制を拒否して、刑務所に送られる人々も出るだろう。これに対して、自由を侵害する政府に抗議するだけでなく、反国民的な政府を打倒しようとする運動も激化すると思う。それにより、政府が打倒される国が出るなら幸いである。全体主義に対する民衆の抵抗力が、またかなりの力を持っていることになるからだ。しかし、どの国でも、民衆の抵抗が封殺され、看板だけ民主国家や自由主義国となっていても、実態は全体主義国となってしまったなら、既に世界は、ヨハネの黙示録が預言する患難期の入り口に到達した可能性が出てくる。これについては、患難前携挙説を信じるクリスチャンは、別の受け止め方をするだろう。なお、新型コロナ・パンデミックについては、ワクチン接種キャンペーンを中止する国々では、今年半ば迄には終息し、そうでない国々は、少なくとも来年前半頃までは終息に至らないと思われる。日本は、残念ながら、後者に該当するのではないか。人々の自然免疫力を生かすのか、それとも、失わせるかの違いである。

 今年はまた、戦争の勃発が現実となる可能性が高い。発火点は、ウクライナと台湾海峡が最も可能性が高いが、中でも前者では、今月中にロシア軍による侵攻が起こる可能性がある。後者については、起こるとすれば北京冬季オリンピック終了後であろうが、台湾はウクライナと異なりアメリカとは準同盟関係にある。中国が台湾に侵攻するならば、アメリカとの直接軍事衝突を覚悟する必要があり、敗退すれば中共政権の崩壊が現実化するだろう。私としては、中共の台湾に対する本格的な軍事侵攻は、起こるとしても、数年先ではないかと考える。台湾施政下の膨湖諸島や南シナ海にある無人島の占領など、限定的な侵攻が行われる可能性はある。ロシア軍によるウクライナ侵攻にせよ、中国軍による台湾侵攻にせよ、一旦発動されれば、いずれ米露また米中の核戦争にまで発展する可能性がある。日米同盟がある日本としては、特に中共による台湾侵攻時の局外中立は無理であり、事実上参戦することになる。個人的には、台湾は日本にとって兄弟のような国であり、アメリカと協働して台湾防衛を支援することは、軍事・外交面での不安要素があるのが気掛かりではあるが、東アジアの自由主義国として避けられない運命であると思う。核戦争に巻き込まれるのは絶対に嫌であるが、台湾が陥落すれば、遠からず日本は中共の勢力圏に組み込まれ、やがては日本人が、今のウイグル人のように扱われるようになるのは自明であり、それは同様に絶対に拒絶したい。戦争の危険については、引き続き中東も要注意であり、イスラエルやアメリカとイランとの関係も注視する必要があるだろう。

 もう1つ今年の動きで、私たちの日常生活に直結することがある。それは、食料とエネルギーの不足あるいは高騰が起こる可能性が高いと言うことである。既に、安倍政権以来の円安誘導策による、輸入食料品の調達コスト上昇を受けて、食品の小売価格や外食の価格が上がっている。今年は、この傾向がさらに加速すると思われる。日本の一般的な住宅では、食料備蓄はせいぜい数ヶ月分出来るかどうかであろう。それでも、米は精米以外に、玄米でも備蓄しておいた方が良い。良質の天然塩や味噌、梅干しなども必要であろう。エネルギーについては、個人レベルで対応できることは限られているが、住宅事情が許せば、ポータブル式の太陽光発電装置を備えて置くことが出来れば心強い。都市部では中々難しが、飲用に耐える水質の井戸もあれば、防災面においても理想的である。原油や液化天然ガスなどの輸入コストは、今年さらに上昇するだろうが、それに乗じて、原発を全面的に再稼働させようとするキャンペーンが張られるだろう。短期的には、電力供給の安定化などメリットがあるだろうが、日本列島周辺に大地震が発生する可能性が高まっていることを考えると、命よりも経済の愚かしさを繰り返す結末になるのではないだろうか。いずれにせよ、生活防衛は、ごく一部の富裕層など特権階級以外の、大多数の日本人にとって大きなテーマになる。

 ここまで概要を書いたように、今年の国内外の状況は、決して明るい展望を描けるものではない。悪魔崇拝者集団であるグローバリスト側は、彼らの邪悪な計画が、多少の抵抗は受けても着々と進捗していることに、祝杯でも上げていることだろう。その彼らの杯の中味は、酒だけでなく人間の、それも幼児の血ということも現実にある。完全に精神の倒錯した連中であるが、頭脳は明晰であり、富と権力を手中にしている。私たち民衆が、自力で個別に戦って勝てる相手では無い。しかし、数においては彼らは絶対的な少数派であり、彼らの僕であるカポのような連中を除いても、民衆の方が圧倒的な多数派である。それゆえに、彼らは民衆が真実を知り、また、団結することを恐れている。だから、メディアや情報空間を支配し、情報をコントロールしようとする。また、民衆同士が反目し合うよう仕向け、社会を分断するよう画策する。そのような、彼らの手に乗せられてはならない。私たちは、小異を捨てて、自由や人間の尊厳の固守という大同につかなければならない。そして、何よりも神を信頼して、状況に揺れ動かされず、落ち着いた生活を心がけることが大切である。

「そして、あなたがたに命じておいたように、つとめて落ち着いた生活をし、自分の仕事に身をいれ、手ずから働きなさい」(テサロニケ人への第一の手紙 4:11 口語訳)


 今年は、聖書が預言する、世の終わりに到来する患難期が始まるかどうかという、節目の年となるだろう。そうかと言って、いわゆる浮世離れした生活を送る必要は無い。そして、それぞれが神から与えられた使命(召命)と賜物を自覚し、夢とビジョンを抱いて進むことが必要である。学生ならば勉学に励み、職業人ならば勤勉に働き、家庭を守る者は小さな工夫をも怠らず、それぞれの持ち場で忠実に役割を果たして歩むことが重要である。ドイツの宗教改革者である、マルチン・ルターがこう言ったそうである。「例え明日、世界が滅亡しようとも、今日私は、りんごの木を植える」私たちは今、世の終わりが近づいているという厳然たる現実に直面している。しかし、浮き足立つことは無い。世界がどのような状況になろうとも、私たちには神が共におられるからである。

「見よ、わたしは世の終りまで、いつもあなたがたと共にいるのである」(マタイによる福音書 28:20b 口語訳)
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明けまして主の御名を賛美します!(記事No.80)

 本ブログ読者の皆様、明けまして主の御名を賛美します。昨年7月に始めた、私の拙いブログですが、皆様の存在が励みになり、どうにか継続して、新年を迎えることが出来ました。ここに、感謝申し上げます。本年も、だいたい週2〜3本のペースで記事を書いて行きますので、引き続きご愛読のほど、宜しくお願い申し上げます。預言的知恵と知識を祈り求めているとは言っても、時々、刺激の強い内容の記事もあります。吟味しながら読んでいただき、受け入れられる部分だけ頷いていただければ幸いです。皆様にとって、今年1年が良い年になりますよう、お祈りいたします。
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