さて、読者の皆さんは既にお分かりのように、故安倍元首相は、彼の支持者らが主張するような保守政治家ではなかった。彼の本質は、統一教会という反日団体と親密な関係を有する似非保守政治家であった。また、アメリカへの従属関係を深化させたという点においても、決して愛国的な人物ではなかった。それに加えて、小泉政権以来、いや、中曽根政権以来の新自由主義的政策を継承し、国民を貧しくし、国力の弱体化を進めた、「売国政治家」でもあった。この期に及んでも安倍氏を真の保守政治家と誉めそやす人々は、ポジショントークで語っているか、あるいは、本質から目を背けているかのどちらかであろう。
これまでの自公政権の政治姿勢からすると、どんなに国民多数の反対があったとしても、国葬実施は既定路線として、見直す考えは無いのであろう。そうなると、9月27日には「国葬」が実施される。それは日本にとって何を意味し、どんな結果をもたらすのか?およそ国葬とは、被葬者を国家の英傑と見做して顕彰また追悼し、その遺徳を全ての国民の記憶に留める効果が期待されるのだと思う。今回の「国葬」により、安倍氏による都合が悪い行跡については、今後政府による記憶及び記録の編集が行われることになるだろう。これまでもそうであったが、以後は、「偽りの霊」が日本国家に、より強力に巣食うことになる。
また、ここでも、安倍氏と統一教会の密接な繋がりがキーポイントとなる。反日カルト団体の統一教会の背後には、彼らを動かす悪霊たちが存在している。仮に、それらを総称して「統一教会の諸霊」と言おうか。安倍氏の「国葬」は、その「統一教会の諸霊」の悪しき働きを、国家的に追認することにもなる。単に統一教会の数々の悪行が免責されるだけでなく、それらに承認を与えることになるのだ。これは、決して深読み過ぎということでは無いと思う。何故なら、人と人との間でも、組織と組織の間でも、親密な関係が存在するなら、少なくとも、そこには信頼や友好が伴う。逆の場合には、不信や敵対がある。安倍氏の場合には、たとえ当人が意識していなかったとしても、「統一教会の諸霊」と親密な関係が存在していたはずである。
このままでは、安倍氏「国葬」を契機に、日本に働く悪霊共の働きがより活発になるだろう。それらは、安倍氏が十分には成し遂げられなかった、日本弱体化の旗振り役を誰かに受け継がせ、この国をさらに下降させ堕落させるだろう。「国葬」は、悪霊共がそのための足場を固める契機になるだろう。国民多数の反対の声を聞かずに、「国葬」をごり押ししようとする、岸田首相を始めとする政権幹部らの罪は重い。結局のところ、彼らもまた、悪霊共の強い影響下にあるのだろう。やはり、統一教会と創価学会というカルトの支援を受けているだけのことはある。安倍氏は、日本を衰退させた政治家であったが、「国葬」には、その政治姿勢や政策が後継者たちに受け継がれるという、宣言の意味もあると思われる。
「あなたの目も心も不当な利益を追い求め 無実の人の血を流し、虐げと圧制を行っている。 それゆえ、ユダの王、ヨシヤの子ヨヤキムについて 主はこう言われる。だれひとり、『ああ、わたしの兄弟 ああ、わたしの姉妹』と言って彼の死を悼み 『ああ、主よ、ああ陛下よ』と言って、悼む者はない」(エレミヤ書 22:17-18 新共同訳)
現時点では、ほとんど実施が不可避となったような「国葬」であるが、土壇場で中止となる可能性が全く無い訳ではない。その場合は、神の超自然的な介入により政権に恐れが生じるケースと、大地震などの大規模な自然災害が起きるケースとが考えられる。後者の場合は、神の裁きと言うよりも、警告と国家的悔い改めの促しのため、あえてそれが許されるということであろう。私としては、岸田首相ら国家指導者たちが、これ以上愚かな選択を続けないように祈りたい。