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イスラエル発世界の危機(記事No.159)

 かつて世界の火薬庫とも言われた中東で、ついにまた本格的な戦端が開かれた。10月7日、パレスチナ抵抗組織ハマスは、ガザ地区より5,000発以上とされるロケット弾や砲弾をイスラエル領内に向け発射した。これまでの同種の攻撃と異なり、今回は同時に地上や一部は海空からも戦闘員がイスラエル側に侵入し、民間人を含む多数を殺害または拉致した模様である。これに対して、イスラエル軍は翌8日にガザ地区に大規模な空爆を実施し、数百人が死亡したと言う。イスラエルのネタニヤフ政権は、事態を戦闘の域を超えた戦争状態と宣言し、ガザ地区に対する地上侵攻の構えを見せている。

イスラエル政府の公式発表や報道で伝えられている通りであれば、ハマスによる大規模な奇襲攻撃が敢行され、イスラエルは虚をつかれた形である。しかし、世界有数の実力を有する情報機関を持つイスラエルが、ハマスによる大規模攻撃の準備を察知出来なかったはずは無いと思う。ハマス内部にもイスラエルのスパイや協力者が浸透しているのは当然であり、高位の幹部にもイスラエルのスパイがいる可能性が高い。となると、イスラエルは、ハマスの計画を知っていながら、あえて先に手を出させたのであろう。その目的は、これを機にハマスを完膚なままに叩き潰してパレスチナ人の抵抗意思を挫くことか、あるいは、ハマスを支援する「宿敵」イランとの緊張をエスカレートさせ、同国との戦争の道筋を付けることか.。様々な意図が考えられるが、イスラエル政府とその背後のグローバリスト集団が戦争を望んでいたのは確実であろう。

 なぜ、彼らは戦争を望んでいるのか?理由の1つは言うまでもなく、戦争が莫大な金儲けの絶好の機会であるからだ。ウクライナ戦争などは、分かりやすい実例であろう。今般の戦争で最も潤っているのは、米英を中心とした西側諸国の軍需産業であり、エネルギー産業なども同様である。もう1つの大きな理由としては、権力者ら、特にグローバリスト集団にとって、自分たちの支配を強め拡大するために利用出来るからである。一国単位の独裁者は別として、彼らの最終ゴールは、世界の支配を確立し、世界統一国家を樹立することである。その暁には、全ての宗教は廃止され、悪魔崇拝が唯一の宗教となる。悪魔崇拝者のグローバリストらが目指しているのは、そのような世界であり、その目的達成のために彼らは過去2回の世界大戦を起こして来た。彼らが3回目の世界大戦を起こそうとしているのは、もはや明白であろう。

 間違えてはならないが、戦争を渇望するのは、多くの場合、それにより利益を得る権力者や大資本家のような人々であり、一般大衆では無い。だが、現状にあまりにも希望が持てない状況が長く続く場合、あるいは、他国に対する憎悪を抱くように洗脳された場合には、一般大衆も戦争を望むことがある。イスラエルとパレスチナの双方の大衆にも、戦争を望んでいた人々も少なからずいたであろうが、戦争は起きて欲しくなかったというのが、多くの人々の本心であったと推察する。なぜなら、兵士として動員されるのも、空爆で被害を受けるのも、権力者ではなく一般大衆であるからだ。

 ハマスによるイスラエル攻撃自体は、民間人も攻撃し、拉致したりと、戦争犯罪に該当する。アラブ諸国を除く国際社会が、今回の侵攻を非難するのは当然である。だが、彼らに存在理由を与え、「育成」して来たのは、イスラエルの側である。すなわち、イスラエル政府のパレスチナ人に対する、長年の差別的、抑圧的な政策が、彼らに民衆の支持を与え、イランやアラブ諸国からの支援を得させる理由を与えて来たのだ、私自身は、基本的に親イスラエルの立場ではあるが、それでも、彼らの政府によるパレスチナ人抑圧政策は間違っていると思う。イスラエル人が本当に平和な社会に暮らしたいのであれば、パレスチナ人に対する迫害を止め、共存政策へと大転換するしか道はないと思う。歴史的に幾多の迫害や差別を経験して来たユダヤ人は、虐げられる者たちの痛みを知っているはずであるが、パレスチナ人に対しては心を鬼にできるのはなぜか?恐らくは、長年そのように洗脳され誘導されて来たためであろう。
「また、戦争と戦争のうわさとを聞くであろう。注意していなさい、あわててはいけない。それは起らねばならないが、まだ終りではない。 民は民に、国は国に敵対して立ち上がるであろう。またあちこちに、ききんが起り、また地震があるであろう。 しかし、すべてこれらは産みの苦しみの初めである」(マタイによる福音書 24:6−8 口語訳)

本記事の最後に、聖書の預言を信じるクリスチャンとして、どうしても挙げておきたいことを書く。プロテスタント福音派など保守的な神学に立脚するクリスチャンの多くは、現在のイスラエルを聖書が預言している終末時代に再興されるユダヤ人国家と同一視している。だが、それはかなりウルトラC的な聖書解釈に基づいていると言えよう。私は、現イスラエル国家は人造国家であり、それを造り出したのはロスチャイルドであったと考える。現在においても、イスラエル政府の背後にいるのは悪魔崇拝者らを中心とするグローバリスト集団ではないだろうか。彼らにとっては、イスラエルは重要な駒であり、第3次世界大戦を引き起こす上での役回りを演じさせたいのであろう。長年の対パレスチナ政策や今般のハマスによる侵攻も、その文脈で捉えると合目的性がある。クリスチャンとしては、無自覚の内に彼らの目的遂行に協力してしまうことがないよう、神からの知恵を求める必要があるだろう。特に、エルサレム「第3神殿」の建立などには、間違っても支持を表明してはならない。仮に、建物としての神殿が「再建」されたとしても、それは聖書の教える神の神殿では無い。私たちは、「惑わしの霊」に欺かれないよう、知恵と分別を持って、この時代を生き抜いて行こうではないか。
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霊の父の召天(記事No.158)

アメリカ時間の去る9月19日、私の霊の父であるイリエ・コロアマ師召天の報に接した。イリエ師は、本ブログの開設挨拶で触れた、私の霊的カバーであるルーマニア系クリスチャンである。同師は、第2次世界大戦中の1940年2月29日にルーマニアで生まれ、その後共産主義国家となった中で信仰者として生きた。命が狙われることを含め数々の迫害を通ったが、1974年10月9日、ルーマニアから出るようにとの神の声を聞き、光に導かれて奇蹟的に国を脱出した。その後、家族も無事国外に脱出して合流し、共にアメリカに移り住んだ。共産主義体制崩壊後のルーマニアでは、孤児院を設立し、多くの孤児たちを育て上げた。幼い頃から、日本への重荷を与えられ、不信仰な大人たちは嘲ったが、神の時にビジョンは実現し、数十年に渡り日本のためにも働いて来られた。

 イリエ師の働きは、本拠地としたアメリカや母国ルーマニアに留まらず、ヨーロッパ諸国やイスラエルにも及び、日本を含めた各国に多くの弟子たちや霊の子供たちを産んだ。私たち夫婦も、彼の霊の子供の一人である。彼を通して、私は、フィリップというクリスチャン・ネームを与えられた。ちなみに、妻に与えられたクリスチャン・ネームはヨハンナである。イリエ師と個人的に親しくなったのは10数年前からであったが、以後は来日するたびに、当時の東京都下での私たちの小さな開拓教会でも奉仕をいただき、また、2度ほど、私たち家族4人と一緒に1泊の箱根旅行を楽しんでいただいた。私の唯一の霊の父であり、子供たちにとっては、霊の祖父であった。

 私が最後にイリエ師と会ったのは、2018年10月に、同師のアメリカにおける本拠地であったミズーリー州で開催された聖会でのことであった。前年に心臓病で死の淵にあった私だったが、イリエ師によって与えられた預言によって奇蹟的な癒しを体験し、その約1年後には1人で渡米出来るまでに健康が回復していた。その証詞も含めて、聖会に参加したのだが、聖会の後にはイリエ師の自宅にも泊めていただき、良い時を過ごすことが出来た。その後、2020年初頭からの人造パンデミックにより、同年の聖会は中止となり、2021年からは再開されたものの、アメリカ政府の誤ったワクチン入国規制により訪米が叶わず、今年11月の聖会に高校生の次男と共に参加すべく、航空券を購入したところであった。今更ながら、私たちを含めて、世界中の多くの人々の自由で安全な往来を妨害して来た、悪魔の手先どもの邪悪さには憤りを禁じ得ず、彼らに神の裁きが下されることを切に願う。

 それはそうと、イリエ師が幼い頃より日本への重荷が与えられ、日本のために祈って来られ、また、過去30年以上に渡り日本の教会のために奉仕されて来たこと、それは実に偉大なことであった。日本の教会、日本人のクリスチャンたちは、彼の働きを通して、どれほど大きな恵みに与って来たことか。イリエ師が活躍の場を置かれた新約教会の流れは、教勢の面では決して大きな集団ではなく、まして、プロテスタント主流派からは存在さえも知られていないようなグループである。私たちの流れは、ペンテコステ・カリスマ派に分類される多くのグループの1つでしかない。だが、そこには、豊かな神の霊の臨在と、何よりも神の愛の現れがあった。イリエ師のような預言者や使徒たちの働きも素晴らしかったが、現象よりも、溢れ出る神の愛が集う人々を惹きつけて来たのだと思う。私などは、あえて卑下せずとも、末端の働き人の1人でしかなかったが、それでも、この流れに加えられたゆえに、神に感謝している。

さて、イリエという名前は、ルーマニア語でエリヤのことである。まさに、名は体を表すの諺通りであったが、神がエリヤの後継者としてエリシャを召されたように、イリエ師の後継者となる預言者も既に備えられていると思う。それは日本人で無いことは確かだが、イリエ師の子供の1人かアメリカ人の同労者の中の1人なのかも知れない。世の終わりが迫り来るなか、いずれは、日本人の使徒、預言者も起こされるとは思うが。
「しかし、神が光の中にいますように、わたしたちも光の中を歩くならば、わたしたちは互に交わりをもち、そして、御子イエスの血が、すべての罪からわたしたちをきよめるのである」(ヨハネの第一の手紙 1:7    口語訳)
 この地上で再びイリエ師と会えないことは悲しく寂しいが、彼が私たちに対して願っていることは、彼の死をただ嘆き悲しむことではなく、彼の生涯がそうであったように、光の中を歩み続けることである。今、私が思うことは、いつの日か天の御国で再会するその日まで、偉大な霊の父に恥じないように生きたいということである。
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常識は疑ってみるもの(記事No.157)

 本ブログを約3ヶ月も休載してしまい、読者の皆さんには申し訳なく思う。ほとんど忘れ去られてしまったと思いつつも、どうにか再開することにしたい。この間、記事をアップしなかった最大の理由は、何か書けば悲観的な内容の記事になってしまうことで、せっかく読んで下さる方々に対して、希望を閉ざすようなメッセージを送ることが嫌だったからである。つまり、世の中の動きに目を向けるなら、それほど末期的な酷い状況が展開されているということになる。そのような中にあって、私が今どうしても発信したいメッセージを、最近のエピソードを交えて書くことにする。

 さて、去る7月下旬のこと、旧知の牧師に頼まれ、京都を訪れたクリスチャンのオーストラリア人夫妻を一日車で案内した。彼らは、イスラエルの失われた10部族(支族)の研究者であり、オーストラリアとインドに宣教拠点を持ちながら、諸国を訪問して10部族の痕跡を探していると言う。今回の来日では、京都に次いで東京を訪れるとのこと。私たちは、彼らを秦氏ゆかりの広隆寺や三柱鳥居で知られる蚕ノ社などに案内した。当日は、酷暑であり、ガイド役の牧師は80歳くらい、オーストラリア人夫妻は70歳前後ということもあり、午後3時頃には見学を切り上げた。ご主人の方と牧師はそれぞれ次の用事があるとのことで京都駅まで送ったのだが、夫人の方はまだ少し時間があるので残ると言う。さて困った、話が合うかなと思ったが、取り敢えず涼を取ることを兼ねてカフェに入った。案ずるより生むが易しとは言ったもので、何と話が大いに盛り上がり、久しぶりに知的好奇心が刺激され、良い時を持つことが出来たのである。

 ブログで名前を公開する許可を得た訳ではないので、仮にM姉妹と書いておきたい。M姉との会話は、失われた10部族の話を皮切りに、聖書の話から国際情勢の話まで多方面に及び、ほとんどのテーマで認識が共通する点があったのも驚きであった。M姉の母国であるオーストラリアは 本ブログ2021年12月6日付記事「風前の灯となったオーストラリア(記事No.70)」でも書いたように、新型コロナ流行対策の名目で、政府が国民に対して強権的にワクチン接種を進めるなど、民主主義の衣の下に全体主義の鎧が見えたような国である。ロックダウン期間中は、特にワクチン非接種者に対しては厳しい行動制限が課され、規制に違反すると逮捕され投獄や高額な罰金を科せられるなど、人権無視の過酷な状況であった。このことに関して聞くと、彼女はワクチン接種やロックダウンが進められていた期間、子供たち家族を呼んで、ほとんどの時間共に自宅に篭り、ワクチン接種も拒否したそうである。食料などは大量に備蓄しながら、抵抗の意思を同じくする近隣の人々と融通し合って凌いだとのこと。クリスチャンも、サバイバルのための実際的な備えが必要不可欠であることを、改めて思わされた。

 M姉との1時間半ほどの充実した会話の中で、世の終わりとも密接に関係するテーマについても話が弾んだ。その内の1つを、ここに紹介したい。終わりの時に回復されるイスラエルと、現在あるイスラエル国家のことである。聖書には、世の終わりの時に、世界中に散らされたユダヤ人が再びイスラエルの地に集められるという預言がある。ユダヤ教では、超正統派とされる人々を除き、1948年に建国されたイスラエルを旧約聖書預言の再生ユダヤ人国家(あるいは回復されたイスラエル全家)と同一視してる。クリスチャンの中でも、プロテスタント福音派や保守派(多くの場合は重なる)と位置付けられる人々は、同様の認識である。彼らは現イスラエル国家の誕生を、旧約聖書の預言者たちの預言や、新約聖書のイエスの預言の成就であると考えている。これについては、世界の終末に関わる非常に重要な事柄でもあるので、私は、この点についての自分の理解をM姉に話し、彼女の見解を問うてみた。私の理解とは、現イスラエル国家は人造国家であり、聖書で預言された終末の時に神によって再生されるイスラエル全家とは違うというものである。日本でも、多くの著名な牧師たちが現イスラエル国家は聖書預言の成就であると教えているため、私のような者が異論を唱えても相手にされないし、聖書解釈が誤っていると言われるのが関の山である。

 私の質問に対するM姉の回答は、驚くべきことに、全く同じ理解であると言うものであった。ユダヤ教超正統派の人々が、メシア来臨(ああ、彼は2,000年前に既に来られているのに!)が無ければユダヤ人国家の再建はあり得ないと信じているように、M姉も私も、終末時代に起こるとされるユダヤ人の民族的回心がイスラエル全家再生の必要条件であるとの見解で一致していたのである。その時、イスラエルの全12部族が再び1つにされ、彼らは皆、メシアであるイエスを信じる者たちとされ、同じくイエスを信じる異邦人らと共に、天の御国の相続人となる。これが、M姉と私の共通認識であった。これに対して、現イスラエル国家(世俗国家)を聖書預言の成就と理解する人々は、1948年の同国の成立は、2段階で進むユダヤ人国家の再建の第1段階であると考える。すなわち、最初は、メシアへの回心無き国家再建であり、それは神の憐れみにより許される。そして、国家再建後に、ユダヤ人の回心が漸進的に進み、やがては全てのユダヤ人がメシアを受け入れ、ここに第2段階として、名実ともにユダヤ人国家の再建が成し遂げられる。国家としてのイスラエルの再生は、2段階のステップを踏むと言うのだが、似たような話があると思われないだろうか?そう、世の終わりの時に起こると預言されている、キリスト再臨と信者たちの携挙である。携挙が起こることは間違い無く聖書預言であるが、その時期については諸説がある。前述の福音派あるいは保守派の人々の多くが、患難期前携挙説という解釈に立っており、それは再臨と携挙は患難期直前と患難期直後の2段階で現されるというものである。この説も、現イスラエル国家が聖書預言の成就であるという理解と同様に、多くの牧師たちが確信的に教えていることであり、広くキリスト教界に受け入れられている考えである。
「わたしはあなたがたを諸国民の中から導き出し、万国から集めて、あなたがたの国に行かせる」(エゼキエル書 36:24 口語訳)

 実は、患難期前携挙説というのは、比較的新しい教えである。知られているところでは、1830年頃にイギリス人の牧師・神学者であった、ジョン・ネルスン・ダービ(1800年- 1882年)が提唱したとされる。患難期前携挙説は、初代教会の指導者(教父とも呼ばれる。)たちも信じていたと主張する人々もいるが、教父らがキリスト再臨が切迫していると信じていたことが、イコール2段階の再臨及び携挙を信じていたことを意味するものではない。キリストの再臨が2段階あるというのは、聖書の言葉そのものではなく、聖書解釈の1つであり、19世紀に登場した教えである。現イスラエル国家の成立が聖書預言の成就であるとの教えに至っては、当然ながら、1948年に初めて世に出た新しい教えである。なお、その註解付聖書により患難期前携挙説を世に広めることに「貢献」した、アメリカ人牧師サイラス・インガスン・スコフィールド(1843年 - 1921年)は、シオニストらからの資金援助を受けていたと言われるが、彼の教理的流れに属する人々は、しばしばクリスチャン・シオニストとも称され、現イスラエル国家を聖書預言の成就と見做す教理を有している。つまりは、本記事で挙げた2段階のプロセスがあるとする2種の教えは、同根と言っても過言ではないと思う。それらに共通していることは、明瞭な聖書の言葉そのものではなく、聖書の解釈によって導き出された教えということである。果たして、それらは、真理と断じて良いものだろうか?少なくとも、各自で再考してみる必要があるとは思う。
「人々が健全な教に耐えられなくなり、耳ざわりのよい話をしてもらおうとして、自分勝手な好みにまかせて教師たちを寄せ集め、 そして、真理からは耳をそむけて、作り話の方にそれていく時が来るであろう」(テモテへの第二の手紙 4:3-4 口語訳)

 私たちは、子供の頃から様々な「常識」を身に付けながら人生を歩んで来た。それら数え切れない「常識」の中には、マナーや礼儀など、文化的差異はあれども、それぞれが属する社会を生きる上で当然に備えるべきものもある。いわゆる常識人であることは、周囲の人々と良好な人間関係を築くために、また、他者との不要な摩擦を避けるためにも望ましいとは思う。だが、「常識」を全て無批判に受け入れることには問題がある。なぜなら、「常識」が常に正しいとは限らないからだ。前述のイスラエル国家や携挙の話も、たとえ著名な牧師や神学者の教えであっても、「本当だろうか?」と疑問を抱いてみることが必要ではないだろうか。もちろん、私のブログ記事の内容についても同様である。ただし、ここでは、あまり常識的なことは書いていないとは思うが。
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サミット、そして戦争(記事No.156)

 広島でG7サミット(主要7ヶ国首脳会議)が開催されたが、バイデン米大統領ら各国首脳に加え、ウクライナのゼレンスキー大統領の参加も話題を呼んだ。マスコミ各社の論調は、ゼレンスキー氏の参加も含めサミットの結果を評価するものがほとんどである。その文脈の中で、核被爆都市である広島でのサミット開催は、核兵器廃絶を目指す上での重要なステップになったとしている。だが、今回のサミットの本質とは、ウクライナの対ロシア戦争への支援継続の確認であり、ゼレンスキー氏に対する督戦ではなかったか。中国に対しては、西側諸国として当然の懸念を示しただけであり、東アジアの緊張を殊更高めるような具体的施策が打ち出されなかったのは幸いであったと言えよう。

 それにしても、2016年5月のオバマ大統領の広島訪問と同様、今回のバイデン大統領の訪問も舐められたものである。現職のアメリカ大統領が戦争犯罪としての原爆投下を謝罪するはずもなく、にもかかわらず広島訪問を歓迎することは、アメリカの原爆投下について、日本も国際法的に合法な戦闘行為であったとして認めていることを意味する。敗戦国の悲哀であるが、前回の安倍首相も今回の岸田首相も、日本人としての矜持が無かったことは証明された。それだけでなく、G7首脳が改めてウクライナ支援を誓い合った訳で、ロシアに対する決起大会の様相を呈していたのが実態であろう。日本を交えてそこまであからさまに話し合ったかは分からないが、あるいは、ロシアとの核戦争も辞さずくらいは話題に上ったかも知れない。いずれにせよ、本来は決して広島で開催すべきで無かった、対ロシア戦争推進サミットであったと思う。

 これまでも度々本ブログで書いてきたように、ロシアと米英を中心としたNATO諸国との対立は、最終的に核戦争へと発展する可能性がある。現在のウクライナによる代理戦争が直接対決に移行した場合、緒戦でNATO軍は大敗すると考えられる。テレビに登場するようなコメンテーターや軍事専門家らは、ウクライナ優勢でほぼ一致しているが、私の見立ては逆である。彼らは、これまでロシアが、空軍の本格的な投入をして来なかったことを、軍用機の稼働率や搭乗員の練度が低下しているなどと説明しているが、噴飯物の解説である。私は、ロシアが空軍主力を投入していない本当の理由は、彼らが来るべきNATO軍との直接対決に備えて空軍戦力を温存しているからだと見ている。実際は、今でもロシアは世界で最も強力な空軍力を有している。陸軍と核戦力も同様であり、アメリカが優位なのは海軍力と輸送能力(戦力投射能力)だけである。西側諸国の政府発表や報道だけを判断材料にするなら、ロシアの軍事国家としての真の実力を見誤ってしまい、気づいた時には既に手遅れとなるだろう。

 ここで、2022年3月27日付本ブログ記事「ネオナチ勢力に味方する愚(記事No.98)」で書いた内容を、引用聖句を含めて一部再掲したい。

「獅子がうなり、熊が襲いかかる。神に逆らう者が弱い民を支配する」(箴言 28:15 新共同訳)

 「これは、この聖書箇所の一般的な解釈そのものではなく、また、現時点では預言的示しでもなく、私の個人的な超意訳に過ぎない。歴史的に、獅子とは中国のことを指す。(中略)熊は、伝統的にロシアを表す動物である。(中略)現在、欧米諸国と歩調を合わせて、ロシアに対する敵対行為スレスレの行動に出ている日本の近未来を思い巡らしていた時、この聖句が思い浮かんだ。そして、中国が日本を威圧し、ロシアが限定的であったとしても、軍事的に日本に攻撃を加え、弱小国日本は、衰退途上であるアメリカの助けも得られずに、彼らの勢力下に組み入れられてしまうことを想像した。これが、単に私の空想が飛躍したに過ぎないことを願いたい。世の中には、ロシアとウクライナとの紛争が早期に終結することを願わない人々がいる。ネオナチをもコントロールしている彼らは、米露核戦争と第3次世界大戦を引き起こそうとしている、人間性を喪失した、悪魔崇拝のグローバロストらである。実際的な戦争の背後には、霊的な戦争があるのだから、日本人は霊的に目覚めないと、このままでは悲劇的な未来が待っているだろう」

 ウクライナ戦争の行き着く先は、ロシアとNATO諸国との間の核戦争であり、第3次世界大戦である。それが勃発するなら、日本国内の米軍基地や主要自衛隊基地も確実に攻撃目標になる。ロシアは、ソ連時代より、ヨーロッパと東アジアの同時2正面戦争を戦う準備をしており、遅くとも1975年にはその能力を確立している。ヨーロッパでの核戦争が起これば、同時に東アジアにおいても核戦争が起こることは必然である。何故、こんな状況にまで至ってしまったのか?これも、繰り返し本ブログでも書いてきたように、この世界には、戦争と殺戮を切望する者たちが存在する。彼らは諸国において、権力の座にあったり、巨万の富を有して、各方面に強い影響力を有している。今日において、イルミナティ、カバール、ディープステートなどと呼ばれる連中であり、グローバリストの悪魔崇拝者集団である。彼らは、世界支配を完成させるためには、人口の大幅削減と大衆管理の強化が不可欠であると信じており、戦争もそのための有力な手段に過ぎない。どうせ死ぬのは、彼らから見たら家畜と同様の大衆=下層民だけであり、彼らはむしろ焼け太るのだ。

 日本は今、1945年の敗戦以来最大の、滅亡の危機に瀕していると言えるだろう。株価に一喜一憂しているような場合では無く、まして、芸能ネタで盛り上がっている場合では無い。例えば、故ジャニー喜多川がゲイの性犯罪者であったことを今更大きく取り上げることは、政府にとって国民に知られたくないことへの煙幕に過ぎないと思う。日本人は、今目覚めなければ、次に目覚めるのは陰府(黄泉)の中ということにもなってしまう。戦争以外にも、日本滅亡のトリガーとなり得るものとして、巨大地震、原発事故、経済崩壊などが考えられ、どれが最初に起こるかは現時点では分からない。だが、2、3年以内に、戦争か、あるいは、これらいずれかの事態が発生する可能性が非常に高いと思う。日本人の一人として、自分の母国が滅亡することは悔しく残念でならないが、これも国家的、民族的な霊的覚醒の前に通らなければならない道なのだろうか。今回の「戦争推進サミット」により、改めて日本が危機的状況にあることを認識させられた。読者の皆さんは、この状況をどう思われているだろうか?
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京都の真実(記事No.155)

 私は、これまで本ブログでも書いてきたように、世界が終末へと向かっていることを日々実感しており、いつもそのことを考えてしまう。家族にも、日常的にその種の話をするので、高校生の次男などは、私が話し始めると、その先何を話すか分かっているという顔をする。自分でも、世界のことや日本のことなど考えずに暮らせれば、少しは気が楽なのかと思うが、それが出来ない自分を受け入れるしか無い。今回の記事では、国際情勢や社会問題などに直接関係する話ではなく、今住んでいる京都について、社会的、また霊的状況について、その真実を少し書いてみたい。

 まず、社会的な状況であるが、言わずと知れた古都であり、国際的観光都市としての京都の実相である。多くの日本人は京都に対して、どちらかと言えば肯定的なイメージを抱いていると推察する。先月、文化庁が京都に移転して来たが、古くから豊かな文化が培われて来た都市というイメージがあるとは思う。国内外からの観光客も多く、最近では、いわゆる旅割、全国旅行支援制度が開始されて以来、特に昨年11月くらいから、国内観光客数が急激に回復している。また同様に、新型コロナ対策入国規制の緩和と大幅な円安により、外国人観光客が激増しており、京都駅のタクシー乗り場などは彼らで長蛇の列になることも珍しくない。京都人の中には、京都が魅力あふれる都市であるから、国内外の観光客を惹きつけると思っている人も多いのであろうが。確かに、観光客として、少し多めの小遣いを持って遊びに来るなら、観光名所巡り、グルメ、買い物と楽しく過ごせること請け合いである。

 しかし、これまで3年間、実際に住んで来た者として、率直な感想を言えば、京都は、その歴史ゆえに観光名所の多い、地方大都市の一つというのが実相であると思う。民度も、日本の他の諸都市と同レベルであろう。あえて具体的には書かないが、利権構造があるのも、スケールの違いは置いても同様である。生まれてから一度も京都を出たことの無い人々の多くは、京都が一番素晴らしい街だと思っているのかも知れないが、考え方は自由ではあるものの、「井の中の蛙」という諺を思い浮かべてしまう。実際には、約144万人(2023年4月京都市推計)の人口の内、15万人ほどが大学生と言われるなど、若い世代を中心に市外からの転入者も多いので、先祖代々からの生粋の京都人は、いずれマジョリティの座を降りることになるかも知れない。有名な寺社も多く、茶道や華道、美術や工芸なども盛んであり、豊かな文化があることは確かである。だが、その実態は、伝統行事を含め、結局は「金目でしょ。」の世界ではないだろうか。京都を特にディスっているのではなく、金が価値の最上位にあるのは、現代日本の他の諸都市と同じという意味である。まあ、これらを踏まえた上で住むのであれば、そこそこの環境の都市ではあろう。ただし、間違っても、誰もが憧れるような、万人にとって快適な都市ではないとは言えるが。

 次に、霊的な状況であるが、これは、社会的状況以上に、奥が深い事柄である。数ヶ月前に、京都で20年近く牧会している牧師と会った時、何か霊的覆いがあるように感じるとの話を聞いた。私も、現在の京都は、霊的には、雲で覆われているような状況ではないかと思う。ただし、これも多くの日本の都市に共通している状況であり、国全体としてもそうであると思う。私の聞く限り、京都の有名寺社の多くは(ほとんど全てか?)、宗教活動よりも観光収入(拝観料等)で財政を維持しているようである。個々の寺社や信仰者の中には、天台宗の千日回峰行に象徴されるように、熱心に信心している人々もいるだろうが、総体的には、伝統的な仏教や神道の中に、宗教的情熱がどれほど残っているのか、疑わしいところである。そうは言っても、およそ宗教と名のつくところには、何らかの霊が働いていることも事実であり、京都の霊的状況としては、決して多くの人々を幸福にするような結果をもたらしてはいない。前述のように、これは京都に限った状況ではなく、日本全体に共通した状況であり、宗教のみならず、社会のあらゆる領域に、悪霊の働きが程度の差こそあれ存在している。例えて言えば、厚い雲が太陽を覆い隠すように、悪霊の働きが、人々の魂に覆い被さり、真の神の姿を人々が知り得ない状況ではないかと思う。

 だが、京都は、初めから今のような霊的状態であったのではない。今でもその残滓が残っているように、元来は開明的な国際都市であったのが京都である。本ブログ記事No.154「熊本バンドの精神は何処に」でも、明治初期に新島襄が京都の地に同志社英学校を開いたことに触れたが、それを受け入れる精神的土壌があったからこそである。また、徳川幕府がキリスト教禁教令を出す前は、京都ではキリスト教宣教が活発に展開されており、市街中心部には南蛮寺と呼ばれたキリスト教会が建設され、市中には多くのクリスチャンが所在していた。1597年に豊臣秀吉の命により26人のクリスチャン(日本人信徒20名、外国人宣教師6名)が長崎・西坂で処刑された時、その内の24名は京都で捕縛されている。さらに遡れば、平安京の時代から、京都は、日本列島東西の交通の結節点であり、人々、物資、情報、文化、宗教などが交わる所でもあった。特に平安時代前期には、海外から多くの渡来人が集まり、国際都市の様相を呈していたようである。

「多くの牧者たちはわたしのぶどう畑を滅ぼし、わたしの地を踏み荒した。わたしの麗しい地を荒れた野にした」(エレミヤ書 12:10 口語訳)


 現在の京都の霊的状況とは、最深部の岩盤の上に、時代の流れの中で、幾層もの地層が折り重なり、当初とは全く異なる風景が現れているようなものであろう。都市とは人為的に築かれたものであるから、建物に例えるならば、最初に据えられた土台の上に、設計通りの建物が造られたが、やがて増改築が重ねられるに従い、建築士の設計図とは似ても似つかぬ建物に変わってしまったようなものである。今となっては、建築当初の記憶は忘れ去られ、異なる物語によって建物の歴史が語られているようなものだ。それでは、京都の街の起こりは、どのようなものだったのか?そこに、本来の京都の霊的姿があったはずである。

 本ブログ読者の皆さんの中には、既に答えを知っておられる人も少なくないと思われるので、勿体ぶらずに結論を書きたい。794年に後に京都と呼ばれる平安京が造られた時、桓武天皇の命を受け都を造営したのは、渡来人集団の秦氏(はたし、はたうじ)であった。秦氏は、景教徒(ネストリウス派キリスト教徒)であり、数万人かそれ以上の規模で朝鮮半島から波状的に渡来したが、現在の朝鮮民族(韓民族)とは異なり、そのルーツは古代イスラエル人との説が有力である。彼らは、建築、土木、冶金、機織、言語、芸術など多方面に渡り高度な技術や知見を有していた。豊富な財力をも有していた彼らは、一族が集住していた山城国(山背国)の地に新たな都を建設した時、単に物質的な新都市を建設したのではなく、その地に霊的な土台をも据えたのである。その証拠に、唐の都・長安を模したと言われる碁盤の目の都市デザインは、その実、十字架の形に造られたのである。すなわち、街区は長方形のブロックと正方形のブロックとから形成されているが、長方形のブロックだけを抽出すると、そこにはT字形の十字架が現れるのだ。十字架の頭に相当する位置には、天皇の住居である大内裏が置かれていたが、そこはかつて秦河勝の住居があった所である。イエス・キリストの十字架で、罪状書が掲げられていた位置に相当する所には、「元稲荷」神社が置かれたが、「稲荷」とは、『INRI」すなわち、「ユダヤ人の王、ナザレのイエス」(Iesus Nazarenus Rex Iudeorum)のラテン語の頭文字に由来する言葉である。これについては、聖書解説者の久保有政氏が、その著作やYouTube動画などで詳しく解説されているので、興味がある方は是非調べていただきたい。なお、現在の京都の碁盤の目部分は、豊臣秀吉が大幅に都市改造を行った時に造営されたもので、平安京とは場所自体も異なっている。

「なぜなら、すでにすえられている土台以外のものをすえることは、だれにもできない。そして、この土台はイエス・キリストである」(コリント人への第一の手紙 3:11 口語訳)


 聖書の原則では、何か物事が最初に始められた時、それは霊的にも土台が据えられたことを意味している。前述のように、京都は秦氏が平安京を造った時、その霊的土台が据えられたが、それは誰も動かすことが出来ないのである。平安京という名称自体にも、その事が表されている。平安京とは、読んで字の如く、平安の都=平和の都である。同じ意味の名称を持つ都市が、古代より現在に至るまでに西方にもある。それは、イスラエルの地にあるエルサレムである。「エル」はヘブライ語で「神」を表し、「サレム」は「シャローム」即ち「平和」の意味である。秦氏は、平安京を東のエルサレムとすべく造営したのではないだろうか。そして、その土台は、イエス・キリストへの信仰であった。そうなると、戦国時代から江戸時代初期にかけて、京都に多くのクリスチャンが起こされたのは、実に歴史の必然であった。彼らは、祖先の信仰に立ち帰った人々であったのである。このように、京都の真の霊的土台に目を向けると、この都市の本来あるべき姿が見えて来る。キリスト再臨の日の前に、もう一度、いにしえの真実の京都が回復されることを願う。もし、それが実現するならば、その時、この地は再び神の平和の都として、人々が救われ癒され幸いを得る地となるだろう。

「しかし、見よ、わたしはこの都に、いやしと治癒と回復とをもたらし、彼らをいやしてまことの平和を豊かに示す。 そして、ユダとイスラエルの繁栄を回復し、彼らを初めのときのように建て直す。 わたしに対して犯したすべての罪から彼らを清め、犯した罪と反逆のすべてを赦す」(エレミヤ書 33:6-8 新共同訳)
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熊本バンドの精神は何処に(記事No.154)

 2023年4月11日付京都新聞夕刊1面トップに、「同志社ゆかりの洋館 復興」とのトピックで、2016年4月の熊本地震で全壊した、「熊本洋学校教師ジェーンズ邸」が復興されたとの記事が掲載されていた。同邸は1871(明治4)年に建設された、熊本洋学校のアメリカ人教師の住居として使用されていた建物と言う。地震で全壊したことを知った同志社校友会の役員らが募金活動に奔走し、同会の国内外78支部の会員らが2年間に1,500万円を集めて、再建資金として熊本市に寄付したとのことである。

 なぜ、同志社が熊本洋学校とゆかりがあるのか、記事はこう書いている。「この洋学校は、後に京都で同志社の礎を築く『熊本バンド』と呼ばれるキリスト教徒の青年たちを輩出したことで知られる」熊本バンドとは、明治初期に各地で青年たちの間でキリスト教に入信する者たちが起こされた時、特に顕著な動きがあった三大バンドの1つである。ちなみに、他の2つは、札幌と横浜であり、前者は「青年よ大志を抱け」の言葉で知られる、ウイリアム・スミス・クラーク博士が教えた、札幌農学校の第1期生全員がクリスチャンとしての信仰を告白したことが始まりであり、内村鑑三や新渡戸稲造などの人物を輩出したことで知られる。後者の方は、1872年に日本最初のプロテスタント・キリスト教会である、「日本基督公会」の成立として結実した運動である。

 記事を読んだことを機に、改めて熊本バンドと同志社の関わりを少し調べてみた。同志社大学キリスト教文化センターの資料によれば、そこには以下のような史実があった。「同志社は三つの柱によって築き上げられたと言われています。それは新島襄、アメリカン・ボード、そして熊本バンドです。この三つの源流を力に言い換えても、過言ではないと思います。新島襄の創業力、アメリカン・ボードの経済力、そして熊本バンドの人材力、この三つの力が同志社を立てた。このどれ一つを欠いても今の同志社はなかったと思うのです。(中略)(熊本洋学校は)アメリカ軍人L・L・ジェーンズ(リロイ・ランシング・ジェーンズ)大尉を教師に迎え、英語、数学、地理、歴史、化学、生物などの授業をすべて英語で教えていました。授業の質は高く熊本洋学校からは多くの優秀な人材が輩出されます。キリスト教徒であったジェーンズは、希望する生徒に自宅で聖書を教えていました。キリスト教の教えに感銘を受けた生徒たちは洗礼を受け信者となります。1876年には、生徒35人が熊本の西方にある花岡山に登り、キリスト教による人心革新を唱え奉教結盟を行いますが、彼らの行動が知られるようになると反対派勢力による弾圧が始まります。明治政府は1873年にキリスト教禁教令を廃止しますが、一般的にはまだキリスト教は邪教であり迫害の対象となっていたのです。この花岡山事件によってジェーンズは解雇となり、熊本洋学校は廃校になります。ジェーンズは行き場を失った生徒の受け入れを新島襄に依頼します。襄はジェーンズの依頼を快く引き受け熊本洋学校から20名を超える生徒(小崎弘道、金森通倫、伊勢時雄(横井時雄)、海老名弾正、吉田作弥、浮田和民、不破唯次郎など)が同志社英学校に転入してくるのです」

 同志社英学校には、熊本バンドの青年たち、すなわち、廃校となった熊本洋学校のクリスチャン学生らが転入して、草創期の柱となったと言う。彼らは、キリスト教禁制の影響が強く残る明治初期の日本において、文字通り命をかけてキリストに従った信仰者たちであった。彼らを受け入れた新島襄もまた、キリスト教信仰を土台とした教育を通して、日本において、神と国のために働くことが出来る有為な青年を育成し世に送り出すことに心血を注いだ。彼らの信仰的熱情と勇敢な行動とが、今日に至る同志社の礎を築いたことは疑いない。それでは、同志社には今も、その源流の1つである熊本バンドの精神が脈々と受け継がれているのであろうか?残念ながら、私が思うに、その答えは「否」である。

 もちろん、今なお同志社には、活きたキリスト教信仰を持つクリスチャンの教職員が一部にはいると思う。そのことは決して否定するつもりはないし、彼らはキリスト教教育の素晴らしい実践者であろう。だが、私が現時点で知る得る限り、現在の同志社には、熊本バンドの精神に象徴されるような、キリストに対する信仰的熱情は一般に見られない。特に堕落しているのが、ブランド学校と化した小中学校であろう。一例を挙げるなら、ある系列中学校では、クリスチャンを自称する副校長が実権を握っているのだが、過去3年間、新型コロナ・ウイルス感染予防を口実に、学年礼拝を一度も行わなかった。私は、彼と直接話したこともあるのだが、率直に言えば、彼をキリストに在る兄弟とは思えなかった。もっと言えば、彼は、異なる霊に動かされているようにも思えた。彼に、異端などの組織的背景があるのか、あるいは、本人も無自覚な内に、悪霊の影響を受けているのかは、その時は確信を持って判別出来なかったが。

 今回、熊本バンドの青年信徒らを輩出した、熊本洋学校の旧教師館再建の新聞記事を読んだことから、キリスト教学校としての同志社の現況について取り上げた。だが、このような状況は、何も同志社に限ったことではない。非常に残念なことであるが、日本の多くのキリスト教主義学校において、程度の差こそあれ同様の問題があると思う。学校教育法など教育関連法規の範囲での宗教教育などは、いろいろと難しい状況もあるとは思う。だが、キリスト教信仰に基づく教育を実践しないのであれば、いっそのこと、キリスト教主義の看板を下すべきであろう。羊頭狗肉では、神を悲しませるだけでなく、少数派であったとしても、志を持って入学した生徒たちと保護者らに対する裏切りであるからだ。キリスト教主義の高校に在学中に、宗教主任や同級生らに感化されたのも、信仰を持つに至った大きな理由の1つであった私としては、これも終末が近い中では必然かと思いつつも、寂しさと憤りがない混ぜになった複雑な想いを禁じ得ない。

「しかし、民の間には偽預言者も現れました。同じように、あなたがたの間にも偽教師が現れることでしょう。彼らは滅びをもたらす異端をひそかに持ち込み、自分たちを贖ってくださった主を否定して、自らの身に速やかな滅びを招いています。 しかも、多くの人が彼らの放縦を見倣い、そのために真理の道がそしりを受けるのです。 彼らは欲に駆られ、噓偽りであなたがたを食い物にします。この者たちに対する裁きは、昔から滞りなく行われており、彼らが滅ぼされないままでいることはありません」(ペトロの手紙二 2:1-3 聖書協会共同訳)
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律法主義の見本(記事N0.153)

 去る3月29日、1つの衝撃的ニュースが全国を駆け巡った。なんと、愛媛県新居浜市の市立保育園で、60代の女性調理員が、1年間に渡り給食の米飯を自分の昼食用に勝手に食べていたと言う。事実が発覚したことを受け、市当局は当該調理員を減給処分とし、当人は依願退職した。あまりにもお粗末な話であり、衝撃的ニュースとして取り上げるのはおかしいと思われるであろう。その通りであり、私が衝撃的と書いたのは、こんなことが全国的ニュースとして報道されたことと、件の調理員がこの程度の話で懲戒処分に付された上、依願退職に追い込まれたことである。

 この「事件」の当事者である給食調理員は、各種報道によると、規則では、余剰米は廃棄することが定められているにもかかわらず、余ったご飯を捨てずに残しておき、自分が持参したおかずと一緒に食べたようである。読売新聞オンライン版2023年3月30日付記事によれば、「2021年12月〜22年12月、園児の給食として炊いたご飯のうち、余った1食分(150グラム)を236回にわたって取り置き、業務終了後に昼食として食べていた。」と言う。また、地元のテレビ愛媛の報道によれば、「園児の給食ため(原文ママ)調理した米飯をあらかじめ取り置き、自分の昼食で食べていました。保育園の職員はおかずは代金を支払って園児と同じものを食べ、米飯は自分で用意する決まりになっているということです。」と、余った分ではなく、あらかじめ取り置いたとされ、少しニュアンスが異なる。テレビ愛媛のホームページ掲載記事は、こう続く。「女性調理員は『弁解のしようもない。深く反省している』と話しているということです。市は『公務員の信用を失墜させた』として、女性調理員を29日付けで給料の10分の1、1カ月の減給処分に。女性職員は依願退職しました。市は、保育園長や関係部局の管理職に文書や口頭で訓告をしていて、今後全職員に対し綱紀粛正を通知することにしています」

 皆さんは、このニュースを聞いて、どう思われれるだろうか?仮に、調理員が、園児の給食の分量を減らして自分の昼食用に取り分けたなら問題であり、クビになるのも当然であろう。しかし、彼女は、余ったご飯を捨てずに取って置き、自分の昼食として食べただけである。この事が、全国に報道されるほどの事案であろうか?また、懲戒処分を受け、職を失うほどの不祥事だろうか?第一、食べたのは236回というのは、上司か同僚が密かに監視していたのか、それとも、当人が事情聴取で認めた回数なのだろうか?彼女の行為と、それに対する社会的制裁があまりにアンバランス過ぎはしないか?いや、むしろ、事業所系の廃棄食材は、産廃業者に処分費を支払って引き取ってもらうことを考えると、怪我の功名とは言え、ゴミの容量を減らして処分費用(新居浜市民の税金である。)の低減に努めたことは、評価しても良いのでは無いだろうか?

 このようなニュースが流れると、必ず、規則に違反したのだから処分は当然とする意見が出て来る。だが、規則自体が理不尽である可能性も考えなければ、一度規則が作られたなら、規則を遵守すること自体が目的となってしまうことがある。いわゆるブラック校則なども、この類であろう。頭髪は黒色に限ると言う校則のゆえに、地毛が茶色い生徒が髪の毛を黒に染めさせられたとか、はっきり言ってバカである。下着の色は白に限るという校則に至っては、悪趣味な上、人権侵害であろう。幼い頃から、このような理不尽な規則の数々に縛られながら疑問も持たずに成長すると、今般の事案で処分を決めた新居浜市の人事権者のような、程度の低い大人になってしまうのだと思う。

「彼は言っている。『戒めに戒め、戒めに戒め、規則に規則、規則に規則、ここに少し、あそこに少し』と」(イザヤ書 28:10 新改訳)


 この社会には、律法主義が至る所に見られるが、今般の「給食ご飯取り置き事件」は、その格好の見本と考え、あえて低レベルの話題を取り上げた。およそ全ての規則は、人々にとって有益な効果を期待して、作られ維持されるべきである。規則が人々のためにあるのであり、その逆では無い。不合理な規則に人々を縛り付けようとする社会は、人々を幸せに出来るような社会ではないと思う。マスコミ各社も、末端の一契約公務員である給食調理員の「不祥事」を大々的に取り上げる暇があれば、政治家や官僚の不正を追求したらどうだろうか。取り急ぎ、これまでに支出された莫大な新型コロナ対策国家予算の内、使途不明となっている約11兆円の行方を徹底的に調べたら良いと思う。
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